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46 漁り火 - Pêche à feu -
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夜半、ルキウスの寝室を訪ねた者がいる。
「ニナ」
ルキウスは驚いて扉の前に立つオルフィニナを見た。
赤い髪はひと束のゆるやかな三つ編みにして肩の前に垂らし、オリーブ色のゆったりした寝衣を着て、その上に亜麻色のガウンを纏い、手には青い陶器の酒瓶とグラスを二つ持っている。
「珍しい酒が手に入ったから、一緒にどうだ」
オルフィニナはいつものように快活に言った。
「ああ…」
ルキウスは躊躇したようにオルフィニナから視線を外し、一瞬の沈黙ののち、彼女を寝室へ招き入れた。
やはりおかしい。
いつもなら不必要なほど身体に触れてくるのに、今は一定の距離を保っている。
「折りが悪ければ出直そうか」
オルフィニナはそう言ったが、寝室の中はせいぜいソファに寝そべっていた以外の形跡はない。読みかけの本もなく、時々一人でしているらしいチェスも、今日は盤が出ていない。サイドテーブルに小さな革張りのボールが置かれているから、もしかしたらボールを天井へ投げて手慰みでもしていたかもしれない。
「…いや。大丈夫だ」
ルキウスは珍しくばつの悪さを隠すように愛想笑いを浮かべると、オルフィニナからグラスと瓶を受け取ってソファの前のテーブルに置き、杯を満たした。
「どうしてそっちに座るんだ」
と問われて、オルフィニナは小首を傾げた。オルフィニナがたった今腰を下ろしたのは、長いソファとテーブルを挟んだ向かいにある一人掛けのソファだ。長いソファの方に来て自分の隣に座れと言っているらしいことに気付くと、途端におかしくなった。自分から距離を取っておいて、側に置きたがるというのは一体どういう心境なのだろう。
オルフィニナはルキウスの隣に腰掛け、グラスを掲げてルキウスのグラスに触れ合わせた。
酒は、強い。ルキウスは喉が焼けるような強さに顔をしかめた。
「西部伝統の古酒だそうだ。強いが杏子をつけ込んでいるらしいから、少し甘いな」
「甘いという点は同意できない」
オルフィニナは微笑した。
「飲めないならわたしがもらおうか」
「ばか言え」
ルキウスはむきになってグラスの中を一気に飲み干した。オルフィニナに子供扱いされては堪らない。喉がひりひり焼けるのを我慢して咳払いをし、グラスを置いて肘をソファの背もたれに預け、身体をオルフィニナの方へ向けた。
こういう気怠げな仕草の一つ一つに、相手の胸をざわつかせる妖しさがある。
「それで、本当に酒だけ飲みに来たのか」
「まさか」
オルフィニナは首を振り、頬へ伸びてくるルキウスの指に触れて、そっと押し戻した。ルキウスは、いつもよりおとなしい。
「最近、様子が変だ。何かあるなら知っておきたい」
「様子が変って、どういうふうに?」
ルキウスには自覚がある。しかし、それを素直に認められるほどの覚悟がない。
「わたしを避けてるだろう。もし婚姻について迷いが生じたのなら、期間を見直してもいいと提案しに来た」
言いながら、オルフィニナは胸の奥に澱が溜まったような気分になった。元々そういう認識でいたはずなのに、なぜか口が重い。
ルキウスが眉間に深く皺を刻んだことには、気づかなかった。
「…例えば、わたしが女王としてアミラに戻って、あなたがここで次期国王としての立場を固めた後、この婚姻を無効にすることもできる。もちろん、アミラとエマンシュナの友好関係は継続するという前提の元だ。互いに不信感を持たせないよう、領事館を双方の王都に置いて、それぞれ高位の外交官を――」
オルフィニナは言葉を続けられなかった。ルキウスに突然手首を強く掴まれたからだ。弾みで酒が胸元を濡らし、グラスが手から離れて絨毯に落ちた。
「何を言ってる」
ルキウスの美しい貌に、怒りが滲んでいる。
「君がそうしたいだけなんじゃないのか」
「それは…」
違う。とは、即答できなかった。そうするのが正しいと思っていたからだ。だが、今は考えが変わった。いつからだったか――そう。多分、ルキウスの秘密を知った夜からだ。
(同情なのだろうか)
心の中で自問して、それだけではないと気付いたとき、オルフィニナはひどく狼狽した。
こんなつもりではなかった。ただ、簡単な提案だけして検討するよう促し、あとは友好的に酒を酌み交わして、自分の寝室に帰るはずだった。
言葉を失ったオルフィニナの顔を、ルキウスは凍りつくような思いで見た。
