上 下
69 / 83
第4章 二十三番めの呪縛

25.

しおりを挟む
 泉は青く光りを放ちながら驚くほど澄んでいる。ゆえに、その深さは計り知れない。手を伸ばせばすぐ届きそうに、フィリルの姿は間違いなく間近にあった。
「知っているな」
 質問ではなく、知っていて当然だとばかりにタロが話しかける。
「はい……アルカナ・フィリルです。あの……わたしが見た……見ていた夢は本当にあったことですか」
 あの夢はひょっとしたらタロが見せていたのだと、凪乃羽はいま思い立った。
「無惨だろう」
 タロが明確に答えることはなく、淡々とした声音は心情を覆い隠すためだろう。水の底に双眸を注ぐその姿は、魂をもぎ取られたかのように立ち尽くして見える。凪乃羽が夢の中に見た、驚怖とその直後の怒りと、『フィリル』と名を呼ぶだけの言葉に込められていたのは、神らしからぬ慟哭でもあった。
「アルカナ・フィリルは亡くなっているわけではないんですよね?」
「眠っている。……いや、私が眠らせた。そうしなければ、フィリルは耐えられなかった」
「いつまでこのまま……?」
 ためらいがちに訊ねると、タロは伏せていた瞼を上げ、おもむろに凪乃羽へと目を転じた。
「凪乃羽、おまえ次第でフィリルは目覚める」
「わたし、ですか……?」
 はっきりは云わずとも、詳しく知りたがっていることは伝わっているはずなのに、タロには教える気がない。少なくともいまは、無言を通すことで凪乃羽にそう知らしめている。
「タロ様、どうして、わたしが二十三番めなんですか?」
「おまえが生まれてきたからだ」
 どういう意味だろう。喰いさがった問いに返ってきた答えは答えになっていない。重ねて――
「運命の輪は廻る時に差しかかっている。私が指し示すことではない。それが秩序というものだ」
 と、タロは凪乃羽の更なる問いかけを察して機先を制した。
 そうして、永遠の子供たちの声が洞窟をにぎやかにすると、タロは吐息を漏らし、さて、と、ハングとデスティ見やる。彼らはこうべを垂れて従順の意を示した。
「タロ様、戻ったよ!」
「おかえり。永遠の子供たちよ、我々をアルカヌム城に案内してほしい」
 タロの言葉に目を丸くしたのは凪乃羽だけではなく子供たちもそうだった。
「アルカヌム城に?」
「もう充分だ。皇帝も逃げ惑うよりは決着を――我々にとっての裁きを待っている」
「タロ様」
 サンとスターがうなずく傍らでムーンが訴えるようにタロを見上げている。
「どうした」
「凪乃羽に無理をさせないで」
「無理ではない。フィリルに起きたことの報いという必然のもとに定めは運ばれている」
 凪乃羽、とタロは袖の中に潜めていた手をほどき、すっと凪乃羽の前で手を広げるようなしぐさをした。手と手の間にカードが並ぶ。カードには、大きく真っ青な星とそれを縁取る光、さらに周りを光か星かが取り巻いた模様が描かれていた。夢の中でフィリルが持っていたカードと同じだ。
「どれを選ぶ?」
 タロは凪乃羽に選択を迫った。
 その結果をタロはわかりきって問うている。そんな気がしながら、凪乃羽はカードを見つめた。そうしたからといってカードの裏側が見通せるわけもない。迷いつつも、とにかく選ぶしかなかった。
 おずおずと手を上げて人差し指でカードを指した。とたん、カードはひとりでに浮きあがった。それをタロが手に取って、くるりとカードをひるがえす。
「運命の輪だ。正位置を示す。それがどういうことかわかるだろう、ムーン?」
 凪乃羽に向けたカードをムーンに転じた。しばらくじっとカードを見つめ、納得したのか、ムーンはうなずいた。
「いよいよ皇帝を懲らしめるのね!」
「スター、わくわくすることじゃないだろう」
「でも、怖い顔の皇帝はうんざりだもの!」
 サンはスターをかまっても埒が明かないと見切りをつけて、タロを見上げた。
「皇子が凪乃羽を探してたよ。一緒に行かなくていいの?」
「ヴァンフリーには我々を案内したあとに伝言を頼む。アルカヌム城で会おう、と」
 この時、『あとに』というタロの言葉が意味を持つとは思いもしなかった。
 一度だけ遠くから眺めたアルカヌム城は近くにすると、よけいに目映い光を放っていた。ひざまずく騎士たちの前を通り抜け、巨大な門扉の前に立ち――
「ローエン、開けよ」
 タロの――ローエンにはワールと映っただろうか――めいに一拍の間を置いて――それは躊躇のようにも感じられ――扉は開かれた。
 案内役を担う男が現れ、昇降台に乗って上に移動し、そこに待機していた男が導いた場所は、いかにも宮殿といった様で、太い柱と朱色の絨毯、それを椅子が囲み、そうして奥には玉座の間が見えた。
 玉座の主はローエンに違いなく、訪問者たちの顔ぶれを見ても驚くことなく鷹揚に首をひねった。
「どれもこれも久しい訪問だが、ワール、生きていたとはすっかり騙されていた。その紛れこんだ小娘は何者だ?」
「皇帝陛下、それは皇子がご執心の下界の女です!」
 椅子の一つに座っていたデヴィンが立ちあがり、ヴァンフリーが隠ぺいしたことを呆気なく晒した。
「なんだと? どういうことだ?」
 ローエンは訊ねながら、自らで答えを見いだそうとしているように眉間にしわを寄せる。
「言わずもがな、ローエン、おまえが探していた“娘”だ」
 タロは云い放った刹那、隣にいた凪乃羽の背中に手を当てて押した。行くがよい、と促した声は、凪乃羽にとって非情なものにしか聞こえなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...