上 下
6 / 115
第一章 守銭奴魔術師の日常

1-4 魔術絡みの騒動はさっさと片付けるに越したことはない

しおりを挟む
 け反った子どもの手には、まだナイフが握られて震えている。その顔は困惑と恐怖に歪んでいて、赤くなった自分の手に向けられている。
 取り落としたと思ったのに、なぜ。と言っているようだ。
 子どもはナイフを自分の意思で握っているんじゃない、放せないのだ。

「……魔術絡みって事か」
 
 理解できた。あのナイフは間違いなく魔術で強化されているか、何かが封じられている。所謂いわゆる、魔剣のたぐいだ。
 切っ先が一瞬、青くきらめいた。
 振り下ろされた刃を避けた時に巻きあがる風が冷たく頬に当たる。
 初夏の夕暮れに、こんな冷たい風が生まれるはずはない。

「水か……っ!」
 
 魔力の流れを感じ、子どもの様子を探った。
 荒い息を吐き、細い足をがくがくと震わせている。どう見たって正常じゃない。あのナイフの膨大な魔力に振り回され、立っているのもやっとだろう。

 そうと分かれば、今度は遠慮なくいかせてもらう。
 さっさと手放させなければ、小僧の命すら削られかねないからな。
 握られているナイフ目がけて、もう一発、強打を繰り出した。今度は、練り上げた俺の魔力を叩き込むのも忘れずにだ。
 杖から発せられた輝きが子どもの指の隙間から入り込み、力業ちからわざよろしく指を開かせてナイフをむしり取る。
 一瞬のことだ。当然、誰の目にも、一連の動きは見えてはいないだろう。それなりの魔術師なら、見えたかもしれないけどな。

 悲鳴を上げた子どもが道端にうずくまった。
 骨にひびが入ったかもしれない。その姿を横目に、俺は転がるナイフを踏みつけた。足の裏からびしびしと嫌な魔力を感じる。それはまるで冷気のかたまりのようで、デカい氷塊ひょうかいを踏みつけているようだった。
 間違いなく、俺の足元で何かが暴れている。
 ビシビシと感じる魔力の波動に、思わず口元を引きつらせずにはいられない。
 どこのどいつだ。こんな危険な代物を素人のガキに持たせたのは。
 
「おい、ナイフこいつは誰にもらった?」
「お前なんかと話すことはない!」
「俺はあるんだよ。こんな物騒なもん、ガキに持たせる下衆げす野郎やろうは誰だ!」

 声を張り上げると、子どもはびくりと肩を震わせた。
 しばらくの沈黙ののち、周囲で様子を伺っていた顔馴染みたちが寄ってきた。

「今日は何の騒ぎなんだ?」
「その子がどうしたって言うんだ」
「仇とかなんとか言ってたけど……お前、何やったんだ?」

 怪訝けげんそうな言葉と視線が、蹲る子どもに向けられる。
 遠巻きに見る大人たちが気に入らないのか、子どもは噛みつかんばかりの勢いで振り返り、憎々しそうな眼差しを向けてきた。
 おいおい、襲われたのは俺だぜ。
 そりゃ、このガキの指が一本か二本は折れてるかもしれないが──

「ラス、何ごとだい?」
「婆さん……」

 顔馴染みに詰め寄られていた俺に声をかけたのは、果物が残る手押し車カートを止めた婆さんだった。
 もうすぐ夕暮れだ。露店を閉じた婆さんは帰り道の途中だったのだろう。
 引き車カートが路肩に止められる。
 子どもに寄り添った婆さんは自分のスカーフを解き、涙にぬれる顔を拭うと、俺に厳しい眼差しを向けてくる。
 警戒していた子どもだったが、婆さんの顔を見たとたんに、憎しみが宿っていた瞳を、驚きに染めた。

 ますます、俺が悪者に見えるのは、気のせいだろうか。
しおりを挟む

処理中です...