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カサンドラ(2)
しおりを挟むもうすぐ年が明けようとする頃、ツイッターのタイムラインにこんなニュースがリツイートされてきた。
「【悲報】反原発ママのカリスマ カサンドラの正体wwww #トホホなニュース #放射脳(**下記注1)」
そういえば、今日はまだカサンドラさんのブログをチェックしていなかった。
ニュースのリンク先は、いわゆるまとめサイトだったんだけど、大体こんな内容だった。
『反原発・ゼロベクレル生活のカリスマとして、T電原発事故後、子供を持つ主婦を中心に支持されてきたHN「カサンドラ」氏は、実は関東某所在住の40代後半の男性と自ら告白し、最後の1日分の記事だけ残し、それまでのブログ記事を全削除していたことが分かった…(以下略)』
「え…どういうこと?」
その記事の一部も引用されていたけれど、どうにも目が滑って全く読めない。
リンク先からブログまで行くと、やはり目を疑うような文章を読んでしまった。
+++
「私こと“カサンドラ”は、本日をもってブログ「みんなで取り組もう 原発全廃!」を閉じます。
まず最初に、私は独身の40代の男で、当然子供もおりません。
放射性物質についての知識は全くなく、震災と事故後に興味を持って勉強した程度ですし、正直数値や現象についての解釈もかなりテキトーです。
もっと言えば、放射性物質など少しも怖くありません。というよりも、何の興味もありません。
そんな私が、なぜこんなブログを開設し、皆さんからのリプライに応えていたのか。
目的はたった一つ、「復讐」です。
いや、復讐というのは適切ではないかもしれない。
とにかく溜飲を下げたかったのです。
私は関東地方某所に住んでおりますが、元妻が震災後に突然、九州に自主避難してしまいました。
私は仕事もあるから一緒に行けないと言ったら、こう言われました。
「夫婦は一緒に暮らすって法律(**下記注2)で決まっているのよ?あなたは命よりお金なのね。がっかりだわ。もうお別れね」
「放射能が怖くて仕方がない。ここでは息ができない」というのが建前でしたが、何のことはない、SNSでつながっていた昔の恋人のもとに走ったのです。
もともと様子をうかがっていただけで、震災と原発事故を口実に、これ幸いにと去っていきました。
私はそんなことをした妻が憎い。そしてそれ以上に、妻の背中を押した原発事故が憎い。
そこで自分自身が「妻」になり切って、いもしない子供の話も交え、放射能の恐怖を訴えるブログを立ち上げました。
使えるデータや資料はできるだけセンセーショナルに使い、徹底的に国や電力会社を悪者にし、そこに少しでも好意的な立場をとる人間を「安全厨」と呼んで蔑むことを書きつけるだけで、大勢の賛同者があらわれ、私に感謝と称賛の言葉を連日のように書き込んでいきました。
「どうせこの国に本当の意味での専門家などいないのです。だからあんな大事故が起き、しかも後始末も惨憺たるものになっています。しかし、そんな中でも、この人の言葉は信用できます」などと、それらしい人物のそれらしい言説を紹介すれば、「そうだそうだ」とうなずく連中が、ディスプレーの向こうに見えるようでした。
もちろん本当に自分の家族を、そしてこの国の未来を案じていた人もいるでしょうが、私の妻のような人間もまた、きっとほかにもいるはずです。
逆に、妻子が避難したのをいいことに、よその女性と遊び放題という男の存在も知っています。
何もかもに嫌気がさした私は、さらに、不安な人々の不安に付け込んで支持を得、また原発推進派や、さまざまな理由から「反対することに慎重な人たち」の反発を受けました。
覚えていますか?
巨大に成長した植物、不格好な野菜、果物、マスクをした子供たちの集団登校の列。
植物の奇形などありふれたものだし、あんな画像はネット上で幾らでも拾ってこられます。マスク写真も、インフルエンザの季節にはよく見られる風景にすぎません。
そして、そんなものをわざとらしく貼り付け、「もしや放射能の影響では?」と意味ありげに書き散らしてきました。
どこかの浄水場で、少しでもヨウ素やらセシウムなどが検出されれば、「基準値以下ならいいのか? ゼロでなければ意味がない!」と意識的に書き立てました。
熱狂的な賞賛と、冷静ぶった批判――私はその両方を「バカどもめが」と冷めた目で見つめながら、せっせとブログを更新し、アフィリエイト収益化に精を出しました。
しかし、それもまたむなしくなりました。
だからやめます。
あれだけ煽られた後、今さら大丈夫ですよと言われても納得するわけはないと思います。
しばらくは気持ちの整理に難儀されるのではないでしょうか。
しかし、私はあなた方に決して同情はしません。
ついでですので、あなた方のお気持ち一つで振り回された家族のお気持ちを想像することをお勧めします。
「心細くて涙が止まらない」「恐ろしさに震えがくる」とヒロイン気取りのお母さまに、無理やりマスクをさせられ、学校では牛乳を飲むなと言われ、外遊びを禁じられたお子さんは、それだけでも辛かったろうに、周囲からはさぞや奇異な目で見られたでしょう。
いじめ行為自体を是とするものではありませんが、それが原因でお子さんがいじめられたというなら、それは確実にあなた方のせいです。
私のような得体のしれないブログを妄信したあなた方の罪まで、私が責任を取ることはできませんので、これから大いにケアしてやってください。
