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第九章 魔女の記憶

9-7 魔物が現れなければ快適なドライブになりそうだ。

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 顔を引きつらせて笑顔を作る店主のリリーは、上ずった声でもちろんですと答えると、足元に転がる男を掴み上げた。

「お、おっ、お会計はカウンターでお受けします」
「おい、ビオラ! さっさと会計を済ませるぞ」
「お連れ様がいるんですね! カウンターでお待ちします」

 俺が、ビオラとエイミーがいるであろう辺りに声をかけると、ぺこぺこ頭を下げるリリーは男を引きずるようにして歩き出した。
 随分な扱いをされている男の姿を少しばかり憐れに思いながら見ていると、そのすぐ横をビオラが走り抜けた。その手には何か袋が握られている。さらに後ろからカゴを持つエイミーも現れ、リリーに頭を下げて横を過ぎた。

 するとカウンターの手前で、濃紺の瞳が驚愕に見開かれ、手に握っていた男の服が滑り落ちた。
 まぁ、驚くだろう。
 ベルギル山に入ろうとしている男が娘と思える幼女を連れ、さらに若い女まで付いてきている状況だ。誰がみたって、どんな組み合わせだと突っ込みを入れたくなっても可笑しくない。
 
「ラス、このドライフルーツも買ってよいかの? オレンジじゃ、オレンジ!」
「魔女さん、林檎もありましたよ」
「お前らな……いっぺんに食べるなよ。菓子ばかり食ってたら、マーラモードに戻ってから甘い物は禁止にするからな」
「ぬあっ!? 何と卑劣な!」
「朝のパンケーキやホットビスケットに、生クリームや蜂蜜を添えるのもなしだな」
「そ、それは嫌じゃ!」
「それなら、食べ過ぎないと約束するな」
「……わ、分かったのじゃ」

 唇を尖らせながら頷いたビオラは、ドライフルーツの袋をカゴに入れた。
 会計を頼もうとカウンターの方を見ると、こちらを見て硬直するリリーの横で男が「だから、おかしいんだって!」とわめいていた。

 カウンターに菓子が山積みになったカゴを置くと、俺は再び会計を頼むと言い、国際証を突き出した。

「あ、あの……差し出がましいようですが、本当に子連れでベルギル山を越えるつもりですか?」
「お前たちに迷惑はかけない」
「忠告ですが、近頃、ウィトレーの滝で──」
「水の精霊が荒れているんですよね。それから峠で若い魔狼の群れが目撃されたと聞いています! もしかすると、魔狼が滝の周辺を荒らしたのでしょうかね」

 嬉々として声を上げたのはメアリーだった。
 他にもどこそこの峠が崩落しているだとか、怪鳥の目撃が相次いでいる、危険な植物が群生しているやらとペラペラ喋り続けた。

 エイミーの強みはこの地方出身というだけではなかった。レミントン家の情報網を使って魔物の動きや魔術師組合ギルドの情報を集めている。さらに驚くのが、その情報を即座に必要なものとそうでないものに振り分ける判断力を持っていることだ。若いってのに一人で行動するだけのことはある。
 そのおかげで、俺たちは早々に進むルートを決めることが出来た訳だが、リリー達から見れば、エイミーのお喋りは不可解極まりないだろう。

「エイミー、そのくらいにしておけ。店主が困っている」
「困っているんですか? それは申し訳ない!」
「あ、あなた達は一体……」
「魔術師組合所属の魔術師ということ以外、説明する必要はないと思うが?」

 そう答えれば、リリーは黙り込んだ。
 会計が済み、紙袋を受け取って背を向けると「お気をつけて」と小さな声がかけられた。

 山道に入るとき、ゲートにいた魔術師も俺たちを怪訝そうに俺たちを見てきたが、国際証はさすがの威力だった。
 山中で何が起きても組合は責任を負わないという誓約書にサインをさせられたが、問題はないだろう。
 魔獣狩りは久々になるが、街中とは違って、町民や建物に犠牲を出す心配はない。こちらも、山の木々や山道に損害が出ても賠償を負う必要がないことを確認したのは言うまでもない。

「ビオラ、これで思う存分、魔法を打ちまくれるぞ」
「それは楽しみじゃの」
「魔女さん、魔力の使いすぎには気を付けてくださいね」
「心配するでない。ラスがおるから問題ないのじゃ!」
「俺が気絶したら、誰が運転するんだ、おい」

 意気揚々と車に戻るビオラの頭を小突くと、俺は唖然としている魔術師たちを振り返りもせずに運転席のドアを開けた。

 それからしばらく、整備された道を進むことになった。
 整備されたと言っても、街中の様な丁寧な仕事ではない。所々で陥没した場所にタイヤが落ち込みガタガタと車体が揺れたり、伸び切った樹木の枝が窓に当たったりすることもあった。その度に、ビオラは遊園地のアトラクションを楽しむように声を上げていた。

「のう、ラス」
「何だ? まだ時間はかかるぞ」
「もしも、魔物が襲ってきたらわらわはどう戦えばよいのじゃ?」

 そういったビオラは窓をコンコンッと叩いた。

「ここを開けて撃てばよいのかの?」
「それでも構わないが、この車はサンルーフがついていたな。そっから見渡した方が良いかもな」
「さんるーふとは何じゃ?」
「これですよ、魔女さん!」

 助手席から後ろを振り返ったエイミーが天井についた取っ手を引くと天窓が姿を現した。さらに、並んだボタンの一つを押せば、ガコンッと音がして天窓が開き、風が車内に吹き込む。
 ビオラが感嘆の声を上げ、俺の真後ろで小さな体を飛び跳ねさせたのが、見ないでも分かるほど伝わってきた。
 すると、俺の肩口に小さな足がかけられた。

「おい、ビオラ!」
「サンルーフ、気に入ったのじゃ。風が気持ち良いの!」
「あまり乗り出すな。エイミー、ビオラを頼む!」
「お任せください!」

 張り切って立ち上がったエイミーは、サンルーフから外を眺めているビオラと一緒になって外に顔を出し、おおっと感嘆の声を上げた。

「……まぁ、いいか」

 この山道を走る車なんてそういないだろうし、まだ魔獣が出そうな地点までは距離がありそうだ。
 サンルーフから入る気持ちの良い風を感じ、俺は苦笑を浮かべてアクセルを緩めた。
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