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第4章 二十三番めの呪縛
24.
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「わたしが……役に立てるんですか」
凪乃羽の質問は意外だったように、ロード・タロは慮った面持ちになり、答えるまでにしばらく時間を要した。
「役に立つ。しかし、それはだれとてそうだ。何が身の内に起きようと、それは万物にある他と共存するかぎり、すべてが己のせいではない。だが、他のせいでもない。個々にあるのは、何をなすか、あるいはなさないか、その取捨選択の決断のみ。凪乃羽、おまえと同様、その周りでなされた取捨選択の導きがこの時であり、私の役に立つ。そうでなければならぬ」
タロの本心は締め括りの言葉にあった。絶対を云い渡しながら、自分に云い聞かせるようであり、即ち、そうであってほしいという切望だ。
タロの言葉を噛み砕き呑みこむまでに、今度は凪乃羽のほうが時間を要した。
二十三番めと教えられてもなんの力も持たない。そんな凪乃羽のこれまですごしてきた時間がいま役に立つ、と簡潔に解釈すればそうなのだろうが、どう役に立つのかはさっぱり見当がつかない。それに、なぜそんな役目を自分が担っているのか、最大の不可思議だ。
「でも……あの……わたしにはわかりません」
特別な信仰心があったわけではなく、けれどいるかどうかもはっきりしない神様を漠然と敬う気持ちはあった。いざ神というタロを目の前にして、反論とまではいかなくとも対立した言葉を発していると気づいて凪乃羽は云い替え、ためらいがちに自分の立場を示した。
「わからずとも――」
と、洞窟のなかに響き渡った声は、タロでもハングの声でもなく、もちろん永遠の子供たちともはっきりと違う男の声だ。
「それが定めというものだ。おまえには我々と行動を共にしてもらいたい」
云いながら突如としてタロの陰から現れたのは、ざんばら髪の背の高い男だった。光の下に入ると、その髪は黒いかと思いきや、よくよく窺えば月の明かりの差す夜空のような藍色をしている。荒削りの風貌でありながら、その眼差しは繊細さと見まがうような鋭さを放ち、存在感を示す。それなのに、その声を聞くまでその存在の気配はまったく感じられなかった。
「あの……」
「私はデスティ。ロード・タロを崇め、ハングを主とする」
凪乃羽の疑問を察して名乗ったのは十三番の死神だ。ヴァンフリーからは闘いの達人だと聞いている。その言葉と噛み合わせるなら、戦闘が始まれば必ず次々と死に追いやる、あるいは相手の戦意を悉く喪失させるほど追いつめる、とそんな闘い方が死神と呼ばれる所以かもしれない。
主がだれであるか、デスティがわざわざ主張をしたとしたら、ハングの地位を奪ったローエンは即ち敵と見なしているに違いなく、タロの意向に添えば、凪乃羽もまたローエンと明確に敵対するということになる。
「タロ様……ヴァンも……ヴァンフリー皇子も敵ですか。苦しめることになるんですか」
ローエンを抹殺するとハングははっきりと口にした。それなら息子であるヴァンフリーのことはどうするのだろう。そんな不安が切実さを如実にして、問いかけた言葉に滲みでる。
凪乃羽の縋るような眼差しを受けとめ、タロは量った気配で目を細めた。
「ヴァンフリーが心配か」
「はい、わたしのためにいろんなことを……手を尽くしてくれています」
「それは本当におまえのためか」
「……どういうことですか?」
「おまえが役に立つのはヴァンフリーにとってもそうだ」
「自分が皇帝になるため、ですか。ヴァンフリー皇子は人に従う人ではないと思います。でも、人を従えたがる人でもありません。わたしを利用する気なら、見つけだした時点でまわりくどいことをせずに地球から連れだすはずです。いまみたいにウラヌス邸に匿うことができるから。皇子はそうしなかった。地球が壊れなかったら、わたしがここに――シュプリムグッドにいることはなかったかもしれません」
タロはやはり量るように凪乃羽を見つめ、一拍置いてからうなずいた。
「なるほど」
と、口を出したのはハングだ。
「よほどヴァンフリーを信頼しているようだな」
「……間違っていますか」
