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3巻
3-1
しおりを挟む散歩と称して回廊を歩き、神殿までの道を進みながら、あたしはずっと考えていた。
かつりかつりと杖をつき、隣にイリアスさん……大きな体と包帯で覆われた隻眼を持つ、熊のような護衛を引き連れて。
もしもあたしが、前世の記憶を思い出さなかったら。ここが乙女ゲームの世界に酷似した場所だと気付かなかったら。隣の帝国の大鉱山にいた、それは恐ろしい人食いをどうにかしなかったら。
あたしは、自分にとって大事な人たちを、殺さないで済んだだろうか?
一つだけわかっているのは、もし記憶を思い出さなかったら、どの道あたしはもう生きていないという事実。
前世の記憶とゲームのことを思い出した時、運命に抗おうとしなかったら、あたしはオークに殺されていた。あの時、怒鳴らなかったら、森の中をうろつきまわっていたイリアスさんの耳に、あたしの言葉は聞こえなかっただろう。
仮に生き延びたとしても、あの大鉱山にいた人食いの化け物……凝った闇をどうにかしなかったら、結局あたしは死んでいる。
そしてあたしが友情を感じるようになった人たち……隣国の皇太子エンデール様や、彼に従う片眼鏡の侍従サディさん、そしてエンプウサの若君ジャービス様も死なせてしまっていたに違いない。
凝った闇をどうにかできたあたしは、英雄姫という呼称をつけられ、エンデール様に求婚された。あの女嫌いで有名なエンデール様が、一体どういう心境であたしに求婚してきたのかはわからないけれども。
そして、あたしの行動によって、ゲームのヒロインであるお姉様がエンデール様と出会ってしまった。彼に恋したお姉様は、その恋心を誰かに利用されて、あたしと体を入れ替えられた。バスチアでは唾棄すべきものである、禁じられた術……蠱毒によって。
まああたしが入れ替わりに気付いて奔走したから、どうにか事なきを得たけれど。蠱毒によって穢れてしまったあたしは、お父様たちの手によって、お姉様とともにこのクラルテに送られた。その途中で海賊に襲撃されて……海賊たちの一時的な仲間として、彼らの船に乗ったのよ。
船の長である海賊頭は、ゲームの隠しキャラクターだったニィジー・ジン。なぜかゲームとは違って、赤毛と四色の瞳を持った彼のもと、海賊たちと過ごした。
そして仲間意識が生まれたけれど……現実は残酷だった。彼らは悪行を働く海賊として、バスチアの戦艦によって船を沈められたわ。そして誰一人として遺体すら上がらなかった。
笑って別れを告げた赤毛の海賊頭の顔が、夢にまで出てきてしまうほど、あたしは彼らに入れ込んでいた。あたしが前世の記憶を思い出さなかったら、彼らは死ななかっただろう。でも――
「思い出さなかったら、今頃別の屍が積み上がっていた」
あたしは誰にも聞こえない声で呟いた。自分の耳にすら聞こえないくらいの音量で。
誕生日のパーティーで、あのシャンデリアはお姉様の上に落下していたかもしれない。
凝った闇は倒されないまま、手の打ちようのないものとして人を食らっていただろう。
その結末として見えてくるのは、今以上に積み上がった屍の山。
……つまり、あたしは思い出すべきものを思い出した、とでもいうのだろうか……
ふと目を上げると、クラルテの神殿の祭壇の前は、祈りの姿勢をとる人があふれかえっていた。
夫の、息子の、子供の、航海の無事を祈る人たちだ。
陸にいる人間には、それくらいしかできないから。携帯電話なんてないこの世界では、神に祈るくらいしかできることがないから。
海の神と風の女神を祀るクラルテの人たちは、それゆえに祈るんだろう。
泣きに泣いて数日、イリアスさんにすがって二日。赤く腫れた目も落ち着いたから、外の空気が吸いたくなって、こうして歩き回っていた。
でもここはあまりにも、あたしとかけ離れている。