こういう彼女の姿は、初めて見る。いつも明瞭な言葉を発し、凛然と相手に対峙するオルフィニナが、今は罪悪感や迷いに心を揺らしている。この心情の誘因となっているものが何かなど、知りたくもない。
「…俺から離れるなんて、許さない」
ルキウスが冷たい怒りを滲ませて言葉を発した。
「あの日、言っただろ。逃げられると思うなと。君も覚悟を決めたと言ったはずだ。俺を夫にすると、今日も父の前で宣言した。初めに言った通り、俺は仮初めの関係になどする気はない。絶対に君を手放さない」
オルフィニナは、どんな顔をしてよいかわからなかった。
この感情は果たして正しいのか。そうではないかもしれない。それなのに、胸の奥が熱い。熱くて、痛い。どんな気持ちでルキウスがこんなことを言うのか知りたいと思うのは、きっと正しくない。それなのに、答えを求めている。
ところが、次にルキウスが口にした言葉は、まったく予想外のものだった。
「それとも君、他に好きな男がいる?イェルク・ゾルガとか」
「…?なぜそこでイェルクが出てくる」
オルフィニナは心底不思議に思った。そんな発想があるということさえ、考えつきもしなかった。
「初恋だろ。特別な男じゃないか、君にとって」
「別に、イェルクだけが特別というわけじゃない」
これは事実だ。しかし、ルキウスは不機嫌なままだ。
「例えば、イェルクが君を誘惑したら?」
「は?」
ますますわけがわからない。何故、ルキウス・アストルともあろう者がこんなに不安そうな顔をするのか、理解ができなかった。
「イェルク・ゾルガが君を欲しいと願ったら、君は望みを叶えるのか」
オルフィニナはぽかんとしてルキウスの心許ない表情を眺め続けた。そして、少しの沈黙ののち、ある仮説に辿り着いた。
「……まさか、嫉妬か?」
この発想には、自分でも驚いた。ただの執着ではないと、今ならはっきり分かる。執着や所有欲だけならば、こんな顔はしないだろう。ところが、もっと驚いたのは、ルキウスがそれをあっさりと認めたことだ。
「そうだ」
ルキウスは眉間に深々と皺を寄せ、オルフィニナの腰を抱き寄せた。
「嫉妬してる。悪いか?君が他の男のことを大切に想ってたら、面白くない。相手を殺したいくらいに」
心臓が跳ねた。飛び出るかと思ったほどだ。これが、オルフィニナの頭の中に更なる混乱を招いた。
「何故そんな…あなたには――わたしたちには、そんな必要はないだろう」
一瞬の出来事だった。
ルキウスがオルフィニナをソファの上に押し倒し、それを認識した時には噛み付くように唇を重ねられていた。
「‘必要’?俺が、どれだけ――」
声が怒りに震えている。
オルフィニナは小さな混乱の中、ルキウスの緑色の目を見上げた。そこに、苦悩が見える。
「くそっ…」
ルキウスは小さく悪態をついて、再びオルフィニナの唇を奪った。
「んんっ…」
舌が絡まってくる。オルフィニナも舌を伸ばし、ルキウスの舌をなぞるようにそれに応じた。混乱が続いてるせいか、それともこの行為に理性を用いないことが常習化してしまったせいかもしれない。
「こういうことを、他のやつともする?」
唇が熱く腫れ始めた頃、ルキウスがオルフィニナの唇を解放して言った。吐息が唇を舐め、肌を小さく震わせる。
「…あなたの妻でいる限り、不貞はしない」
ルキウスの目の奥が燃えている。まるで波の上の漁り火のようだ。
「じゃあ、なおさら手放せない」
ルキウスの唇がもう一度重なり、先ほどとは違う角度から舌が挿し入れられた。オルフィニナはその息苦しさに呻き、ルキウスの手のひらが肌に熱を灯しながらガウンを剥ぐのを、夜霧のように迫り来る快楽の中で許した。
「離れるなんて、許さない。絶対に」
「…っ!ルキウス――」
寝衣の胸元が下着ごと乱暴に開かれ、襟が裂けた。ルキウスの肩を押し返そうとしたが、腕を掴まれて頭上で押し付けられた。力が強い。今までの行為もルキウスの気分のままに始まることが多かったが、これほど荒っぽくされるのは、初めてだ。
自衛は簡単だ。このまま膝を蹴り上げて急所に一撃を喰らわせることなど、オルフィニナには造作もない。或いは頭突きし、或いは喉に噛み付いてこの窮地を脱することもできる。
にもかかわらずそういう気にならないのは、この男の焦燥と熱情を自分の身体で受け止めようと、心が決めてしまったからだ。
「俺以外には誰にも触らせるなよ」
ルキウスは呻くように言い、暴いたオルフィニナの柔らかな胸を手のひらで覆い、吸い付いて痕を残した。
オルフィニナの温かい肌からこぼした酒のにおいが立ちのぼり、彼女の花のような香りと混じり合ってルキウスの獣性を刺激し、失いかけた自制心を完全に破壊した。
「…っ!」
オルフィニナは痛みに歯を食い縛った。左胸に噛みつかれた。ちょうど、狼の刺青があるところだ。
「噛まないで」
