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6 苦悩
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十九歳の誕生日まで残りひと月と迫ったある日、旦那様から一つの命令を下された。
「今日からおまえをグラディガルナの側付きとする」
「旦那様、それは、」
「なんだ? 不服か?」
「……いえ」
自分のような者が高貴な人の側近になることはない、そう高をくくっていた。騎士王の甥であり姫の許嫁でもあるグラディガルナ様の側近に抜擢されることなどあり得ないと、周囲の誰もが思っていた。
(それなのに、どうして……)
理由がわからず戸惑うことしかできない。
「おまえは古代語を読み解ける稀有な才能を持つ。それだけではない。あのような田舎町で育ったにしては行儀作法を知り、言動にも品がある。何よりグラディガルナ本人がいたく気に入っているのだ。それにあれの扱いはおまえが一番手慣れている」
旦那様の言葉に否とは言えなかった。こうしてわたしは命を落とすひと月前に、命を奪うべき相手にもっとも近しい立場になってしまった。
グラディガルナ様の側近になってからというもの、わたしの仕事のほとんどは彼に付き従う内容に変わってしまった。それでも古代語の読み解きをしなくてよいわけではなく、夜遅くに仕事部屋に戻り古書を開く日々が続いている。グラディガルナ様は「そんな仕事は年寄りになってからすればいい」と言うが、旦那様の命令だと口にすれば渋々ながらも仕事部屋に帰ることを許してくれた。
(そうとでも言わなければ、部屋から出してもらえなさそうだ)
わたしのどこをそんなにも気に入ったのか、グラディガルナ様はわたしの顔が見えないと不機嫌になる。というのも、別室で少し休憩を取るだけで侍従仲間が血相を変えて呼びにくるのだ。
おかげでグラディガルナ様を起こすことから就寝直前まで、まったくそばを離れることができなくなってしまった。食事はもちろんのこと休憩中も近くにいなくてはならず、いつの間にかわたし自身の食事もグラディガルナ様の部屋の片隅で取ることになった。
一番の問題は尿意を覚えたときだが、本来使用人専用の場所で行うべきものを、グラディガルナ様の私室や執務室に備えられた主人用の場所でさせられる。このままでは同じ部屋で寝ることまで強要されかねないと思うほどだ。
(ただでさえ、ろくでもない噂が広がっているというのに)
侍従仲間たちからは「睦言ついでに地位をねだったに違いない」と囁かれ、「珍しい見目だけのくせに」と容姿までけなされる始末だ。
(たしかにこの国では、わたしのような金の髪に黄金の目という者は珍しい。いや、一度目のときも両方金色なのは珍しいことではあったが)
この国の民たちは、多くが茶髪や黒髪に碧眼や緑眼をしている。父親も茶色の髪に緑眼で、兄姉たちも濃淡の違いはあっても似たり寄ったりの髪と目だった。そんな中でわたしの容姿はひどく目立ち、家でも外でも一人でいることが多かった。
(一度目のときも二度目のときも容姿が問題になることはなかったことを考えると、随分変わってしまったな)
貧しい家に生まれたことと言い、これも神罰の一つなのだろう。それに古代語を読み解ける識者はほとんどいなくなったというのに、わたしの名はまたもや神に与えられし名に連なるものだった。
わたしの名は、見た目を恐れた両親が神官に頼んで付けてもらったものだと聞いている。ルプサーラ――これは“狼の翼”という意味だ。神に与えられし名に連なってはいるものの神に近しい言葉は省かれ、神の手足となり愚かな人々を食い殺す狼が付け加えられている。
(こうした名を付けられたことも神罰かもしれない)
グラディガルナという名も神に与えられし名、“正統なる剣”を意味する古代語だった。こちらは間違いなく“国を守る剣”の一族にふさわしい。
その名が示すとおり、最初の命のときよりも王にずっと近い立場に生まれていた。国である王を守るよりも、より確実に国を守れる立場になったということだ。そういう意味では神に与えられし名の役目をいまも背負い果たせる立場にいる。
