上 下
19 / 202
第1章 廃ビルの向こうは異世界でした

18 歩く媚薬

しおりを挟む
  


「……魅了みりょう、の魔力か?」

 僕は……ゆっくりと頷いた。

「そう、リクは、魔力を秘めたものをきつける力を持つ」
「いいものばかりじゃないだろう?」
「もちろん……魔物も。それだけではない、魔法を扱う人間――特に、魔法使いを魅了し、惑わす」

 ジャスパーの眉間のしわが深くなる。
 ひとつ呼吸を置いて、表情を消した僕の顔を覗き込み、問いかけた。

「ヴァン、お前……まずいんじゃないのか?」
「残念ながら」

 ふっ……と、自嘲じちょうするように薄く笑った。



 ジャスパーが息を飲む気配が伝わってきた。

「あぁぁぁっ!!」

 頭を抱える。
 抱え、大きな身振りで両手を振り回し、怒鳴った。

「何故気づかなかった⁉」
「気づいた時には手遅れだったんだよ」

 そう、リクに出会った。
 あの瞬間にはもう、手遅れだったのだ。

「……地下道で異質な気配を感じた。小さな明かりを持った人の物だとは分かったが、それよりも気配に気を取られ、接触してしまった」

 ぶつかった時の声で、子供と気づいて冷静さをいた。
 直ぐに「大丈夫か?」と声をかけ、魔法石で明かりをつけた。その瞬間――浮かび上がったリクの、夜空を思わせる美しい瞳を見た瞬間に、囚われた。
 魅了された。
 意識を持っていかれてしまったのだ。

 直ぐに気づかれないよう防御壁ガードし、正気を保つことができたのは、魔法を扱う者としての意地だったのかもしれない。

 平静なフリで「きみは……何者だ?」と聞いてから、身なりで異世界人だと察した。
 そうそうあることではないが、魔物や魔法石が集まる場所は、魔力によって空間が歪むことがある。その歪みによって異世界と繋がる現象は、今までも数十年に一度の割合で観測されていた。

 リクは、「異世界」という言葉すら知らなかったのか、おびえ戸惑っていた。

 異質なものに深入りしてはいけない。
 直ぐに元の世界に戻すか、然るべき場所に預けなければ……。
 そう思いながら瞳の奥の魂はとても美しく、「欲しい」と思ってしまった。心が震えるほどに、魅了された。これが一目惚れなのかと冷静に判断する意識がある横で、僕の言葉は彼を自分の元へと誘っていた。
 「僕の家で説明しよう」と。
 これほど強烈に、誰かを手元に囲いたいと感じたのは生まれて初めてのことだった。

「差し出した手を、リクは取らなかった。この僕の手を、だ。そんなことをする人は、彼が……初めてかもしれない」

 ジャスパーが大きなため息をついた。

「王国で三本の指に入る偉大な結界術師にして、怪物級モンスタークラスの大魔法使いだというのに……。いや、だからか」
「僕を魔物のように言わないで貰いたいな」
「似たようなものだろ?」
「まぁ……否定はしない」

 二十三歳というこの年にして、国の存続に係わる重要な役職にある自覚はある。
 誰にもできない偉業をし遂げているのだと、浴びるほどの賞賛を受けてきた。それだけ大きな力を持てば、代償として、並みの人には想像できないような弱点をもつことも自覚している。
 魔力のある者に対するトラップもその一つ。
 だからこそ常日頃から研鑽けんさんと警戒を怠らず、どのような状況にも対応できるよう冷静に物事を観察し、心掛けきたというのに――。

 少し気持ちが落ち着いてきたのか、ジャスパーが現状を確認するかのようにきいてきた。

「俺が足を診た時には、そこまでの魅了を感じなかったが」
「眠っていたせいだろう。意識が混濁こんだくしている時は、魅了の影響も下がるようだ」
「いざとなれば、気を失わせればいいと」
「あまり使いたくない手だけれどね。万が一の際には、僕ならばほぼ完全という状態で封じることも、できる」