あたしはここの神様に祈ったりしないから。気晴らしに来る場所を間違えたわ。
ここの人たちはそれくらい、というか。あまりにも一生懸命だった。
あたしは踵を返そうとした。イリアスさんがあたしに声をかける。
「祈りに来たんじゃないのですか」
「気晴らしに来たのよ。わたくしは祈りに来たのではないわ。祈る相手がいないんですもの。今船に乗っている大事な人はいないでしょう」
「そうですか。不信心ですねえ。これからの航海の無事を祈ったりなんかは」
「神は人の心の中におわすわ。心の外にいるものに祈っても、何も変えられない」
「お姫さんの考え方はちいっとついていけませんねぇ」
「ついてこなくていいから」
「はいよ」
肩をすくめるイリアスさんだけど、信仰ってそういうものなんじゃないかしら。
心の中にあって、価値観まで変えてしまうもの。
とても厄介で、ろくでもないんだけど、最後にはすがりたくなるもの。それが神様だと思う。
祭壇に祈っている人たちを、否定しているわけじゃないのよ。
他人には他人の考え方があるんだから。
「もう、行くわ」
あたしはイリアスさんを引き連れて、祭壇を後にしようとした。その時だった。
立ち上がって、祭壇に正式な一礼をした人が、あたしに気が付いた。
「二の姫」
刃色の髪、同じような色の瞳。間違いない、ウォーレングレン将軍だった。
ゲームの隠しキャラの一人で、両腕を包帯で覆っている。この包帯の理由はなんだったかしら。
「今日はなぜここへ? 出発前の祈りにしては早いのではないかしら?」
ウォーレングレン将軍が言う前に、あたしの方から聞いてみた。
クリスティアーナ姫とあたしが船に乗ってバスチアに帰るのはまだ先の話。
蠱毒によって穢れた身を浄化する儀式は満月に行われるから、明後日なのよね。
そして儀式は一週間続けられるそうで。その一週間が終わってようやく、あたしたちはバスチアに帰ることができるという話だったわ。
あたしは背の高い刃色の人を見つめた。見下ろされているのはしょうがない。
だってあたしは背が低いんだもの。
「姫君を救ったという知らせを城に届ける使者が、先日旅立ったので。その無事を祈って」
「そうなの」
王女が海賊にさらわれたなんて、とんでもない知らせだっただろうから、無事だという知らせは、きっとお父様を安心させるわ。その使者が無事にバスチアの都に着いてほしいと、あたしも思う。
ウォーレングレン将軍はまだ言いたいことがありそうだった。
「何か言いたいことがおありなの?」
いつまでも言わないから、あたしはそう聞いた。彼の目が揺らぐ。
「ここでは話しにくいことなの?」
あたしはさらに問いかけた。頷く将軍。
「では、どこかそういうお話ができる場所に行きましょう」
それがどこなのかはわからないんだけど、あたしはそう提案した。それから付け加える。
「でもわたくしは、そういう場所に詳しくないの。だから案内していただけるかしら?」
「では、ついてきてください」
あたしたちは祭壇を後にして、いくつか回廊を渡って、人気のない場所に着いた。
そこまで来てようやく、将軍はあたしに言った。
「姫は海賊を利用なさっていたのですか」
利用してはいなかった。あたしは一時的とはいえ、彼らの仲間だったんだから。
でもその答えは、よろしくない答えだということも、あたしにはわかる。
「風女神の神殿に送ってもらう代わりに、雑事をこなすことをそう言うのならば」
あたしはただの事実を語った。これは事実だもの。何もやましいことはない。
「それは……どういう立場だったのですか?」
「そうね、しいて言うのなら、一時的に船の乗組員だったわ」
さて、こう聞いてどう出るのかしら。あたしは彼を眺めた。
将軍は口を開いて、また閉じた。あたしはからかう声で、彼に言葉を投げかける。
「わたくしも縛り首になってしまうのかしら?」
海賊は死刑というのが基本だから、その仲間になったあたしだって、死刑になってもおかしくはないでしょう。もしそうだと言うのならば、あたしはまた頭を働かせるわ。言い訳だってする。
