それは素晴らしきメイド達の世界

夏ノ木の実

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最終章 異世界のメイドさんを救うのは

第四十六話 フィルの鍵

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 ルッフィランテの建物から出て、裏口へ回った。
 フィルシーさんは古びた木の扉へ鍵を入れる。

「トマトを連れてこなかったのは何でですか?」

 パルミーレに行くときはトマトも一緒のはずだが、先ほどの部屋で別れた。
 俺はこの扉の向こうに何があるのか知らない。
 フィルシーさんは輪っかにぶら下がる鍵を纏め、扉を開いた。

「ここは以前のオーナーが使用していた部屋です。メイドを入れることはありませんよ」

 当然のように呟くと、フィルシーさんは年季の入った絨毯を踏み、奥へ進んだ。
 書斎のようだった。
 大きめの机には、色あせた本や書類が、ついさっきまで誰かが仕事をしていたかのような状態で置かれている。これは前のオーナーのものだろうか。数十年の月日を感じさせる風合いだ。

 壁際の小さな机は比較的新しい。ペン立てに刺さっている色とりどりの筆記具は、フィルシーさんの書斎にあるのと同じ物だ。こちらは現在も使われているのかもしれない。
 この部屋にメイドは入れていないと言っていたが、室内は定期的に掃除されているように見えた。

「前のオーナー、ジョスティフさんが亡くなったのは、三年前のことです」

 唐突に、フィルシーさんは切り出した。
 寂しげな瞳は、棚の上の、メイドを模した木の彫り物に向けられている。

 ルッフィランテに以前、別のオーナーがいたことは知っていた。
 この部屋に残っている物は全部、そのオーナーの物なのだろう。

「愛に溢れた人でした。普段はとても明るく、ときに厳しく、メイド皆に慕われていました。少しだけ鳥太君に、似ていたかもしれません」

 何と答えたらいいのかわからず、ただ耳を傾ける。
 部屋の中の乾いた空気には、埃一つない。時が止まっているみたいだ。

「身分や地位に関係なく、真っすぐ向き合ってくれる方でした。私は元々、貴族に雇われていたメイドだったのですが、当時ルッフィランテのオーナーだったジョスティフさんが私を拾い、ルッフィランテのメイド長にしてくれたのです。そしてただのメイドだった私に、経営のお手伝いまでさせてくれました」

 フィルシーさんは敏腕だと何度か聞いていた。その経営力は前オーナーから学んでいたのか。

「メイドに経営を任せることは他でもあるんですか?」
「普通は、あり得ません。メイドは最も低い立場で、雑用役というのが一般的な見方です。ですから、周囲からは『メイドに経営を任せるなんて能力がない証拠だ』などと冷たく言われていました。ジョスティフさんは気にしていませんでしたけどね」

 ようやくフィルシーさんは微笑んだ。
 そしてふと、目を閉じ、小声で続けた。

「ある日を境に、ジョスティフさんは人が変わったように厳しくなりました。ほぼ全ての仕事を私に任せるようになり、朝から晩までつきっきりで、上手く出来ないことについては助言をくださいました。私は徹夜でそれらをこなし、恥ずかしながら、疑心を抱き始めていたのです。ジョスティフさんはなぜ自ら仕事をなさらないのかと」

 フィルシーさんはブラウスの一番上、ひときわ目立つボタンを外すと、中から細い鍵を取り出した。
 再びボタンをつける。
 あれは以前狙われたことのある、ルッフィランテの金庫の鍵だ。服の中に仕込み、肌身離さず身に着けていた。

 フィルシーさんはそれを手の中に握りしめた。

「ジョスティフさんが亡くなったのは、その一週間後でした。今思えば、彼は自分の死期を悟っていたのでしょう。遺書には、ルッフィランテを含む全財産、そしてルッフィランテのメイド達を私に託すと書かれていました」
「……………………」

 元メイドだったフィルシーさんが、これほどメイドに厳しい世界で、ルッフィランテを経営できた理由。以前から感じていた漠然とした疑問が解けた。
 そしてそれは同時に、新たな意味を持ち始めた。

 フィルシーさんは奥の扉に鍵を入れる。その先にあるものは想像がついた。
 壁に埋め込まれている扉は、小さいが、これまで見たどの木材よりも重厚な質感を放っている。

「私は彼の意思を引き継ぐために、これまで歩んできました。彼に託されたメイド達を守る為に、私の唯一の才能を用いて、力を蓄えてきました。そして、この力を使える人と出会うことを、待ち望んでいました」

