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第11話 護衛騎士

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 視界がぼんやりとしている。
 起きているのか、それともまだ夢を見ているのか。定まらない視線の先に、影があった。なんだか懐かしい気がする。

「気がつかれましたか?」
 優しくて親しみやすい表情をした青年が、こちらを覗き込んできた。長い金髪に、黄金の瞳をしている。齢は二十歳くらいだろうか。
「えっと……」
「私は主席宮廷魔術師のリュミエル・ゴルドビークです。オラシオン様、何があったか覚えていらっしゃいますか?」

 まだはっきりとしない頭を動かして、記憶を手繰り寄せる。
「そうだ! アイシャは?」
 ハッとして勢いよく起き上がるが、頭がくらくらとしてベッドに後戻りする。
「まだ起きてはいけません。魔力を消費しすぎたうえに、アイシャ様の体内にあった毒を受け取って、それを浄化するのにも魔力を使われたのですから」

 そうだった、とシオンは額を押さえる。
 アイシャのお茶会に招待されたシオンは、そこで毒入りの紅茶を口にした。慌ててアイシャが飲むのを止めようとしたが、すでに彼女は紅茶を飲んでしまっていた。そこで、シオンは自らの魔力を使ってアイシャの体内から毒を取り除いたのである。

「お二人が倒れてから三日経ちました。アイシャ様の容態は安定しています。オラシオン様の対処が迅速であったからでしょう。しかし、よくご自分の魔力に毒を浄化する作用があることをご存じでしたね」
 リュミエルは感心する。
「小さいときに花街の姉様方がもらったお土産を一緒に食べたときに、あたしだけ食中毒にならなかったことがあって、それで気づいたというか……」
「皇族の魔力は特殊で、大抵の毒は無毒化されます。しかし、アイシャ様は魔力を受け継いでいなかったので、同じお茶を飲んだにも関わらず、アイシャ様にだけ影響が出てしまったようです」

 皇族の魔力を受け継いでいる証である紺碧の瞳ではないことから、もしかしてとシオンは考えていたが、やはりそうであったようだ。

「しかし、拒絶反応が起きるとは考えなかったのですか?」
「魔力を継いでなかったとしても、血縁者なら拒絶は少ないかなと思ったんですけど、やっぱりマズかったですかね」
「まずいですね。魔術の知識があり、呪術師として生計を立てていたそうですが、これはあまりにも無謀です。上手くいったからよかったですけど、今後はこんな無茶はなさらないようにお願いいたします」
「はい、反省してます」

 魔力というのは個人の生命エネルギーが素になっており、質や量によっては他者の体内に入れると拒絶反応が起こることが稀にある。今回は運よく上手くいったが、魔術を扱う者として避けるべき行為であった。しかし、あのまま放っておいてもアイシャは助からなかった。後悔はしてない。
 それにしても、この魔術師は丁寧な口調ではあるが、歯に衣着せぬ物言いが感じられる。皇族に対してというよりは、同じ魔術を扱う者として物申したいといった様子だろうか。こんな風に注意されたのはいつぶりだろうか。シオンは母親のことを思い出した。

「では、私はこれで失礼します。目が覚めたことを皇帝陛下にお知らせしなくては」
「ありがとうございました」
 帰り支度をするリュミエルの背を見て、シオンは既視感を覚えた。どこかで会ったか? と考えてみるが、金髪に黄金の瞳の男性に心当たりはなかった。黄金色の瞳だけなら心当たりがあるが、その人はもう死んでいる。

「ああ、そうだ──」
 扉に手をかけたリュミエルが振り返る。彼は人を安心させるような笑みを浮かべながら言った。
「もしも本格的に魔術を学びたいと思われるなら、いつでも声をかけてください」


 〇


 皇女暗殺未遂事件から二週間ほど経った。
 お茶会のときにお茶を淹れたメイドは、フェリーソ宮を出る前に護衛の騎士に捕まったが、事前に毒を飲んでいたようで尋問をする前に血を吐いて亡くなったという。
 なぜ侵入を許してしまったのかとリチャードは激怒し、侍女に化けていたということでハンナが中心となって使用人の管理が見直されたそうだ。
 アイシャは姉との茶会を台無しにされて落ち込んでいたそうだが、今は持ち直して次の茶会を計画していると手紙でシオンに知らせてくれた。それが実現するのはずっと後のことになりそうだが。
 一体、目的は何なのだろうか。
 絶対安静を言い渡されてベッドで過ごす間、シオンは考えていた。毒はカップではなく、ポットのほうに仕込まれていた。つまり、どちらか一方ではなく、両方を狙った犯行だと考えるのが妥当である。
 しかし、毒殺を命じた人物はシオンには毒が効かないことを知らなかった。そのため、この企みは失敗に終わった。

 ──どうも腑に落ちない。

 そもそも、なぜ皇女なのだ。ここに後継者問題や権力争いが絡んでいるなら、シオンもアイシャも関係ないわけではないが、二人が消えたところであまり意味はないのではないか。
 外交的な目的なら、アイシャが亡くなると同盟関係にあるインディラとの間にヒビが入りかねない。そうなるとレムリアにとってはかなりの痛手だ。となると、レムリアと敵対してる国が黒幕だろうか。
 毒殺という点に焦点を置くなら、関係がありそうなのは”後宮の呪い”だが──

