潔癖気味の次期伯爵様はベッドインできない

朏猫(ミカヅキネコ)

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11 初めてのベロチュー、のち告白

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「まったく、アンバール殿下は十歳も年下の甥じゃないですか。それを殴るなんて大人気ない」
「……もうわかったと言っているだろう」
「これまで何度も殴ったことがあるんでしょう? ということは、またやりかねないってことですよね? いい大人なんですから、気をつけてください」
「……」

 ちょっと、なんでまたそっぽ向くかな。これじゃあ僕がスピネル様をいじめているみたいじゃないか。
 ……もしかして、いじめてることになるのか? いや、そんなことはないはず。医者として当然のことを話しているだけだ。でも子どもみたいにそっぽを向いた横顔を見ると、ちょっと胸が痛む。

(説教は終わりにするか)

 それに、今日はいろいろ一気に、そして劇的なことが起きすぎた。

「殴ったことは駄目ですけど、僕にしっかり触ることができたのはすごいことだと思います。これまで部分的にしか触れなかったのに、あのときは肩を抱いていましたし、体の前面がぴったりくっついていたんですから、これは大きな一歩、いや四歩も五歩も進みましたよ」

 服の上からでも腕の一カ所を指先で触るのが精一杯だったのに、僕が苦しくて藻掻くくらい触ることができたんだ。ちょっとした事故みたいな感じもしなくはないけれど、それでもすごいことに変わりはない。
 きっとこのままいけば、近いうちに僕以外の人にも触れるようになるだろう。そうすれば最後の目標達成までわずかだ。

「それにしても、アンバール殿下のことは触れたんですね」
「近づきたくもない相手だ」
「これまで何度も殴られたと殿下がおっしゃっていたじゃないですか。ということは、その数だけ触ることができたってことでしょう?」
「殴るのであって触るわけじゃない。それに大体が頭にきているときだから、嫌悪感といったことを感じる前に殴り終わっている」

 あー、それって駄目なやつだ。でも、なんとなくスピネル様の気持ちもわからなくはない。
 これまでアンバール殿下は何度もスピネル様を怒らせてきたのだろう。それこそ、普段は冷静で温厚なスピネル様を激昂させるくらいのことをくり返してきたに違いない。だからスピネル様も、今回みたいに問答無用で殴るようになったんだ。
 うーん、そんな王子様なんて、アンバール殿下も困ったものだ。まぁ、いつものスピネル様を見ていたら、ちょっと困った顔が見てみたいと思う気持ちもわからなくはないけれど、だからって怒らせるのは……。

(……うん? 怒らせるから、殴られるってことだよな?)

 これまでのことはわからないけれど、聞いた話から察するに女性絡みだったことは想像できる。それならスピネル様が激昂しても不思議じゃない。
 じゃあ今日はなんで殿下を殴ったんだ? 殿下がスピネル様を怒らせるようなことを何かしたってことか?

(…………あ。せっかく忘れていたとんでもないことを思い出してしまった)

 嫌な記憶を振り払いつつ、疑問を口にする。

「あのー、ちょっとお伺いしてもいいでしょうか」
「なんだ?」
「ええとですね、先ほどは、何に怒って殿下を殴ったのかなぁと、疑問が湧きまして」

 僕の質問にスピネル様が眉を寄せた。

「……思い出したくもないが、アンバールがサファイヤにキスをしていたからに決まっているだろう」

(……やっぱりそうだったのか)

 あの温かくて柔らかい感触は、やっぱり殿下の唇だったんだ。あの瞬間は驚きのあまり全身の血も思考も完璧に止まっていたのと、そう思いたくなかったのもあって認識することを拒否してしまった。しかし、やっぱりあれはキスだったのか……。
 うーん、まさか王子殿下にキスされるとは思わなかった。これもいい思い出に……は、絶対にならないけどな!

「やっぱりあれはキスだったのか」
「……やはりあと一発殴っておくべきだった」
「いやいや、殴るのは駄目だって言ったばかりですよ! そりゃあ驚きましたけど、キスされたのはご令嬢じゃなく僕だったわけだし、スピネル様はそこまで怒らなくてもいいと思います」
「…………は?」
「え?」

 なんでスピネル様がそんな驚いた顔をしているんでしょうか。僕、何か変なことでも言いました?
 ……いや、とくにおかしなことは言っていないはず。スピネル様が殿下を殴ったのはキスしたからであって、素行がよくない殿下をいさめる気持ちが昂ぶったからだとわかった。あの殿下のことだ、これまでも強引にキスしたり、それ以上のことをしでかしたりしてはスピネル様に殴られてきたのだろう。
 僕もそれなりにショックではあったけれど、男だしキスくらいなんてことはない。だから必要以上にスピネル様が怒る必要はない。
 それにあれがファーストキスだったら相当ショックだろうけれど、小さい頃にファルクとぶつかってファーストキスは終わっているから、いまさらって感じだ。

「……アンバールにキスされて、嫌じゃなかったのか?」

 スピネル様の顔がなんだか険しくなってきた。

「嫌というか、驚きはしました。でも事故みたいなものですから、それ以上でもそれ以下でもありません」

 あれ……? ますます顔が怖くなってきたんだけれど、どうしてだ?