(そのせいか印象も随分違っている)
最初の命であるグラディオナは真面目で固い性格だった。それに女性に優しくいまのグラディガルナ様とは随分と違う。二度目の命であるグラディエルムとは好き嫌いが明確なところなど似通った部分はあるものの、グラディガルナ様のほうが人の上に立つ者の風格のようなものが伺えた。
(いまの彼なら、きっと最初のわたしより立派な王になれるだろう)
そう思うと胸が軋むように痛み、口元がわずかに歪んだ。
(三度目の命だというのに、わたしはまだ王として国を守れなかったことを悔やんでいるのか)
自分が名の役目を果たすことなく死んだせいで、かの国は滅んでしまった。仕事中に古書でそのことを知ったときは、ただ呆然とするしかなかった。
(しかも、国が滅んだのはわたしが死んでわずか十日後だ)
『我が名を与えし者を殺した者たちにも罰を与えねばな』という神の声を思い出す。おそらくグラディオナは国が滅ぶ前に死んだのだろう。国を守る剣がいなくなっては国は簡単に滅んでしまう。そうして神に愛されし祖国は世界から消滅した。
いまさら悔やんだところでどうしようもないが、民のことを思うと後悔ばかりが募った。同時に、こうした思いを抱えることなく命をくり返すグラディオナが羨ましいと思った。
(前回も羨ましいと何度か思った)
神罰の始まりも終わりも知らずに生きられるグラディエルムを、羨ましくも憎らしいと思った。神罰を受け入れようと思ってはいるものの、同じ神罰を受けた相手との違いを痛感するたびに複雑な気持ちになる。そんな思いを抱いても仕方がないとわかっているのに、毎日グラディオナそっくりの顔を見ているせいでますます気持ちが歪んでしまいそうだった。
(これもきっと神罰なのだ)
相手の命を奪うことなく、ただ無意味に命をくり返すことへの戒めかもしれない。
「それでも、殺すことはできない」
口に出せば、ますますその気持ちが強くなる。
グラディオナに下された神罰は間違いではないのかと今生でも思っている。たとえ自分が苦しい思いをすることになっても彼の命を奪うことなどできない。そう思いながら古書を閉じた。
「今日からおまえをグラディガルナの側付きとする」
「旦那様、それは、」
「なんだ? 不服か?」
「……いえ」
自分のような者が高貴な人の側近になることはない、そう高をくくっていた。騎士王の甥であり姫の許嫁でもあるグラディガルナ様の側近に抜擢されることなどあり得ないと、周囲の誰もが思っていた。
(それなのに、どうして……)
理由がわからず戸惑うことしかできない。
「おまえは古代語を読み解ける稀有な才能を持つ。それだけではない。あのような田舎町で育ったにしては行儀作法を知り、言動にも品がある。何よりグラディガルナ本人がいたく気に入っているのだ。それにあれの扱いはおまえが一番手慣れている」
旦那様の言葉に否とは言えなかった。こうしてわたしは命を落とすひと月前に、命を奪うべき相手にもっとも近しい立場になってしまった。
グラディガルナ様の側近になってからというもの、わたしの仕事のほとんどは彼に付き従う内容に変わってしまった。それでも古代語の読み解きをしなくてよいわけではなく、夜遅くに仕事部屋に戻り古書を開く日々が続いている。グラディガルナ様は「そんな仕事は年寄りになってからすればいい」と言うが、旦那様の命令だと口にすれば渋々ながらも仕事部屋に帰ることを許してくれた。
(そうとでも言わなければ、部屋から出してもらえなさそうだ)
わたしのどこをそんなにも気に入ったのか、グラディガルナ様はわたしの顔が見えないと不機嫌になる。というのも、別室で少し休憩を取るだけで侍従仲間が血相を変えて呼びにくるのだ。
おかげでグラディガルナ様を起こすことから就寝直前まで、まったくそばを離れることができなくなってしまった。食事はもちろんのこと休憩中も近くにいなくてはならず、いつの間にかわたし自身の食事もグラディガルナ様の部屋の片隅で取ることになった。
