《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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19.リンゴ畑

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「何か仕事をくれないか?」
「仕事?」

 書類から顔を上げたソティラスは、目を見開いて驚いている。

「そのようなことはしなくてもよいのだぞ」

 執務室だ。深い色合いで統一された落ち着いた雰囲気の室内は、蔵書や資料で図書室と同じように壁一面は本で埋まり、巨大なテーブルには紙の束が積んである。
 先日の一件など無かったかのように、ソティラスに「ひとまず側に来い」と言われ、ルーチェはしぶしぶ近づいたものの、さてどう話したらいいか、と頭を悩ませる。

(今まで図書室で歴史を調べてみたり、隠れて特訓……側で見られながら剣の練習をしていたけど、このままでは駄目なんだ。それはわかる)

 ルーチェは頭をかきながら言葉を選ぶ。

「一応、一応な、不本意だが一応、ここでは建前上、俺は魔王様の嫁ってことになってるんだろ? ということは、国でも偉い地位に立ってるということだ。上のものがぐうたらしてたら示しがつかない。城内をうろうろされてたら邪魔だし目障りだろ? だけど仕事っていっても俺は学はないし、じっとしているのは苦手だからそういうのは無理なんだけど」

 ソティラスの周りに積み上げられた紙の塔を指さす。国政に関わるものだろうが、ルーチェが手伝えることはない。優秀な側近もおられることですし。

「俺にできることはないかな」

 ソティラスは腕を組みしばらく考える。

「本当にこういうことはしなくてよいのだが。周りのものも気を使うしな。……しかしそうは言っても聞くつもりはないのだろう?」
「正直なところ、何もしないで居座っているような待遇が嫌だ」

 ルーチェは続ける。

「……それに、俺はここのことも、あんたのことも、まだ何も知らないんだよ」

 夢に見た、誰かの言葉を思い出す。

『――何も知らないだけだよ』

 無知だと、シーナも言っていたことだった。

(俺はまだ、ゲーティア国のことも魔王のことも何も知らないんだ。知らないままでは、自分が何をすればいいのかも決められない)

 やがて熟考していたソティラスが口を開く。

「農作業は得意だったな」
「ああ。うちでもリンゴ作ってたから手伝っててさ――って何で知ってるんだよ!」
「お前のことはなんでもお見通しだ」
 と、ソティラスは笑う。

「裏のほうに農園があるのだ。そこを手伝ってはくれないか?」

 それならば経験もあるのでルーチェにもできる。了承すると、ソティラスは意味ありげににやりと笑った。

「私の膝の上で、私の労をねぎらう仕事でもいいのだが」
「は? ち、ちょっ……!」

 抱き寄せられ、無理やり膝の上に乗せられると、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。

「な、なにやって」
「これならいつでも歓迎だ。お前も仕事ができるし、私も仕事がはかどる」

 耳元でソティラスに囁かれ、かっと身体が熱くなる。肌が触れ合うほど顔が近く、首筋には息がかかり、太ももの内側をなぞられ――
 短剣が、机の上に刺さった。

「仕事になりませんよ」

 静観していたシーナだった。左手にはもう一本、短剣を持っている。
 ルーチェは引き止めるソティラスをなんとか振り切ると、部屋の外で待っていたレイルに畑まで案内してもらうことにした。
 城の裏側には住み込みで働く使用人たちの寄宿舎があった。以前レイルに案内してもらったかもしれないが、メイドが魔王の嫁認識をしていたショックでよく覚えていない。

「僕もここに住んでいるんですよ」
 と、レイルが言う。
 様々な種族の使用人がそこにはいた。人型のトカゲのようなリザードマン、顔から胸は人間で翼と下半身が鳥であるハルピュイア、ルーチェの腰ほどしかない背丈だがどっしりとした体格のドワーフ。他にも、角を持つもの、羽を持つもの、小人や巨人もいる。
 種族は違うが、みな助け合って生活しているのだろう、うまく役割分担ができている。兵士は体力があるリザードマン、花や家畜の世話は森に詳しいニンフ、空を飛ぶハルピュイアは見張りか、手先の器用なドワーフや重いものも運べる巨人は修理や建築を担っている。
 そのなかに、人間はいない。

「あ、ルーチェ様だ」

 一人が気付いた。と思っているうちに、あっという間にルーチェは多くの魔族たちに囲まれた。

「おはようございます」
「どうしてこちらにいらしたんですか」
「もう城の生活には慣れましたか」

 などなど、口々に挨拶と質問を浴びせられる。皆笑顔で、歓迎されているようだ。
 やはりルーチェは戸惑う。

(俺は人間で魔王を倒しに来た勇者なんだけどな、なんでこんなにも歓迎されてんだ? 未だによくわからん)
「ちょっとちょっとみなさーん」
 と、レイルが間に入る。

「ルーチェ様も今からお仕事なされるんだから、話はまた後でお願いしますよ」

 仕事に戻ってください、とレイルが皆を散らした後で、「ルーチェ様はこっちです」と先を行くので後に続く。
 寄宿舎の裏へ回ると、そこには広大な土地が広がっていた。野菜や小麦の実る畑や、果樹園もある。その中には見たことの無い野菜や果物もあるが、大方ルーチェにも馴染み深いものばかりだった。
 ルーチェはある一点を見つめる。

