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第1話 あやしい人影
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あちこちで、くずされている山。
うめ立てられた、田んぼや畑。
建築中の家々。
七川市のベッドタウン城山町が、急激な人口増加にあわてていることは、だれの目にもあきらかだった。
すでに、陽は落ち、建設中の道路の、ところどころに灯された街灯の下を、ふたつの影が駆けぬける。
先を行くのが、北原翔太。
城山小学校の5年生だ。
体は小さいが、運動神経はバツグンで、一週間ほど前の体力測定では、すべての項目で学年3番以内に入って、みんなをおどろかせた。
トレードマークの白い帽子。
丸い顔に、大きな目。
いかにもわんぱくそうな、げじげじまゆ毛。
☆
翔太は、帽子のつばを後ろにまわすと、追いかけてくる白い子犬に声をかける。
「ペケ! 学校まで競争だ」
名前を呼ばれた子犬は、わかっているとでも言うように、ワンとひとほえすると、はねるように駆けだした。
「翔太!」
ペケを追いかけようとする翔太を、だれかが呼びとめる。
ふり返ると、街灯の下に背の高い男の人が立っていた。
「あっ、先生」
担任の藤原先生だった。
年はまだ、25、6のはずだが、ほおのこけた長い顔と、たれさがった細い目のためか、ずっとふけて見える。
「どうした。こんな時間に」
「先生こそ、こんなにおそくまで……。あっ! まさか、また、校長先生とケンカしたんじゃないですよね?」
5年2組で、この話を知らないものはいない。
かくいう翔太が、校長室での一部始終をクラス中にふれまわったのだ。
先生は首の後ろに手をやり苦笑する。
「やっぱりお前か、うわさを広めたのは」
「心配しているんですよ。先生には出世してもらいたいから」
「翔太。お前、反省していないだろ?」
先生がそう言いたくなるのも無理はない。
校長先生とのケンカの原因を作ったのは翔太だったのだ。
翔太のクラスは4年生からの持ちあがりだ。
去年、新しい小学校ができて、たくさんの友達がそこに転校。
1年で変えてしまうより、続けた方がよいという判断らしい。
つまり、仲がよかった。
翔太の呼びかけで、クラスの男子3人が、水分峡で泊まりこみのキャンプをしたのは、新学期が始まってすぐだった。
だれかのおとうさんが、一人でもついてくれば問題はなかった。
だが、男の子のだれもがそうであるように、翔太たちは子どもだけで冒険することを選んだのだ。
友達のおとうさんが来てくれる、というウソをついて。
だが、そんな話は、ばれるものと決まっている。
しかも、悪いことに校長先生の耳に入ってしまった。
校長先生は藤原先生を呼び出し、担任の指導がなっていないからだと責めたてた。
そこまでいわれてだまっている先生ではない。
言葉を選びながらも、いつから、教師は、生徒の学校外の行動まで責任を持たなくてはならなくなったのか、と反論したのだ。
さらに、男の子は、それぐらい元気な方がいい、と口をすべらせたのだ。
もちろん、先生が翔太たちをしからなかったわけではない。
事故が起きたらどうするつもりだったんだと、いやというほど説教されたのだ。
「先生。さっきの質問の答えなんだけど……」
「翔太……おまえ、話をそらそうとしているだろ?」
先生のツッコミには、かまわず続ける。
「散歩です。夜だったら犬をこわがる子どももいないし、リードをはずしてもめだたないから」
先生は、夜でも違反だがな、と苦笑しながら続ける。
「それにしても、いつから、そんなに気をつかうタイプになったんだ?」
「なるべく、もめごとはおこさないようにと決めたんです」
「ほーっ。成長したな」
「何年か後に、先生から、おれの出世のじゃまをしたな、って言われたくないですからね」
言い過ぎたかと思ったが、先生は笑いだした。
「後悔するなよ! 今言ったこと。明日の授業ではバンバン当ててやるからな」
「あーっ、ひどい! パワハラていうんじゃないですか? そういうの」
