死にかけて全部思い出しました!!

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3巻

3-2

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「……イリアス、やめよ」

 あたしはイリアスさんにそう言った。三十分にはまだ早いんだけど。

「ちょっと神官様、もたないわ。死なれたら困るし」
「お優しいですねえ、俺だったら死んでも浸けますよ」
「後味悪いわ。それにしても、本当に弱々しいのね、神官ってこんな人ばっかりなのかしら」

 そんなやり取りをしながら、神官を桶から引き上げた。もう反論する気力も残っていないみたい。

「浄化の儀式の過酷さを実地でわかっていただけたかしら? 体を温めて出ていってくださいな」

 彼はあたしを見て、恐ろしいものを見たような顔になる。

「鬼……」
「あら、あなたがたの方がもっと鬼よ? わたくし、自分と同じ時間あなたを氷水にぶち込んでいませんわよ?」
「神官に対する無礼だ……」
「それ以上に、あなたのおっしゃったことの方がよほど無礼だという自覚はおありかしら? わたくしとお姉様を、この国のなんだと心得こころえているの?」

 あたしはそんなことを言いつつも、彼を暖炉だんろの前に座らせて、温かいお茶を差し出した。
 炎の近くに手をかざす神官。その後、両手で包み込むようにお茶の容器をつかむ。

「温かい……」
「それを飲んだらさっさと出ていってくださらない? 姫君の御前で裸なんて、あまりにも無礼だもの」

 誰が引んいたんだ、という突っ込みはなしにしてほしいわ。彼はなんとも言いがたい顔をしてあたしを見たんだけど、それ以上言ってはこなかった。
 神官はそれから十分ほど温まって出ていった。あたしは彼が充分に温まるまで、出ていけと口には出さなかった。そのことが、イリアスさんには不満だったらしい。

「お姫さん、寒いまんま外へ追い出しゃよかったのによう」
「あの神官様が病気になったら後が厄介よ」

 この世界じゃ、肺炎だって結構致死率ちしりつ高いのよ。貴族や王族は魔法薬をたくさん使って完治させることができるけど、神官様もそれと同じかはわからないから。

「お姫さんはお優しいですねぇ、さすが俺のお姫さん」
「優しくないわ。優しかったら最初から、氷水にぶち込むなんてことしないもの」

 言いつつ、あたしの頭は怒りが冷めていた。
 ちょっとやりすぎだったかもしれない。神官は神に仕える身の上だから、王女に無礼な発言をしていいというのはあまりにも短慮たんりょだけど、あたしの対応も短慮たんりょだったかもしれない。

「二の姫様、ありがとうございます」

 リリアさんが言った。

「お礼を言われるようなめられた行動はしていませんわ」
「姫様格好よかったです!」

 あのねヴァネッサ、ここはめるところじゃない。あたしの女官ならたしなめるなり叱るなりするところよ。あたしは苦笑いをして、ヴァネッサを見た。

「バーティミウス」

 不意にあたしを呼んだのは、クリスティアーナ姫だった。

「あなたには、助けられてばかりね……」

 そう言って、あたしに向かって力なく笑うお姫様。

「お姉様、大丈夫ですか? 温かいものを飲んで、体を温めてください」
「ふふ、ありがとう。バーティミウスは優しいわね」
「いえ、まったく」

 そんな儀式が終わって数日たったある日、あたしは部屋の窓から外を見た。なんだかとっても騒がしい。何かしら。ここ数日、騒がしいのよね。

「おい聞いたか!」

 男の人たちが興奮した調子で歩きつつしゃべっていた。見た目からして神官の人たちだった。

「三日前に、竜宮りゅうぐうの使いが海から上がったそうだ!」
「それは本当か!」
「間違いない、赤いひれに青いうろこ。三日前の明け方に、あの竜宮の使いが網にかかったそうだ」
「明け方か、間違いないな。明けの使者だろう」
「ねえ」

 あたしは彼らを呼び止めた。彼らがあたしを見て、びくりと体をすくめる。

「別に取って食わないわ。竜宮の使いとは何かしら?」

 彼らは顔を見合わせた。なんて説明しようって、その顔に書いてある。

「竜宮の使いとは、文字通り竜宮からの使者です。ええと、竜宮のあるじの妻たる人魚姫を迎えに来るんです。いつも明け方に現れるので、明けの使者とも呼ばれることがありますね」

 あたしは呆気あっけにとられた。人魚姫。それはあたしがタソガレ――あのローブを着た謎の人に呼ばれた名前じゃないの。
 ということは、もしかしてあたしを迎えに来たということなのかしら。
 ぐるぐるとする頭の中。あたしは何気ないふりをして聞く。