オルフィニナは身をよじってルキウスの身体から逃れようとしたが、ルキウスは許さなかった。ひりつく肌に今度は舌で触れられ、オルフィニナの肌がぞくりと痺れた。
「…たしかに甘い」
舌が触れているのは酒ではない。オルフィニナの味だ。
――恋と政治は相性が悪いぞ。
ルキウスの頭の中でアルヴィーゼの声が警鐘のように響いた。
(それがどうした)
オルフィニナがいなかった頃の人生には、もう戻れない。
それなら、全身でこの女を縛り付けて、髪の一本から足の小指の爪の先まで自分のものにするしかない。離れられないように、この女の全てを手に入れるしかない。
ルキウスはじわじわと体温の上がるオルフィニナの乳房にキスをし、先端に舌で触れた。白い喉の奥で小さく上がった悲鳴に、全身の細胞が震えた。
「ニナ、声――」
固く閉じたオルフィニナの唇に親指をねじ込んで開かせると、屈辱に耐えるような目でオルフィニナが見上げてきた。睨んでいるつもりなのか、強い視線だ。身体に愉悦が奔る。そうやって、甘美な蜜色の目に自分だけ映していればいい。
「声、だして」
歪な笑みを浮かべた自覚はある。
寝衣を下着もろとも足元まで引き下ろして秘所に指を這わせると、そこは既に熱く滴っていた。
「ふ、あっ――!」
白い頬に血色を昇らせ、オルフィニナが顔を背けようとした。ルキウスは指を咥えさせたまま唇を重ねて舌を挿し入れ、身体の中心を侵すように指でつついた。内部が収縮し、舌を吸われたオルフィニナが喉の奥で高い声を上げる。
唇を解放したとき、オルフィニナの珊瑚色の唇が唾液で濡れ、恥辱のせいか、或いは快楽のせいか、頬が唇と同じくらいに赤く染まっていた。
どうしようもないほど欲望が膨れ上がり、鳩尾が苦しいほどに痛くなる。
「もう入りたい」
ルキウスが前を寛げてしなやかなオルフィニナの腿を掴むと、オルフィニナは慌ててルキウスの腕を掴んだ。が、遅かった。中心に、ルキウスの熱くなった一部が触れている。
「ちょっと、待っ――」
「無理だ」
「ああっ!」
ひと息に奥まで貫かれ、オルフィニナは声を上げた。おかしい。まだそれほど馴らされていないのに、自分の身体がそれを待ち焦がれていたように受け入れ、強い衝撃を受けた腹の奥からじわじわと快楽が広がっていく。
「…ッ、ニナ」
ルキウスの声が震え、肌が頬から耳に掛けて赤く染まっている。胸がぎゅう、と締め付けられた。ルキウスの金色の髪に手を伸ばしたのは、ほとんど無意識だ。乱れたシャツの襟から覗くルキウスの肌に、汗が浮いている。この下に触れたい欲求を自覚したとき、オルフィニナには戸惑う余裕も残されていなかった。
ルキウスが荒っぽく内部を打ち付けながら髪に触れるオルフィニナの手を掴み、指先に口付けをした。
「…もっと、俺にしか見せない顔を見せて」
オルフィニナは刻みつけられる快楽と逸る心臓を持て余し、たまらずルキウスのシャツを掴んで引き寄せ、自分から唇を重ねた。こんな衝動が自分の中にあったことを、初めて知った。
これが、ルキウスに火を点けた。
まるで嵐に見舞われたようだった。重く激しい衝撃を身体の中心に何度も受け、喉から甘ったるい嬌声が上がる。自分では律することができないほどに乱され、痛みにも似た快感が血流とともに全身を巡り、重なる体温を求めて、自分の身体の上にいるルキウスのシャツを乱雑に剥ぎ、その胸にしがみ付いた。
「いいのか?ニナ。…ッ、すごくきつくて、熱い…」
「――ッ、ん、はっ…、ルキウス」
「‘リュカ’だ」
「リュカ…!あっ――」
激しい律動の末に最奥部を強く突かれた時、オルフィニナの身体の奥が震えて真っ白な嵐が襲ってきた。
自分の身体の中心が溶けそうなほどに熱くなってルキウスを包み、痙攣している。
「まだだ、ニナ。もっと」
繋がったまま、耳に直接響く距離でルキウスが囁いた。
「んぁっ…」
中からルキウスが出ていく感覚さえ、刺激になる。熱だけが残された一瞬の喪失感にオルフィニナが呻くと、ルキウスは呼吸を荒くしながらまとわりついていたズボンや下着をソファの下に脱ぎ捨ててオルフィニナの膝を掴み、肩に担いで、もう一度その奥を貫いた。
「ああ!」
身体の一番奥にルキウスがいる。
まるで獣だと思った。ルキウスだけではなく、この甘く激流のように強烈な快楽を求めている自分自身も、間違いなく獣だ。こんなに恥ずかしくて無防備な姿を知っている人間なんて、この男一人だけでじゅうぶんだ。
「はッ、ニナ…」
ルキウスの眉が快楽に歪み、海のような緑色の目が、苦悶するように細まる。額に浮く汗の一粒でさえ、この男の美貌を際立たせるようだ。