お母さまといいましたが、もちろんお父様でも同じことです。
放射能汚染と言えるかどうか疑問なレベルの変化にピリピリし、それを裏付けるに有利な材料を探している中で、私のブログに出会ったという方も多いとお察しします。
よくメッセージ欄に言葉を残してくださった常連さんで、聞いてもいないのに「小学生の父親」とか「二児のパパ」などと自己紹介してくださった方もいましたが、そのご賢察、ご高説を読んでは、いつもめまいのようなものを感じておりました。
こんな意識高い系は子宝に恵まれ、私は父親になることができなかった。神様は随分意地悪をなさるものだと。
皆さん、どうかご自愛なさってください。
もうお会いすることもないでしょう。
カサンドラ改め ただの寂しい中年男」
+++
カサンドラ(もう呼び捨てでいい!)の言うとおり、私はそれを読み終わったとき、本当に「涙が止まらなかった」。
カサンドラブログで知り合った人たちの間では、「乗っ取り」「なりすまし」説も出ていた。
根拠はないけれど、私にはそうは思えなかった。
何なの、この人は。あれだけのことをして一言も謝らないなんて。
全部うそだった? 頼りになる人だと思っていたのに。信じていたのに。
「ふざけんなよ、クソ野郎!」
私は、ちょうどそこで帰ってきたハル君が「ママ、やめて!」って止めていなかったら、PCを床にたたきつけていたと思う。
「…ハル君」
困ったような顔をして、頭には例によってバンダナを巻いていない。
「ただいま。あっ、またバンダナ外してごめんなさい!」
「…いいよ、もういいんだよ…」
「ママ…?」
私はハル君を抱きしめて泣いた。
ランドセルごとだから、腕の回り方は中途半端。
小3の普通の体格だから、もちろん背は私より小さい。
でも抱きしめるのは久しぶりだから、「大きくなったなあ」って思った。
「どうしたの? 誰かに意地悪されたの?」
「ハル君は優しいね…。ママもハル君に意地悪だったよね…」
「ママは心配してくれたんでしょ?」
「…そう思ってた…」
「僕、しょうじき言うと、嫌なこともいっぱいあるけど、ママが優しいってことは知ってるよ」
「…ありがとね」
+++
もちろん、急に気持ちの切り替えなんてできない。
こういうのを「梯子を外される」っていうのかな。
パパに例のブログのことを教えようとしたら、もうネットニュースで見て知っていた。
それで心配して、プリンをお土産に買ってきてくれた。
いつもなら入浴後は晩酌のパパも、「今日は休肝日だ」って。
ハル君が寝てから、紅茶とプリンで「夜のお茶会」をした。
「俺も君が二言目には放射能って言うのは、ちょっとしんどかったけど」
「…だよね」
「でも、だからってこんなこと、許されないよなあ」
「…うん」
「悔しいけど、こういう人間を訴えるのは難しいだろうね」
「そうか…」
「せめて、もう二度とこんなのにだまされないように気を付けるしかない、かな」
「ん…」
パパは私のことをバカにしていて、私は、私の話を取り合わないパパを、内心「分かってない!」ってバカにしてた。
昔、こういうの英語の教科書(**下記注3)であったなあ。
「どっちがスカンクで、どっちが切株か」
「え?」
「高校だったかな、英語の教科書に載ってたの。早口言葉だった」
「ふうん、よく覚えてるね」
パパは私より頭いい学校だったから、英語の教科書が違っていたのか、覚えていないと言った。
でも、今は私をバカにしないで、話をゆっくり聞いてくれて、カサンドラのしたことにも一緒に腹を立ててくれている。
「プリンおいしいね」
「そうだな」
「今度久しぶりに、焼きプリンつくろうかな」
「いいね。ハルも喜ぶよ」
「も? パパも楽しみ?」
「もちろん。ママのプリンはうまいから」
おやつをつくるゆとりさえなくしていたことに気づいた。
もともとお菓子づくりは嫌いじゃなかったけど、安心できる材料が手に入りにくとか言って、何となくやめていたんだった。
そのくせ「地元のお菓子屋さんのは怖くて食べられない!」って、好きだった店に立ち寄ることもなくなっていた。
私、いったい何してたんだろ。
**1
放射能ではなく「放射脳」。
原発事故後、「ノンベクレル」「ゼロベクレル」「東日本壊滅」「フクシマ(地名というより記号のニュアンス)」などの言葉で煽るように放射性物質の危険を訴えている人たちの暴走ぶりを揶揄した呼び方。
侮蔑的なので、いわゆる反原発でない人でも、あまり使うべきではないと考える人もいるようです。
悪質になると、著名人の訃報にまで「#フクシマ」「#FUKUSHIMA」というハッシュタグをつけてツイートし、あたかも放射能に起因した死であるように印象操作しています。
**2
民法第752条の『同居義務』、「夫婦は同居し、互いに協力しなければならない。」を盾にとった発言でしょうが、それをいったら単身赴任があんなに一般的にはならないし、実際に許容範囲内とみなされていますから、ここでは「ただの方便」とでもお考えください。
**3
A skunk sat on a stump and thunk the stump stunk, but the stump thunk the skunk stunk.
スカンクは切り株の上に座り、切り株が臭いと思ったが、切り株はスカンクを臭いと思った。
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