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第3部3章

10 ただいま

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 考えた末に出た言葉。やっぱりあっていなかったかな? とは思ったけれど、恐る恐る殿下の顔を見れば、この言葉が正解だったのだと、私は確信した。
 光を帯びた真紅の髪は輝きを取り戻し、赤々と主張してくる。彼の夕焼けの瞳も光がともりうるっと涙のまくが張り、首を少し傾けて殿下は微笑んだ。


「ああ、ただいま。ロルベーア……」
「アイン!」


 ひしっと、見つめあって抱き合う。言葉はそこにいらなかった。
 長いこと離れ離れになっていた恋人たちの再会のように、私たちは相手の体温を感じながら離れたくないと抱き合う。背中に回された腰、腰に回した私の手。一つになってしまうんじゃないかというくらいくっついて、彼のくすぐったい髪が私の頬当たる。心臓の鼓動も聞こえ、彼が生きているのだと安心する。彼の匂い。少し、鉄臭くて、汗臭かったけれど、嗅ぎなれた彼の匂いに私は頬が緩くなる。彼が浮かべた涙がうつったように、私の目からも涙が零れ落ちた。


「アイン、ごめんなさい、アイン……」
「いや、俺こそ思い出せなくて悪かった。つらい思いをさせただろう。ここ数か月……本当に、ロルベーアには迷惑をかけた」
「迷惑だなんて。私こそ……」
「いい。お前のおかげでここまでこれた。すべて終わらせることができた。だから、もう責めないでくれ……ロルベーアは十分頑張ったんだ。強い、俺の、俺の愛しいロルベーア」


 そういって、殿下は頭を擦り付けるように抱きしめて、ありがとうと何度もつぶやいた。感謝をするのはこっちのほうだと思ったが、私はただそれを受け入れて、空っぽになりかけていた自分の心を満たした。殿下が私と離れた数か月何を思って、どんな風に生きていたか、またゆっくり聞きたいと思った。彼も寂しかっただろう。そう思っていてくれると嬉しいし、そう思わせてしまっていたのであればそれを埋めることができるのは私しかいないと。


(ただ、本当にいろいろとむちゃをしたのよね……)


 抱いてしまった力が欲しいという願望。弱さ。
 そして、殿下なら大丈夫だとゼイとシュタール……マルティンにしか言わなかった作戦。公爵や、リーリエには事前に話さなかった後悔。いろいろとある。そして、殿下の戦争の最終目的が私の奪還になっていたのも、私のためだけに危険を冒すことになった人たちにも申し訳なくなってくる。
 謝って許してもらえるのか。それこそ、殿下の……皇太子の心を奪った悪女として、お前はふさわしくないといわれるかもしれ兄。でも、それも甘んじて受け入れようと思った。何事にも責任がついて回る。それはずっと前から知っていたことなのだから。


「ありがとうございます。アイン……本当に記憶が戻ってよかった」
「ああ……おかげさまでな。だが、本当にもう二度とあんなことはするな!」
「ですが、アイン。そうしなければアインの記憶が本当に消えてしまっていたのかもしれないんですよ!? 天秤にかけた結果、これが最善だと」
「く……だがな」
「それに、アインなら助けに来てくれるって思ってましたから。戦争になってしまったのは、そう……あれですけど。でも、信じてましたよ。前もそういってくれたじゃないですか」


 ヴァイスに誘拐されたとき、彼は私を探しに来てくれた。追跡魔法がなくても、番じゃなくても彼は私がどこにいても探しに来てくれるだろう。それこそ、どんな手を使ってでも彼はキッと。
 殿下は、うぐぐ、とうなっていたが、納得したように「あたりまえだろ」と言って、私の額にキスを落とした。


「珍しいですね」
「何がだ」
「口にしてくれないなんて」
「……」
「どうしたんですか?」
「いろいろと、ロルベーアには言いたいことがある。記憶を失っていた時のことすべてな」
「ええっと……」
「お前はエロすぎる」
「はい!?」


 どんな言葉が飛び出すのかと思って待っていれば、エロい、なんてここまでのムードというか、先ほどラスボスを倒した英雄の発する言葉ではないと私は目をむく。そして、なぜそれを言われたのかおおよそ理解できてしまい、体温が急上昇し、ボッと火を噴くように顔が熱くなった。


(確かに、あんなことしたのは悪かったと思うけれど!)