腹の奥が熱い。ルキウスが上擦った声で名前を呼ぶ度、身体の内側が締め付けられて不可解な衝動が体内を奔り、更に奥までこの熱を飲み込もうとするように心が軋む。ルキウスの手に胸を覆われ、胸の先端を優しく撫でられると、繋がった部分が更に熱を持ってひくひくと疼いた。またしても頭に靄が掛かって、何も考えられなくなる。
「あっ、あ…、リュカ、もう――」
「いい。いけよ」
びく!と身体が跳ねた。爪が食い込むほど強くルキウスの腕にしがみつき、意識が頭の外に放り出される感覚を恍惚のなかで味わった。脚がルキウスの肩から下ろされたと思った瞬間、今度は腰を掴まれ、強烈な刺激を胎内に受けた。
「あっ!や…待って、まだ――」
オルフィニナが激しすぎる快楽に身体を震わせてルキウスの肩を掴んだ時、耳まで赤く染め、懊悩するようなルキウスの目に捕らえられた。
「悪い、ニナ。無理だ」
「えっ、あ――!」
激しい嵐のような口付けが降ってきた。身体は繋がったまま熱が増し、ますます強く内側を貫かれ、呼吸もままならないほどに乱された。
乱れているのは、ルキウスも同じだ。獣のように荒い呼吸を繰り返し、甘い吐息でオルフィニナの唇を濡らしながら、溶け合って境界もわからなくなった肌を貪り続けた。
「あーくそ。いい…ニナ。俺のニナ」
「んん!」
窒息するかと思うほどの力で抱き締められ、部屋中に音が響くほどに強く律動を繰り返されて、もう一度オルフィニナは真っ白な絶頂に身を委ねた。鋭すぎる快感のせいで、頭には何の思考も残っていない。身体の上で呻き、自分の奥に欲望を解き放ったルキウスが、とびきり優しく目を細めて身体を包み込んだということだけが、はっきりと認識できる。
「こういう君を目にしていいのは、俺だけだ」
オルフィニナは荒い呼吸を整えながら、ルキウスの真鍮色の髪に触れた。
「…わたしがこんな屈辱を許すのは、あなただけだ。だから、何をそれほど心配してるか教えて欲しい」
ルキウスはフー、と息を長く吐き、オルフィニナの中から出て、サイドテーブルに置かれていた布で彼女の脚の間を拭ってやると、再び温かいその身体を腕の中に収め、首の窪みに頭を埋めた。
「…意外と情に脆い君が、敵に絆されないか心配してる」
最初はあんなに拒絶していたのに、結局自分にもこんなに可愛い姿を見せているから余計に心配なのだ。とは、言わなかった。
この予想外な返答にオルフィニナは思わず苦笑して、甘えるように頭を預けてくるルキウスの髪を撫でた。
不覚だ。あんなに手荒にされたのに、可愛いと思ってしまった。
「あなたが何のことを心配してるかはわかった」
「じゃあ、そいつの名前を口にするなよ。またひどくしそうだ」
「…不信に足る理由は?」
オルフィニナはサラサラとルキウスの髪を梳いた。奇妙なことに、この男の匂いは落ち着く。静かな冬の夜を思い出させる匂いだ。これほど五官に深く作用する匂いを、オルフィニナは他に知らない。
ルキウスは物憂げに精悍な裸体を起こし、肘をついて、隣でこちらを見つめてくるオルフィニナの赤い髪に触れた。
先ほどまで情欲に燃えていた緑色の目は、今は憂鬱そうに暗く翳っている。
「自分から敵方の親族に婿入りした。何年も音沙汰がない。家族の誰もその目的を知らない。何より、君のために何かをした形跡がない。君が奴を信じたいのは知ってる。でも‘家族だから’って理由だけだ。それだけで俺までそいつを信じようって気にはならない。どうしても君が疑えないなら、それでいい。だが俺は君を守るために、排除する。もし君に近づこうとするなら、容赦なく、全力で。それだけ理解してくれ。邪魔もするな」
オルフィニナは新鮮な驚きを持って目の前の男を見つめた。ルキウスは変わった。出会った時とは、違う。それとも、自分に何か変化があったのだろうか。いや、きっと両方だ。
「わたしたちは同じ船に乗ってる。ちゃんとわかっているよ。あなたがどれほどの気持ちで臨んでいるかも。リュカ――」
オルフィニナは両手でルキウスの手を包み、その甲にキスをした。
「頼りにしている。わたしの及ばない分は、あなたが補ってくれたらいい。伴侶なのだしな」
ルキウスはしばらく目を大きく見開いて驚いたようにオルフィニナの顔を見つめたあと、オルフィニナの手首を掴んでベッドに押しつけ、深く甘やかな口づけをした。
オルフィニナは、拒絶しなかった。触れ合う舌が、甘くまろやかな恍惚を運んでくる。
手首を掴んでいたルキウスの指がほどけて自分の指に絡まってきたとき、オルフィニナはそれを握り返した。その本質が何であれ、ルキウスがぶつけてくる感情に応えようと思った。
ぴったりと重なってきた硬い胸の奥で、早鐘のように鼓動が打っている。おかしなことに、それが伝染したように感じた。
「足りなくなった。君のせいだ」
ルキウスの顔が、耳まで染まっている。
