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16 黄金の神翼と慟哭の剣・終
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「国を守るには、軍だけでなく警備専用の組織も必要かと存じます。警備兵を募れば、仕事を失った民に新たな仕事を与えることもできましょう。屯所の設営や武具の調達などの新しい仕事を生み出すこともできます。屯所の周囲には人が集まり新たな商売も生まれ、人、物、金が巡ることは国のためにもなるかと存じます」
「ふむ」
豪華な椅子に座る皇帝が、肘掛けに肘をついた手に顎を乗せ思案顔をしている。目の前で萎縮しながら説明していた官吏がチラッとわたしを見た。
「末長く豊かな国であり続けるためには、よい案かと存じます」
わたしがそう口にすると、皇帝の口元にフッと笑みが浮かぶ。
「なるほど、一理ある。しかし屯所は五つで足りるか? この計画書では南側に手薄な箇所ができるように見えるが?」
皇帝の問いにビクッと体を震わせた官吏に代わり、わたしが説明を続けることにした。
「南側は隣国との難しい状況が続いている土地です」
「ただの警備兵では、何かあっても対処できぬであろうな」
「東に二つ屯所を置く代わりに、東の二個隊を南へ配置し直します」
「東を守るのは騎馬隊であったな。……なるほど、それなら国境の草原地帯でも向こうの騎士団に遅れはとらぬか。よかろう、計画を進めよ」
皇帝の言葉に、ようやく官吏が「御意」と安堵の表情を浮かべた。今日は機嫌がよいと判断したのか、続けて「先の宰相閣下夫人からのお話は」と口にしたところで「黙れ」と厳しい声が飛ぶ。
「しかし、一年も返答を伸ばしておりますゆえ、」
冷や汗をかきながらも言葉を続けようとする官吏だったが、鋭い眼差しに慌てて口を閉ざした。
「養子の件を認めてやったというのに、次はその子どもの地位を欲するなど強欲にも程がある。いかに帝室出身とは言え、これ以上欲深いことを口にすることはならぬ。それでも口を慎まぬというなら……」
「陛下」
その先を言わせないように口を挟んだ。
「返事はわたしからしておきます」
「……よかろう。おまえに任せる」
官吏があからさまにホッとしたような顔をした。わたしに感謝の目配せをし、そのまま頭を下げようとしたところで皇帝の手が動いた。何事かと動きを止めた官吏だが、皇帝は視線を向けることなく右側に立つわたしの左手を掴み上げる。そうして指先に口づけ、ようやく官吏へと視線を向けた。
驚いたのは頭を下げかけていた官吏だった。視線を忙しなく動かしながらも勢いよく頭を下げ、慌てて執務室を出て行く。
「陛下」
「おまえは官吏らに人気のようだからな。おまえが誰のものかこうして示しておかねばなるまい?」
笑みを浮かべながら、またもや指先に口づけた。
「官吏が相談に来るのは、わたしが宰相補佐の地位にあるからでしょう。宰相閣下はお年を召して登城がなかなか叶いません。だから皆わたしのところへやって来るのです。それに、陛下と官吏たちの間を取り持つのもわたしの役目と心得ております」
「役目に忠実なのはよいことだ。だが、誰も彼もがおまえを慕うのを黙って見ているわけにはいかぬ。こんなことなら、やはり妃にしておくべきだったかと後悔しているところだ」
「陛下」
「冗談だ」
機嫌がいいのか口元に笑みを浮かべながらわたしの手の甲を撫でている。しかし、続けて「まだ庇うつもりか?」と口にした顔からは一切の笑みが消えていた。
「姉上の役目はとうに終わっている。もはや存在する価値もない。それなのに庇い続けるとはな」
言いたいことはわかっている。皇帝の姉、つまり母上の役目はわたしが皇帝宮に移ったことで終わった。母上の役目――それはわたしをあの屋敷に閉じ込めておくこと。それを望み仕向けたのはほかでもない皇帝だった。