 でも、殿下だからであり、初めての人にあんなふうに迫ったりはしないだろう。強引に混浴を迫ることもしないし、自身の体で殿下の背中を洗うなんてこともしない。殿下だからやったのだ。それは理解してほしい。
 記憶がなくったって、他人になるわけでもないし、別人になるわけでもないだろう。


「おおおお、お言葉ですがアイン。あれは、アインだからやったのであって、ほかの人にはやりませんし、そもそも、そんなことを覚えているとか、アインのほうが変態なのでは!?」
「俺に押し付けるな! あと、俺意外にやったらそれこそその男を殺すぞ。女であってもだめだ! お前の裸を見ていいのは俺だけだ!」
「そ、そういう問題なのですか!?」


 こんなやり取りも懐かしく思える。
 殿下も向きになって言うので、互いにむっとにらみ合った後に、噴き出すように笑った。
 ああ、本当に日常が戻ってきたのだと私はまた涙が浮かんでくる。この時をずっと待っていた。


「アイン……本当に、ありがとうございます。すべて、終わらせてくれて」
「ああ。でも、本当にそれはロルベーアの助けがあったからだ。それと、お前の護衛と、用心棒のおかげでもあるな」
「ゼイ、シュタール……そうね。彼らにもしっかりとお礼を言わなくっちゃ」


 きっと心配しているだろう。シュタールは空気になったように私たちの会話を聞いていたけれど、改めて、彼は私の前に来て膝をつき「ご無事で何よりです。おかえりなさいませ、公女様」と深く頭を下げた。心配しているような顔には見えないが、その言葉から心配していたことが感じ取れ、私は何度も彼に感謝の言葉を述べた。
 彼もまた、彼の人生において大きなことを成し遂げたのだ。


「シュタール、さっき言っていたことは本当?」
「はい。その力を悪用する魔導士たちの撲滅に力を注ごうと思っています。もう、ヴァイス・ディオスのような魔力を持つ輩は出てこないでしょうが、それでも第二の人間になってしまわないよう、牽制と抑制を。俺があの国で生まれ、授かった天命だと思い……」


 そこまで言ってシュタールは顔を上げた。なぜか迷っているというような顔をこちらに向けるので、私は数度瞬きして、彼がなぜ迷っているのか、その理由に気づいてしまった。


「行ってきなさい」
「いいのですか? 俺は、貴方の護衛で」
「ゼイで事足りているわ。もちろん、貴方がいてくれたほうが嬉しいけれど、貴方が見つけた夢なんだから、私はそれを応援したいと思うわ。それに、その願いも、行動も戦争がこの世界からなくなる一つの理由になるかもしれないから」


 魔法は便利な道具なだけでいい。それを戦争に利用するなどもう二度とあってほしくない。
 シュタールは、うつむき、それから決意したように顔を上げた。彼を拾った理由ももう達成されたし、奴隷人生を歩んできた彼には自由になってほしいと思った。ここから好きなことを選ばせてあげたいと。それが、彼の主人としての最後の役割だと思った。


「でも、いつでも戻ってきていいからね。公爵家が貴方の夢に力を貸すわ」
「そんな大それたことじゃないですけど……お心遣いありがとうございます。必ず、達成して見せます」


 と、シュタールは宣言し、立ち上がる。
 それを見届けた後、殿下が私の名前を呼び手を差し伸べた。


「アイン……」
「帰ろう。今度こそ、すべて終わったんだ」
「……」
「どうした?」
「いえ。もう、くよくよしたくないなと思っただけよ。この功績が貴方の背中を押す最後のピースになったんじゃないかと思ってね」
「……、そうだな。ようやくあの老害を王座から引きずりおろせるな」


 まるで悪役のような笑みを浮かべ殿下は強引に私の手を掴んだ。もう離さないと、そんな意思が感じられる彼の大きな手を見ながら、もう後ろを振り向かないと顔を上げ彼に手を引かれるまま一歩大きく踏み出した。これが、一つの区切りであり、私たちの新たな一歩、始まりだ。未来は明るい、そう信じて私たちは帝国の騎士たちが待つ城外へと足を進めたのだった。


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