「使者をもてなさないのかしら?」
「しませんよ。竜宮の使者なんて勝手に、美しい女を妻として要求する厄介な生き物です。今年もきっと、誰か美しい女性が人魚姫として、海に沈められるんでしょう」
「どういうことなの? あるじの妻たる人魚姫を殺すの?」

 海に沈めるってそういうことじゃないの。
 あたしの驚きは、神官たちには伝わらないらしい。

「体を捨てて、たましいだけになって、竜宮へ行くんです。人魚姫は体があっても意味がない。竜宮のあるじは、たましいだけになった妻を愛するのですから。そして竜宮のあるじは、たましいだけの妻に新しい魚の姿を与えるとも言います。ゆえに選ばれる女性を人魚姫と」

 そして、彼らはあたしにとって衝撃の一言を発した。

「お可哀想なクリスティアーナ姫。選ばれるのは彼女に間違いないでしょう。今この島にいる女性の中で最も美しく、竜宮に向かうにふさわしいのですから」

 この人たちは、あたしがクリスティアーナ姫を大事に思っていることに気付いていないらしい。
 あたしはイリアスさんを見やって、叫んだ。

「イリアス! わたくしをお姉様のところまでかついで走って!」
「? はいよ」

 イリアスさんがあたしをかつぎ上げて、神官たちの目の前で全力疾走し始めた。

「お姫さん軽いなあ」
「そういう話は後にして!」

 クリスティアーナ姫。彼女がまた命の危機にひんしているだなんて、なんということかしら。
 あたしはそれにあらがおう。あの人は殺させない。
 あたしをかついだイリアスさんがすごい勢いで飛ぶように走っていく。途中ですれ違った人たちが、何が通ったんだというような顔をしてこっちを見ていた。
 あたしたちは、クリスティアーナ姫の部屋に転がり込んだ。あたしはイリアスさんから降りると同時にこう言った。

「お姉様、今すぐにクラルテから出てください!!」
「バーティミウス?」

 とことん不思議そうな声で、クリスティアーナ姫が言う。いきなり息せき切ってやってきたあたしは、確かに不思議だろう。でもそんなこと言っている場合じゃないのよ!

「何があったのかしら? 何か大変なことがあったのはわかるのだけれど」
「ええと、竜宮の使いなるものが現れて、人魚姫を選ぶそうで、人魚姫になったら、海に沈められて殺されてしまうのです!」

 リリアさんが悲鳴を呑み込んだ顔をした。あたしは立ち上がる。

「この島にいる一番美しい女性を選ぶみたいなことを聞いて、それはお姉様だから、とりあえずバスチアに戻ってください。王都ならこんなことはありえませんけど、ここはクラルテで」

 あたしはまともにしゃべれていない。我ながら結構混乱している。

「落ち着いて、バーティミウス」

 だって急がないと、急いでここからこの人を立ち去らせないと。殺されてしまうのだ! 

「姫様、二の姫様はこのような冗談をおっしゃる人ではありませんから、事実でしょう。急いで船の手配をおこないます」

 リリアさんが血の気の引いた顔で言う。それでも取り乱さないあたりはさすがだ。

「私が行ってきます! 確か今日中に、バスチアに行く便があったはずです。定期便の一室を貸し切るくらいならまだ、交渉の余地があるはず!」

 女官のベラさんが飛び出していく。クリスティアーナ姫はそれを見た後、リリアさんに言った。

「第一王女であり、第一王位継承者でもある私を、そう簡単に海へ沈めるかしら?」
「わかりませんよ。ここは王族の中でも、姫様の次に王位継承権を持つ、アナクレート様の領域ですもの。そしてアナクレート様が虎視眈々こしたんたんと、王位を狙っているのは――」

 リリアさんが目を伏せる。

「宮廷の誰もが知っている話です。姫様が邪魔だと思ってもおかしくありませんもの」

 邪魔なやつは排除する。それは宮廷以外の世界だって同じだけれど、権力とかが関わるとさらに厄介。あたしはアナクレート様を見たことがないんだけど、リリアさんの評価を信じることにした。

「とにかく、荷物をまとめておきましょう。逃げなければならないでしょうから」

 その時だった。扉が叩かれる音。答えを待たず不作法に開かれる扉。

「こちらにうら若き乙女がいらっしゃると聞きました」

 現れたのは、神殿の関係者ではなく、女衛兵だった。着ている衣装の紋様から、アナクレート様のやとっている人だとすぐにわかった。橄欖オリーブに鳩は、アナクレート様のような王弟が持つ印だ。
 彼女の視線はあたしを素通りし、クリスティアーナ姫で止まった。