「人聞きが悪いな。愛のムチってやつだ。目上の人をからかうと、ろくなことがないってことがわかるように、な」
「ちぇっ! ……でも、まあなんとかなるか。明日は、得意な科目ばかりだし」
「おう、いい度胸だ。しっかり予習しておけよ、がん坊!」
がん坊というのは、このあたりの方言で、がんこな子どもという意味だ。
先生は、片手をあげてバス停に向かった。
どうやら、今日は、お気に入りの車には乗ってこなかったらしい。
いつ壊れても不思議ではないクラシックカーのような車だ。
そのわけを聞いてみようとしたが、ペケがくつしたをくわえ、先を急がせるので、しかたなく駆けだした。
赤松とくすの木の大木におおわれた、長い石段あがると、神社の拝殿が見える。
右には、6角形の格子(あぜこ)を使った、校倉造りの宝蔵がある。
瑠璃色の空にうかぶ青白いくっきりとした満月。
その下には墨を流したような色の竹やぶ。
――と、逆光をあび、輪郭だけがくっきりうかび出た人影が宝蔵の後方から現れた。
その人物はゆっくりと竹やぶに向かって行く。
いったいどうするつもりだろう。
あの先の自然歩道は、ヘビやイノシシが出てくるという理由で通行止めになっている。
竹やぶの向こうは崖と言ってもいいほどの斜面だ。歩いておりられるような場所ではない。
翔太は、自分の目を疑った。
そいつは、そこで立ち止まると、ジャンプしたのだ。
高さ15メートルは、ゆうにある竹やぶに向かって。
跳んだのではない。
「空に舞いあがった」と言うべきだろう。
ゴム風船が風に舞いあげられ、その重みでふんわりと落ちていったように見えた。
夢でも見ているようだった。
ペケのひとほえで、われにかえった。
人影を追って、勢いよく跳びだしたペケをあわてて追いかける。
逆光だったので、断言できるほどの自信はなかったが、黒っぽいコートを着た、背の高い男に見えた。
とはいえ、人間が空を飛べるわけがない。
鳥か、風で舞いあがった黒いごみ袋を見間違えたのだろうか?
翔太が、息を切らして竹やぶにたどりついたときには、その人影はもちろん、ペケの姿さえ見あたらなかった。
うめ立てられた、田んぼや畑。
建築中の家々。
七川市のベッドタウン城山町が、急激な人口増加にあわてていることは、だれの目にもあきらかだった。
すでに、陽は落ち、建設中の道路の、ところどころに灯された街灯の下を、ふたつの影が駆けぬける。
先を行くのが、北原翔太。
城山小学校の5年生だ。
体は小さいが、運動神経はバツグンで、一週間ほど前の体力測定では、すべての項目で学年3番以内に入って、みんなをおどろかせた。
トレードマークの白い帽子。
丸い顔に、大きな目。
いかにもわんぱくそうな、げじげじまゆ毛。
☆
翔太は、帽子のつばを後ろにまわすと、追いかけてくる白い子犬に声をかける。
「ペケ! 学校まで競争だ」
名前を呼ばれた子犬は、わかっているとでも言うように、ワンとひとほえすると、はねるように駆けだした。
「翔太!」
ペケを追いかけようとする翔太を、だれかが呼びとめる。
ふり返ると、街灯の下に背の高い男の人が立っていた。
「あっ、先生」
担任の藤原先生だった。
年はまだ、25、6のはずだが、ほおのこけた長い顔と、たれさがった細い目のためか、ずっとふけて見える。
「どうした。こんな時間に」
「先生こそ、こんなにおそくまで……。あっ! まさか、また、校長先生とケンカしたんじゃないですよね?」
5年2組で、この話を知らないものはいない。
かくいう翔太が、校長室での一部始終をクラス中にふれまわったのだ。
先生は首の後ろに手をやり苦笑する。
「やっぱりお前か、うわさを広めたのは」
「心配しているんですよ。先生には出世してもらいたいから」
「翔太。お前、反省していないだろ?」
先生がそう言いたくなるのも無理はない。
校長先生とのケンカの原因を作ったのは翔太だったのだ。
翔太のクラスは4年生からの持ちあがりだ。
去年、新しい小学校ができて、たくさんの友達がそこに転校。
1年で変えてしまうより、続けた方がよいという判断らしい。