だからといって母上が皇帝の命令を受けたわけではない。独り身になった母上を慣習どおり帝室に戻すことをせず、父上の親族に家を継ぐことも許さず、わたしに子ができるまで屋敷に閉じ込めておくように仕向けたのだ。
(三歳の我が子を烈火のごとく叱り頬を打つくらいの母上だ。追い詰められれば閉じ込めるだろうことは容易に想像できる)
そして、わたしが許嫁を迎える直前に養子を許可した。わたしに妻を持たせないためだ。
養子を認めたあとも母上がわたしを追い出さないことを皇帝はわかっていた。帝室の者として誰よりも気位が高い母上は、忌まわしき金の髪と目を持つわたしを外の人間に見られるのをひどく嫌っていたからだ。
(すべて皇帝の思うままに事は進んでいった)
そして皇妃が懐妊したことで最後の準備が整った。
皇帝は、新しく建てた自分だけの宮、銀翼宮にわたしを閉じ込めた。そして、長年の想いをぶつけるように毎晩わたしを陵辱し続けた。
(半年もしないうちにわたしの今生はそこで終わるはずだった。しかし神罰は赦され、命はいまなお続いている)
いまのわたしは皇帝のそば近くに仕える宰相補佐だ。宰相だった父上の跡を継ぐ、というのは表向きで、わたし自らが願い出たことだ。そうすることで“死の翼”の役目に抗い続けている。
「どのような存在であっても、母上には違いありません」
「おまえは優しいな。わたしならば早々に首を刎ねているぞ」
「陛下」
「冗談だ」
笑う碧眼が一瞬だけ神の金眼に見えた気がした。その光に“神の目はあまねく見渡し何人たりとも逃げ隠れることはできない”という言葉を思い出す。
(神罰を赦されたとしても、名を与えられし者としての役目は続く。その様子を神はずっと見ているのだろう)
それがいつまで続くのかわたしにはわからない。役目どおり皇帝に“死”を与えれば終わるのかもしれないが、国を死に向かわせることなどできるはずがなかった。
(わたしはすでに一度、国を滅ぼしている)
二度もこの手で国を滅ぼすことはできない。だからこそわたしはこの国が続くことを願い、そのために尽力することにした。それ以上に、彼に“死”を与えることはできなかった。
(この世界でわたしと同じ存在は、この男しかいないのだ)
たとえ記憶がなく何も覚えていなかったとしても、この男だけがわたしの苦しみを理解できる。その魂にはくり返し命を繋いできた苦しみが刻み込まれている。わたしと同じように抉られ続けた魂を持つ唯一の存在に、この手で“死”を与えることなどできるはずがなかった。
(何よりも、この男はわたしがたった一人想いを寄せる存在だ)
そして、おそらく唯一想いを寄せてもよい相手。
「陛下」
笑いながらわたしを見上げる碧眼を見つめながら腰をかがめた。そっと触れた唇の熱が、なぜかかつての三人を思い起こさせ胸が軋んだ。
執務室の奥には簡易的ながら皇帝の休息所が設けられている。かつてはまったく使われていなかったというその場所で、わたしは皇帝に組み敷かれていた。
(こういうときの表情は二度目のグラディエルムのようだ)
最後に見た贈り物の話をしていたときの顔がよぎる。服の紐を解きながら浮かべる表情は、あのときと同じ楽しそうな表情によく似ていた。
(そういえば、執務中の顔つきは最初のグラディオナに似ているか)
戯れを口にするときは三度目のグラディガルナ様に似ている。そう考えると、たしかにこの男は過去三人の魂を引き継いでいた。そして、三人すべてを皇帝グラディグトールが覆い尽くしている。
「何をそんなに見ている?」
「いえ、楽しそうなお顔だと思いまして」
「当然だろう。こうしておまえに触れているのだからな」
にこりと微笑む顔は、果たして誰に近いだろうか。思わずそんなことを考え、すぐに「考えたところでどうしようもない」と打ち消した。
