ちはやぶる

八神真哉

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第七十四話  誤算

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五尺ほどの道が開けた。
どうにか、馬で駆け抜けることができるだろう。

とは言え、砦の兵どもを混乱させることができなければ、突破などおぼつかない。
ここで骸をさらすことになるだろう。

階下に降りようとしたが、兵どもは思ったより早く、穴を塞いでいた骸を押しのけて上がってきた。
イダテンの紅い髪を見ても、怯んだのは一瞬で、すぐに、襲いかかってくる。

太刀が振り下ろされるより早く懐に飛び込み、手にした斧の背で腰を打つ。
床を血で濡らせば足が滑るからだ。

崩れ落ちる兵には構わず、床を蹴って三間ほど先に跳んだ。
小屋から駆けつけた兵どもが下の峠道から矢を射かけてきたのだ。
前後から射かけられては面倒だ。

なにより、馬で駆けてくる義久と姫の邪魔になる。
イダテンも背負子にかけていた弓を手に迎え撃つ。

狙いを定める暇などない。
曲芸のごとき早打ちだ。
ただただ、まっすぐ射ればよかった。

左右は谷と崖だ。
避ける場所はない。
獣と違って動きも鈍い。
一矢も、はずすことなく次々と倒した。

すべて肩か脚に当てた。
命を奪わなかったのは慈悲からではない。
死んで道を塞がれると、義久が駆る馬の邪魔になる。

下流側で四人、上流側で六人の兵に当てた。

下流側が少ないのは、兵どもが固まっていたからだ。
柵を取り除いたとはいえ、砦の下の道幅は狭い。
その手前で馬の勢いを殺さぬためにも、下流側をもっと減らしておかねばならない。

手持ちの矢は残り二本――倒した兵の箙が床に転がっている。

だが、新たに階下から上がってきた大柄な兵が打ち込んできた。
身を躱したものの、下流側の道から放たれた矢が目の前を通過して、わずかに対応が遅れた。

次の太刀を躱し切れず、斧で受けた。
なまくらの太刀は折れて跳ね返り、盾代わりの板につき刺さる。

続いて上流側から、唸りをあげた矢が飛んできた。
これまでの物とは明らかに違う、鋭い航跡だった。
右に避けようとして体勢が崩れた。

そこへ別の兵が太刀を振るってきた。
跳ねるように後ろに下がった。

勢い余って腰が柵に激突し、上体が柵を越えた。
振り下ろされた太刀の刃先が、背負子の左肩紐と皮膚を裂いた。
背負子が右肩を滑り、括りつけていた筒袋とともに砦の下に落ちていく。