思わずそう訊ねてしまうような言葉だったが、それを発したハングははじめて笑みらしきものをくちびるに宿した。
「それは、おまえとヴァンフリーの問題だ。私が干渉することではない」
冷たく突き放したようにも見える言葉だが、その声にはくちびるに宿る笑みと違わない寛容さが感じとれた。
ただ、『私が』とその部分を強調したように聞こえ、そう気づいたとおり、あなたはどうですか、と窺うような様でハングはタロを見やった。
「私は、信じるのみだ」
タロの返事は何を指しているのか、噛みしめるように云いながら凪乃羽のさっきの言葉のように切実さを込めつつも、真意はわからず曖昧だ。
「あ、皇帝が呼んでる!」
サンが出し抜けに叫んだ。
ローエンの訪問でウラヌス邸では何があったのか、凪乃羽は別れ間際のヴァンフリーとの時間に思いを馳せた。
「サン、ヴァンは大丈夫なの?」
凪乃羽は切羽詰まったように訊ねた。
「ヴァンフリーの身が危険に晒されるなら、その条件は一つだ」
サンのかわりに答えたタロはその条件が何かを知らせないまま、子供たちに目を転じた。
「永遠の子供たちよ、皇帝を見送ったらここに戻れ」
「うん」
「はい!」
「わかった!」
各々に返事をした子供たちは洞窟の外に駆けていった。それを追うように凪乃羽が振り返ったときはもう子供たちは消えていた。
「凪乃羽、こちらへ」
タロの言葉に正面に向き直ると、タロはくるりと身をひるがえして奥に行く。
不死身だとわかっていてもヴァンフリーの身を案じる気持ちは常にある。大丈夫、と自分に云い聞かせ、凪乃羽は慌ててあとを追った。
進むにつれて暗くなっていくが、タロの力ゆえなのかその周囲だけほのかに明るい。壁にぶつかることも石につまずくこともなく、ただ四対の足音を響かせながら曲がりくねった道を進んだ。まもなく、水のせせらぎを聞きとり、そうして、また明るくなっていく。
たどり着いたそこもまた光が注ぎ、なお且つ光は揺らめいている。その揺らめきは青く光る泉から発生していた。
タロは泉の縁に立ち、振り向いて凪乃羽を促した。無言の催促に応えてタロの隣に並び立つ。何気なく目をやった泉の底に何かが見えた。目を凝らして揺らぐ水面を覗く。すると。
底に沈んで横たわっているのは、夢で見たフィリルだった。
凪乃羽の質問は意外だったように、ロード・タロは慮った面持ちになり、答えるまでにしばらく時間を要した。
「役に立つ。しかし、それはだれとてそうだ。何が身の内に起きようと、それは万物にある他と共存するかぎり、すべてが己のせいではない。だが、他のせいでもない。個々にあるのは、何をなすか、あるいはなさないか、その取捨選択の決断のみ。凪乃羽、おまえと同様、その周りでなされた取捨選択の導きがこの時であり、私の役に立つ。そうでなければならぬ」
タロの本心は締め括りの言葉にあった。絶対を云い渡しながら、自分に云い聞かせるようであり、即ち、そうであってほしいという切望だ。
タロの言葉を噛み砕き呑みこむまでに、今度は凪乃羽のほうが時間を要した。
二十三番めと教えられてもなんの力も持たない。そんな凪乃羽のこれまですごしてきた時間がいま役に立つ、と簡潔に解釈すればそうなのだろうが、どう役に立つのかはさっぱり見当がつかない。それに、なぜそんな役目を自分が担っているのか、最大の不可思議だ。
「でも……あの……わたしにはわかりません」
特別な信仰心があったわけではなく、けれどいるかどうかもはっきりしない神様を漠然と敬う気持ちはあった。いざ神というタロを目の前にして、反論とまではいかなくとも対立した言葉を発していると気づいて凪乃羽は云い替え、ためらいがちに自分の立場を示した。
「わからずとも――」
と、洞窟のなかに響き渡った声は、タロでもハングの声でもなく、もちろん永遠の子供たちともはっきりと違う男の声だ。
「それが定めというものだ。おまえには我々と行動を共にしてもらいたい」
云いながら突如としてタロの陰から現れたのは、ざんばら髪の背の高い男だった。光の下に入ると、その髪は黒いかと思いきや、よくよく窺えば月の明かりの差す夜空のような藍色をしている。荒削りの風貌でありながら、その眼差しは繊細さと見まがうような鋭さを放ち、存在感を示す。それなのに、その声を聞くまでその存在の気配はまったく感じられなかった。
「あの……」
