170 / 202
第5章 この腕に帰るまで
159 アーヴァインは君を捨てたよ
しおりを挟む夢と現実が、交ざり合っていく。
薄暗い団地の廊下。重いドアを開けた向こうにある、肌寒い……誰もいない、部屋。
これは夢だと思う自分がいる。
同時に、ヨーロッパのような街並みの不思議な世界の方こそ、夢だったと思う自分もいる。いったい……どちらが本当の現実……なのだろう。
呼んでも、誰も応えない。
たった一人で暗い場所にうずくまっている日々が続く。
一度はまり込んだなら出られない。もう二度と、日の当たる場所には出られないのだと……言った人は誰だっただろう……。
笑いながら「もう少ししたら……大人になったら、ウリもできる」と笑った人は……。
頭の芯が痺れてくる。
この……花のような甘ったるい匂いは危険だと……思うのに逃れられない。
誰かが「手を洗っておきなさい」と言っていた。
優しく静かに微笑みながら、俺の手を取ってそっと口づけた……あの人は……。
「ヴァ、ン……」
鎖の音がする。
足と指先は凍るように冷たいのに、身体の芯は煮え立つように熱く疼き続けている。どこからか笑い声が聞こえてくるような気がする。
現実か夢の声なのかは判別ができない。
ギラギラした視線で、「俺の言うことを聞けよ」と言う。
あれは……俺の鞄を奪った同じクラスの……慎介と。
俺とは住む世界の違う、スクールカーストの頂点に居るような奴だ。威圧的で。とにかく何かと俺に手を出してくる。
自分に手に入れられないものは何も無い……とでも言うように。当たり前のように人の賞賛を浴びて、誰もが自分の言う通りになると、信じて疑わないような……奴。
何も持っていない俺なんかの……相手をする必要は、ないのに。
放って置けばいい。
……放って?
あの日、真っ暗な地下道で出会った。
歩けなくなった俺を軽々と担ぎ上げて、あたたかな家でブランケットに包んで抱きしめてくれた人がいる……。
放って置いてくれても良かったのに。
何度も、耳元で囁いた。「大丈夫」と。
「う……」
震える背中を撫でながら、温かくて大きな手で俺が心から安心していられる場所を作ってくれた。何度も「ここは、安全だから」と。
大丈夫。安心していい。
誰も……君を、傷つけることはできない。
傷つけさせない……。
「ヴァン……」
明るいお日様のような、クリームイエローの髪と緑の瞳の人。
国で一、二を争うほどの大魔法使い。お伽噺に出てくる王様みたいに気高くて、魅力的な顔立ち。優しく響く声。温かい腕……。
俺とは住む世界が違う。
この国の、宝物のような……人。
「う……ヴァ、ン……んんっ……」
寒い。いや、燃えるように熱い。
俺は何故、こんな場所にいるの……だろう。
記憶が繋がらない。
思考がバラバラになって、夢の中に囚われているような感覚。
「あぁ……本当にしぶといですね」
声がした。
ゆるゆると視線を上げると、薄暗く広い場所に人が……二人、立っている。俺と……あまり歳の変わらないような青年と、もう一人は――。
「……ス、トルアン……」
「まだ意識があるとは驚きです。やはり異世界人は、我々と身体や精神の造りが違うのでしょうかね、興味深い。チャールズ、アレには触れるようにはなりましたか?」
「いいえ、まだ守りの魔法石のガードが効いています」
床に座り俺を監視していた青年が、立ち上がり手を伸ばす。
あと少し……の距離で、青年の手は勢いよく弾かれた。痛みがあったのか、軽く指先をさすっている。
「意識はかなり混濁していますが、よほど触られるのが嫌なのでしょう。身体の疼きはそうとう辛いはずなのに、いまだ抵抗し続けています。精神の方から堕とすのは時間がかかるかもしれません」
「ふむ……」
ストルアンが顎をさする。
俺は肩で息を繰り返しながら、意識を繋いで睨み上げた。そうだ……俺は、こいつらにさらわれて、ここで鎖に繋がれている。
俺の力を利用して危険なことをしようとしている。
この力は……絶対に、明け渡しては……いけない。
「健気なものですね」
ストルアンが口の端を上げて嗤った。
「アーヴァインが助けに来てくれると、信じているのでしょう?」
「……ヴァン、は……」
「来ませんよ」
静かに、力を込めてストルアンは言った。
ヴァンは……来ない。
言葉の意味が俺の中に浸透していくまで、時間がかかった。
その間に、ストルアンは歪んだ笑みを顔に張り付けて言う。
「大切だ大切だと言いながら、彼は、君を探すことをあきらめました」
俺を探すことをあきらめた。
そう……ヴァンが、言ったのだろうか。
ストルアンは……俺が、どんな反応をするか、面白がるように顔を歪めている。
俺は感情を消した視線で、次の言葉を待つ。
その表情を絶望の顔と思ったのか、愉快だと言うように続けた。
「あれだけ手塩にかけていたというのに、消えた子は忘れ、新たな子を自分の横に立たせましたよ。甥っ子のクリフォードを。アーヴァインは愛し子をすげ替えて、大結界再構築の場に向かったのです。……ですから、ここには来ません」
大結界再構築の場に向かった。
七夜目が……最後の夜が始まった。
俺がさらわれてからまだ半日。一昼夜にもなっていない、ということか?
「自分が捨てられたという事実に、声も出ませんか?」
くくく……と喉を鳴らす。
――その言葉に、俺は視線を落とした。
10
あなたにおすすめの小説
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら執着兄上たちの愛が重すぎました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる