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天平感宝元年より、およそ一〇年。
孝謙天皇の治世は、政敵との闘争に明け暮れるものだった。これまで栄華を誇った橘諸兄は、その即位により失墜の憂き目となる。このことに不満を持ち、策を弄して邪魔な帝を追い落とそうとするのは、古今東西、権力に取り憑かれた者の倣いといえよう。そして、策士は策に溺れるのも、世の常だ。酒席の失言が取り沙汰され、諸兄が政権を追われたのは天平勝宝八年(七五六)のことである。
橘諸兄の子・奈良麻呂は不満分子を集い、孝謙天皇に取り入り権力を握った藤原仲麻呂への恨みを晴らそうと画策した。しかし、貴族社会は密告の世界である。すぐに橘奈良麻呂の謀は露見し、関係する者は皇族を問わず次々と捕縛された。かくして、〈橘奈良麻呂の乱〉と日本史でその名を留める事件は平定された。
事件の翌年、橘諸兄は失意の内に病でこの世を去る。
乱が平定されたのち、孝謙天皇は身に纏う疲れを隠せずにはいられなかった。気忙しいなかで、心までもが張りつめていた。しばしの休息が欲しかった。その孝謙天皇が、霊泉と知られる甲斐国巨摩郡西河内領早川村へと行幸し、そこに仮御所を置いて療養されたのも、決して権力者の酔狂というわけではない。
即位より一〇年間。
王者の日々は、心をすり減らし、声にならない悲鳴を押し殺す相克との戦いであった。霊泉に逃避しても、それは致仕方ないことなのである。
この霊泉、現代風に申すのならば、紛れもない天然温泉という代物である。
泉質:ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性アルカリ性高温泉)
泉温:41~44度
pH=8.6~9.6
40L/min自噴
成分総計=1.597g/kg、Na^+=512.3mg/kg (95.46mval%)、NH^4+=13.2、
Fe^2+=0.1、F^-=4.6、Cl^-=571.6 (68.42)、HS^-=1.1、
HCO_3^-=410.1 (28.52)、CO_3^2-=12.4、
陽イオン計=536.4 (23.34mval)、陰イオン計=1002 (23.56mval)、
メタほう酸=12.4 <S60.9.19分析>
もちろん奈良王朝の当時は、温泉による療養効果は奇跡に等しい。
ゆえに遙々と、大和の彼方から、誰も聞いたこともない、黄泉路に等しいこのような山間の僻地に、やんごとなき孝謙天皇が行幸することなど、それこそが奇蹟と呼ぶに相応しい密事であった。
「太上、何事もお申し付けを」
湯浴みに沿う女官も、警護の文官も、すべて母后・光明子の用意した、引いては紫微内相・藤原仲麻呂の手の者である。どこへ飛び立とうとも、孝謙天皇に自由はない。することなすことなど、たかが籠の中の鳥に過ぎなかった。これでは何も変わらぬではないか。
さりとて霊泉のなかに身を委ね、心だけは誰の束縛も受けない刻こそは、孝謙天皇の世界であった。
瞳を閉じれば、たった一人の宇宙。
その夢のなかに、孝謙天皇の心は漂っていた。
想いは、古へ……古へ……これも霊泉のなせる魔性か。
孝謙天皇の記憶はみるみると遡っていった。
孝謙天皇の治世は、政敵との闘争に明け暮れるものだった。これまで栄華を誇った橘諸兄は、その即位により失墜の憂き目となる。このことに不満を持ち、策を弄して邪魔な帝を追い落とそうとするのは、古今東西、権力に取り憑かれた者の倣いといえよう。そして、策士は策に溺れるのも、世の常だ。酒席の失言が取り沙汰され、諸兄が政権を追われたのは天平勝宝八年(七五六)のことである。
橘諸兄の子・奈良麻呂は不満分子を集い、孝謙天皇に取り入り権力を握った藤原仲麻呂への恨みを晴らそうと画策した。しかし、貴族社会は密告の世界である。すぐに橘奈良麻呂の謀は露見し、関係する者は皇族を問わず次々と捕縛された。かくして、〈橘奈良麻呂の乱〉と日本史でその名を留める事件は平定された。
事件の翌年、橘諸兄は失意の内に病でこの世を去る。
乱が平定されたのち、孝謙天皇は身に纏う疲れを隠せずにはいられなかった。気忙しいなかで、心までもが張りつめていた。しばしの休息が欲しかった。その孝謙天皇が、霊泉と知られる甲斐国巨摩郡西河内領早川村へと行幸し、そこに仮御所を置いて療養されたのも、決して権力者の酔狂というわけではない。
即位より一〇年間。
王者の日々は、心をすり減らし、声にならない悲鳴を押し殺す相克との戦いであった。霊泉に逃避しても、それは致仕方ないことなのである。
この霊泉、現代風に申すのならば、紛れもない天然温泉という代物である。
泉質:ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性アルカリ性高温泉)
泉温:41~44度
pH=8.6~9.6
40L/min自噴
成分総計=1.597g/kg、Na^+=512.3mg/kg (95.46mval%)、NH^4+=13.2、
Fe^2+=0.1、F^-=4.6、Cl^-=571.6 (68.42)、HS^-=1.1、
HCO_3^-=410.1 (28.52)、CO_3^2-=12.4、
陽イオン計=536.4 (23.34mval)、陰イオン計=1002 (23.56mval)、
メタほう酸=12.4 <S60.9.19分析>
もちろん奈良王朝の当時は、温泉による療養効果は奇跡に等しい。
ゆえに遙々と、大和の彼方から、誰も聞いたこともない、黄泉路に等しいこのような山間の僻地に、やんごとなき孝謙天皇が行幸することなど、それこそが奇蹟と呼ぶに相応しい密事であった。
「太上、何事もお申し付けを」
湯浴みに沿う女官も、警護の文官も、すべて母后・光明子の用意した、引いては紫微内相・藤原仲麻呂の手の者である。どこへ飛び立とうとも、孝謙天皇に自由はない。することなすことなど、たかが籠の中の鳥に過ぎなかった。これでは何も変わらぬではないか。
さりとて霊泉のなかに身を委ね、心だけは誰の束縛も受けない刻こそは、孝謙天皇の世界であった。
瞳を閉じれば、たった一人の宇宙。
その夢のなかに、孝謙天皇の心は漂っていた。
想いは、古へ……古へ……これも霊泉のなせる魔性か。
孝謙天皇の記憶はみるみると遡っていった。
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