これも伝染した。オルフィニナはざわざわと落ち着かなくなった身体の中の衝動を、再びルキウスと重なり合うことで解き放つことにした。
「ニナ」
ルキウスは驚いて扉の前に立つオルフィニナを見た。
赤い髪はひと束のゆるやかな三つ編みにして肩の前に垂らし、オリーブ色のゆったりした寝衣を着て、その上に亜麻色のガウンを纏い、手には青い陶器の酒瓶とグラスを二つ持っている。
「珍しい酒が手に入ったから、一緒にどうだ」
オルフィニナはいつものように快活に言った。
「ああ…」
ルキウスは躊躇したようにオルフィニナから視線を外し、一瞬の沈黙ののち、彼女を寝室へ招き入れた。
やはりおかしい。
いつもなら不必要なほど身体に触れてくるのに、今は一定の距離を保っている。
「折りが悪ければ出直そうか」
オルフィニナはそう言ったが、寝室の中はせいぜいソファに寝そべっていた以外の形跡はない。読みかけの本もなく、時々一人でしているらしいチェスも、今日は盤が出ていない。サイドテーブルに小さな革張りのボールが置かれているから、もしかしたらボールを天井へ投げて手慰みでもしていたかもしれない。
「…いや。大丈夫だ」
ルキウスは珍しくばつの悪さを隠すように愛想笑いを浮かべると、オルフィニナからグラスと瓶を受け取ってソファの前のテーブルに置き、杯を満たした。
「どうしてそっちに座るんだ」
と問われて、オルフィニナは小首を傾げた。オルフィニナがたった今腰を下ろしたのは、長いソファとテーブルを挟んだ向かいにある一人掛けのソファだ。長いソファの方に来て自分の隣に座れと言っているらしいことに気付くと、途端におかしくなった。自分から距離を取っておいて、側に置きたがるというのは一体どういう心境なのだろう。
オルフィニナはルキウスの隣に腰掛け、グラスを掲げてルキウスのグラスに触れ合わせた。
酒は、強い。ルキウスは喉が焼けるような強さに顔をしかめた。
「西部伝統の古酒だそうだ。強いが杏子をつけ込んでいるらしいから、少し甘いな」
「甘いという点は同意できない」
オルフィニナは微笑した。
「飲めないならわたしがもらおうか」
「ばか言え」
ルキウスはむきになってグラスの中を一気に飲み干した。オルフィニナに子供扱いされては堪らない。喉がひりひり焼けるのを我慢して咳払いをし、グラスを置いて肘をソファの背もたれに預け、身体をオルフィニナの方へ向けた。
こういう気怠げな仕草の一つ一つに、相手の胸をざわつかせる妖しさがある。
「それで、本当に酒だけ飲みに来たのか」
「まさか」
オルフィニナは首を振り、頬へ伸びてくるルキウスの指に触れて、そっと押し戻した。ルキウスは、いつもよりおとなしい。
「最近、様子が変だ。何かあるなら知っておきたい」
「様子が変って、どういうふうに?」
ルキウスには自覚がある。しかし、それを素直に認められるほどの覚悟がない。
「わたしを避けてるだろう。もし婚姻について迷いが生じたのなら、期間を見直してもいいと提案しに来た」
言いながら、オルフィニナは胸の奥に澱が溜まったような気分になった。元々そういう認識でいたはずなのに、なぜか口が重い。
ルキウスが眉間に深く皺を刻んだことには、気づかなかった。
「…例えば、わたしが女王としてアミラに戻って、あなたがここで次期国王としての立場を固めた後、この婚姻を無効にすることもできる。もちろん、アミラとエマンシュナの友好関係は継続するという前提の元だ。互いに不信感を持たせないよう、領事館を双方の王都に置いて、それぞれ高位の外交官を――」
オルフィニナは言葉を続けられなかった。ルキウスに突然手首を強く掴まれたからだ。弾みで酒が胸元を濡らし、グラスが手から離れて絨毯に落ちた。
「何を言ってる」
ルキウスの美しい貌に、怒りが滲んでいる。
「君がそうしたいだけなんじゃないのか」
「それは…」
違う。とは、即答できなかった。そうするのが正しいと思っていたからだ。だが、今は考えが変わった。いつからだったか――そう。多分、ルキウスの秘密を知った夜からだ。
(同情なのだろうか)
心の中で自問して、それだけではないと気付いたとき、オルフィニナはひどく狼狽した。
こんなつもりではなかった。ただ、簡単な提案だけして検討するよう促し、あとは友好的に酒を酌み交わして、自分の寝室に帰るはずだった。
言葉を失ったオルフィニナの顔を、ルキウスは凍りつくような思いで見た。
こういう彼女の姿は、初めて見る。いつも明瞭な言葉を発し、凛然と相手に対峙するオルフィニナが、今は罪悪感や迷いに心を揺らしている。この心情の誘因となっているものが何かなど、知りたくもない。
「…俺から離れるなんて、許さない」
ルキウスが冷たい怒りを滲ませて言葉を発した。