仲間にならなかったら自分は売り飛ばされていたと言ってみせるわ。
ウォーレングレン将軍が、戸惑ったような顔をした。
「あなたは海賊ではない。あなたは騙されていたのだ」
彼らを沈めた時と同じことを、将軍は言った。
最後の最後、あのきらびやかな衣装を着て島への攻撃を止めさせたのも、彼らに騙されていたからだと思っているのね。あれはあたしが、助けたいと思ったから起こした行動の一環なんだけれど。
真実はあたしだけが知っていればいいわ。周りは都合よく解釈すればいい。
「そう」
あたしはそれだけを言った。彼はまだ言いたいことがある顔をしている。
「他に何かおっしゃりたいことがありますの?」
「……ついてきてください」
どこへと問いかける前に、彼が歩き出した。あたしはイリアスさんと目配せをした後、将軍についていった。神殿の回廊をいくつも渡り歩く。
島の半分を占める神殿は、馬鹿にならない大きさだわ。さすが、王族が特別視する神殿ね。金のかけ方が段違い。人気のない部分にまで、壮麗な装飾が施されているんだもの。
回廊を渡った後、今度は地下への階段を下りることになった。階段の下から続くのは荒削りな洞穴。穴を掘って作られた場所ね。でもそこは明るくて、その理由は後からわかった。
それは海が見える崖に続く穴だったのだ、崖は少し張り出していて、海風が吹き渡っている。
ここは一体なんなのかしら。
あたしは周りを眺めた。そこで足元の石板に気が付いた。
いくつもいくつも置かれているその石板を見て、はっとする。
ジリネス海賊団。グレゴリオ海賊団。ステファニス海賊団。その石板たちには全部、海賊団の名前と船の名前が彫り込まれていた。
「海賊の守り神、カナロァという神をご存知でしょうか」
あたしが石板を眺めていると、将軍がそう言ってきた。初耳の神様の名前だった。
「知らないわ」
「そうですか。カナロァは海で死んだ海賊たちを、海の亡霊として永久の住人にすると海賊の間で伝えられています。ここは海賊たちの墓場なのです。その亡霊に、航海を阻害されないようにするための。カナロァは、墓があれば海賊の亡霊たちを、生きている人間にけしかけないとも語り伝えられているのです」
あたしは目を見開く。あたしの夢の中の、ニィジー・ジンの言葉。
彼は……死人を操っていると言っていた。
海で死んだ人は、ニィジー・ジンの声を聞く資格があるって言っていた。
これは一体なんの符号なのかしら。ニィジー・ジンが神だとでもいうのかしら。
カナロァが、ニィジー・ジンの姿をとっていたとでもいうの。
あたしは周りを見回して、真新しい石板に気が付いた。
ニィジー・ジン海賊団。
はっとしてしゃがみ込む。海泡石という、この島ではよくあるありふれた石に刻まれているのは、皆が乗っていた船の名前だった。あたしは言葉が出なかった。
「犯罪者に墓を与えるのはよくないとも言います」
あたしは石板に手を当てて、将軍の言葉を聞いていた。
「しかし、その結果航海を阻害されるのならば、墓くらい作った方がいいだろうというのが、クラルテの神官たちの考えです」
あたしはその墓を眺めて、海を望むこの光景を眺めて、やっと言えた。
「ここはよい墓場ね。海が見えるんだもの」
海を愛して、海で逝った人には、いいお墓だって素直に思えた。
そっと目を閉じて、死んだ皆を思った。
あたしは生きているから、前を向かなきゃいけない。
だから、皆のことは忘れないけど、心にしまっておく。いつかそれを取り出せる日が来るまでは。
ただ一つ気になった。あの夢は一体なんだったのかしら?
月が浮かぶ。二つの月。両方が丸くなるのは一年に二回くらい。三回ある年は、そのためのお祭りが行われるくらいに縁起がいい。そしてこの満月は丸くて、光は金色に皓々としている。
あたしは薄絹のローブを着て、クラルテにある聖なる泉に来ていた。