柵を掴めば留まることはできたが、次の攻撃を躱せない。
運良く下は峠道である。
そのまま落ちることを選んだ。

だが、何もしなければ頭から落ちてしまう。
手斧を三層目の板壁に打ちつけた。

しかし、板の厚みが足りなかった。
体の重みがかかった途端、板が割れた。

体を捻り、体勢を立て直そうとするが間に合わず、前のめりに着地した。
思わず、呻き声をあげた。
治りきっていなかった左足首を、再び痛めたのだ。

ここぞとばかりに下流側の門番二人が矛を振るってきた。
足首の痛みが体の動きを奪う。
反撃ひとつできず、追いつめられ、砦の真下に入った。

足首が悲鳴を上げた。 
仰向けに転がった。
繰り出された穂が地面の石に当たり、火花を散らす。

頭上で鉈を丸太に叩きつける音が響き、一瞬のちに衝撃が襲ってきた。

砂塵が舞っていた。
何が起こったのかわからなかった。

風が砂塵を押し流し、目の前に現れたものを見てようやく合点がいった。
丸太で作った柵が頬をかすめて落ちてきたのだ。

危うく、丸太に顔をつぶされるところだった。
門番どもも肝をつぶした様子で立ち尽くしている。

なんとも念の入ったことに、二階部分に予備の柵を吊っていたのだ。
その落ちてきた柵は、先ほどこじ開けた谷底側の道を塞いでいた――道は再び閉ざされたのだ。

加えて、落ちてきた柵の丸太と道の間に髪の毛が挟まれていた。
髪の毛を手斧で断ち切るのに手間取り、山側の柵と柵の間に押し込まれた。

上流側の門番も加勢に入り、左右から次々に繰り出される矛を捌ききれなくなった。
衣が裂け、腹や足に傷が増えていく。
踏ん張りきれずに腰が落ちる。

ここぞとばかりに下流側の門番二人が谷側に回って、柵と柵の間に入り込んできた。
突き出された矛をかわし、腕に手斧を振るうと血が飛び散った。

悲鳴を上げて後方に下がった門番は、後ろにいた門番を巻き添えに、谷に落ちていく。

上流側に残った二人の腰が引け、一息つくことが出来たものの、上の階層や小屋から出て様子をうかがっていた兵も次々と駆けつけてくる。

ここに、義久が駆け込んで来ようものなら袋の鼠である。
姫もろとも串刺しになるだろう。
わかってはいても体は動かない。

――そこに、馬のいななきが聞こえてきた。

そして館のある下流側の崖の輪郭がくっきりと浮かび上がった。
蹄の音を響かせ、崖の曲がりから灯りを背負った黒い影が次々と姿を現す。

三頭。
いや、もっとだ。
続いてやってくる。

後方に火が見える。尻尾に松明を結び付けられているのだろう。
足元で跳ね飛ばし、火の粉をまき散らし、狂ったように駆けてくる。

熱いのだ。
逃げても逃げても追ってくる火に怯えているのだ。

跳ね飛ばされる者、避けようとして谷底に落ちる者が相次いだ。
悲鳴が、峡谷に木霊する。

イダテンを討とうとしていた兵の気がそれた。
一人が、あわてて上流に向けて走り出した。
上の者に報告するか、応援を呼ぼうというのだろう。

馬を避けようと早々に山側の崖にへばりつく者も現われた。
その隙を突いて、柵を押したがびくともしない。

重いだけではない。
上部が砦の構造に組み込まれているのだ。
やむを得ず、柵の丸太を結ぶ縄をめがけ、次々と手斧を打ちつけた。

一方で、馬は砦を前に徐々に速度を落とし始めた。
引きずられ続けて松明の火が弱まったのだ。

馬を避けようと崖にへばりついていた兵も矛を持ち直した。
二層目にいた兵もイダテンを討とうと降りてくる。

段取りは狂いに狂っている。
このままでは間に合わない。

――一か八かの勝負に出ようとした、そのとき、狼の遠吠えが聞こえてきた。
意外に近い。
目をやると、対岸の崖に雪牙の姿があった。

    *

力強いとは言えない遠吠えではあったが、何頭かの馬が恐慌に陥った。
一頭が走り出すと、その恐慌は一気に伝播した。

前の馬は、後ろから突進してきた馬に追い立てられるように速度を上げた。
道を塞いでいた逆木の据え物を兵ともども、いとも軽々と蹴散らした。

だが、柵の縄は半分も切り終えていない。
道が塞がれているとわかれば、脚を止めるだろう。

足の痛みをこらえ、柵を持ち上げた。

泡を噴き、先頭を走る馬は、行く手に立ち塞がるイダテンに怒りを見せ、蹄にかけようと勢いを増した。
ぎりぎりまで踏ん張り、手を放し、二段構えになっている山側の柵の間に転がり込む。

馬が、重く鈍い音を立てて谷側の柵に激突した。
その衝撃で柵の上の二層部分に立っていた兵どもが床に壁に叩きつけられた。

柵は大きく傾いだものの、破壊にはいたらなかった。
跳ね返された馬は、柵のかたわらにいた兵二人を巻き添えに谷底に落ちて行った。

次の馬が狂ったように突進してきた。
尻尾と三懸に火がついている。
立ち止まったか、跳ね飛ばしたかして燃え移ったのだろう。

その馬が激突すると、捻じれた柵は宙を舞い、音をたて砂塵を舞い上げ、道の上に落ちた。

倒れた馬の脚が妙な角度に曲がっている。
脚を折った馬は、ただ、死を待つだけである。
道の上に留まっていた柵とともに、馬を崖下に突き落とした。

後続の馬二頭が松明を引きずり、砂塵を巻き上げ駆け抜けていく。
一頭の背には矢が突き刺さっていた。

上流側の小屋から駆けつけてきた兵どもは跳ね飛ばされ、蹄にかけられ、崖から転がり落ちた。

柵のかたわらには松明が転がっていた。
馬が引きずっていた物が抜け落ちたのだろう。
その火が、うつ伏せに倒れた二人の兵を照らし出す。

義久の策が功を奏し、扉は再び開いたのだ。
――が、これだけでは突破などおぼつかない。

    *
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