目の前の男は皇帝グラディグトールだ。グラディグトールは過去三人とはまったく違う。垣間見える過去の影は刻み込まれた傷のようなものでしかない。
(普段の皇帝を見れば、あの三人とは別人だとよくわかる)
皇帝は常に冷たい気配を漂わせ誰も近づけようとしない。そのせいか、貴族も官吏も皇帝のことを必要以上に恐れている。執務で目の前に進み出れば憐れなほど萎縮もした。宰相や将軍らは平常心を保っているが、多くの者が皇帝を恐れるのはこの男に感情らしきものがあまり見られないからだろう。
(これまで必死に感情を押し殺そうとしてきたわたしより、皇帝のほうがそうなっていたとは)
母上や周囲から奇異の目で見られてきたわたしなど足元にも及ばないほど不気味に見える。そう感じるくらい喜怒哀楽が読めなかった。他者を労わり慈しむ気持ちも希薄で、皇妃や皇子への無関心さも続いている。下手をすれば己が統治すべき国のことですら興味がないときもあった。
(それでも皇帝としての才がないわけではない)
紐を解き露わになったわたしの胸を撫でる大きな手は、いまや大陸最大の国土を手にしている。それは皇帝自身が持つ才能が成した偉業だと言えるだろう。
いまから八年前、この男は二十二歳という若さで皇帝になった。不安がる貴族や官吏を尻目に国境を侵そうとしていた近隣諸国を次々を打ち払い、たった三年でいまの帝国を築き上げた。
(記録書を読んだときは、まるでアウルマーラの父親かと笑いたくなったほどだ)
あのとき「殿下はお強い王ではなく、優しき王におなりください」と口にしたグラディオナとは真逆のことをしている。それが皇帝グラディグトールという男なのだ。
(……またわたしは)
つい過去の三人と比べてしまう。無意味なことをくり返すことまで魂に刻まれてしまったのかと、思わず苦い笑みがこぼれた。
「今日はおまえも機嫌がよいではないか」
「そうでしょうか」
やはりこの男には自嘲も普通の笑みに見えるのだろう。
(いや、それだけわたしが笑えなくなったということか)
それでも構わない。今生はそういう命なのだと、とうの昔に諦めも覚悟もできている。
(そして、今生こそわたしは名の役目を果たす)
『我の与えし名の役目は、これからも続いていく』という神の声が蘇る。“死”をもたらすことがわたしの役目なら“死”をもたらしてもよいものに与えればよい。それを選ぶことも役目のうちだと考えた。
二の腕の内側に口づける男を見る。気がつけば二の腕も胸も足も、ありとあらゆるところに口づけた痕が残っていた。
「サーラ?」
胸に唇を当てていた皇帝が訝しむように視線を上げた。珍しくわたしが肌を震わせるように笑ったからだろう。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
何も“死”は人命や国だけに与えられるものではない。
(そうだ、消し去ることが“死”というのならば、わたしにはもっとも“死”を与えたいものがある)
それは、わたしたちが与えられたくり返す命。神の『我の与えし名の役目は、これからも続いていく』という言葉がそのままの意味だとするなら、今生が終わっても次の命が始まる可能性がある。それなら“次の命が始まる道筋”を消してしまえばいい。
(そうすれば、わたしたちは今生を最後の命として生きることができる)
そう考えたとき、まさにこれこそが慈悲だと感じた。自らが与える慈悲によってようやく二人とも救われるのだ。
不意に下肢が熱いものに覆われた感覚にハッとした。目を開け視線を落とすと、皇帝がわたしのものを口に含んでいる。
「それは、なりませんと申して、んっ」
手を伸ばしきる前に強く吸われ腰が震えた。我慢する間もなくぴゅるっと精がこぼれ下腹がビクビクと波打つ。それでもなお吸いつくのを何とかやめさせたものの、それより奥で体内を掻き回す指は動き続けていた。
