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第3章 成人の儀
93 ヴァンの戦略
しおりを挟む鏡を見ているのだから自分の姿だ……と、理屈では分かっていても、本当に俺は、そこに映っている人が誰か分からなかった。
光に反射して、透けるように艶やかな黒髪。
軽く前髪を上げているせいか、少し勝気な弓なりの眉が綺麗に映えて、目元もほんのりと色づいている。
すっとした顎のラインだとか、磨かれた桜貝を思わせる唇だとか。
呆けたように見つめる青年の、姿を際立たせるのが見事な衣装で。
シルエットは濃紺のカッチリとしたラインだから、とても姿勢が綺麗に見える。重たい印象にならないのは、上品にセンス良く配置された銀の刺繍と縫い付けられた小さな魔法石。それらが、窓の光に反射して輝いている。
襟や袖もとから見える白いフリルのシャツも、どこか品格がある。
女の子女の子した感じじゃない。白いクチナシやシャクヤクの花びらみたいに、ふわ、と踊る。軽くて、華がある。やさしさと毅然とした強さを合わせもつような……。
「だれ……?」
「リク様でいらっしゃいます」
予想通りの反応だったのか、取り囲む着付け師たちが面白そうに笑っている。
いや……聞くまでもなく、俺以外のわけがないのに、本当に誰? っていうぐらい別人に見えて。
だって……どうしよう。
自惚れかもしれないけれど、この姿ならヴァンの横に並んで歩いても、少しは許されるかも……とか、思ってしまう。
俺が口をぱくぱくさせていると、ドアの向こうから声をかけられた。
「アーヴァイン様のお支度も、整いましてございます」
まだ着替え中かと思ったのだろう。俺が「どうぞ」と声をかけると、ゆっくりとドアが開いた。
「わぁぁ……」
かっ……こ……いいいぃぃ……。
キリッとした目元の、堂々とした足取りで入ってくるヴァンの、なんかもう、まともに見ることができないぐらいのカッコよさに俺は絶句する。
というか、息吸うのも忘れる。
ジャケットの色合いは俺より少し明るくて、わずかに緑が入っている落ち着いたもの。こちらも刺繍だとか魔法石を縫い込んではいても、すごい、大人、の品格がヤバイ。
白いシャツには俺と同じようにフリルが入っていたけど、当然のように着こなす二十六歳って、本当にヤバすぎる。
本当に貴族、なんだ……。
カッコイイ、カッコイイ、カッコ良すぎて泣きそうだ。
いやもう泣いてる。目が潤む。
ヴァンは俺の方を見て、にっこりと微笑んだ。
「うん、やっぱりよく似合うね」
「あ……ぅぅ」
「どうしたの?」
「ヴァンが……かっこよく、て……」
「ふふふ、リクも綺麗だ」
「き……」
嬉しそうに微笑んでから、軽く俺の顎を指先であげて、襟元を確認する。
輝くほどの眩しい笑みを向けられ、俺はギクシャクと鏡を指さした。
「ヴァン……ねぇ……この、鏡に映っているのは、だれ?」
「リクだよ」
「なんか……凄いんだけれど……」
「そうだよ。リクは素晴らしい力を秘めているんだ」
俺を鏡に向かわせ、ヴァンは後ろに立つ。軽く両肩に手を添える、その温かさが、じん……と心地いい。
今、俺がここに、こんな姿でいるのは、全てヴァンのおかげた。
「ヴァンがここまで、俺を育ててくれたから」
感謝という言葉なんかじゃ言い表せられないぐらいに、たくさんの気持ちが溢れてくる。
俺の背に立つヴァンが、瞳を細めた。
「それに関しては少し自信あるけれどね、リクにそれだけの素養があったということだよ。魅了と同じ、この美しさもリクの才能の一つだ」
「うつく……」
「少しは自信が持てたかな?」
「うん、ヴァンが凄い人だっていうのは、よくわかった」
ヴァンが笑う。
と、同時にドアがノックされて、ジャスパーが入って来た。
俺の姿を見たとたんに足を止めて顔を引きつらせる。
「うっわぁぁぁあ……」
えっ……? ジャスパー的にはナシだった!?
「ヴァンが、う、うつくしい……とか、い、言ってるんだけど」
「うん」
「うん?」
「凄いわ。これは、そこらの令嬢なんか足元にも及ばない。凄すぎて貴族のヤツらも簡単に手は出せないな。なるほどねぇ……そっちの方向で攻めたか」
「そっち?」
「ヴァンの貴族共を黙らせる攻略法ってやつ」
ちらり、とヴァンの方を見ると、腕を組んで悠然と笑っている。というか……すっっごく満足げにドヤ顔してる?
ジャスパーは興奮が収まらないという感じで、俺を上から下まで眺めた。
「衣装の気合いもすごいけど、リク、お前の色気がやばすぎる」
はい?
「え? お、俺の……?」
「成人の儀から半月も巣ごもりして、ヴァンにじっくり大人にしてもらった、ってやつだろ?」
瞬間、かぁぁっ、と耳まで熱くなった。
そそそそ……そんな、使用人たちや着付け師の人たちがまだいる前で、何、言ってんだよ!
「……す、すごもりって。それにもう、大人だし!」
「そうだったなぁ」
「ちゃんと外にだって出ていたよ!」
ニヤニヤ笑っている。
衣装の合わせだとか……あぁ、それぐらいしか外出してなかった、かも?
「最近リクが来ないって、ゲイブが言ってたぜ。正直、四、五日は顔出さないだろうとは思っていたけどよ」
「うぅぅ……」
……だって。
夜中までどろどろに抱かれる日が続いていたから、起きれなかったんだもん。ヴァンも無理しなくていいって、言ったもん。……って、俺、子供か。
恥ずかしすぎる……。
抱いてとねだったのは、俺の方が多かった気がする……し。
「一晩で化ける奴は化けるというが、ここまで徹底的にやるとはヴァンらしいな」
ニヤニヤが止まらないジャスパーは、同じく楽しそうなヴァンに顔を向ける。
「ここまでやれば、そこらの田舎貴族なんぞ手が出せないだろうが、逆に上位の奴らに目をつけられないか?」
「リクの能力を知れば、いずれどんな者でも目をつけるだろう。だったら下手に手を出せば痛い目を見ると、事前に周知しておいた方がいいかと思ってね」
「うっわぁ……」
「警告はしたのだから、恐いもの知らずは遠慮なく僕の手で叩き潰すだけだよ」
「うん、知ってた。お前ってそういう奴だって知ってた」
顔を引きつらせながらジャスパーが頷く。
そこに、三度ドアがノックされた。ジャスパーが対応すると、扉の向こうから声が返る。
「恐れ入ります。お針子たちがぜひ、ご挨拶したいと申しております」
「あぁ……」
心当たりがあるのだろう。声を漏らしたのはヴァンだ。
「リク、その衣装を縫った者たちが目通りしたいそうだが。どうする?」
「どう……って」
「会ってもいいかい?」
よくわからないけれど、嫌だと答える理由が無い。
俺は頷いて答えると静かにドアが開き、数人の人たちが頭を下げながら広い部屋に入って来た。
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