お姉様であるクリスティアーナ姫も一緒の格好だ。まばゆいばかりの金髪に緑の目の、美しさの権化のようなお姫様。一緒の格好をしていると、彼女の容姿がいかに整っているのかわかるわね。
神官たちは、笹のような葉っぱを束ねた、箒みたいなものを持っている。
「始めます」
神官の一人が言う。あたしは頷いた。すると座っている神官たちが、浄化の歌を唱え始める。
箒を持った神官が、仰々しい感じで、泉の水に箒を浸す。聖なる泉の水に浸されたその箒が、淡く燐光をまとう。それを持って、神官は、あたしとクリスティアーナ姫の肩を軽く叩いた。
薄絹が濡れる。水が冷たい。南の島でよかったわ、本当に。
あたしがそんなことを考えているとも知らない神官が、その儀式を続ける。
クリスティアーナ姫ががたがたと震えている。そんなに寒くないのに。
一時間くらいで、その儀式は終わった。これは浄化の儀式の始まりに過ぎない。
震えながら、息を吐き出したクリスティアーナ姫が言う。
「これが一週間も続くの……」
「むしろ一週間で終わることを喜びましょう、お姉様」
控室みたいな場所で待ってくれていた女官の皆さんが、冷たくなって震えているクリスティアーナ姫をたちまち取り囲んだ。あたしには侍女のシャーラさんがいる。服を着替えて、一息つく。
「真冬だったら風邪をひいているわ」
「さようですか」
シャーラさんが気遣うように差し出したのは、淹れたての熱いお茶。
温かいお茶が嬉しいわ。それを両手で包むように持って、あたしは言う。
「浄化の儀式がこんなに面倒な手順を踏むとは思わなかったわ」
儀式はさらに面倒くさくなった。一日目は肩を叩かれただけだったのに、二日目は頭や体のあちこちを思い切り打たれるようになった。おかげで、あたしの体にあざができた。三日目からは水をかぶせられた。それをやられた瞬間に、つかみかかりたくなった。
日を追うごとに水をかぶせる回数が増えていき、ようやく最後の日を迎える。
今度は術式が書かれた桶の中の、氷水に沐浴することになった。
この一週間、ものすごく冷たい水をかぶせられたりして、おまけに食事も精進料理という名のお粗末な料理を食べているから、あたしは結構ふらふらだ。いつ熱を出してもおかしくない。あざもまだ消えないし。
クリスティアーナ姫の方も、白い肌に赤や青のあざができていて、見ていてとっても痛々しい。それなのに彼女は痛いとも、嫌だとも言わない。
弱音を吐いたのは最初の一回だけ。とんでもないお姫様なのは間違いないわね。
でもクリスティアーナ姫はあたしと同じくらい弱っていて、微笑みも力ないものになっている。
「お姉様、大丈夫ですか」
あたしが自分の体調を置いておいて、そう聞いてしまうくらいふらふらなのだ。それでも儀式を中止したら、同じことを一か月後にやり直しだから、クリスティアーナ姫も頑張っている。
あたしは氷水に入った。体が引きつるとんでもない冷たさ。
悲鳴も上げられないまま震えていると、なんとあの長ったらしい浄化の歌が始まった。一時間もこの氷水に浸かっていろというのか。
横目でクリスティアーナ姫を見ると、気絶しそうになっていた。いつ気を失ってもおかしくないわ、これ。
あたしは耐えた。耐えて耐えて耐えて、やっと儀式が終わったわ。
氷水から出ると、足ががくがくと震えてしまって、あたしはべしゃりと座り込んだ。手足が真っ赤になっていた。クリスティアーナ姫は?
横を見ると、彼女は立ち上がって……ふらりとよろめいた。そのまま、氷水の中に倒れ込む。あたしはがむしゃらに彼女を引っ張り出した。溺死とか笑えないわ。
「お姉様!」
あたしは力を振り絞って、彼女を抱きかかえた。がたがたと震えているクリスティアーナ姫は力を失ったようで、立つこともできずにいる。あたしは周りの神官に言った。
「お姉様を運んでちょうだい」
「掟で禁じられています」
神官たちは平然とした声で、そう言った。何言ってんのこの人たちは!?
