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第12話 小さな闖入者

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「泥棒?」
 シオンは思わず訊き返した。

「いえ、さすがに泥棒ではないと思うのですが……」
「でも、なくなってるんでしょう。いろいろと──また」
 シオンがそう言うと、ハンナは眉をひそめる。
「あんなことがあった後だし、それが本当ならまた陛下の機嫌を損ねることになりかねないなぁ」

 あんなこと──皇女暗殺未遂事件。正式なお披露目が済んでいない皇女が暗殺されかけたということで、皇室はこの件に箝口令を敷いていた。このことが公になれば醜聞のネタになると考えた結果らしい。
 それ以来、皇宮にはピリピリとした空気が漂っており、皇太子の誕生パーティーも間近に迫っていることから、さらに緊迫感が増している。

 そんな大事な時期に、プレーゴ宮では紛失事件が発生していた。シオンの持ち物がなくなるのはこれで二度目だった。一度目は本宮の使用人が起こした窃盗で、シオン自らが解決したことで彼女の皇女としての立場を決定付けるきっかけとなった。
 そんなことがあったので、プレーゴ宮で働く使用人が窃盗を行うとは考えづらい。しかも暗殺未遂があった直後で、警戒が高まっているところでわざわざ犯行に及ぶだろうか。
 だとしても、このことが陛下の耳に入れば、確実に機嫌を損ねることになるだろう。ハンナとシャーリーンは気まずそうに顔を見合わせた。

「詳しく聞かせてもらえる?」
 このことをリチャードに報告しなければならない彼女たちが不憫に思えてきたシオンは、誕生パーティーまでに暗記しようとしていた貴族名簿をテーブルに置いて侍女たちのほうに身体を向けた。

 異変に気づいたのは二日前の夜のことだった。プレーゴ宮の料理長であるサイラスが翌日の仕込みをしようとしたときである。保管庫に置いてあったパンや果物が減っていたという。床に食べかすが残っていたので、ネズミか何かだと思った。
 その次の日、ハンナは宮殿を掃除していた使用人から報告を受けた。食堂とそこに通じる廊下に飾られていた装飾品や備品がいくつかなくなっていると。金のチェーンだったり、取り外しができる部品であったり。サイラスも再びキッチンを確認したところカトラリーの一部がなくなっていると主張してきた。厨房の使用人に確認したが、誰も心当たりがないと言う。
 そして、今朝。シオンの衣裳室に仕舞われていたアクセサリーがなくなった。どれも陛下直々に贈られたものである。リチャードから贈られていないものなど、この宮殿にはほとんどないのだが。

「泥棒にしては規模が小さい」
「でも、価値があります。特に陛下から贈られたアクセサリーは」
 シャーリーンは興奮気味だった。確かに、売りに出せばそれなりの金額になるだろう。だが、それなら初めから宮殿の装飾品や備品ではなくアクセサリーを狙えばいい。それに一連の紛失事件が同一犯によるものなら、犯人は一昨日からこの宮殿に潜んでいることになる。奥まった場所とはいえ、警備が厳重な皇宮に入り込んで潜伏し続けているとは考えづらい。

「フィリックスはどう思う?」
 シオンは扉の近くで待機している赤毛の護衛騎士に訊いた。
「何者かが侵入していたとして、今日までそれに誰も気づかないというのは考えづらいでしょう」
 彼もシオンと同じ考えらしい。
 フィリックスが護衛に就いてから数日が経つが、常に誰かが自分を守っていてくれることにシオンはまだ慣れていなかった。彼のことをもっとよく知ろうと声をかけたりするが、向こうが異性と話すことに慣れていないらしく、また立場的な関係から会話が盛り上がることはなかった。

