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15 赦(ゆる)し

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「もぅ、離し、」

 あまりの苦しさにそう口にした。座っている皇帝の胸を背もたれに座らされている体は、少しでも手足の力を抜けば深々と穿たれてしまう。そうならないように必死に皇帝の太ももを掴み体を支えているが、いまのわたしにはこの状態さえ拷問に等しかった。

「駄目だ」
「ぃ……っ」

 腰を掴まれ、また奥深くを穿たれた。交合に慣れたはずの体に鋭い痛みが走る。同時にそれだけではない感覚に背筋がゾクゾクと震えた。思わず下を向きクッと唇を噛み締めると、大きな手に顎を掴まれグイッと持ち上げられる。

「離せと言う割には、おまえの蕾はわたしのものを離そうとしないぞ? それに……」

 顎を掴む手に力が入り無理やり目の前の窓に視線を向けさせられた。磨かれた窓は日が暮れると鏡のようになり、交わる二人の姿をまざまざと映し出していた。

「この顔は雌そのものではないか」

 囁かれた言葉にカッと血が上った。
 こんな言葉を吐く男ではなかった。初めてわたしを抱いたグラディガルナ様でさえも、こんな下劣な言葉は使わなかった。

(こんなにも変わってしまったのか)

 優しく微笑むグラディオナも、にこやかに笑うグラディエルムも、もういない。苦しむきっかけとなったグラディガルナ様とも違ってしまった。すべてはわたしが無意味に命をくり返してきたせいだ。

(わたしのせいだ)

「……もう、やめて、くれ……」

 大切に思ってきた存在が変わる姿をこれ以上見たくない。好きだった碧眼が冷たく変わる様を見たくはなかった。

(そばでわたしを支えてくれていた男を、幼いときから共にいた男を消さないでくれ)

 たとえ苦しみのきっかけになったとしても、熱く優しくわたしに触れた男が変わるのを見せないでほしい。

「もぅ、やめて……」
「泣いた黄金の瞳も美しい」

 同じ言葉を言わないでくれ。

「乱れた黄金の髪も美しい」

 その声で三人と同じことを言わないでくれ。

「モルサーラ……サーラ」

 囁くように呼ぶ声に全身がぶわりと総毛だった。

(やめろ、やめてくれ、やめて)

「呼、ぶな……っ。その声、で、呼ぶ、な……っ」
「サーラ」
おまえ・・・が、その声で、呼ぶ、な……!」
「サーラ」
「やめろ……っ。もう、やめてくれ……っ。もう……終わりに、して、くれ……。もう……、もう、殺して、くれ……っ」

 わたしの命は十九歳を迎える数時間後には消える。だが、それまでの時間をこのまま耐えろというのはあまりにも残酷だ。それならいっそおまえ・・・の手で奪ってくれ。

「ぉ……願いだ、から……殺し、て……」

 次の命のことなんて考えられなかった。ただ、いまのこの苦しみから逃れたい――そう思い、息を吐くように「殺してくれ」と懇願した。

「駄目だ。わたしから逃れることは許さない。おまえを失えば、わたしはわたしでいられなくなる」
「……な、ぜ……」
「おまえが生まれた瞬間、わたしの心はおまえに奪われた。憂いも喜びも怒りも、すべての感情がおまえにしか向かなくなった。おまえ以外のことに興味も関心もない」

 駄目だ、それではこの国はまた滅んでしまう。

「あなた、は……皇帝、では、ありませんか」
「おまえがいるからだ。おまえをこの腕に捕らえるために皇帝になった。誰からも決して奪われぬために強き皇帝になったのだ。召し上げる前に隣国を制し子を仕込む面倒もこなした。すべては未来永劫おまえとともにあるためにしたことだ」

 鏡のような窓に映る碧眼がぎらりと光った。

「わたしの魂はおまえのためにある。これも神の御心に違いないと、いまではそう理解している」
「そうじゃ、ない……」
「おまえはわたしの命そのものだ」

 男の言葉に、目尻から涙がこぼれ落ちた。

(なぜ今生で、そのような言葉を口にする)