「私はデスティ。ロード・タロを崇め、ハングを主とする」
凪乃羽の疑問を察して名乗ったのは十三番の死神だ。ヴァンフリーからは闘いの達人だと聞いている。その言葉と噛み合わせるなら、戦闘が始まれば必ず次々と死に追いやる、あるいは相手の戦意を悉く喪失させるほど追いつめる、とそんな闘い方が死神と呼ばれる所以かもしれない。
主がだれであるか、デスティがわざわざ主張をしたとしたら、ハングの地位を奪ったローエンは即ち敵と見なしているに違いなく、タロの意向に添えば、凪乃羽もまたローエンと明確に敵対するということになる。
「タロ様……ヴァンも……ヴァンフリー皇子も敵ですか。苦しめることになるんですか」
ローエンを抹殺するとハングははっきりと口にした。それなら息子であるヴァンフリーのことはどうするのだろう。そんな不安が切実さを如実にして、問いかけた言葉に滲みでる。
凪乃羽の縋るような眼差しを受けとめ、タロは量った気配で目を細めた。
「ヴァンフリーが心配か」
「はい、わたしのためにいろんなことを……手を尽くしてくれています」
「それは本当におまえのためか」
「……どういうことですか?」
「おまえが役に立つのはヴァンフリーにとってもそうだ」
「自分が皇帝になるため、ですか。ヴァンフリー皇子は人に従う人ではないと思います。でも、人を従えたがる人でもありません。わたしを利用する気なら、見つけだした時点でまわりくどいことをせずに地球から連れだすはずです。いまみたいにウラヌス邸に匿うことができるから。皇子はそうしなかった。地球が壊れなかったら、わたしがここに――シュプリムグッドにいることはなかったかもしれません」
タロはやはり量るように凪乃羽を見つめ、一拍置いてからうなずいた。
「なるほど」
と、口を出したのはハングだ。
「よほどヴァンフリーを信頼しているようだな」
「……間違っていますか」
思わずそう訊ねてしまうような言葉だったが、それを発したハングははじめて笑みらしきものをくちびるに宿した。
「それは、おまえとヴァンフリーの問題だ。私が干渉することではない」
冷たく突き放したようにも見える言葉だが、その声にはくちびるに宿る笑みと違わない寛容さが感じとれた。
ただ、『私が』とその部分を強調したように聞こえ、そう気づいたとおり、あなたはどうですか、と窺うような様でハングはタロを見やった。
「私は、信じるのみだ」
タロの返事は何を指しているのか、噛みしめるように云いながら凪乃羽のさっきの言葉のように切実さを込めつつも、真意はわからず曖昧だ。
「あ、皇帝が呼んでる!」
サンが出し抜けに叫んだ。
ローエンの訪問でウラヌス邸では何があったのか、凪乃羽は別れ間際のヴァンフリーとの時間に思いを馳せた。
「サン、ヴァンは大丈夫なの?」
凪乃羽は切羽詰まったように訊ねた。
「ヴァンフリーの身が危険に晒されるなら、その条件は一つだ」
サンのかわりに答えたタロはその条件が何かを知らせないまま、子供たちに目を転じた。
「永遠の子供たちよ、皇帝を見送ったらここに戻れ」
「うん」
「はい!」
「わかった!」
各々に返事をした子供たちは洞窟の外に駆けていった。それを追うように凪乃羽が振り返ったときはもう子供たちは消えていた。
「凪乃羽、こちらへ」
タロの言葉に正面に向き直ると、タロはくるりと身をひるがえして奥に行く。
不死身だとわかっていてもヴァンフリーの身を案じる気持ちは常にある。大丈夫、と自分に云い聞かせ、凪乃羽は慌ててあとを追った。
進むにつれて暗くなっていくが、タロの力ゆえなのかその周囲だけほのかに明るい。壁にぶつかることも石につまずくこともなく、ただ四対の足音を響かせながら曲がりくねった道を進んだ。まもなく、水のせせらぎを聞きとり、そうして、また明るくなっていく。
たどり着いたそこもまた光が注ぎ、なお且つ光は揺らめいている。その揺らめきは青く光る泉から発生していた。
タロは泉の縁に立ち、振り向いて凪乃羽を促した。無言の催促に応えてタロの隣に並び立つ。何気なく目をやった泉の底に何かが見えた。目を凝らして揺らぐ水面を覗く。すると。
底に沈んで横たわっているのは、夢で見たフィリルだった。
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