「とりあえず、なくなった物があった場所を見て回ってみようか」
 シオンはハンナとシャーリーン、そしてフィリックスを連れてキッチンに向かった。キッチンに入ると、料理人たちが驚いて作業の手を止めた。
「皇女様?!」
 料理長であるサイラスが声をあげる。
「皇女様の前で大きな声を出さないの、サイラス!」
 すぐさまハンナの叱咤が飛ぶ。サイラスは亀のように首を引っ込めて、
「ごめんよ、母上」
 と控えめな声で言った。
 ハンナは侍女長であるとともに、アルドナ前伯爵夫人という肩書を持っていた。彼女には三人の息子がおり、早いうちに長男が家督を継いだことで、彼女は皇宮の仕事に専念しているのであった。そんな彼女からお叱りを受けたサイラスは、アルドナ伯爵家の三男坊、つまりハンナの息子なのである。
 紹介されたときは驚いたが、どことなくハンナと似た雰囲気を持つサイラスに、シオンは信頼を置いていた。

「仕事の邪魔をしてごめんなさい。備品がなくなったと聞いて、様子を見に来たんだけど……」
「そんなことで、わざわざ……」
 手を煩わせてしまい申し訳ないというように、サイラスは腰を低くする。
「一応、プレーゴ宮の主だからね。みんなが心配してることは、他人事じゃない」
 そういうことなら、とサイラスはなくなったカトラリーが仕舞ってあった棚を開ける。
「ティースプーンなんかの他に、テーブル飾りがいくつか見当たらないんです」
 続いて、保管庫を見る。多くの食料が保管されていた。これまでシオンが見たことのない量のパンや肉、作物の数々。これだけあったら、貧民街の人間がどれだけ食うに困らずにいられるのだろう、と考えてしまう。

「床に食べかすが落ちていたそうだけど」
「はい。パン屑とか果物の種が」
「けど、扉を閉めてしまえばネズミ一匹通る隙間もない。換気口には網が取り付けられていて、壊れている様子もない」
 ふむ、と顎に手を当てながらシオンはキッチンを一通り観察する。
 次に、廊下を調べることにした。夜間に廊下を照らす燭台の装飾が外されていた。しかし飾られている絵画などの美術品には一切手を触れた様子がない。

 最後に、シオンの衣裳室に向かった。アクセサリーが入っていたのは、備え付けのキャビネットである。どれも豪華で煌びやかに見えるため、シオンには価値の違いがよく判らなかった。価値が高いものはシャーリーンの手によって鍵付きの棚に仕舞われており、なくなったアクセサリーは鍵の付いていない棚に入っていた物で、安くはないが使い勝手の良いものばかりであった。
「泥棒の線は薄い気がする」
「そうですね。窃盗が目的なら、これくらいの鍵は壊すでしょう」
 シオンの言葉に、フィリックスも同意する。

 しかし、それなら目的は何なのか。誰が、何のために、こんなことをしたのだろうか。
 すぐに答えは出ないので、考えながら書斎に戻った。
「あれ?」
 いつも持ち歩いている時計がないことに気づいた。母親の遺品である懐中時計である。貧民街の家から持ってきた数少ない私物だった。
 ──あ、机に置きっぱなしだった。
 そう思って、机に目を向けたときだった。

「え?」

 懐中時計は確かに机の上にあった。そして、そこには毛むくじゃらの小動物もいた。
 それはネズミのようなモグラのような姿で、カモノハシのような嘴を持っている。小さな手で時計を持ち上げ、ふわふわとした腹に抱え込もうとしている。

「ニフラー?!」

 シオンは思わず声をあげる。それに驚いた小動物は慌てて時計を腹部に入れると、机から飛び降りた。懐中時計はその小動物より一回り小さいくらいで、抱えて走るには大き過ぎる。しかし、小動物は何事もないかのように扉に向かって駆け出した。
 扉は閉じられている。だが、その下のわずかな隙間に吸い込まれるように入り込んでいく。侍女も護衛騎士も目を丸くした。
 なるほど、これなら食糧保管庫の換気口の網も、キャビネットのほんのわずかな隙間も通り抜けられるだろう。