「あの日、言っただろ。逃げられると思うなと。君も覚悟を決めたと言ったはずだ。俺を夫にすると、今日も父の前で宣言した。初めに言った通り、俺は仮初めの関係になどする気はない。絶対に君を手放さない」
オルフィニナは、どんな顔をしてよいかわからなかった。
この感情は果たして正しいのか。そうではないかもしれない。それなのに、胸の奥が熱い。熱くて、痛い。どんな気持ちでルキウスがこんなことを言うのか知りたいと思うのは、きっと正しくない。それなのに、答えを求めている。
ところが、次にルキウスが口にした言葉は、まったく予想外のものだった。
「それとも君、他に好きな男がいる?イェルク・ゾルガとか」
「…?なぜそこでイェルクが出てくる」
オルフィニナは心底不思議に思った。そんな発想があるということさえ、考えつきもしなかった。
「初恋だろ。特別な男じゃないか、君にとって」
「別に、イェルクだけが特別というわけじゃない」
これは事実だ。しかし、ルキウスは不機嫌なままだ。
「例えば、イェルクが君を誘惑したら?」
「は?」
ますますわけがわからない。何故、ルキウス・アストルともあろう者がこんなに不安そうな顔をするのか、理解ができなかった。
「イェルク・ゾルガが君を欲しいと願ったら、君は望みを叶えるのか」
オルフィニナはぽかんとしてルキウスの心許ない表情を眺め続けた。そして、少しの沈黙ののち、ある仮説に辿り着いた。
「……まさか、嫉妬か?」
この発想には、自分でも驚いた。ただの執着ではないと、今ならはっきり分かる。執着や所有欲だけならば、こんな顔はしないだろう。ところが、もっと驚いたのは、ルキウスがそれをあっさりと認めたことだ。
「そうだ」
ルキウスは眉間に深々と皺を寄せ、オルフィニナの腰を抱き寄せた。
「嫉妬してる。悪いか?君が他の男のことを大切に想ってたら、面白くない。相手を殺したいくらいに」
心臓が跳ねた。飛び出るかと思ったほどだ。これが、オルフィニナの頭の中に更なる混乱を招いた。
「何故そんな…あなたには――わたしたちには、そんな必要はないだろう」
一瞬の出来事だった。
ルキウスがオルフィニナをソファの上に押し倒し、それを認識した時には噛み付くように唇を重ねられていた。
「‘必要’?俺が、どれだけ――」
声が怒りに震えている。
オルフィニナは小さな混乱の中、ルキウスの緑色の目を見上げた。そこに、苦悩が見える。
「くそっ…」
ルキウスは小さく悪態をついて、再びオルフィニナの唇を奪った。
「んんっ…」
舌が絡まってくる。オルフィニナも舌を伸ばし、ルキウスの舌をなぞるようにそれに応じた。混乱が続いてるせいか、それともこの行為に理性を用いないことが常習化してしまったせいかもしれない。
「こういうことを、他のやつともする?」
唇が熱く腫れ始めた頃、ルキウスがオルフィニナの唇を解放して言った。吐息が唇を舐め、肌を小さく震わせる。
「…あなたの妻でいる限り、不貞はしない」
ルキウスの目の奥が燃えている。まるで波の上の漁り火のようだ。
「じゃあ、なおさら手放せない」
ルキウスの唇がもう一度重なり、先ほどとは違う角度から舌が挿し入れられた。オルフィニナはその息苦しさに呻き、ルキウスの手のひらが肌に熱を灯しながらガウンを剥ぐのを、夜霧のように迫り来る快楽の中で許した。
「離れるなんて、許さない。絶対に」
「…っ!ルキウス――」
寝衣の胸元が下着ごと乱暴に開かれ、襟が裂けた。ルキウスの肩を押し返そうとしたが、腕を掴まれて頭上で押し付けられた。力が強い。今までの行為もルキウスの気分のままに始まることが多かったが、これほど荒っぽくされるのは、初めてだ。
自衛は簡単だ。このまま膝を蹴り上げて急所に一撃を喰らわせることなど、オルフィニナには造作もない。或いは頭突きし、或いは喉に噛み付いてこの窮地を脱することもできる。
にもかかわらずそういう気にならないのは、この男の焦燥と熱情を自分の身体で受け止めようと、心が決めてしまったからだ。
「俺以外には誰にも触らせるなよ」
ルキウスは呻くように言い、暴いたオルフィニナの柔らかな胸を手のひらで覆い、吸い付いて痕を残した。
オルフィニナの温かい肌からこぼした酒のにおいが立ちのぼり、彼女の花のような香りと混じり合ってルキウスの獣性を刺激し、失いかけた自制心を完全に破壊した。
「…っ!」
オルフィニナは痛みに歯を食い縛った。左胸に噛みつかれた。ちょうど、狼の刺青があるところだ。
「噛まないで」
オルフィニナは身をよじってルキウスの身体から逃れようとしたが、ルキウスは許さなかった。ひりつく肌に今度は舌で触れられ、オルフィニナの肌がぞくりと痺れた。
「…たしかに甘い」
舌が触れているのは酒ではない。オルフィニナの味だ。