「これはうるわしい。これほどのうるわしさならば、竜宮の使いは満足し、そのあるじも気に入るでしょう」

 あたしは血の気が引いてきた。やっぱりクリスティアーナ姫は、海に沈められるというの。

「私を海にささげることを、お父様がお許しになるかしら?」

 落ち着いた声で言うクリスティアーナ姫。女衛兵が笑みを浮かべる。

「お許しにならずとも、我々が生きるためには必要なのですわ。この国の姫君だとおっしゃるのならば、民の生活を守ってくださるでしょう?」
「なぜ生きるために必要なのかしら?」
「竜宮のあるじは、冬でも暖かい潮の流れを、この島の周囲に流してくださいます。それがえさの豊富な冷たい流れとぶつかることで、この諸島一帯は素晴らしい漁場になっているのです。竜宮のあるじの機嫌を損ねることは、島の人間にとって一大事なのですよ」

 クリスティアーナ姫がそれをじっと聞く。あたしからすれば、潮の流れなんていうとんでもないものを、ただ竜宮のあるじというだけの存在が、あやつれるなんて思えないんだけど。

「わかりましたわ」

 ……え、お姉様、今なんて言ったの。
 あたしは呆気あっけにとられたまま、続く彼女の言葉を聞いていた。

「民の心を守るのも、王族の義務でしょう。私一人が海に沈むだけで、千人もの民が安心するのならば安いものですわ」

 そう言って、クリスティアーナ姫が笑った。
 だめです、お姉様。だめ、だめ、いけない。
 大声を上げようとしたのどは言うことを聞かず、だんまりを決め込む。
 リリアさんもマーサさんも、誰も、何も言えなかった。

「よいお心がけです」

 女衛兵がクリスティアーナ姫に告げる。

「ついてきてください。花嫁の控えの間に連れていきます」
「大丈夫よ、バーティミウス」

 立ち上がったクリスティアーナ姫が言う。
 全然大丈夫なんかじゃないです。あなたが、どうしてこんな理不尽なことになるのか。
 あたしは何も言えずに、出ていく背中を見送った。
 扉が閉まる。リリアさんがくずおれる。再び扉を開けたのは、ベラさんだった。

「ウォーレングレン将軍が船を都合してくれるそうで……まさか」

 ほっとした様子だったベラさんが、その顔を青褪あおざめさせた。

「間に合わなかったのですか?」

 あたしは黙ってうなずいた。ベラさんの目に涙がにじむ。

「そんな、ことが、あっていいはずが」

 ベラさんもくずおれ、手で顔をおおう。あたしたちは無力だった。
 あたしがふがいなさで唇を噛みしめた時だった。その映像が頭に流れ込んできたのは。
 茶色の髪と、健康的な象牙ぞうげ色の肌をした青年。少し分厚い眼鏡めがねの奥の瞳は、深い深い緑色。

「ダンダリオル子爵……」

 あたしはつぶやいた。彼はゲームの攻略対象の一人だ。急いでそのプロフィールを思い出す。
 ダンダリオル侯爵家の跡取り息子で、今年の誕生日に、子爵位にじょされた人だ。それはバスチア国内を荒らしまくっていた強盗集団を倒したためだとも、古代魔術の再現に成功したからとも言われている。つまりなんでもできる、ファンタジーの世界なら一度は憧れる人。
 確か、ゲームの人気投票では、第一位に輝いたくらい素敵な人だったはず。微妙ににぶくて、そこがファンの心を直撃したんだったわ。
 あたしが思い出した、ゲーム中の一枚絵は、海に沈んでいくクリスティアーナ姫と、そのか細い腕をつかもうとするダンダリオル子爵だった。
 今思い出したのは、ダンダリオル子爵ルート。ニィジー・ジンのルートに入らないで、そのままダンダリオル子爵ルートに行った時の最後だ。
 島であまりの美貌びぼうから、にえとしてささげられることになったクリスティアーナ姫。
 彼女を救うのは、その儀式がいかに重要かを知りつつも、愛を選んだ男の人。
 生真面目な自分の、心の底からの意思を初めて表に出した人。天才肌で精神年齢が幼く見えるのに、実は誰よりも老成している人。
 クリスティアーナ姫がこうなるってことは、ダンダリオル子爵と何かしらの接触があったということなのだ。……ゲームの中では。