「アンバールとキスしても問題なかったということか?」
「問題は大アリです。でもされたのはご令嬢ではなく僕ですし、それでスピネル様が殿下を殴るのは、やっぱりやりすぎだと思うんです」
「…………なるほど。これは根本的に食い違いが起きているようだな」
「え? 何か違いましたか?」

 殿下を殴った理由が違うってことか? でも、じゃあ何で殴ったんだ? さっぱりわからない。
 ウンウン考えていると、すぐ隣に座っているスピネル様が体ごとこちらを向いたのがわかった。

「予想はしていたが、思ったよりも自分のことに鈍いのだとよくわかった。少しずつ距離を縮めるのがいいだろうと思っていたが、それでは駄目だな。となれば強硬手段に出るしかない」
「はい?」

 強硬手段ってなんだと改めてスピネル様の顔を見上げたら、顎に何かが触れた。
 ……え? これってスピネル様の手じゃないか? こんなに何度も、しかも素肌に接触できるようになったなんて、すごいじゃないか!
 そんなことを思っていた僕の唇に、今度は殿下よりもずっと温かいものがガッツリと触れてきた。

 ……ええと、これは一体どういうことでしょうか。僕は自分がどうなっているのか咄嗟に判断できなかった。
 顎をクイッと上向きにしているのはスピネル様の指だ。でもってさっきからずっと唇に当たっているのは、スピネル様の唇のような気がする。いや、視点がぼやけるほどの距離に綺麗な顔があるということは、そういうことなのだろう。

(…………これって、どういうこと?)

 何が起きているのかよくわからないまま、時間だけが過ぎていく。ぴったりくっついた唇って妙に温かく感じるなぁなんて思っていたら、何かぬるっとしたものが唇をグリグリし始めた。

(……は? なんだこれ……え? ちょっと待て、ちょ、おいっ、口の中、ちょっと、何か入ってきてるんですけど!?)

 得体の知れない熱いものが口の中を勝手にグルグル動き回って、さっきからピチャピチャした音も聞こえている。口の中はモゴモゴするし息はできないしで、苦しくなった僕は必死に目の前の胸あたりを叩いた。
 何度も何度も叩くのに口は苦しいままで、そのうち頭がぼんやりして何も考えられなくなってきた。そうして限界ギリギリの状態になったとき、突然口を塞いでいたものが離れた。

「……はぁっ、は、はっ」

 ……く、苦しかった……。ちょっとだけ天国が見えそうだった……。

「キスをしている間は鼻で息をするものだろう?」

 やけに近いところから艶のあるいい声がする。あぁ、そうですよね、キスのときは鼻で息をするのが当然ですよね。

「……って、あんた、何してくれちゃってるんですかぁ!」

 気がついたら目の前にあった美しい顔を平手打ちしていた。

「……アンバールのことは殴らなかったのに、なぜわたしは殴られるんだ?」

 じっとりしたオレンジ色の視線に頭がカッとなる。

「そりゃあんたがガッツリとベロチューかましたからでしょう!」
「あぁ、思い描いていたキスは成功したということか。しかし、アンバールが殴られなかったのはおかしいだろう」
「あれは事故みたいなものだって言いましたよね!? それにいまのは確実に狙ってやったでしょう! ベロチューとか、なに勝手にやってくれちゃってんですか!」
「勝手にしたのは悪かった。だが、ようやく自分から触ることができるとわかったんだ。わかったら、うれしくてついやってしまった」

 淡々と話す様子に少し冷静になったけれど、やっていいことと駄目なことがある。いまのは絶対に駄目なやつだ。

「そりゃ長年の夢が叶ったとしたら、うれしくて舞い上がるのはよぉくわかります。担当医としてもうれしい限りです。ですけどね、だからと言っていきなりベロチューは駄目です!」
「悪かった。だが、どうしてもしたかったんだ。したい気持ちを抑えきれなかった」
「気持ちが先走るのはよくないです! まずはちゃんと相手に気持ちを伝えて、お互いの気持ちを確認してからのベロチューです!」
「わかった。順番が前後になって申し訳なかった。わたしはサファイヤのことが好きだ。だからキスをした」
「はい、ちゃんと気持ちを伝えられたのはえらいです、け、ど……って、いま、何て言いました……?」

 若干カッとなっていたから、スピネル様の言葉をきちんと聞き取ることができなかった。というか、頭が理解することを拒否したというほうが正しい。

「サファイヤのことが好きだと言ったんだ。だからキスをした」
「…………なんですって?」

 あ、スピネル様の綺麗な顔が一瞬で怖い顔に変わった。怖いっていうか無表情っていうか、……いや、これは怖い顔で間違いない。

「あー……、ええとですね。いま、もしかしなくても、僕を好きだとおっしゃいましたか?」
「言った。サファイヤが好きだ」
「……それで、ベロチューをしてしまったと?」
「抱きしめることができたのだと実感したら、気持ちが高揚した。この気持ちを伝えたいと思ったら、キスをしていたんだ」
「それは……まぁ、わからなくはないですが」
「わたしはずっとサファイヤが好きだった。今回のことで思わず指名してしまうほど、ずっと思っていた」

(…………なんだって?)