――恋と政治は相性が悪いぞ。
ルキウスの頭の中でアルヴィーゼの声が警鐘のように響いた。
(それがどうした)
オルフィニナがいなかった頃の人生には、もう戻れない。
それなら、全身でこの女を縛り付けて、髪の一本から足の小指の爪の先まで自分のものにするしかない。離れられないように、この女の全てを手に入れるしかない。
ルキウスはじわじわと体温の上がるオルフィニナの乳房にキスをし、先端に舌で触れた。白い喉の奥で小さく上がった悲鳴に、全身の細胞が震えた。
「ニナ、声――」
固く閉じたオルフィニナの唇に親指をねじ込んで開かせると、屈辱に耐えるような目でオルフィニナが見上げてきた。睨んでいるつもりなのか、強い視線だ。身体に愉悦が奔る。そうやって、甘美な蜜色の目に自分だけ映していればいい。
「声、だして」
歪な笑みを浮かべた自覚はある。
寝衣を下着もろとも足元まで引き下ろして秘所に指を這わせると、そこは既に熱く滴っていた。
「ふ、あっ――!」
白い頬に血色を昇らせ、オルフィニナが顔を背けようとした。ルキウスは指を咥えさせたまま唇を重ねて舌を挿し入れ、身体の中心を侵すように指でつついた。内部が収縮し、舌を吸われたオルフィニナが喉の奥で高い声を上げる。
唇を解放したとき、オルフィニナの珊瑚色の唇が唾液で濡れ、恥辱のせいか、或いは快楽のせいか、頬が唇と同じくらいに赤く染まっていた。
どうしようもないほど欲望が膨れ上がり、鳩尾が苦しいほどに痛くなる。
「もう入りたい」
ルキウスが前を寛げてしなやかなオルフィニナの腿を掴むと、オルフィニナは慌ててルキウスの腕を掴んだ。が、遅かった。中心に、ルキウスの熱くなった一部が触れている。
「ちょっと、待っ――」
「無理だ」
「ああっ!」
ひと息に奥まで貫かれ、オルフィニナは声を上げた。おかしい。まだそれほど馴らされていないのに、自分の身体がそれを待ち焦がれていたように受け入れ、強い衝撃を受けた腹の奥からじわじわと快楽が広がっていく。
「…ッ、ニナ」
ルキウスの声が震え、肌が頬から耳に掛けて赤く染まっている。胸がぎゅう、と締め付けられた。ルキウスの金色の髪に手を伸ばしたのは、ほとんど無意識だ。乱れたシャツの襟から覗くルキウスの肌に、汗が浮いている。この下に触れたい欲求を自覚したとき、オルフィニナには戸惑う余裕も残されていなかった。
ルキウスが荒っぽく内部を打ち付けながら髪に触れるオルフィニナの手を掴み、指先に口付けをした。
「…もっと、俺にしか見せない顔を見せて」
オルフィニナは刻みつけられる快楽と逸る心臓を持て余し、たまらずルキウスのシャツを掴んで引き寄せ、自分から唇を重ねた。こんな衝動が自分の中にあったことを、初めて知った。
これが、ルキウスに火を点けた。
まるで嵐に見舞われたようだった。重く激しい衝撃を身体の中心に何度も受け、喉から甘ったるい嬌声が上がる。自分では律することができないほどに乱され、痛みにも似た快感が血流とともに全身を巡り、重なる体温を求めて、自分の身体の上にいるルキウスのシャツを乱雑に剥ぎ、その胸にしがみ付いた。
「いいのか?ニナ。…ッ、すごくきつくて、熱い…」
「――ッ、ん、はっ…、ルキウス」
「‘リュカ’だ」
「リュカ…!あっ――」
激しい律動の末に最奥部を強く突かれた時、オルフィニナの身体の奥が震えて真っ白な嵐が襲ってきた。
自分の身体の中心が溶けそうなほどに熱くなってルキウスを包み、痙攣している。
「まだだ、ニナ。もっと」
繋がったまま、耳に直接響く距離でルキウスが囁いた。
「んぁっ…」
中からルキウスが出ていく感覚さえ、刺激になる。熱だけが残された一瞬の喪失感にオルフィニナが呻くと、ルキウスは呼吸を荒くしながらまとわりついていたズボンや下着をソファの下に脱ぎ捨ててオルフィニナの膝を掴み、肩に担いで、もう一度その奥を貫いた。
「ああ!」
身体の一番奥にルキウスがいる。
まるで獣だと思った。ルキウスだけではなく、この甘く激流のように強烈な快楽を求めている自分自身も、間違いなく獣だ。こんなに恥ずかしくて無防備な姿を知っている人間なんて、この男一人だけでじゅうぶんだ。
「はッ、ニナ…」
ルキウスの眉が快楽に歪み、海のような緑色の目が、苦悶するように細まる。額に浮く汗の一粒でさえ、この男の美貌を際立たせるようだ。
腹の奥が熱い。ルキウスが上擦った声で名前を呼ぶ度、身体の内側が締め付けられて不可解な衝動が体内を奔り、更に奥までこの熱を飲み込もうとするように心が軋む。ルキウスの手に胸を覆われ、胸の先端を優しく撫でられると、繋がった部分が更に熱を持ってひくひくと疼いた。またしても頭に靄が掛かって、何も考えられなくなる。