「んっ、ぁう!」
「何を考えている? わたしに抱かれている最中に考えごとをするなと言ったはずだな?」
体を起こした皇帝が、じっとわたしを見下ろしている。その碧眼の奥には黒く燃える炎が見え隠れしていた。
(これほどの想いを抱くのも今生で最後だ)
そう思えば畏れることなど何もない。鮮烈なまでの感情を向けられることをあれほど畏れていたというのに、いまのわたしは身震いするほど悦んでいた。四度目の命にして初めて得たものに魂が満たされていく。
思わず口元を緩めると、皇帝の碧眼が一瞬だけ黄金色に輝いた気がした。その輝きが最後に見た神の眼差しを呼び起こす。
(そもそも、あれは本当に神なのだろうか)
それは何度か疑問に思ったことだ。皇帝宮に集められた諸外国の本には、神に等しい力を持つ相対する存在が記されていた。だが、わたしが知る限り古代語にはそれを示すものはない。
『我は名を持たぬ。だが、人の世では神と呼ばれている』
初めてまみえたとき、神はそう口にした。つまり、あの存在は神ではないのかもしれないということだ。
そんな黄金色の存在と自分の姿が、最近重なって見えるときがある。鏡を見るたびにそっくりになっていく己の姿にドキッとすることさえあった。
(これでは、まるでわたしが神のようではないか)
祝福を与える神ではなく、すべてに“死”をもたらす神。そんな存在になった気がしてゾッとする。
「わたしだけを見ろと言ったはずだな?」
「ぁう……!」
両足を持ち上げられ、最奥まで一気に貫かれた。衝撃でまたもや精がぴゅぴゅっと漏れる。その白濁を皇帝の指がわたしの腹の上でこねくり回し始めた。臍よりずっと下をくるくると撫で、下生えを掻き混ぜるように擦り、臍へと向かって一直線に指を滑らせていく。
「んっ、んぁ!」
「いまこのあたりに入っているだろう?」
指が臍の下をグゥッと押した。同時に内側からも押し上げられビクンと体が跳ねた。
「余計なことを考えず、ここにわたしが入っているのを存分に感じろ」
「ひっ、ひぃ! はぅ! や、やめ……んぁ!」
今度は手のひらでググッと押された。それに抵抗するように内側の熱がゴリゴリと奥深くを擦り始める。
「ひ、ひ! ぁ、ぁ、あ! やめ、……あぁ!」
かふ、と空気が漏れた。最奥を擦っていたはずの熱がぐぼっと狭いところを突き抜け、その先を犯し始める。何度も何度も擦られ、抉られ、体の奥が燃えるように熱くなり、穿つ熱と己の体が一つに溶け合うような感覚に襲われた。
「……っ、ん……っ、ぁ……、ん……ぁ!」
「おまえはわたしのものだ。生まれたときから死ぬときまで、おまえのすべてはわたしのものだ」
「ぁ、ぁっ、ぁぅ、ぅ!」
眼前にチカチカとした火花が散る。目を開いているはずなのに皇帝の姿は見えず、ただ星のようなものがひっきりなしに飛び散った。
「よいか、おまえはわたしのものだ。わたしだけを見ていればよい」
苛烈な言葉がわたしを何度も貫いた。貫かれるたびに言葉が魂に刻み込まれるような気がした。
(あぁ、また魂におまえが刻み込まれていく)
あれほど畏れていたというのに、いまは深く刻まれることが恍惚でしかない。涙で滲む皇帝の顔に「わたしの殿下……!」と慟哭する男の姿が重なる。
「死ぬまで、いや死んでもなおおまえはわたしのものだ。忘れるな」
男の想いはもはや恋情と呼ぶには難しいほど強く深いものになっていた。そして、同じだけの想いをわたしもきっと抱いている。だからこそ次の命はなくて構わない。今生ですべて燃やし尽くしたほうがいい。
「……忘れは、しません……」
胸にわき上がるこの感情は、どんな言葉を用いても表現しきれない――そう、ただ“激情”と呼ぶことしかできないものだった。
「ふむ」
豪華な椅子に座る皇帝が、肘掛けに肘をついた手に顎を乗せ思案顔をしている。目の前で萎縮しながら説明していた官吏がチラッとわたしを見た。
