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42 家族の幻影 - la famille parfaite -
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夜半、ルキウスは目を開けた。何か異質な気配を感じたからだ。ちらりと隣に顔を向けると、オルフィニナが長い睫毛を伏せ、赤い髪で頬を隠しながら寝息を立てている。動き出す気配はない。そのはずだ。今夜はかなり無理をさせてしまった。
ぼんやりと意識が再びまどろみに沈もうとする中で、ふと彼女の嬌態を思い出した。
深く触れる度に激しさを増す甘い息遣い、暗闇に昇る体温、熱く柔らかい内側に迎え入れられたときの、血が沸騰するような興奮――五感に触れた彼女の全てが蘇ると、全身に血流が押し寄せ、不思議なほど胸が苦しくなる。
そういう無様な自分を滑稽に思いながら、ルキウスは彼女の頬から髪を避け、頬に触れようとした。――この時、異質な気配の正体に気付いた。
アドラーがいる。
クインはベッドの側のソファに脚を組んで微動だにせず、闇に溶けるように座っていた。
何をしている。と声を出す前に、クインがシッと指を口に当て、扉の方を視線で指した。外に出ろという合図だ。声を立てないようにしているのは、微かな気配でオルフィニナが目を覚ますからだろう。
ルキウスは身体を起こし、オルフィニナの匂いが残る裸体にガウンを羽織って音もなくベッドから下りた。
「殺しに来たのか」
部屋の外へ出ると、ルキウスは不敵に笑って軽薄に言った。半分は冗談、半分は本気だ。クインにはその動機が十分にあっても、オルフィニナが望まないことはしない。しかし、その均衡が崩れないという保証はない。
「殺しに来たなら起きるのを待ちません」
クインは抑揚のない声で答えた。
「どうかな。君は憎い相手を殺す時には死にゆく相手の目を見たい質じゃないのか」
「そんな無駄はしない。確実な仕事がしにくくなりますから」
クインは嘲るように言った。
「だが、そういう男を知ってます」
「その男の話を聞かせてくれるのか?」
ルキウスは腕を組んでクインの暗い目を見た。わざわざオルフィニナの寝入った折を選び、衛兵の交代や見回りの時間を把握した上で忍んで来たということは、オルフィニナに聞かせたくない話なのだろう。
「いいだろう。書斎で聞く」
同じ階の書斎に入って燭台に火を灯し、ルキウスはソファに腰を下ろした。
クインは着座を促されても立ったままでいる。ルキウスが不遜に笑んで脚を組むと、クインは口を開いた。
「イェルク・ゾルガのことは?」
オルフィニナからどこまで聞いているのかと訊ねているのだ。
「もう一人のアドラーか。君の兄で、ニナの初恋だろ」
ルキウスは面白くなさそうに答えた。
「そうです」
冷淡に言いながら、クインは内心で少々驚いていた。オルフィニナがルキウスに初恋の話までしていると思わなかった。
(いや、悟られたのか)
だとすれば、ルキウスの観察眼はかなり優れている。子供の頃オルフィニナがイェルクに淡い恋心を抱いていたことを知っているのは、常に彼女のいちばん近くにいたクインとエミリアだけだった。他は誰一人として気付かなかったことだ。
もっと驚くべきことは、あの警戒心の強いオルフィニナがルキウスと同じベッドで熟睡していることだ。
自分自身やエデン以外の気配があれば、オルフィニナは寝入っていたとしても目を覚ます。寝ている間でさえ気を抜けない環境に長く身を置きすぎたために、誰かと一緒に寝るのは苦手なはずだ。そのオルフィニナが、ルキウスだけは無防備な自分のそばにいることを許している。
ビルギッテの言葉が思い出される。自分が守るのと同じくらい自分を守ってくれる存在を見つけたのだという彼女の主張は、全くもって気に入らないが、冷静に考えれば理に適っているように思えた。
クインは重い口を開いた。まるで鉛を飲んだようだ。
「…イェルクは指環を手に入れるためにニナに近付こうとするはずです。あなたからニナに警告してください」
