【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第4章 たいせつな人を守りたい

137 お前しかいない

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 まだ記憶に新しい。
 町の人たちとお祝いした成人の儀で、お姉ちゃんのシェリーと一緒に小さな花束をくれた。まだ言葉も上手く話せないほど小さな少女は、いつも姉の真似をしたがって、歩けるようになってからは目が離せないのだとジャスパーは目尻を下げていた。

 ヴァンの実家でのお披露目の前に、着替えで屋敷を借りた時が最後に会った姿だ。
 皆に仕立ててもらった礼服に身を包んで、四頭立ての馬車に乗る前、見送りに出た婦人と子供たちは俺の姿を見て瞳を輝かせていた。
 エミリアは、「きらきら!」と声を上げて大はしゃぎしていたんだ。
 そして大人と変わらない言葉で挨拶する、小さなシェリーの前に片膝をついて俺は言った。
 
『エミリアと仲良くね』
『はい』

 可愛らしく返事をする後ろで、奥方のシャーロットさんも優雅に微笑んでいた。




 血の気の引いたジャスパーの顔を見るだけで、とても重い事態なのだと察した。
 俺はそばのヴァンに、そっと囁く声でたずねる。

「よくないもの……なの?」
「特に小さな子供に発症しやすく、今も昔も多くの命を奪ってきた。僕の……二番目の姉が亡くなったのと、同じ病だ」

 ヴァンのお姉さんたちの話を聞いたのは昨日の話だ。
 貧乏な庶民ではない、お金も人脈もある……それこそ、高い魔法の技術だってあるホール家でも救えなかった病。
 ジャスパーは強く瞼を閉じてから、厳しい表情で呟いた。

「そうか……」
「……え?」

 思わず俺の声が漏れた。

「そうか……って」

 ジャスパーが俺とヴァンの方を見る。
 答えるまでもない。今はこの国を護るための大切な儀式の最中だ。三夜目を終えて、半日の休憩を取った後、夕暮れから四夜目が始まる。
 大結界再構築が終わるまで、今夜を含め、まだ四夜残っている。

「ジャスパー……」
「俺はアーヴァイン・ヘンリー・ホールの専属治癒術師だ。この大事な時に現場を離れるわけにはいかない」

 明日には命を落とすかもしれない。
 その娘の元には戻らず、この場で、ヴァンの魔力の調節を続けるのだと。そう答えるジャスパーに言葉を失った。

 俺には父親がいない。
 母親が街角で出会った一夜かぎりの、顔も名前も知らない男との間に生まれた子だと聞いている。その後も……母親が連れ込んだ何人もの恋人たちから、一度として父親らしい扱いを受けたことは無い。
 だから……父親がどういうものかは、知らなかった。

 俺はこの世界で来て、ジャスパーを見て……初めて、父親というのはこういうものなのかも思い始めていた。

 妻のシャーロットさんに対する時とは違う、シェリーとエミリアを前にした時の、柔らかな……幸せそうな笑顔。可愛くて仕方がないのだと言うように、どんなイタズラも笑って許してしまうような、そんな姿だった。
 きっと小さな怪我をしただけで、大慌てで治癒の術をかけているんだろうな……と、簡単に想像できるほどの子煩悩だ。
 そんなジャスパーが、生死の境をさまようような病に罹ったと聞きながら、娘の元に帰ることをあきらめた。それよりも、国を護る勤めを優先するのだと。

 俺は思わずヴァンを見上げた。
 ヴァンは、口の端を軽く上げた笑みで俺を見降ろしていた。

「ジャスパー。家に戻れ」
「ヴァン?」
「今から急ぎ帰れば間に合うかもしれない」
「何を言っているんだ」

 怪訝な顔でヴァンに言い返す。
 魔力の流れを調整する魔法は、繊細な技術が必要になる。それもただ調整すればいいのではない、魔法酔いを抑えるギリギリのラインで魔力を高めた状態を維持する。普段のヴァンの状態……魔力の性質を熟知していなければできないことだ。
 だからこそなどと呼ばれている。

「残り四夜、終われば急ぎ帰る」
「その間に大切な娘を失うかも知れないんだぞ」
「ヴァン!」
「僕の姉はその病で亡くなった。後悔するようなことはしないでほしい」
「だが……」

 それでも治癒術師としての使命を果たそうとするジャスパーに、ヴァンは親友に精一杯の言葉をかける。

「俺の治癒術師の代わりはいる。だが、エミリアの父親はジャスパー、お前しかいない」

 くっ……と、ジャスパーが唇を噛んだ。
 本当は今すぐにでも飛んで帰りたい。その気持ちを、ヴァンは良く分かっている。ジャスパーを帰すことで、残り四夜、自分にどれほど負担がかかるか分かっていても、それでもヴァンは「帰れ」と言う。

「アーヴァイン……」
「早く帰宅の準備を。クリフォード、ルーファス殿下に飛竜ワイバーンを手配していただくようお願いするんだ」
「分かりました」

 同席していた甥っ子のクリフォードが部屋を飛び出していく。
 ジャスパーはうつむき、ぐっと目を閉じてから顔を上げた。

「すまない」
「僕も同じだ。リクに何かあれば全てを捨てて駆けつける」

 そう言って俺に笑みを向ける。
 視線だけで「心配しなくても大丈夫だ」と、そう言う様子に俺は胸を撫で下ろす。同時に身を引き締めなければと思った。
 ヴァンが言うように「治癒術師の代わり」はいる。
 けれどジャスパーほど相性のいい術者は他にいない。その分、俺がヴァンのフォローをしなくては……。

 特別に王家の飛竜ワイバーンを借りたジャスパーは、日が昇り切る頃にヘイストンを後にした。
 出発間際、ジャスパーの調整を受け早めに休んだヴァンを俺は見守る。
 クリフォードの話では、長兄のエイドリアンさんやゲイブも未だ到着していない。ヘイストンに至る道や橋が壊されたり、想定外の場所に出現する魔物にはばまれているらしい。
 国王陛下ですら御入城されていないと聞いて、俺は妙な胸騒ぎを感じていた。


     ◇◇◇


 同じころ、アーヴァイン・ヘンリー・ホールの専属治癒術師が家族の大事で、急遽帰郷した報せが、とある部屋の主の元に届けられていた。
 それを聞いた者は、口元を歪めてわらったという。

「これでまた一人……引き離すことができましたね」

 くらい笑みは、じわじわと獲物を追い詰める狡猾こうかつな獣のようだった。





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