「末長く豊かな国であり続けるためには、よい案かと存じます」
わたしがそう口にすると、皇帝の口元にフッと笑みが浮かぶ。
「なるほど、一理ある。しかし屯所は五つで足りるか? この計画書では南側に手薄な箇所ができるように見えるが?」
皇帝の問いにビクッと体を震わせた官吏に代わり、わたしが説明を続けることにした。
「南側は隣国との難しい状況が続いている土地です」
「ただの警備兵では、何かあっても対処できぬであろうな」
「東に二つ屯所を置く代わりに、東の二個隊を南へ配置し直します」
「東を守るのは騎馬隊であったな。……なるほど、それなら国境の草原地帯でも向こうの騎士団に遅れはとらぬか。よかろう、計画を進めよ」
皇帝の言葉に、ようやく官吏が「御意」と安堵の表情を浮かべた。今日は機嫌がよいと判断したのか、続けて「先の宰相閣下夫人からのお話は」と口にしたところで「黙れ」と厳しい声が飛ぶ。
「しかし、一年も返答を伸ばしておりますゆえ、」
冷や汗をかきながらも言葉を続けようとする官吏だったが、鋭い眼差しに慌てて口を閉ざした。
「養子の件を認めてやったというのに、次はその子どもの地位を欲するなど強欲にも程がある。いかに帝室出身とは言え、これ以上欲深いことを口にすることはならぬ。それでも口を慎まぬというなら……」
「陛下」
その先を言わせないように口を挟んだ。
「返事はわたしからしておきます」
「……よかろう。おまえに任せる」
官吏があからさまにホッとしたような顔をした。わたしに感謝の目配せをし、そのまま頭を下げようとしたところで皇帝の手が動いた。何事かと動きを止めた官吏だが、皇帝は視線を向けることなく右側に立つわたしの左手を掴み上げる。そうして指先に口づけ、ようやく官吏へと視線を向けた。
驚いたのは頭を下げかけていた官吏だった。視線を忙しなく動かしながらも勢いよく頭を下げ、慌てて執務室を出て行く。
「陛下」
「おまえは官吏らに人気のようだからな。おまえが誰のものかこうして示しておかねばなるまい?」
笑みを浮かべながら、またもや指先に口づけた。
「官吏が相談に来るのは、わたしが宰相補佐の地位にあるからでしょう。宰相閣下はお年を召して登城がなかなか叶いません。だから皆わたしのところへやって来るのです。それに、陛下と官吏たちの間を取り持つのもわたしの役目と心得ております」
「役目に忠実なのはよいことだ。だが、誰も彼もがおまえを慕うのを黙って見ているわけにはいかぬ。こんなことなら、やはり妃にしておくべきだったかと後悔しているところだ」
「陛下」
「冗談だ」
機嫌がいいのか口元に笑みを浮かべながらわたしの手の甲を撫でている。しかし、続けて「まだ庇うつもりか?」と口にした顔からは一切の笑みが消えていた。
「姉上の役目はとうに終わっている。もはや存在する価値もない。それなのに庇い続けるとはな」
言いたいことはわかっている。皇帝の姉、つまり母上の役目はわたしが皇帝宮に移ったことで終わった。母上の役目――それはわたしをあの屋敷に閉じ込めておくこと。それを望み仕向けたのはほかでもない皇帝だった。
だからといって母上が皇帝の命令を受けたわけではない。独り身になった母上を慣習どおり帝室に戻すことをせず、父上の親族に家を継ぐことも許さず、わたしに子ができるまで屋敷に閉じ込めておくように仕向けたのだ。
(三歳の我が子を烈火のごとく叱り頬を打つくらいの母上だ。追い詰められれば閉じ込めるだろうことは容易に想像できる)
そして、わたしが許嫁を迎える直前に養子を許可した。わたしに妻を持たせないためだ。
養子を認めたあとも母上がわたしを追い出さないことを皇帝はわかっていた。帝室の者として誰よりも気位が高い母上は、忌まわしき金の髪と目を持つわたしを外の人間に見られるのをひどく嫌っていたからだ。