「…何?」
意外な申し出だ。ルキウスは眉を寄せた。
「ニナのためなら喜んでするが、なぜ君がしない。君や姉君の方がイェルクについてよく知ってるだろ」
「そうです。だからこそニナはイェルクが裏切ったという俺の言葉を信じない。あいつは子供の時と同じようにイェルクを信じてる」
ルキウスはフン、と鼻を鳴らした。まったく、心底面白くない。
「愛してるからか」
「家族だからです」
クインは冷淡に言った。
「矛盾してる。ニナは、ベルンシュタインでは王命があれば家族でも殺すよう訓練されると言っていた。フレデガルが王位を僭称した結果、それを王命として従う者がいるだろうとも。彼女はイェルクが自分の命を狙う可能性も考えているはずだ」
「あんたはわかってない」
クインは苛立ちを隠さなかった。ルキウスの目が剣呑に光り、敵意を見せ始める。
「ベルンシュタインは、王命なら例え自分の家族でも離反者や王国政府に害となる存在は始末しなければならない。その通りです。当然ニナも理屈として理解してる。問題は、ニナがイェルクを、‘女王’である自分に害をなすものだと認識できないことだ」
「認識‘できない’という表現は適切か?」
ルキウスは不愉快さを隠さなかった。騎士であるクインが主君であるオルフィニナにその能力がないような言い方をするのは、聞き流すことができない。
「今日紛れ込んでいたネズミがイェルクの配下だったと言っても、その行為に敵意があるとは思わないはずです。理に適っていないが、断言できる」
「イェルク・ゾルガが自分よりもフレデガルを王として選ぶはずがないと、ニナは信じ切ってるって?」
「…認めたくないが俺やエミからでは無理です。ニナにもイェルクにも近すぎる。だがあなたの警告は客観的意見として冷静に聞くかもしれない」
苦虫を潰したようなクインの顔を、ルキウスは不思議な思いで見た。
なんと、クイン・アドラーが懇願している。
(この男がわざわざ俺に頼みに来るとは――)
相当に不本意なはずだ。よほどの事態であることがわかる。
「イェルクは初恋とか兄とか言う前に、ニナにとっては三人目の父親みたいなものです。あいつは合理的なようでいて、実はそうでもない。家族という絶対的な存在を、自分の中で知らず知らずのうちに枷にしてる。俺も、エミも、枷の一つだ」
「…残酷なことだな」
ルキウスはオルフィニナの半生を思った。
心の拠り所だったのだ。
母親は幼い頃に死に、顔も覚えていない。完全な血のつながりを持つ兄弟はなく、父親は国王。それなのに自分は王族ではない。養家は世間からは隠されている組織で、養女としては愛してもらえても、王の娘だから本当の意味では家族の一員にしてもらえない。自分を形作る全ての欠片が歪で、どんなに懸命に組み合わせたとしても、完璧な形になることはない。
孤独だったはずだ。そして、家族としての愛を示してくれる人たちには、その孤独を徹底的に隠そうとしたのだろう。彼らの愛情に報いるために。――オルフィニナの考えそうなことだ。
だからこそ家族というものに対して常に完璧であるという幻想を見、そこに存在して然るべき揺るぎない愛と忠誠を信じて疑わないのかも知れない。
左胸の刺青は、孤独を抱え続けた彼女のいじらしい思いの行き着いた先だ。現実はどうあれ、自分の心だけは完璧な家族の一部であろうとしたのだ。
憐憫にも、共感にも似た感情がルキウスの胸に迫った。胸が痛くなるほどの、何か不可解で強烈な感情だった。感じたことがないから、これを何と呼ぶべきかわからない。
ただ、無性に彼女を抱きしめたくなった。
「アドラー」
ルキウスは騎士の目を見た。
「君の忠告に感謝する」
クインの目から敵意が消えた。よほど驚いたのだろう。しばらく言葉を繋げずに無言で目を見開き、こちらを見続けていた。
ルキウスは溜め息をついた。この男とは理解し合えないかも知れないが、少なくとも認識を合わせておく必要はある。