「あれは一体……」
「魔法動物のニフラーだよ」

 魔法動物とは、野生に生息している通常の動物とは異なる生態系を持つ生き物である。魔力を持ち、そのぶん知能も高いとされている。
 ニフラーはカモノハシのような口に黒いふわふわの体毛が特徴の魔法動物で、輝くものに惹かれる特性を持っており、腹部の袋に見つけた光物を入れて運ぶ。魔法動物ということもあり、そこには見た目以上に多くの物を入れることができるという。
「けど、彼らの生息地はもっと北のほうだったはず。どうして皇宮に?」
 そんなことを考えているうちに、ニフラーはどこかへ行ってしまう。シオンは懐中時計を取り戻すために書斎を飛び出した。ニフラーは廊下を駆けていく。今日は軽装で良かった、と思いながらシオンは後を追う。

 向かった先はキッチンだった。再び現れたシオンに、料理人たちは目を丸くする。
「今、ここにニフラーがやって来たはずなんだけど、見なかった?」
 シオンが訊ねる。さあ? と皆は首を傾げた。
「他のところに逃げたのでしょうか?」
 フィリックスは言う。そんなはずは、とシオンは周囲に目を凝らす。

「あれ?」
 わずかに魔力を感じた。先ほどキッチンを訪れたときには感じなかったが、今は微かながら魔力がこの空間に漂っていた。
 この宮殿はシオンの母親が生まれ育った場所であり、宮廷魔術師であった祖父のものであった。だから、宮殿に魔術的な仕掛けや魔力の痕跡があったとしても不思議ではない。
 だが、感じたのは、たった今である。数十分前に訪れたときにはまるで感じなかった。

 ──発動条件のある仕掛けか?
 あらかじめ魔術を施行するための仕掛けが施されていて、何かしらの条件が揃ったときに発動する。そういう魔術的な仕掛けが、このキッチンにあるのだろうか。
 シオンは漂う魔力を辿る。
 仄かに薫る程度で、集中しなければならない。
 保管庫のすぐ隣、一番奥の壁からだった。シオンはそっと壁に触れてみる。 

「わっ?!」

 伸ばした手が、壁をすり抜ける。そして、そのまま勢いに任せてシオンは壁の向こうに倒れた。
「……外?」
 顔をあげると、目の前に庭園が広がっていた。振り返ってみると、何事もなかったかのように宮殿の外壁がそびえている。
「隠し扉みたいなものかな?」
 作ったのは母親か。それとも祖父か。そもそも何故キッチンの隅の壁にこんな仕掛けを作ったのか。もしかしたら、宮殿の中には他にも仕掛けがあるのだろうか。
 シオンはもう一度、壁に手をつく。すると、身体は再び壁を通り抜け、キッチンに戻ってきた。

「オラシオン様!」
 フィリックスとシャーリーンが声を上げる。ハンナとサイラスは目を丸くし、他の使用人たちも何があったのかと集まっていた。
「これは一体……」
「おそらく、魔力に反応して通り抜けることができる隠し扉みたいなものだと思う。ニフラーはきっと、ここから入ってきたんだろうね」
「こんなものがあったなんて」
 この場所に滞在している時間が長い料理人たちは、まったく気がつかなかったと呆気に取られる。

「ニフラーは外に逃げてしまったんですか?」
「うん。でも、見つけられると思う。あの子が持ち去ったあたしの時計には、追跡呪文をかけているから」
 シオンの言葉に、シャーリーンはひとまず安心する。
 しかし、広い皇宮内を追いかけるのは一苦労だし、シオンはまだ敷地を把握し切れていなかった。

「フィリックスは皇宮の敷地について、どれくらい知ってる?」
「皇族の立ち入りのみを認められた場所以外は、あらかた把握していると思います」
「じゃあ、案内をお願いできる? ハンナとシャーリーンはここに残ってくれる? もしかしたら、ニフラーが戻ってくるかもしれない」
 シオンはそれぞれに指示を出すと、フィリックスを連れて外へ繰り出した。





※注意
 ニフラーは、J.K.ローリング氏の『ハリーポッター』や『ファンタスティックビースト』シリーズに登場するオリジナルの魔法動物です。
 ストーリーに合う魔法動物が他に見つからなかったこともあり、本作品に起用しています。
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