「あー! わかんない」
 まとまらない考えに、ベッドの上でバタバタと暴れているとハンナに、大人しくしてください、と怒られてしまった。


 〇


「護衛ですか?」

 リュミエルからもう大丈夫だというお墨付きをもらい、ようやく外出許可が出たのは事件から三週間経った頃だった。シオンの様子を見に来たリチャードが護衛騎士を付ける話を持ってきた。あんな事件が起きたうえに、もうじき皇太子の誕生パーティーもあることだから当然のことだろう。

「もっと早くに付けてやるつもりだったのだが、選抜に時間が掛かってしまってな。私自らが選んだ騎士だ。お前の剣となり、盾となってくれる者だ」
 リチャードの合図で、扉の外で待機していた騎士が入ってくる。しっかりとした体格の赤毛の騎士だった。緑色の瞳をした垂れ目で、どこかあどけなさの残る柔らかい表情をしているが、隙が無い。

「オラシオン皇女殿下の護衛騎士を仰せつかりました。フィリックス・ベインです」
 フィリックスは膝をつき、こうべを垂れた。
 ここまで敬意を表した態度を向けられたのは初めてで、シオンはたじろぐ。同時に、彼に興味をそそられた。

「あの……もしかしてアトラスですか?」
「はい、そうです」
 フィリックスは立ち上がると、シオンの質問に同意する。隙のない雰囲気を出している彼の表情に、わずかに陰りが生じた。
「私の祖母がアトラスのおさの娘なのです」

 アトラスは南の熱帯地域で暮らしている民族で、赤毛に赤い瞳、強靭な肉体と精神を持っており、大自然の中で生きていることから戦闘民族とも呼ばれている。その呼び名のせいで野蛮な人種であるという認識が広まっており、帝国内では差別的な扱いを受けることが少なくなかった。

「アトラスと和平協定を結んでいることは知っているな」
 リチャードが訊く。歴史の授業で習っていたので、シオンは頷く。
「ベイン侯爵が治める辺境の領地はアトラスが暮らす熱帯地域に隣接していて、フィリックスの祖父にあたる先代侯爵は交渉に尽力してくれたのだ」
 その過程でアトラスの族長の娘と恋愛関係になり、見事婚姻まで事が運んだ。この結婚はレムリアとアトラスの和平の象徴と言われている。

 リチャードが退席し、応接室にはシオンとフィリックスの二人だけになった。
「混血だとしても、アトラスの特徴がよく出てるなあ。体格も良いし、燃えるような赤い髪。瞳は別か。力も強いって聞くけど、本当?」

 シオンは興味津々で、思わず口調が乱れる。
 移民や難民が集まってくる花街だが、アトラスはあまり見かけなかった。体格や力に恵まれている彼らには力仕事が向いている。
 まじまじと観察されて、フィリックスは狼狽する。

「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」
 冷静さを保とうとしながら、フィリックスは口を開いた。
「なに?」
「皇女様は、アトラスが怖くないのですか?」

 緊張しているのが判る。騎士としてはどうかと思うが、彼のような人がどんな扱いを受けているのか察しがついた。
「どうして?」
 シオンは逆に訊いた。
「……野蛮だからです」
「野蛮ではないでしょう、貴方は」
 シオンは彼の目を見た。そこにあるのは、見た目に似合わない怯えだった。やはり人種によって理不尽な目にあったことがあるのだろう。

「あたしはアトラスに会ったことがない。母から聞いた話と文献で読んだ程度のことしか知らない。けど、アトラスが自分たちの民族に誇りを持っていることは知っている。それが誤解を招いていることも」
 シオンは立ち上がる。フィリックスとの身長差は縮まったが、それでも明らかに距離が離れている。ずっと見上げていると首が痛くなりそうだ。
 彼が野蛮だとは思わない。リチャードが選んだということもあるが、目の前にいるこの男からは敵意や悪意を感じない。あの街で培った、人を視る目には自信があった。

「貴方はどうなの? あたしの騎士として、誇りを持てる?」

 問いかける。
 彼の目が見開かれた。
 今必要なのは、怯える彼をなだめることではない。
 信頼と忠誠。お互いに信じ合い、絶対的な味方で在らねばならない。

 ──彼があたしの盾になってくれるのなら、あたしも彼を守る盾にならなければ。

 皇族専属の護衛騎士に選ばれるというのは名誉なことである。フィリックスの地位が上がると同時に、彼に対する風当たりは強くなるだろう。そんな彼を守れるのは、主となるシオンである。
 そうなると、そろそろ皇族としての責任を自覚しなければならない。これはシオンの覚悟でもあった。命を狙われる可能性がある以上、味方になってくれる人物が必要である。
 フィリックスもそれに気づいたようで、表情を引き締めた。

「フィリックス・ベイン。オラシオン皇女殿下に忠誠を誓います」

 再び膝をついて、フィリックスは誓いを立てた。
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