「…これだけ言っておく。俺は立場も弁えずニナに劣情を抱く君が心底嫌いだ。だが、だからと言って敵じゃない。ニナのためになることなら君に感謝もするし、頼みも聞く。それに、君は使える。ニナの騎士としても秘書としても有能だ。そういうところは評価してる」
「そうかよ」
クインは慇懃な態度も忘れて鼻で笑った。
「あんたも大概だ」
「お互い様だ」
ルキウスは権高な調子で笑った。
「さて、アドラー。イェルク・ゾルガがニナに接触を試みるとして、どういう手段で来る想定か聞いておきたい」
クインは無言で顎を引き、向かいのソファに腰を下ろした。
「んん…」
オルフィニナは自分の唸り声でふと意識を取り戻した。
まだ辺りは暗い。
「…くるしい」
自分が唸り声をあげた原因が背中にぴったりくっついて、太い腕を身体に巻き付けている。
「このまま」
ルキウスが耳元で低く囁いた。
オルフィニナはルキウスの腕の中でもぞもぞ動いてルキウスの方へ身体を向けた。ルキウスの麝香に似た匂いが鼻腔に満ち、再び眠りの中に意識を包み込もうとしている。
「いやだ。もう、できない…」
「ふ。そういうんじゃない。残念だけど」
ルキウスは笑った。オルフィニナが温かい身体をこちらに預けて、目蓋を閉じたままぼんやりと言葉を発している。
(かわいい)
よく考えたら不思議な感情だ。自分よりも年上の、しかも女王になろうというこの女傑をどんな存在よりも可愛いと思うなんて、おかしいだろうか。
「じゃあ、何?」
半分眠っているような声でオルフィニナが訊ねた。柔らかい髪が、肌をくすぐる。
ルキウスはますます強くオルフィニナを腕の中に閉じ込めると、額に羽が触れるようなキスをした。今までにこんな感情を抱いたことはない。
「ニナ、これからは俺がいる」
「さっき聞いたよ…」
まどろみに沈んでいく声で小さく言い、オルフィニナは再び寝息を立て始めた。
「さっきとは違う。俺は、君を――」
その続きは、オルフィニナの耳には届かなかった。
口に出したあとで、ルキウスはひどく動揺した。滑稽だ。自分で自分が理解できなくなる。なぜ陳腐で、曖昧で、恥ずべき言葉を彼女に告げようとしたのか。眠ってしまったのが幸いだ。無様な自分を見られなくて済む。
(これでいい)
ルキウスは穏やかな寝息を立てるオルフィニナの身体を抱き締め、小さく呟いた。
「君は知らなくていい」
意識が、闇に溶けていく。
ぼんやりと意識が再びまどろみに沈もうとする中で、ふと彼女の嬌態を思い出した。
深く触れる度に激しさを増す甘い息遣い、暗闇に昇る体温、熱く柔らかい内側に迎え入れられたときの、血が沸騰するような興奮――五感に触れた彼女の全てが蘇ると、全身に血流が押し寄せ、不思議なほど胸が苦しくなる。
そういう無様な自分を滑稽に思いながら、ルキウスは彼女の頬から髪を避け、頬に触れようとした。――この時、異質な気配の正体に気付いた。
アドラーがいる。
クインはベッドの側のソファに脚を組んで微動だにせず、闇に溶けるように座っていた。
何をしている。と声を出す前に、クインがシッと指を口に当て、扉の方を視線で指した。外に出ろという合図だ。声を立てないようにしているのは、微かな気配でオルフィニナが目を覚ますからだろう。
ルキウスは身体を起こし、オルフィニナの匂いが残る裸体にガウンを羽織って音もなくベッドから下りた。
「殺しに来たのか」
部屋の外へ出ると、ルキウスは不敵に笑って軽薄に言った。半分は冗談、半分は本気だ。クインにはその動機が十分にあっても、オルフィニナが望まないことはしない。しかし、その均衡が崩れないという保証はない。
「殺しに来たなら起きるのを待ちません」
クインは抑揚のない声で答えた。
「どうかな。君は憎い相手を殺す時には死にゆく相手の目を見たい質じゃないのか」
「そんな無駄はしない。確実な仕事がしにくくなりますから」
クインは嘲るように言った。
「だが、そういう男を知ってます」
「その男の話を聞かせてくれるのか?」
ルキウスは腕を組んでクインの暗い目を見た。わざわざオルフィニナの寝入った折を選び、衛兵の交代や見回りの時間を把握した上で忍んで来たということは、オルフィニナに聞かせたくない話なのだろう。