「ねえ。クリスティアーナ姫に、誰か高貴な身分のお客様は来ていらした?」
「え、ええ」

 それが一体なんなのか、という顔をする女官さんたち。あたしは真顔で聞いた。

「それはどなたかしら。もしかしたらその方のお力添えで、どうにかできるかもしれない」
「ええっと」

 ベラさんが思い出そうとこめかみをもみ、はっとした顔になった。

「そういえば出不精でぶしょうと噂のダンダリオル子爵様が、いらっしゃいました」

 やっぱり、ダンダリオル子爵と接触していたか。

「その方は、今どこに?」
「神殿の一角に滞在なさっていると聞きます。二の姫、まさか彼にお力添えを?」
「彼はお姉様に恋をしているかもしれない。そのことに賭けるわ」
「そんな不確かなことを、他の方法は」
「今は思いつかないの。わたくしじゃだめでも、ダンダリオル子爵様くらい有能な方だったら、アナクレート様のお心を変えられるかもしれない」
「こたびの選択が、アナクレート様のご意思だと思っていらっしゃるのですか? 竜宮の使いの選択だったら」
「それはないわ。それだったらあの女衛兵が、竜宮の使いも満足するだなんて言わないはずだもの。……急ぐわよ、わたくしがアナクレート様の立場だったら、邪魔な女は急いで海に沈めるわ。その後でどうとでも言い訳ができるもの。それに王位継承者は、お姉様の他にもいっぱいいる」

 クリスティアーナ姫がいなくなっても、王家はつぶれない。
 王弟殿下の考えは不明。でもクリスティアーナ姫を排除するのは何か勝算があるからだ。

「行きましょう」

 あたしは急いで、ダンダリオル子爵が滞在しているところに向かった。
 でも、留守番の女性がいるだけだった。

「彼はどこに? わたくし、急いでいるの」
「ダンダリオル子爵様がどこにいらっしゃるかなんて、私にはわかりません」

 女性は当たり前のことを言っただけ。あたしは八つ当たりで怒鳴り散らしたい心を抑えた。

「そう、では待つわ」
「は……?」

 女性が怪訝けげんそうな顔になる。

「夜中になってもここで待つわ。急用なの」

 あたしが言っていることは、王女としてありえない不作法だった。
 一体この世のどこに、男性を待って部屋に居座る王女がいるというのか。
 女性が慌てふためき始める。

「困ります!」
「じゃあ、どこに行ったのか見当はつかない?」
「本当の本当に、存じ上げないのです!」

 それは悲鳴に近かった。でもあたしはゆずらない。急がなきゃ。
 女性があたしの勢いに負けて泣きそうになる。弱い者いじめはしていないんだけど。

「お姫さん、頭に血がのぼりすぎていませんかね」

 イリアスさんが言ってくる。

「もうちっと落ち着け。なあ女官さん、そのダンダリオル子爵様が戻ってきたら、すぐにこのお姫さんのところに知らせが来るようにはできませんかね?」
「そうします!」

 救いの手が現れた、という顔をして、女性がうなずいた。

「じゃあ、それで。お姫さん、今のうちに後のこと考えましょう。クリスティアーナ姫を助けた後、どこに連れていくかとか」

 そう言われて気付いた。お父様が、クリスティアーナ姫を守ってくれるとは限らないんだ。もしかしたら、アナクレート様とのぶつかり合いを避けるために、娘を、一の姫を切り捨てることだってありえる。バスチアは、ラジャラウトスのように盤石ばんじゃくの状態じゃない。

「保険が必要ね」

 あたしはイリアスさんに声をかける。

「イリアス、一回部屋に戻って待ちましょう」

 あたしは、ある人を利用させてもらうことにした。


「お姫さん。一時間半も、なんでそんな紙切れ一枚についやしているんですかい」
「あのね、手紙というものは、回し読みされる可能性があることを考えながら書くものなの。知らない人に読まれても、恥ずかしくない文面じゃないといけないのよ」
「さっきまで話しかけたら蹴り飛ばしてたのに、そうしないってことは、もうお手紙書くの終わったんですかね」
「ええ終わったわ」

 書き終わった手紙を封筒に入れて封蝋ふうろうまで押してから、のぞき込んでいたイリアスさんに渡す。

「わたくしにもしものことがあったら、お姉様と一緒に、これを持ってエンデール様のところに行ってちょうだい」

 渡しながらそう言った。これはあたしが今回の作戦に失敗して、クリスティアーナ姫を守り切れなかった時のための保険だ。イリアスさんの疑問の表情は、当然のものだろう。

「なんで」
「わたくしの意思よ。あなたは以前言ったわ。わたくしとお姉様が入れ替わった時、お姉様を守るのがわたくしの意思だと思っているって。それは今でも変わらないわ。あなたはよくできた人だから、あなたにしかこの手紙は任せられないわ」