(すべて皇帝の思うままに事は進んでいった)
そして皇妃が懐妊したことで最後の準備が整った。
皇帝は、新しく建てた自分だけの宮、銀翼宮にわたしを閉じ込めた。そして、長年の想いをぶつけるように毎晩わたしを陵辱し続けた。
(半年もしないうちにわたしの今生はそこで終わるはずだった。しかし神罰は赦され、命はいまなお続いている)
いまのわたしは皇帝のそば近くに仕える宰相補佐だ。宰相だった父上の跡を継ぐ、というのは表向きで、わたし自らが願い出たことだ。そうすることで“死の翼”の役目に抗い続けている。
「どのような存在であっても、母上には違いありません」
「おまえは優しいな。わたしならば早々に首を刎ねているぞ」
「陛下」
「冗談だ」
笑う碧眼が一瞬だけ神の金眼に見えた気がした。その光に“神の目はあまねく見渡し何人たりとも逃げ隠れることはできない”という言葉を思い出す。
(神罰を赦されたとしても、名を与えられし者としての役目は続く。その様子を神はずっと見ているのだろう)
それがいつまで続くのかわたしにはわからない。役目どおり皇帝に“死”を与えれば終わるのかもしれないが、国を死に向かわせることなどできるはずがなかった。
(わたしはすでに一度、国を滅ぼしている)
二度もこの手で国を滅ぼすことはできない。だからこそわたしはこの国が続くことを願い、そのために尽力することにした。それ以上に、彼に“死”を与えることはできなかった。
(この世界でわたしと同じ存在は、この男しかいないのだ)
たとえ記憶がなく何も覚えていなかったとしても、この男だけがわたしの苦しみを理解できる。その魂にはくり返し命を繋いできた苦しみが刻み込まれている。わたしと同じように抉られ続けた魂を持つ唯一の存在に、この手で“死”を与えることなどできるはずがなかった。
(何よりも、この男はわたしがたった一人想いを寄せる存在だ)
そして、おそらく唯一想いを寄せてもよい相手。
「陛下」
笑いながらわたしを見上げる碧眼を見つめながら腰をかがめた。そっと触れた唇の熱が、なぜかかつての三人を思い起こさせ胸が軋んだ。
執務室の奥には簡易的ながら皇帝の休息所が設けられている。かつてはまったく使われていなかったというその場所で、わたしは皇帝に組み敷かれていた。
(こういうときの表情は二度目のグラディエルムのようだ)
最後に見た贈り物の話をしていたときの顔がよぎる。服の紐を解きながら浮かべる表情は、あのときと同じ楽しそうな表情によく似ていた。
(そういえば、執務中の顔つきは最初のグラディオナに似ているか)
戯れを口にするときは三度目のグラディガルナ様に似ている。そう考えると、たしかにこの男は過去三人の魂を引き継いでいた。そして、三人すべてを皇帝グラディグトールが覆い尽くしている。
「何をそんなに見ている?」
「いえ、楽しそうなお顔だと思いまして」
「当然だろう。こうしておまえに触れているのだからな」
にこりと微笑む顔は、果たして誰に近いだろうか。思わずそんなことを考え、すぐに「考えたところでどうしようもない」と打ち消した。
目の前の男は皇帝グラディグトールだ。グラディグトールは過去三人とはまったく違う。垣間見える過去の影は刻み込まれた傷のようなものでしかない。
(普段の皇帝を見れば、あの三人とは別人だとよくわかる)
皇帝は常に冷たい気配を漂わせ誰も近づけようとしない。そのせいか、貴族も官吏も皇帝のことを必要以上に恐れている。執務で目の前に進み出れば憐れなほど萎縮もした。宰相や将軍らは平常心を保っているが、多くの者が皇帝を恐れるのはこの男に感情らしきものがあまり見られないからだろう。
(これまで必死に感情を押し殺そうとしてきたわたしより、皇帝のほうがそうなっていたとは)
