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配属と聞いて庵は、自分の希望する配属先を声に出す。
「すでに希望する所は決めてます。第一室です。皆さんが受け入れてくれるかは分かりませんが、俺は希望します!」
淀みなく言い切る庵に、夜神は眼を見張るが、何かを心得たように、軽く頷いて庵を見る。

「うん。分かった」
微笑んで庵を見る。いつもの表情、いつもの声で。それは夜神自身が何かを納得した雰囲気でもあった。

庵はそこまで確認すると、夜神の両手を、自分の両手で包み込むようにして握る。突然の事に驚いた夜神は庵の顔を見る。その表情は何故か苦悶の表情だった。

「庵君?」
「配属されるのは何処になるか分かりません。けど近くにいたいんです。近くで大佐を守りたいんです。もう、二度と帝國に拉致されるような事を防ぎたいんです。自分の無力を呪いました。あんなに近くにいたのに、手も足も出なかった俺が心底嫌になりました」
震えながら、ギュッと握る手は痛さよりも、悲しさのほうが夜神の心を占めていく。

「いつ戻るかも分からないそんな中、大佐が発見された時は嬉しかった。それと同時に不安もありました。生きているのか、死んでいるのか、無事なのか悩むものは沢山ありました。そして救出されたのを見て凄く安心しました」
一瞬、夜神は帝國の事を思い出す。それは蓋をしたい記憶でもある。
皇帝によって散々辱められた記憶。身も心もズタズタにされた記憶。最後の方は記憶が曖昧になっているが、それでも良い記憶ではないことを、理解している。

「その後は眠り続けてましたが、目を覚ました時の嬉しさは今でも覚えてます。それと同時に怒りが込み上げて決ました。あんなに震えて、怯えて、許しを請うまでに追い詰められた夜神大佐を初めて見ました。そして肌に残る痕の数。正直、憎いと思ったと同時に「穢された」と思いました」
包まれてい両手がピクリと動いて震えだす。無意識に首に手を当てようとするが、それは庵の両手によって阻まれる。

「そして、自分の気持ちを理解しました。大切な人となんだと。烏滸がましいおこがましいと分かってますが、守らないといけない人となんだと。その微笑みを守りたいと」
一つ一つの言葉が夜神の心に、頭に突き刺さる。それは嫌な感じはしない、寧ろ温かい、じんわりと来る言葉だ。

「夜神凪大佐、好きです。貴方のその変わらない微笑みを守りたい。今でも時々思い悩む、帝國の記憶をなくしたい。貴方の隣に立ちたい。俺は大佐を守りたい!」
包んでいた両手をグッと掴み、庵の懐に夜神の華奢な体を、引き寄せて抱きしめる。
防具を身に着けていたらこんな事は出来ない。

突然、力を込めて引き寄せられてバランスを崩す。そのまま庵の胸に体を預ける形で抱きしめられる。あまりの事に、目を大きく見開いたまま固まってしまった。
けど、嫌な気持ちにはならなかった。何故かと、思うほど温もりが心地良い。
このままでいたいと思う程の安心感を覚える。

「い、おり君?」
「守らせて下さい。好きな人を守りたいんです。夜神大佐・・・・・好きです」
「・・・・・・・庵君」
胸が苦しくなる。たが、この苦しさは心地良い苦しさだ。夜神は抱きしめられたまま、心地良い苦しさを享受する。
そして、ゆっくりと抱きしめていた腕が離れて、夜神の両肩に手を置いて、体を起こされる。

「突然の事で夜神大佐は驚いたと思います・・・・・返事は今でなくていいです。卒業式の時、聞かせて下さい。こんな事に慣れない大佐ですから、少し時間があったほうがいいと思います。けど、俺の気持ちは全部伝えました。偽りのない気もちです」
スッと庵は立ち上がり、夜神に一礼して道場の入口に向かう。

「庵君!!」
この後の言葉が見つからないが、このまま道場を去って欲しくなくて呼び止める。
「大佐は俺にとって憧れであり、尊敬する先輩であり、守りたい人であり、愛しい人なんです。卒業式の日、返事待ってます」
まっすぐに夜神を見つめて、少しぎこちないが笑顔を作り道場を後にする。

残された夜神は、庵が出ていった入口をジッと見つめ、いつの間にか胸元をギュッと握りしめていた。
ツキッと、小さく何かが刺さる。けど、その痛さは身悶えるような痛みはない。
刺さった所からじんわりと温かい「何か」が溢れてくる。
その「何か」の正体はまだ理解できないが、拒否するほどのものでもない。もしろ、受け入れたいと思う。

夜神は入口から床に目線を移して、木の節目模様をジッと見つめる。耳の中は庵の言葉が繰り返される。

「好きです」

誰かに好かれることを拒否していた。誰かを好きになることを拒否していた。好きになったものは全て、奪われてしまったから。目の前で。
繰り返すのなら、繰り返さないようにする為に、拒絶し続けていた。
けど、帝國にいた時に繰り返し思い出す顔は、いつも一人だった。拒絶したはずなのに、しきれなかった。

「私は・・・・・・」
小さく、掠れた声で呟く。
私はこのまま拒絶すればいいのか?それともこの胸の痛みに従えばいいのか?

卒業式に返事を待つと言われた。短いようで長い期間だ。幸いなことに、もうすぐ三月になる。そしてその十日後は卒業式だ。
学生達は式の練習や卒業後の諸々で、本部から大学に拠点を移す。本部に来るのは三・四日に一度になる。

庵の顔をまともに見なくてもいいのは、今の状態では助かる要素の一つである。

「私はどうしたいの?どうすればいいの?」
こんな感情初めてで、誰に相談すれば良いのかも分からない。けど、これは自分の気持ちに、素直にならないといけないことも分かっている。分かっているけど自信がない。

夜神はしばらくその場から動くことが出来ず、床を眺めて気持ちの整理を続けていた。
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