「いいだろう。書斎で聞く」
同じ階の書斎に入って燭台に火を灯し、ルキウスはソファに腰を下ろした。
クインは着座を促されても立ったままでいる。ルキウスが不遜に笑んで脚を組むと、クインは口を開いた。
「イェルク・ゾルガのことは?」
オルフィニナからどこまで聞いているのかと訊ねているのだ。
「もう一人のアドラーか。君の兄で、ニナの初恋だろ」
ルキウスは面白くなさそうに答えた。
「そうです」
冷淡に言いながら、クインは内心で少々驚いていた。オルフィニナがルキウスに初恋の話までしていると思わなかった。
(いや、悟られたのか)
だとすれば、ルキウスの観察眼はかなり優れている。子供の頃オルフィニナがイェルクに淡い恋心を抱いていたことを知っているのは、常に彼女のいちばん近くにいたクインとエミリアだけだった。他は誰一人として気付かなかったことだ。
もっと驚くべきことは、あの警戒心の強いオルフィニナがルキウスと同じベッドで熟睡していることだ。
自分自身やエデン以外の気配があれば、オルフィニナは寝入っていたとしても目を覚ます。寝ている間でさえ気を抜けない環境に長く身を置きすぎたために、誰かと一緒に寝るのは苦手なはずだ。そのオルフィニナが、ルキウスだけは無防備な自分のそばにいることを許している。
ビルギッテの言葉が思い出される。自分が守るのと同じくらい自分を守ってくれる存在を見つけたのだという彼女の主張は、全くもって気に入らないが、冷静に考えれば理に適っているように思えた。
クインは重い口を開いた。まるで鉛を飲んだようだ。
「…イェルクは指環を手に入れるためにニナに近付こうとするはずです。あなたからニナに警告してください」
「…何?」
意外な申し出だ。ルキウスは眉を寄せた。
「ニナのためなら喜んでするが、なぜ君がしない。君や姉君の方がイェルクについてよく知ってるだろ」
「そうです。だからこそニナはイェルクが裏切ったという俺の言葉を信じない。あいつは子供の時と同じようにイェルクを信じてる」
ルキウスはフン、と鼻を鳴らした。まったく、心底面白くない。
「愛してるからか」
「家族だからです」
クインは冷淡に言った。
「矛盾してる。ニナは、ベルンシュタインでは王命があれば家族でも殺すよう訓練されると言っていた。フレデガルが王位を僭称した結果、それを王命として従う者がいるだろうとも。彼女はイェルクが自分の命を狙う可能性も考えているはずだ」
「あんたはわかってない」
クインは苛立ちを隠さなかった。ルキウスの目が剣呑に光り、敵意を見せ始める。
「ベルンシュタインは、王命なら例え自分の家族でも離反者や王国政府に害となる存在は始末しなければならない。その通りです。当然ニナも理屈として理解してる。問題は、ニナがイェルクを、‘女王’である自分に害をなすものだと認識できないことだ」
「認識‘できない’という表現は適切か?」
ルキウスは不愉快さを隠さなかった。騎士であるクインが主君であるオルフィニナにその能力がないような言い方をするのは、聞き流すことができない。
「今日紛れ込んでいたネズミがイェルクの配下だったと言っても、その行為に敵意があるとは思わないはずです。理に適っていないが、断言できる」
「イェルク・ゾルガが自分よりもフレデガルを王として選ぶはずがないと、ニナは信じ切ってるって?」
「…認めたくないが俺やエミからでは無理です。ニナにもイェルクにも近すぎる。だがあなたの警告は客観的意見として冷静に聞くかもしれない」
苦虫を潰したようなクインの顔を、ルキウスは不思議な思いで見た。
なんと、クイン・アドラーが懇願している。
(この男がわざわざ俺に頼みに来るとは――)
相当に不本意なはずだ。よほどの事態であることがわかる。
「イェルクは初恋とか兄とか言う前に、ニナにとっては三人目の父親みたいなものです。あいつは合理的なようでいて、実はそうでもない。家族という絶対的な存在を、自分の中で知らず知らずのうちに枷にしてる。俺も、エミも、枷の一つだ」
「…残酷なことだな」
ルキウスはオルフィニナの半生を思った。