一番の問題は尿意を覚えたときだが、本来使用人専用の場所で行うべきものを、グラディガルナ様の私室や執務室に備えられた主人用の場所でさせられる。このままでは同じ部屋で寝ることまで強要されかねないと思うほどだ。
(ただでさえ、ろくでもない噂が広がっているというのに)
侍従仲間たちからは「睦言ついでに地位をねだったに違いない」と囁かれ、「珍しい見目だけのくせに」と容姿までけなされる始末だ。
(たしかにこの国では、わたしのような金の髪に黄金の目という者は珍しい。いや、一度目のときも両方金色なのは珍しいことではあったが)
この国の民たちは、多くが茶髪や黒髪に碧眼や緑眼をしている。父親も茶色の髪に緑眼で、兄姉たちも濃淡の違いはあっても似たり寄ったりの髪と目だった。そんな中でわたしの容姿はひどく目立ち、家でも外でも一人でいることが多かった。
(一度目のときも二度目のときも容姿が問題になることはなかったことを考えると、随分変わってしまったな)
貧しい家に生まれたことと言い、これも神罰の一つなのだろう。それに古代語を読み解ける識者はほとんどいなくなったというのに、わたしの名はまたもや神に与えられし名に連なるものだった。
わたしの名は、見た目を恐れた両親が神官に頼んで付けてもらったものだと聞いている。ルプサーラ――これは“狼の翼”という意味だ。神に与えられし名に連なってはいるものの神に近しい言葉は省かれ、神の手足となり愚かな人々を食い殺す狼が付け加えられている。
(こうした名を付けられたことも神罰かもしれない)
グラディガルナという名も神に与えられし名、“正統なる剣”を意味する古代語だった。こちらは間違いなく“国を守る剣”の一族にふさわしい。
その名が示すとおり、最初の命のときよりも王にずっと近い立場に生まれていた。国である王を守るよりも、より確実に国を守れる立場になったということだ。そういう意味では神に与えられし名の役目をいまも背負い果たせる立場にいる。
(そのせいか印象も随分違っている)
最初の命であるグラディオナは真面目で固い性格だった。それに女性に優しくいまのグラディガルナ様とは随分と違う。二度目の命であるグラディエルムとは好き嫌いが明確なところなど似通った部分はあるものの、グラディガルナ様のほうが人の上に立つ者の風格のようなものが伺えた。
(いまの彼なら、きっと最初のわたしより立派な王になれるだろう)
そう思うと胸が軋むように痛み、口元がわずかに歪んだ。
(三度目の命だというのに、わたしはまだ王として国を守れなかったことを悔やんでいるのか)
自分が名の役目を果たすことなく死んだせいで、かの国は滅んでしまった。仕事中に古書でそのことを知ったときは、ただ呆然とするしかなかった。
(しかも、国が滅んだのはわたしが死んでわずか十日後だ)
『我が名を与えし者を殺した者たちにも罰を与えねばな』という神の声を思い出す。おそらくグラディオナは国が滅ぶ前に死んだのだろう。国を守る剣がいなくなっては国は簡単に滅んでしまう。そうして神に愛されし祖国は世界から消滅した。
いまさら悔やんだところでどうしようもないが、民のことを思うと後悔ばかりが募った。同時に、こうした思いを抱えることなく命をくり返すグラディオナが羨ましいと思った。
(前回も羨ましいと何度か思った)
神罰の始まりも終わりも知らずに生きられるグラディエルムを、羨ましくも憎らしいと思った。神罰を受け入れようと思ってはいるものの、同じ神罰を受けた相手との違いを痛感するたびに複雑な気持ちになる。そんな思いを抱いても仕方がないとわかっているのに、毎日グラディオナそっくりの顔を見ているせいでますます気持ちが歪んでしまいそうだった。
(これもきっと神罰なのだ)
相手の命を奪うことなく、ただ無意味に命をくり返すことへの戒めかもしれない。
「それでも、殺すことはできない」
口に出せば、ますますその気持ちが強くなる。
グラディオナに下された神罰は間違いではないのかと今生でも思っている。たとえ自分が苦しい思いをすることになっても彼の命を奪うことなどできない。そう思いながら古書を閉じた。
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