母上や周囲から奇異の目で見られてきたわたしなど足元にも及ばないほど不気味に見える。そう感じるくらい喜怒哀楽が読めなかった。他者を労わり慈しむ気持ちも希薄で、皇妃や皇子への無関心さも続いている。下手をすれば己が統治すべき国のことですら興味がないときもあった。
(それでも皇帝としての才がないわけではない)
紐を解き露わになったわたしの胸を撫でる大きな手は、いまや大陸最大の国土を手にしている。それは皇帝自身が持つ才能が成した偉業だと言えるだろう。
いまから八年前、この男は二十二歳という若さで皇帝になった。不安がる貴族や官吏を尻目に国境を侵そうとしていた近隣諸国を次々を打ち払い、たった三年でいまの帝国を築き上げた。
(記録書を読んだときは、まるでアウルマーラの父親かと笑いたくなったほどだ)
あのとき「殿下はお強い王ではなく、優しき王におなりください」と口にしたグラディオナとは真逆のことをしている。それが皇帝グラディグトールという男なのだ。
(……またわたしは)
つい過去の三人と比べてしまう。無意味なことをくり返すことまで魂に刻まれてしまったのかと、思わず苦い笑みがこぼれた。
「今日はおまえも機嫌がよいではないか」
「そうでしょうか」
やはりこの男には自嘲も普通の笑みに見えるのだろう。
(いや、それだけわたしが笑えなくなったということか)
それでも構わない。今生はそういう命なのだと、とうの昔に諦めも覚悟もできている。
(そして、今生こそわたしは名の役目を果たす)
『我の与えし名の役目は、これからも続いていく』という神の声が蘇る。“死”をもたらすことがわたしの役目なら“死”をもたらしてもよいものに与えればよい。それを選ぶことも役目のうちだと考えた。
二の腕の内側に口づける男を見る。気がつけば二の腕も胸も足も、ありとあらゆるところに口づけた痕が残っていた。
「サーラ?」
胸に唇を当てていた皇帝が訝しむように視線を上げた。珍しくわたしが肌を震わせるように笑ったからだろう。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
何も“死”は人命や国だけに与えられるものではない。
(そうだ、消し去ることが“死”というのならば、わたしにはもっとも“死”を与えたいものがある)
それは、わたしたちが与えられたくり返す命。神の『我の与えし名の役目は、これからも続いていく』という言葉がそのままの意味だとするなら、今生が終わっても次の命が始まる可能性がある。それなら“次の命が始まる道筋”を消してしまえばいい。
(そうすれば、わたしたちは今生を最後の命として生きることができる)
そう考えたとき、まさにこれこそが慈悲だと感じた。自らが与える慈悲によってようやく二人とも救われるのだ。
不意に下肢が熱いものに覆われた感覚にハッとした。目を開け視線を落とすと、皇帝がわたしのものを口に含んでいる。
「それは、なりませんと申して、んっ」
手を伸ばしきる前に強く吸われ腰が震えた。我慢する間もなくぴゅるっと精がこぼれ下腹がビクビクと波打つ。それでもなお吸いつくのを何とかやめさせたものの、それより奥で体内を掻き回す指は動き続けていた。
「んっ、ぁう!」
「何を考えている? わたしに抱かれている最中に考えごとをするなと言ったはずだな?」
体を起こした皇帝が、じっとわたしを見下ろしている。その碧眼の奥には黒く燃える炎が見え隠れしていた。
(これほどの想いを抱くのも今生で最後だ)
そう思えば畏れることなど何もない。鮮烈なまでの感情を向けられることをあれほど畏れていたというのに、いまのわたしは身震いするほど悦んでいた。四度目の命にして初めて得たものに魂が満たされていく。
思わず口元を緩めると、皇帝の碧眼が一瞬だけ黄金色に輝いた気がした。その輝きが最後に見た神の眼差しを呼び起こす。
(そもそも、あれは本当に神なのだろうか)