心の拠り所だったのだ。
母親は幼い頃に死に、顔も覚えていない。完全な血のつながりを持つ兄弟はなく、父親は国王。それなのに自分は王族ではない。養家は世間からは隠されている組織で、養女としては愛してもらえても、王の娘だから本当の意味では家族の一員にしてもらえない。自分を形作る全ての欠片が歪で、どんなに懸命に組み合わせたとしても、完璧な形になることはない。
孤独だったはずだ。そして、家族としての愛を示してくれる人たちには、その孤独を徹底的に隠そうとしたのだろう。彼らの愛情に報いるために。――オルフィニナの考えそうなことだ。
だからこそ家族というものに対して常に完璧であるという幻想を見、そこに存在して然るべき揺るぎない愛と忠誠を信じて疑わないのかも知れない。
左胸の刺青は、孤独を抱え続けた彼女のいじらしい思いの行き着いた先だ。現実はどうあれ、自分の心だけは完璧な家族の一部であろうとしたのだ。
憐憫にも、共感にも似た感情がルキウスの胸に迫った。胸が痛くなるほどの、何か不可解で強烈な感情だった。感じたことがないから、これを何と呼ぶべきかわからない。
ただ、無性に彼女を抱きしめたくなった。
「アドラー」
ルキウスは騎士の目を見た。
「君の忠告に感謝する」
クインの目から敵意が消えた。よほど驚いたのだろう。しばらく言葉を繋げずに無言で目を見開き、こちらを見続けていた。
ルキウスは溜め息をついた。この男とは理解し合えないかも知れないが、少なくとも認識を合わせておく必要はある。
「…これだけ言っておく。俺は立場も弁えずニナに劣情を抱く君が心底嫌いだ。だが、だからと言って敵じゃない。ニナのためになることなら君に感謝もするし、頼みも聞く。それに、君は使える。ニナの騎士としても秘書としても有能だ。そういうところは評価してる」
「そうかよ」
クインは慇懃な態度も忘れて鼻で笑った。
「あんたも大概だ」
「お互い様だ」
ルキウスは権高な調子で笑った。
「さて、アドラー。イェルク・ゾルガがニナに接触を試みるとして、どういう手段で来る想定か聞いておきたい」
クインは無言で顎を引き、向かいのソファに腰を下ろした。
「んん…」
オルフィニナは自分の唸り声でふと意識を取り戻した。
まだ辺りは暗い。
「…くるしい」
自分が唸り声をあげた原因が背中にぴったりくっついて、太い腕を身体に巻き付けている。
「このまま」
ルキウスが耳元で低く囁いた。
オルフィニナはルキウスの腕の中でもぞもぞ動いてルキウスの方へ身体を向けた。ルキウスの麝香に似た匂いが鼻腔に満ち、再び眠りの中に意識を包み込もうとしている。
「いやだ。もう、できない…」
「ふ。そういうんじゃない。残念だけど」
ルキウスは笑った。オルフィニナが温かい身体をこちらに預けて、目蓋を閉じたままぼんやりと言葉を発している。
(かわいい)
よく考えたら不思議な感情だ。自分よりも年上の、しかも女王になろうというこの女傑をどんな存在よりも可愛いと思うなんて、おかしいだろうか。
「じゃあ、何?」
半分眠っているような声でオルフィニナが訊ねた。柔らかい髪が、肌をくすぐる。
ルキウスはますます強くオルフィニナを腕の中に閉じ込めると、額に羽が触れるようなキスをした。今までにこんな感情を抱いたことはない。
「ニナ、これからは俺がいる」
「さっき聞いたよ…」
まどろみに沈んでいく声で小さく言い、オルフィニナは再び寝息を立て始めた。
「さっきとは違う。俺は、君を――」
その続きは、オルフィニナの耳には届かなかった。
口に出したあとで、ルキウスはひどく動揺した。滑稽だ。自分で自分が理解できなくなる。なぜ陳腐で、曖昧で、恥ずべき言葉を彼女に告げようとしたのか。眠ってしまったのが幸いだ。無様な自分を見られなくて済む。
(これでいい)
ルキウスは穏やかな寝息を立てるオルフィニナの身体を抱き締め、小さく呟いた。
「君は知らなくていい」
意識が、闇に溶けていく。
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