「こんな儀式をさせて、意識を失った人をほっておくというの!」
あたしは切れそうになった。唇を紫色にしたお姫様を早く温めなくちゃいけない。
「誰か他の人を呼んで」
「私たちはそれもできません」
「わかったわ、わたくしが呼んでくる」
使えない人たちね。というか、頭が硬すぎるんじゃないの。クリスティアーナ姫がこのまま大変なことになったら、自分たちの責任になるって思わないのかしら。
あたしは立ち上がった。体がふらつく。危うい均衡で、杖を片手に走り出した。あたし自身がくがくしてて、お話にならない速度だったんだけれどね。
ずぶ濡れで青褪めて、控えの間に飛び込んできたあたしを見て、クリスティアーナ姫の女官たちが、血相を変えて飛び出していった。
ほどなくして、担架でクリスティアーナ姫が運ばれてくる。
彼女を着替えさせて、毛布で包んで、暖炉の前の長椅子に寝かせる優秀な女官たち。あたしも着替えて、暖炉の前に陣取っている。
「浄化の儀式が過酷だとは聞いていましたが、ここまでとは」
お姉様の女官、リリアさんが眉をひそめていた。いろいろ言いたいことがあるのね、あたしも同じだわ。
ややあって、神官の一人が現れた。彼は温かそうな上着を着て、刺繍の入った袖を揺らしている。
「どういうことですの、浄化の儀式でこんな目にあわせるなんておかしいでしょう」
リリアさんが彼に食ってかかった。同じくお姉様の女官であるマーサさんも加わるんじゃないかしら。それくらいに、怒り心頭な彼女たち。殺気立っているわ。
「古くから伝わる掟にのっとった儀式ですので」
神官が平然と言う。そしてさらに、とんでもないことを言い放った。
「この儀式で命を落とした人間は皆、罪を背負った人間なのです。罪を背負っていなければ、この儀式も平気なはずなのですよ」
神官は寝ているクリスティアーナ姫に、侮蔑の視線を向けている。
「つまり、これだけ弱っている一の姫は、何か罪深いことをしたのです」
「姫様がそのようなことをするわけがありませんわ! 言ったことを訂正なさい! 神官といえども一の姫にそのような無礼は許しません!」
「古くからある浄化のすべに、何かご不満でも?」
それを聞いた途端、あたしは自分の保身とか全部ぶっ飛んだ。
黙ったまま、机の上にある水差しをつかんだ。リリアさんが叫ぶ。
「その浄化のすべが間違っているのではありませんか! なんの非もない姫様に罪を問うなど」
「どいて」
あたしはリリアさんを押しのけると同時に、水差しの水を神官にぶっかけた。
その場が凍り付いた。あたしはイリアスさんを呼ぶ。
「イリアス」
「はいここに」
「その人の服を下着だけにしてもらえないかしら。わたくしでは、服の作りがわからないの」
「男の服を引ん剥くんですかい、そりゃ楽しくないことを」
「あと、誰か氷水の入った桶を持ってきなさいな。そうね、聖なる泉の水がいいわ。『王女命令』だと言ってちょうだい」
「私持ってきます!」
あたし付きの新米女官、ヴァネッサが走っていく。
あたしは突然の暴挙に驚きまくっている神官を見やった。
「一度氷水に浸かってから、今までと同じことを言えるのならばお言いになってくださらない? 不愉快だわ」
イリアスさんがにやりと笑って、ばっと彼につかみかかる。そしてものの数分で彼を下着一枚にしてしまった。なんていう早業かしら。
「追剥でもしていたことがあるの?」
「あー。それはまだやってません」
「いつかやる予定なの?」
「この仕事が首になったら」
「わかったわ。それは一生ないから安心して」
神官はがちがちと歯を震わせているんだけど、あたしは同情できない。
あたしは、彼にさせようとしている以上のことに、一週間耐えてきたのだ。
それはクリスティアーナ姫も同じだ。クリスティアーナ姫には何も非がないのに、さも悪いことをしたかのように言われるのが、もうどうしようもないほど腹立たしかった。
「姫様持ってきました!」
台車で持ってこられたのは、燐光をまとう水に氷が浮いているもの。神官が真っ青になる。
「このようなことを行って許されると思っているのですか!」
神官がひきつった声で言う。身勝手は人間の性なんだけど。今のあたしは、優しくはなれない。
「同じかそれ以上のことをわたくしたちにさせたのに、よくまあそんな口が叩けるわね。一度同じ目にあわなくちゃおわかりにならないようで」
「姫さん悪い顔してますよ」
「ごめんなさいね、腹が立ってしょうがないのよ」
あたしは神官の腕をむんずとつかんで、半分蹴飛ばす勢いで桶に放り込んだ。
「ひいい!!」
神官が悲鳴を上げる。逃げ出そうとしたその人を、あたしが押さえ込もうとする前に、イリアスさんが押さえ込んだ。
「イリアス、よくわかってるわね」
「俺、神官嫌いなんですよ」
「あら初耳」
「というか、神官という職種に拒否反応が出るんで」
「また素直に言うわね……」
なんとも微妙な答え方に、あたしは苦笑いをする。
「イリアス、あと三十分は押さえ込めるかしら」
「あんたが望むんなら」
あたしは時計を取り出した。魔法の時計で、石の震える回数で時間がわかる。石の名前は時計石。この石に特殊な加工を施すと、一定の震え方をするらしい。
あたしができたんだから、この人だってできるはず。
そう思って十分。じたばたともがいていた神官が静かになる。顔を覗き込む。あたしなんかよりも真っ青な顔。血の気が引きまくっていて、もう白い紙きれのような肌色だった。
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