 あたしはたった一人しかいない、あの優しい姉を守りたい。だからこういう手紙だって書く。
 そして、ちゃんと相手に届けてくれるという確信がある人じゃないと、この手紙は渡せない。

「お姫さん……」
「わたくしのイリアスだから、頼めるの」

 この言葉はあたしの切り札だった。こう言えば、イリアスさんはやってくれるって思ったのだ。
 イリアスさんが、あたしをじっくりと見つめて、ややあってからため息をついた。

「しょうがないですねぇ」

 そう言いつつも、イリアスさんが手紙を受け取る。ふところにしまわれるそれ。

「お願いね。わたくしのイリアス」
「ええ、俺のお姫さん。ついでと言っちゃあなんだが、中身を聞いてもいいですかねえ」
「お姉様をかくまってもらうことを頼む手紙よ」
「そりゃあ大事な手紙だ」

 あたしは文面を考えるために一時間くらい悩んだわよ。でも、これで確実にあの人にはあたしからの手紙だって伝わるはず。
 あたしの知る彼だったら、この手紙を無下むげにしない。それくらいはわかるわよ。

「二の姫様! ダンダリオル子爵がお戻りです!」

 ヴァネッサの声。ヴァネッサに、あの女官さんが伝えてくれたんだろう。
 あたしは行きと同じだけ急いで、ダンダリオル子爵の部屋の前にやってきた。
 ノックする。シャーラさんが扉を開ける。
 部屋の中にいたのは、ゲームと寸分たがわぬ容姿の人だった。
 ややずり落ちた眼鏡めがねを直し、明るいのに深い緑の目をまたたかせてあたしを見ている。
 その目にどこか、冷たいものを感じた。でもそれを、すぐさま消してしまうあたり有能だわ。

「あなたが一体なんの用です?」

 問いかけてきた声は、まろやかな響きを伴っていた。いやし系の声ね。イリアスさんのしゃがれた重低音とも、エンデール様の男前な声とも、シュヴァンシュタイン公爵様の魅惑的な美男子の声とも違う。そして、若干の方言が残っている。しいて言うなら、関西弁に似た響き。

「お願いがあってきましたの」
「姫君ともあろう方が? 本気か?」

 敬語がいささか作りにくいのも方言の弊害へいがいだった。でも、あたしはそれを無礼だととがめないことにした。話が進まないもの。

「ええ」

 あたしは彼をまっすぐに見つめた。きらきらと明るい透明感のある、でも深い緑色をしている瞳。眼鏡めがね越しでも魅力が伝わってくる、魅惑的な瞳だった。
 肌が日に焼けているのは、日向ひなたで本を読むのが好きだから。
 剣術も得意だけれど、稽古けいこの様子を周りに見せびらかしたりしない陰の努力家だったはず。
 整っているのにどこか親しみを感じさせる、柔らかい空気。
 ちょっと笑うと、優しい笑顔が日向ひなたの暖かさを連想させる。そういう人。
 女王という重圧に苦しむお姉様の支えになりそうな、近くにいるとほっとしそうな人だった。
 あたしはそんな人を見て、開口一番、衝撃の事実を知らせることにした。

「クリスティアーナ姫が、海に沈められるってことをご存知かしら?」

 彼の目が見開かれる。動揺している。もしかしなくても驚いている。いけるかもしれない。

「あの方が、なんでや」

 声も動揺していた。ものすごい動揺だった。貴族にあるまじき驚きっぷりだ。

「竜宮の使いとやらが来たそうですの。そしてこの島で最もうるわしい女性を、人魚姫として海に沈め、竜宮のあるじささげるんだそうで」
「姫は次期国王やろ、そないなこと……」
「ご存知ではない? アナクレート様が王位を狙っているという話を」

 あたしはさっきまで知らなかったんだけど、ダンダリオル子爵はそれを知っていたらしい。

「しょせん噂やろ?」
「噂でも、事実として彼に仕える衛兵が、お姉様を連れていってしまったわ」

 彼の瞳が大きく大きく見開かれる。その後、ゆっくりと伏せられた。

「それでは打つ手がありませんわぁ。アナクレート様は自分の意思を曲げるのがお嫌いだったと思います」
あきらめるの?」

 あたしは突っ込んで聞いた。彼が悲しげな表情になる。

「やって、もう決まってしまったものやもん」

 それはあきらめることに、慣れ切った人の言葉だった。

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