 逆に言うなら、僕ぐらいしかできないだろうと自負している。

「ただし完全な封じを施したなら……リクは意識や感情を持たない、生き人形になり果てるだろう」

 それは、魂を殺す行為に等しい。

「魔法院への報告は?」
「必要なことだけ。すでに済ませてある」
「引き渡せと言ってきただろう?」
「渡せばリクは生涯閉じ込められ、あらゆる魔法実験に使われる。死んでもなお、魔法使いたちのオモチャだ。元の世界に帰ることなどできない。だからそこは、譲歩じょうほしてもらったよ」
「無理を通したんじゃないのか?」

 旧知の間柄だ。ジャスパーは僕のやり方を熟知している。

「さぁ、十四の頃から国に尽くしてきたんだ、お願いごとの一つや二つ、通せるぐらいの貸しはある。あの子は……僕が監視する」
「できるのか?」
「方法はいくらでもある」

 いくらでも。
 手段を選ばなければ、どのような手も使える。

「現に今も、リクの着ている服に魔法の細工を施している。簡易的なものだから、シェリーや動物たちには効きが弱かったが……」
「何かあったのか?」
「馬が興味を示して、リクが驚いていたよ。小鳥も飛んで来て腕に止まっていた。ずいぶん人慣れしていると喜んでいたが……ジャスパーは平気だっただろう?」

 言われて初めて気づいた、という顔を返した。
 僕の腕を知っているジャスパーにすら気づかれないように、魔法は、いつもでもかけることができる。

「そう……閉じ込めるだけならば、簡単なんだ……」

 本棚に寄りかかり、手のひらを見つめる。

「僕なら百の魔法使いでも解けない、完璧な牢獄をつくることができる。けれど……それは嫌なんだ」
「ヴァン……」

 深く、息をつく。

「自由に外を歩かせたい。この世界は楽しみに満ちているのだと」

 あの美しい瞳を曇らせたくない。
 遠慮がちな微笑みを消したくない。
 ぎこちなく僕の背に手を回し、胸に頬をつけて寄り添ってきた……人に甘えることに慣れていないのだろう。あの甘美な切なさを手放したくない。

 溺れている。
 酔っているという自覚はある。
 それでも……初めて人を愛しいと思えた、この思いを消したくない。

「ヴァン、あの少年は魔王にすらなる可能性がある。そんなこと――」
「簡単にはできない。けれど、僕はやるよ……それに」

 忘れてはいない。

「リクは戻の世界に帰りたがっている。僕は、帰り道を見つけ出すと約束した」

 一瞬、ジャスパーが複雑な表情をした。
 これだけ執着して、完璧な檻に閉じ込めることもできるのに、また放してしまおうとする僕の行為が理解できないのだろう。

「地下道で見つけたと言っていたな。異世界との繋がりは、あとどのぐらいで消えそうなんだ?」
「正確な場所の特定はまだだが、おそらく、あと数日」
「帰したくないのだろう?」
「帰すよ」

 たとえ、不幸な生い立ちだったとしても。元の世界に帰りたがっているのだから、僕は帰り道を探す。

「約束したからね。僕は、リクの信頼を失いたくない」

 つきり、と胸が痛んだ。
 パン屋の夫人と僕が信頼の元にやり取りしていたことを、リクはとても驚いていた。深く感じ入っていた。
 この世界の記憶がリクの将来の心の支えとなるのなら、どんなことでもしたい。

「リクが迷い込んだ異世界は素晴らしい場所だったと、そう忘れずにいてもらいたいだけなんだよ」

 初めてなんだ。
 ただ純粋に、喜ばせたい、力になりたいと思うのは。

 愛しくて仕方がない……。

 大切にしたいと……思い始めている。

 ――狂おしいほどに。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

主人公の兄になったなんて知らない

さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を レインは知らない自分が神に愛されている事を 表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

勇者の股間触ったらエライことになった

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。 町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。 オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。

兄たちが弟を可愛がりすぎです

クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!? メイド、王子って、俺も王子!? おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?! 涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。 1日の話しが長い物語です。 誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。

処理中です...