「あっ、あ…、リュカ、もう――」
「いい。いけよ」
びく!と身体が跳ねた。爪が食い込むほど強くルキウスの腕にしがみつき、意識が頭の外に放り出される感覚を恍惚のなかで味わった。脚がルキウスの肩から下ろされたと思った瞬間、今度は腰を掴まれ、強烈な刺激を胎内に受けた。
「あっ!や…待って、まだ――」
オルフィニナが激しすぎる快楽に身体を震わせてルキウスの肩を掴んだ時、耳まで赤く染め、懊悩するようなルキウスの目に捕らえられた。
「悪い、ニナ。無理だ」
「えっ、あ――!」
激しい嵐のような口付けが降ってきた。身体は繋がったまま熱が増し、ますます強く内側を貫かれ、呼吸もままならないほどに乱された。
乱れているのは、ルキウスも同じだ。獣のように荒い呼吸を繰り返し、甘い吐息でオルフィニナの唇を濡らしながら、溶け合って境界もわからなくなった肌を貪り続けた。
「あーくそ。いい…ニナ。俺のニナ」
「んん!」
窒息するかと思うほどの力で抱き締められ、部屋中に音が響くほどに強く律動を繰り返されて、もう一度オルフィニナは真っ白な絶頂に身を委ねた。鋭すぎる快感のせいで、頭には何の思考も残っていない。身体の上で呻き、自分の奥に欲望を解き放ったルキウスが、とびきり優しく目を細めて身体を包み込んだということだけが、はっきりと認識できる。
「こういう君を目にしていいのは、俺だけだ」
オルフィニナは荒い呼吸を整えながら、ルキウスの真鍮色の髪に触れた。
「…わたしがこんな屈辱を許すのは、あなただけだ。だから、何をそれほど心配してるか教えて欲しい」
ルキウスはフー、と息を長く吐き、オルフィニナの中から出て、サイドテーブルに置かれていた布で彼女の脚の間を拭ってやると、再び温かいその身体を腕の中に収め、首の窪みに頭を埋めた。
「…意外と情に脆い君が、敵に絆されないか心配してる」
最初はあんなに拒絶していたのに、結局自分にもこんなに可愛い姿を見せているから余計に心配なのだ。とは、言わなかった。
この予想外な返答にオルフィニナは思わず苦笑して、甘えるように頭を預けてくるルキウスの髪を撫でた。
不覚だ。あんなに手荒にされたのに、可愛いと思ってしまった。
「あなたが何のことを心配してるかはわかった」
「じゃあ、そいつの名前を口にするなよ。またひどくしそうだ」
「…不信に足る理由は?」
オルフィニナはサラサラとルキウスの髪を梳いた。奇妙なことに、この男の匂いは落ち着く。静かな冬の夜を思い出させる匂いだ。これほど五官に深く作用する匂いを、オルフィニナは他に知らない。
ルキウスは物憂げに精悍な裸体を起こし、肘をついて、隣でこちらを見つめてくるオルフィニナの赤い髪に触れた。
先ほどまで情欲に燃えていた緑色の目は、今は憂鬱そうに暗く翳っている。
「自分から敵方の親族に婿入りした。何年も音沙汰がない。家族の誰もその目的を知らない。何より、君のために何かをした形跡がない。君が奴を信じたいのは知ってる。でも‘家族だから’って理由だけだ。それだけで俺までそいつを信じようって気にはならない。どうしても君が疑えないなら、それでいい。だが俺は君を守るために、排除する。もし君に近づこうとするなら、容赦なく、全力で。それだけ理解してくれ。邪魔もするな」
オルフィニナは新鮮な驚きを持って目の前の男を見つめた。ルキウスは変わった。出会った時とは、違う。それとも、自分に何か変化があったのだろうか。いや、きっと両方だ。
「わたしたちは同じ船に乗ってる。ちゃんとわかっているよ。あなたがどれほどの気持ちで臨んでいるかも。リュカ――」
オルフィニナは両手でルキウスの手を包み、その甲にキスをした。
「頼りにしている。わたしの及ばない分は、あなたが補ってくれたらいい。伴侶なのだしな」
ルキウスはしばらく目を大きく見開いて驚いたようにオルフィニナの顔を見つめたあと、オルフィニナの手首を掴んでベッドに押しつけ、深く甘やかな口づけをした。
オルフィニナは、拒絶しなかった。触れ合う舌が、甘くまろやかな恍惚を運んでくる。
手首を掴んでいたルキウスの指がほどけて自分の指に絡まってきたとき、オルフィニナはそれを握り返した。その本質が何であれ、ルキウスがぶつけてくる感情に応えようと思った。
ぴったりと重なってきた硬い胸の奥で、早鐘のように鼓動が打っている。おかしなことに、それが伝染したように感じた。
「足りなくなった。君のせいだ」
ルキウスの顔が、耳まで染まっている。
これも伝染した。オルフィニナはざわざわと落ち着かなくなった身体の中の衝動を、再びルキウスと重なり合うことで解き放つことにした。
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