つまり、仲がよかった。
翔太の呼びかけで、クラスの男子3人が、水分峡で泊まりこみのキャンプをしたのは、新学期が始まってすぐだった。
だれかのおとうさんが、一人でもついてくれば問題はなかった。
だが、男の子のだれもがそうであるように、翔太たちは子どもだけで冒険することを選んだのだ。
友達のおとうさんが来てくれる、というウソをついて。
だが、そんな話は、ばれるものと決まっている。
しかも、悪いことに校長先生の耳に入ってしまった。
校長先生は藤原先生を呼び出し、担任の指導がなっていないからだと責めたてた。
そこまでいわれてだまっている先生ではない。
言葉を選びながらも、いつから、教師は、生徒の学校外の行動まで責任を持たなくてはならなくなったのか、と反論したのだ。
さらに、男の子は、それぐらい元気な方がいい、と口をすべらせたのだ。
もちろん、先生が翔太たちをしからなかったわけではない。
事故が起きたらどうするつもりだったんだと、いやというほど説教されたのだ。
「先生。さっきの質問の答えなんだけど……」
「翔太……おまえ、話をそらそうとしているだろ?」
先生のツッコミには、かまわず続ける。
「散歩です。夜だったら犬をこわがる子どももいないし、リードをはずしてもめだたないから」
先生は、夜でも違反だがな、と苦笑しながら続ける。
「それにしても、いつから、そんなに気をつかうタイプになったんだ?」
「なるべく、もめごとはおこさないようにと決めたんです」
「ほーっ。成長したな」
「何年か後に、先生から、おれの出世のじゃまをしたな、って言われたくないですからね」
言い過ぎたかと思ったが、先生は笑いだした。
「後悔するなよ! 今言ったこと。明日の授業ではバンバン当ててやるからな」
「あーっ、ひどい! パワハラていうんじゃないですか? そういうの」
「人聞きが悪いな。愛のムチってやつだ。目上の人をからかうと、ろくなことがないってことがわかるように、な」
「ちぇっ! ……でも、まあなんとかなるか。明日は、得意な科目ばかりだし」
「おう、いい度胸だ。しっかり予習しておけよ、がん坊!」
がん坊というのは、このあたりの方言で、がんこな子どもという意味だ。
先生は、片手をあげてバス停に向かった。
どうやら、今日は、お気に入りの車には乗ってこなかったらしい。
いつ壊れても不思議ではないクラシックカーのような車だ。
そのわけを聞いてみようとしたが、ペケがくつしたをくわえ、先を急がせるので、しかたなく駆けだした。
赤松とくすの木の大木におおわれた、長い石段あがると、神社の拝殿が見える。
右には、6角形の格子(あぜこ)を使った、校倉造りの宝蔵がある。
瑠璃色の空にうかぶ青白いくっきりとした満月。
その下には墨を流したような色の竹やぶ。
――と、逆光をあび、輪郭だけがくっきりうかび出た人影が宝蔵の後方から現れた。
その人物はゆっくりと竹やぶに向かって行く。
いったいどうするつもりだろう。
あの先の自然歩道は、ヘビやイノシシが出てくるという理由で通行止めになっている。
竹やぶの向こうは崖と言ってもいいほどの斜面だ。歩いておりられるような場所ではない。
翔太は、自分の目を疑った。
そいつは、そこで立ち止まると、ジャンプしたのだ。
高さ15メートルは、ゆうにある竹やぶに向かって。
跳んだのではない。
「空に舞いあがった」と言うべきだろう。
ゴム風船が風に舞いあげられ、その重みでふんわりと落ちていったように見えた。
夢でも見ているようだった。
ペケのひとほえで、われにかえった。
人影を追って、勢いよく跳びだしたペケをあわてて追いかける。
逆光だったので、断言できるほどの自信はなかったが、黒っぽいコートを着た、背の高い男に見えた。
とはいえ、人間が空を飛べるわけがない。
鳥か、風で舞いあがった黒いごみ袋を見間違えたのだろうか?
翔太が、息を切らして竹やぶにたどりついたときには、その人影はもちろん、ペケの姿さえ見あたらなかった。
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