 いや、今生でなくても口にしてはいけない言葉だ。神罰を受けるだけの魂が抱いてよい感情ではない。命をくり返すことすら苦しくなる想いなど抱くべきではない。

(それなのに、わたしの心は悦んでいる)

 想う相手に求められる悦びを、四度目のこの命にして初めて知った。その想いを受け入れたいと願ってしまいそうだった。
 だが、それは決してしてはならないことだ。そんなことをしてしまえば、この国は滅びの道を歩むことになるだろう。
 嘆きながらも体の奥深くを貫く熱に下腹が震えた。己にのみ執着を見せる姿に仄暗い悦びを感じていた。前の命よりもずっと深く耐えがたい感情を魂に刻み込んでしまった。
 なんと罪深いのかと涙があふれる。一度国を滅ぼしただけでなく、また国を滅ぼそうとしている。皇帝の命を奪っても奪わなくても、このままではこの国は滅んでしまう。

(わたしはまた国を脅かす存在になってしまった)

 ふと、三度目のときのグラディガルナ様を思い出した。あの男もわたしを求めていた。「愛している」とまで口にした。その言葉に応えることなく自ら命を絶ったあと、男はどうしたのだろうか。

(……あぁ、だからなのか)

 だから皇帝はわたしに異常なまでの執着を見せるのだ。それが命をくり返すということに違いない。魂に刻み込まれた想いは消えることなく、たとえ記憶がなくても強い想いは次の命へと引き継がれる。
 その苦しみさえも神罰の一つなのだろう。わたしだけでなく、この男もまた同じような苦しみを記憶がないまま引き継いでいるのだ。

(そんな男の命を奪うことが、わたしに下された神罰だというのか)

 深い絶望にうちひしがれたとき『そう、それがそちに与えた罰』という声が頭に響き渡った。

「……!」

 突然聞こえてきた幼子おさなごの声にハッと目を見開いた。聞いたのは随分昔のことだが、決して忘れることなどできない声に体が震える。

『いつの時代かいつの世界かに生まれ、命を落とした十九までの間に一人の者の命を奪わねばならぬ。それがそちに与えた罰』

 声のする正面を見た。そこには変わらず交わっている二人の体が映っている。わたしを膝に乗せ貫いている皇帝の姿、それを受け入れながら涙をこぼす己の顔がはっきり見えた。その顔に見覚えのある幼子おさなごの顔が重なる。

『そうしてかの者に与えた罰は、己が命を奪った者に命を奪われねばならないという罰』

 そうだ、神罰が下ったことでわたしたちは命をくり返すことになった。唇を噛み、涙が止まらない目でじっと神を睨む。なぜいま姿を現したのかと睨みつけた。

『我が二人に与えた罰は、いまをもってゆるされる』
「……え、」

 突然の言葉に思わず呆けてしまった。何を言われたのかわからず、窓に映る神を呆然と見つめる。そうして無意識のうちに「なぜ」と問いかけていた。

『いま、そちはかの者の命を奪い、かの者は命を奪われた。果たされれば与えし罰はゆるされる』

(命を、奪った……?)

 意味がわからず混乱した。自分はただ皇帝に抱かれ、どうにもできないことに絶望したばかりだ。それなのに命を奪ったとはどういうことなのだろうか。

「奪ってなどいません。そう決意したものの、奪えなかったのです」
『かの者の命は再びそちのものとなった』
「わたしのもの……?」
『そちは命を奪われたたとき、かの者に「好きだ」と告げた。かの者は命を奪ったとき、「命はあなたと共に」と言った』

 言葉の直後、アウルマーラだったときの景色が頭にに流れ込んできた。
 怒号と悲鳴、それに煙……それは最初のわたしが死ぬ瞬間に見た光景だった。わたしの胸には剣が突き刺さり、その剣を握りながらわたしの体を支えているのはグラディオナだ。

(そうだ、このときわたしは碧眼が好きだったと告げた)

「おまえ……が……好き、だ……った」
「殿下、」

 見開いたこの碧眼を最期の瞬間に見た。このあとグラディオナの口が動いたのも覚えている。しかしわたしの記憶はそこで途切れ、国がどうなったかは三度目の命のときに古書で知ることになった。