 突然、何を言い出すんだ。びっくりしすぎて、思わず口をあんぐりと開けてしまった。

「……いやいや、さすがにそれは信じませんよ。だって、僕を覚えていたのは馬のフンがきっかけでしょう?」
「わたしも当初はそうだと思っていた。しかし、そうではなかった。今回再会し、一緒に過ごしてみてはっきり自覚した。わたしはサファイヤが好きだ」

 この美形は無表情のまま何を言い出すんだ。無表情のくせに、オレンジ色の目だけがやたらとギラギラしている。好きな相手を目の前にしたら、そういう目になってもおかしくないと思うけれど、……ちょっと怖い。

「サファイヤ、好きだ。これからも側にいてほしい。もちろん、最終目標はサファイヤが相手であってほしいと切に願っている」
「それ、は、ええと、ちょっと考えさせてほしいと言いますか、」
「これだけ好きになる相手はサファイヤしかいない」

 どうしてこんなにスルスルと言葉が続くんだ。……あぁ、そうだった。この人は話し上手と言われているんだったっけ。若干押され気味になりながらも、「いやいやいや」と思いながら「あー、っとですね、」と言葉を探す。

「そうだ、もう一度キスしてみれば、サファイヤもわかるんじゃないか?」
「は? 何を言い出すんですか」
「サファイヤもさっき言っただろう? お互いの気持ちを確かめ合う必要があると」
「いや、それは言葉で伝え合えば、」
「言葉よりキスのほうが早いし確実だ」

 え? この人、何を言っているんだ? というか、そもそも何を話していたんだっけ?
 ベロチューなんてかましやがってと怒ったらなぜか好きだと言われて、もう一度キスしたらわかるって、……いや、何が?
 スピネル様っておかしいよな? 好きかどうかなんて話せばわかるよな? もしかして僕のほうがおかしいのか? っていうか、どこからそんな話になったんだ?
 混乱している間に、またもやチュウッとキスをされていた。しかも今度は最初からがっつりとベロチューだ。

(うわ、ちょっと待って。口の中そんなにグリグリされたら、ちょっ、舌、いま舌を噛んだ、カリッて噛んだだろ! ちょっと、だからちょっと待てって!)

 連続でベロチューをされたせいで、またもや息が苦しいやら頭がボーッとするやらで何も考えられなくなってきた。ぼんやりした頭のまま、口の中を蹂躙する舌に翻弄され続ける。

「……っぷは、はっ、はぁ、は、は、」
「鼻で息をするんだと教えただろう」
「だ……って、ベロチュー、気になって、は、はぁ、息するの、はっ、忘れる、は、」

 キス初心者にはベロチューしながら鼻で息をするなんて、難しすぎる……じゃなくて、二回もベロチューしやがったよ、この人は!

「……まったく、これではあまりに無防備で心配が尽きないな。わたしにとってはうれしい限りだが、こうも簡単に言い含められるのはいかがなものか」
「……なに、なんだ、って……?」
「いや、やはりサファイヤのことが好きだと実感した。サファイヤはどうだ?」

 ベロチューの間は苦しいやら何やらで、好きかどうかなんて考える余裕は全然なかった。これで気持ちを確かめ合うなんて、ちょっと難しすぎやしないか?

「わたしとのキスは嫌だったか?」

 改めて聞くなよ、恥ずかしい。……そうか、恥ずかしいとは思っても、嫌だとは思わなかったな。ということは、僕もスピネル様のことを……? え? なに、僕ってばそうなのか?

「嫌でなかったということは、好きになりそうだということだろう?」
「なに、言ってんですか……」

 あぁ駄目だ、頭がボーッとしていて何も考えられない。

「サファイヤも心の底では、わたしのことを好きなんだ」
「あー……、嫌いでは、ないですよ」

 うん、そうだ、嫌いじゃない。とりあえずいまは、それでよしとしよう。いっぱいいっぱいになっていた僕は、そこで考えることを放棄した。
 そんな僕の耳に「やはりちょろくて心配になるな」なんて言葉が聞こえた気がするけれど、きっと空耳に違いない。だって、スピネル様はどんなときもそんな言葉は使わないからだ。

(あー、なんかいろいろありすぎて、すごく疲れたぞ……)

 いろんな意味でぐったりしていた僕は、はっきりと意思表示をしないままにしてしまった。このことで、この後僕はとんでもないことになるわけだけれど……そんなこと、このときわかるわけがないじゃないか!
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