 フィルシーさんは扉にかけた手をゆっくりと引く。
 蓄えてきた力。それは世の中で最も単純な武器の形――長方形の紙束となり、金庫の中で山を築いていた。

 足が竦む。

 以前、疑問に思った事がある。なぜメイド想いのフィルシーさんは、メイドにあまり給料を与えないのか。
 一人前に働いている優秀なトマトですら、月に一ティクレも与えられていない。給料を貰えるのはCクラス以上になってからだと言っていた。

 ルッフィランテのメイドさん達にとって、それは当たり前のことのようだった。けれど、そうして彼女達が積み重ねてきたものが、今目の前にある。

「覚悟はありますか? 鳥太君」

 フィルシーさんは、蓄えてきた“力”を、俺に託そうとしている。
 ずっと計画していたのだろう。
 パルミーレで活動を行う為には、莫大な資金が必要となる。爵位を持たないフィルシーさんはそれを使う事が出来ない。
 いつかメイドを救える人間が来ると信じ、蓄え続けてきた。

 メイドを救う為に戦ってきたのは、俺だけじゃなかった。いや、それどころか、この人は俺よりもずっと本気で世界を変えようとしていた。

 メイドを救う為に。

 共通の想いが胸にある。けれど、フィルシーさんのそれは、俺のちっぽけな覚悟とは比べものにならなかった。

 押しつぶされそうな肺から、掠れた息を吐き、乾いた空気を取り入れる。
 重み。
 これを受け取ったら、失敗は許されない。世界を変える為に戦えるのは一度きりだ。
 俺なんかに、それを託される価値はあるのか?

 政治なんてしたことがない。頭がキレるわけでもない。知識があるわけでもない。
 そんな俺が、メイドさん達の努力の結晶を背負い、パルミーレで世界を変えることができるのか……?

 乾いた空気をいくら取り込んでも、肺の中は満たされなかった。
 フィルシーさんは何も言わず、俺の決断を待っている。
 意識が朦朧としてきた。

「俺は…………」

 ただメイドが好きだっただけの男。ごく普通の、社会であまり役に立っていなかった男。

「悪い、フィルシーさん…………」

 声は掠れた。
 荷が重かった。
 偶然得た力でバカみたいに戦っていただけの俺に、彼女達を背負う覚悟も、力も、あるはずがなかった。

 ――――ごめん。

 謝罪の言葉が口から出ているはずだった。
 が、俺は金庫の中に何かを見た。

 慌てて駆け寄り、目を奪われる。
 それは一枚の封筒だった。

 ――――『親愛なるフィルとメイド達へ』

 その一文を読んだ瞬間、これは前オーナーの遺書だと悟った。
 そして、同時に、これを受け取った一人の少女の姿が目に浮かんだ。

 フィルはフィルシーさんのことだろう。
 前オーナーのジョスティフさんが、フィルと呼び可愛がっていたメイドさんに全てを託し、それを紡いで来たフィルシーさんは俺に託そうとしてくれている。

 これを受け取った一人の少女は、俺とは比にならない重みを感じていたはずだ。
 唯一の支えだったオーナーに先立たれ、メイドさん達全員の命運を託された。
 その少女は戦うことを選んだ。

 メイドさん達の教育をし、メイドさん達の働ける場所を開拓し、傷つけられているメイドさん達の情報をすぐに仕入れ、彼女達を守る為に手を打ち、毎日夜中まで机に向かい、オーナーの意思を引き継いできた。

 俺は…………。
 逃げるのか?

 いや、違う。
 俺がすべきことは、恐れることじゃない。
 馬鹿な俺にできることは、ただいつも通り突っ走ることだけだ。
 メイドを守り続けてきたフィルシーさんが、俺に託すと決めた。俺がこの世界で誰よりも優秀だと信じている人が、俺を選んでくれた。
 俺にできることは、彼女が背負ってきたものを、一緒に背負うことだ。

 メイドを救う為に、俺はこの世界に来た。

「フィルシーさん、俺は必ず、世界中のメイドを救う。今はまだ政治のことはわからないけど、死ぬ気で勉強するよ。トマトの力も借りて、全力で戦う」
「はい、鳥太君なら、そう言ってくれると思っていました」

 明るい声で答えたフィルシーさんは、くるりと背を向け、目元を拭った。
 
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