「なぜ、いまこのときにおっしゃるのか……!」

 突然響いたグラディオナの声にハッとした。脳裏にはわたしが死んだあとの光景が流れ続けている。

「この思いは抱いてはいけないものだと、決して知られてはいけないのだと抑え続けてきたというのに……! 殿下、どうかお許しください。この手で命を奪ってしまった罪は魂が続く限りあがない続けましょう。我が命は未来永劫あなたと共に……わたしの殿下……!」

 事切れたわたしの体を床に横たえたグラディオナが、胸から剣を引き抜いた。血に濡れた切っ先を己に向け、そのまま――。

 やめろ!

 思わず叫んでいた。しかしわたしの声が彼に届くはずもなく、グラディオナはわたしの血に濡れた剣で自らの心臓を貫いた。

「まさか、あのときグラディオナも死んだというのか……?」
『命を奪われし最期の瞬間、そちが口にした言葉によって与えし罰は決まった。命を奪った瞬間、かの者が口にした言葉によって与えし罰は決まった』

 幼子おさなごのような神の高い声が響き渡る。

『かの者の命、それは強き思い。あがなうと誓った魂。それを再び奪うことがそちに与えた罰。再び奪われることがかの者に与えた罰。いま、それが成し遂げられた』
「グラディオナを……彼を、殺すことではなかったのですか」
『命を奪うこと、そう申したはずだ』

 神の言葉に涙がこぼれた。「なぜ」という気持ちと「これで解放されるのだ」と安堵する思いが体の中で渦巻く。それ以上に、これまで生きてきた過去三人の記憶と感情が交じり合い心が千々に引き裂かれた。

(これまでのわたしの苦しみは一体何だったのだ……!)

 うな垂れるわたしに神の声が続く。

『かの者の命の取捨はそちの手に戻った。かの者が生きるも死ぬも、そち次第。生きたまま心乱すも法悦のなか死するも、そち次第』

 窓に映る幼子おさなごの顔が少しずつ成長し、十九歳を迎える自分の顔に重なっていく。

『国である者が失われたのち、国を守るべき者が国となった。我に与えられし名を持つ“勝利の剣”が死すれば、国も民もすべてが死する』

 そうだ、だから皇帝となった彼の命を奪うことはできないと考えもした。

『我の与えし名の役目は、いまだ続いている』

 わかっている。神を知るわたしは痛いほどそのことを理解していた。
 だから苦悩し続けた。そしてまた一つ理解した。ゆるされたこの先も、名を与えられし者としての苦しみは続くということだ。

(……そうか、どちらにしてもこの世界は神の腕の中で紡がれる物語だということか)

 神罰もそうした物語を形作る一つでしかないということだ。我らは物語を紡ぎ続け、それを神に見せることしかできないのだ。

『我の与えし名の役目は、これからも続いていく』

 肩で切り揃えられた金の髪も黄金に光る目も、神とわたしの姿のすべてがぴたりと重なり合った。

『すべての死の取捨は、そちの手に委ねられた。それが“死”の名を与えられし者の役目』

 窓に映る己の顔がゆっくりと暗闇に溶け込み始めた。輪郭がぼやけ黄金色が歪んでいく。

『ここはよき箱庭であった。“モルサーラ”の名はよきものを見せてくれた褒美だ。この国、この世界、そちの好きにするがよい』

 最後に残った黄金の瞳が冷たく光り、わずかに残っていた口元には微笑みが浮かんでいた。それは己に下された神罰をわらうわたしの笑みによく似ていた。

(物語を終わらせるかどうかは、わたし次第ということか。……なんと残酷な)

 神の姿が完全に消えたあと、鏡のような窓にはわたしと皇帝の顔が映っていた。
 皇帝が噛み痕に歯を立て、柔らかく吸いつく。その間も窓越しにじっと視線を合わせ続ける皇帝の目は、なぜか澄んだ碧色ではなく煌びやかに輝く黄金色に見えた。
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