「……リンゴだ」

 そこは一面のリンゴ畑だった。生まれ育った村と似た情景に、懐かしさを覚える。

「魔王様が植えたらしいですよ。人間の国より発育がいいらしくて、美味しくて大きいリンゴがたくさんできるんです」

 今がちょうど旬の時期で、弾けんばかりに美味しそうに実ったリンゴの甘い香りが、風に乗ってルーチェまで届く。
 空を覆うような枝葉、太陽を跳ね返すような真っ赤なリンゴ、落ちる木漏れ日と甘い香り。子どもの時の記憶が蘇る。まだ勇者でなかった頃の思い出だ。

「さあ、たくさん取りましょう。いっぱい取ったら料理長にパイにしてもらえないかお願いするんです」

 レイルはさっそく腕をまくって張り切っている。そして目の前になる適当な実を掴むと、ぶちっと思い切り下に引っ張った。

「おいっ!」

 ルーチェは慌てて声を上げると、レイルはびくりと肩を強張らせた。

「えっ、え? どうしました?」
「そんな取り方じゃリンゴが傷むだろうが。やったことないのか?」
「はい、はじめてです」
「こうするんだよ、見ててくれ」
 と、ルーチェは手ごろに熟したリンゴを掴むと、回しながら下から上へ持ち上げた。それだけでリンゴは枝から離れる。

「な? こうすれば簡単にとれるだろ」

 手本を見せるとレイルは目を輝かせ、尊敬のまなざしでルーチェを見た。

「すごいです、さすがですっ」
「そんなことないって。子どもの頃からやってたからな。……あ、回しすぎるなよ。食べごろのやつは簡単に取れるからな」
「はい、頑張ってパイにしてもらいます。あーでも、実がごろごろしてるジャムもいいなあ」
「そのままでも美味いけど、輪切りにして焼いてアイス乗せるやつ、おすすめだぞ」
「うわあ、絶対それ作ってもらいます!」

 鼻息荒く収穫していくレイルを横目に、ルーチェもリンゴの木に手を伸ばした。村での思い出が蘇ってくる。家族や友人と他愛のない話をしながら、日が暮れるまでリンゴを収穫する。昔に戻ったかのようで、久々に、すがすがしい気持ちになった。このリンゴ畑もどことなく村と雰囲気が似ている。

(そういえば、疲れたら木の陰に隠れて、よくつまみ食いをしたっけ)

 ルーチェはそのときと同じように、リンゴを服で擦ると一口かじった。果肉が弾け、芳醇な果汁が口の中に広がる。

(やっぱここのリンゴ美味しいな。うちのリンゴにも負けてない。ひとりで食べるのもったいねえな、って、子どものときもずっと思ってたっけ)

 そして、誰かにも食べさせたくなって、こっそり食べさせたこともあって――
 何故か脳裏にソティラスの顔が浮かび、ルーチェは手を振りながら考えを打ち消す。

(なんであいつの顔なんか……。敵だ。魔王ソティラスは倒すべき敵だろ。……でもリンゴは美味いし、そもそもこのリンゴは魔王のものだし、仕事の許可ももらったし……)

 熟考の末、ルーチェはとびきり美味しそうなリンゴをひとつ採った。レイルも他の使用人も、リンゴを収穫するのに夢中だ。こちらを気にも留めていない。今なら自由に動ける。
 ルーチェはリンゴを持ったまま、そっとリンゴ畑を抜け出した。見つからないように物陰に隠れながら進む。開放感と高揚感に、自然と胸が高鳴った。足取りも軽い。手に持ったリンゴが心なしか輝いて見える。

(いきなり現れたら、あいつびっくりするかもな。しかもリンゴ持って来たとか。どんな反応するかな)

 想像して、ルーチェは自然と笑みがこぼれた。

(あーでも、まだ仕事中なら邪魔したら悪いか。でもめっちゃ美味かったし、リンゴが好きなら喜ぶんじゃないか。休憩のときにでも食べればいいし。だったら切らずに持ってったほうがいいか。問題は短剣投げてくる側近だけど……)

 考えをめぐらせながら、慎重に進むルーチェだったが、

「――んぐッ!」

 突如、強い力に引っ張られた。
 口元を押さえられ呼吸が止まる。青年であるルーチェの抵抗もむなしく終わるほど、ものすごい力で引きずられる。リンゴを落とし、ごとりと鈍い音がした。

(あ、リンゴが……)

 リンゴは何者かに蹴り飛ばされ、割れた拍子に汁が飛び散る。
 ルーチェはそのままずるずると人気のない暗がりに連れ込まれた。口を押さえる手を引き剥がそうとするも、びくともしない。自分の指が食い込む、ざらざらとした冷たい感触は爬虫類のそれだ。
 ようやく立ち止まったかと思うと無理やり首をひねられ、ルーチェは顔を上げさせられる。
 暗闇の中、視界に入った、不気味に光る瞳と長く赤い舌――リザードマンだ。

「よう、勇者様。見張りもつけないで無用心じゃないですか」
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