それは何度か疑問に思ったことだ。皇帝宮に集められた諸外国の本には、神に等しい力を持つ相対する存在が記されていた。だが、わたしが知る限り古代語にはそれを示すものはない。
『我は名を持たぬ。だが、人の世では神と呼ばれている』
初めてまみえたとき、神はそう口にした。つまり、あの存在は神ではないのかもしれないということだ。
そんな黄金色の存在と自分の姿が、最近重なって見えるときがある。鏡を見るたびにそっくりになっていく己の姿にドキッとすることさえあった。
(これでは、まるでわたしが神のようではないか)
祝福を与える神ではなく、すべてに“死”をもたらす神。そんな存在になった気がしてゾッとする。
「わたしだけを見ろと言ったはずだな?」
「ぁう……!」
両足を持ち上げられ、最奥まで一気に貫かれた。衝撃でまたもや精がぴゅぴゅっと漏れる。その白濁を皇帝の指がわたしの腹の上でこねくり回し始めた。臍よりずっと下をくるくると撫で、下生えを掻き混ぜるように擦り、臍へと向かって一直線に指を滑らせていく。
「んっ、んぁ!」
「いまこのあたりに入っているだろう?」
指が臍の下をグゥッと押した。同時に内側からも押し上げられビクンと体が跳ねた。
「余計なことを考えず、ここにわたしが入っているのを存分に感じろ」
「ひっ、ひぃ! はぅ! や、やめ……んぁ!」
今度は手のひらでググッと押された。それに抵抗するように内側の熱がゴリゴリと奥深くを擦り始める。
「ひ、ひ! ぁ、ぁ、あ! やめ、……あぁ!」
かふ、と空気が漏れた。最奥を擦っていたはずの熱がぐぼっと狭いところを突き抜け、その先を犯し始める。何度も何度も擦られ、抉られ、体の奥が燃えるように熱くなり、穿つ熱と己の体が一つに溶け合うような感覚に襲われた。
「……っ、ん……っ、ぁ……、ん……ぁ!」
「おまえはわたしのものだ。生まれたときから死ぬときまで、おまえのすべてはわたしのものだ」
「ぁ、ぁっ、ぁぅ、ぅ!」
眼前にチカチカとした火花が散る。目を開いているはずなのに皇帝の姿は見えず、ただ星のようなものがひっきりなしに飛び散った。
「よいか、おまえはわたしのものだ。わたしだけを見ていればよい」
苛烈な言葉がわたしを何度も貫いた。貫かれるたびに言葉が魂に刻み込まれるような気がした。
(あぁ、また魂におまえが刻み込まれていく)
あれほど畏れていたというのに、いまは深く刻まれることが恍惚でしかない。涙で滲む皇帝の顔に「わたしの殿下……!」と慟哭する男の姿が重なる。
「死ぬまで、いや死んでもなおおまえはわたしのものだ。忘れるな」
男の想いはもはや恋情と呼ぶには難しいほど強く深いものになっていた。そして、同じだけの想いをわたしもきっと抱いている。だからこそ次の命はなくて構わない。今生ですべて燃やし尽くしたほうがいい。
「……忘れは、しません……」
胸にわき上がるこの感情は、どんな言葉を用いても表現しきれない――そう、ただ“激情”と呼ぶことしかできないものだった。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
主人公が亡くなった後どうなったのかとても気になります。
最初の、転生が始まる事になったときのことは大雑把にはわかってますが、
前2回はどうなったんだろう…
特に前回、置き去りにされた彼はかなり悲惨ですよね…
自殺してそう…
感想ありがとうございます。
1度目の命のときの最期、3度目の命までの積み重ねが残された側にどう影響を与えたか、それが4度目で如実に表れることになります。明日から以降更新の話で明かされますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
なかなかシビアな話ですが、読んでいただいて本当にありがとうございます!