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第3部3章
09 おかえりなさい
しおりを挟む「――シュタール!」
血に濡れた彼の姿は恐ろしく、感情を削ぎ落された顔は何を考えているかわからなかった。もとからそういう顔だったのだとはわかっていても、悪魔を葬った男と考えるとその恐ろしさは際立つ。その灰色の髪は、オオカミのようにたなびいており、そして彼自身は静かに凪いでいる。これまで、自分をひどく冷遇してきた兄を手にかけることができたというのにまったく彼はうれしそうじゃなかった。まるで、当たり前のように、それが一つの作業のように彼は淡々とこなした。
「ハッ、生きてたの……この、愚図」
「愚図と言われる筋合いはありません。結局あなたは、自分の身を自分で滅ぼした。自分には魔法があると高をくくっていたから」
「……は、ハハハハハハ! 魔力のない君が……負け惜しみか」
「負け惜しみでも何でもありません。事実です」
シュタールはもう一度その剣を振り下ろそうとしたが、私はそれを止めさせた。シュタールは、私に気づくとぺこりと頭を下げた。
「ご無事で何よりです。公女様」
「ぶ、無事……まあ、そうね。よくやったわ。ありがとう。アインに伝達してくれて」
「いえ……」
短く返し、それからシュタールは再びヴァイスを見下ろした。ヴァイスの胸からはどくどくと血が流れ、傷口が広がっていくようだった。治癒魔法をかければ間に合うのかもしれないが、誰も彼を助けようとはしなかった。すべての元凶であり、彼を倒すことができれば、平和が戻るから。
それにしても、ヴァイスはシュタールの気配に気づかないほど熱くなっていたということだろうか。まず私たちですらシュタールの気配に気づくことができなかったのだから、ヴァイスも……と考えられたが、きっと彼は私たちを殺すことに焦点を置きすぎたせいで視野が狭くなっていたに違いない。ヴァイスの悔しそうな顔を見てればすぐにわかる。
「ヴァイス、もう諦めなさい」
「ロルベーア。面白いことを言うね。魔法で自分自身を治すことができる僕からしてみれば、こんな傷……」
と、ヴァイスは口から血を垂らしながらそうつぶやいたが、彼が思っていたようなことは起きなかった。自ら治癒できると豪語したが、彼の魔法は発動しなかったのだ。
私たちも不思議に思っていたが、この状況を把握していたシュタールが口を開く。
「貴方はもう魔法が使えません」
「はったりにもほどがあるよ。負傷しているからうまく発動しないだけで……」
「いえ。もう二度と使えないです」
シュタールは死刑宣告のようにそう言い放つ。私は訳が分からずに首をかしげるが、殿下のほうは理解したようで鼻で笑っていた。どうやらヴァイスもからくりに気づいたらしく、さらに顔をゆがめてシュタールを見ていた。
「貴方は俺に魔力がないといいました。それは確かにあっています。俺には魔力がありません。しかし、魔法を切るという特異な才能と、また、人の魔力を……もっと言えば、自身に向けられた魔力を吸い取る力があるんです」
「なっ……」
どうやら、これを知らなかったらしいヴァイスは声を上げる。
そんなことができるなんて私も信じられずシュタールを見るが、彼はそれが事実であるように言った後、息を吐いた。
「さんざん俺を苛め抜いてくれましたね。人間として価値がないと刷り込まれ続けた人生。生きる希望を失って、人間とすら自分のことを思えなくなった日々のこと……奴隷として生きていくしかない日々。貴方が一番気持ちいい時に絶望に叩き落してやろうと考えていたんです。どうですか。見下していた弟に見下ろされるのは」
「……さい、あくな気分だね。ぐっ……」
出血が多いせいか、ヴァイスの目はだんだんととじていく。もうしばらくすれば彼の息はとまるだろう。シュタールの言っていたことが本当であれば、彼にはもう魔力が残っていないわけだ。そんな彼は無抵抗状態で、シュタールはこの後彼をどうするつもりだろうか。気になってみていれば、殿下のほうにシュタールは顔を向け、もう一度深く頭を下げた。
「いいのか? 自分の手で始末しなくて。貴様は、俺が思っているよりも根に持つやつみたいだからな。もっと苦しめて殺してもいいんだぞ?」
「いえ、俺はそんなこと望みません。それに、俺のこれからの目標は、彼を信仰していた魔導士たちの根絶です。魔力を失った魔導士は無価値……魔法を悪用する人間のためだけに俺は剣をふるい、この力を使います。ですから、皇太子殿下、あとは貴方に任せます」
と、シュタールは言うと一歩後ろに引いた。本当によくわからない人だと思った。殺意も、憎悪もあるのに、それが全く表に出てこないし、感じない。兄を恨んでいたという割にはこれで済ませる優しさというか、でもそれがヴァイスにとっては一番屈辱的なことなのかもしれないと、私は思いながら殿下のほうを見る。
このまま放っておいても死ぬだろうが、殿下も殿下で彼に対する恨みがある。私だって、そうだし、今回の場合彼には慈悲はいらないと思う。
「ロルベーアはどう思う?」
「私?」
「ああ、このまま放置してもこいつは死ぬだろう。だが、俺の手で終わらせることだってできる」
「……」
私はちらりとヴァイスのほうを見た。これまでの笑みが嘘のように私たちをにらみつけ、悪人というように顔をゆがめている。こめかみがぴくぴくと動き、そして白い肌が怒りで赤く染まっている。こうなったのは自分のせいなのに、その怒りを私たちにぶつけるのかと。けれど、彼も人間で、最後に人間らしい表情が見えて、そこは少しだけ安心した。やはり、完璧な人間などどこにもいないのだと。
「アインの判断に任せます。すべての元凶を打ち取った英雄になるのもいいですし、彼をこのまま放置するのも……」
「そうか」
どちらが苦しいだろうか。そんなことを考えてしまう自分の頭が恐ろしかったが、彼をここで放置しても一人で死ぬことになる。彼は孤独で死ぬことを別に恐ろしいとも思わないだろう。だったら、私たちの手で終わらせるのがいい――その意見は殿下も一致していたようで、彼に跳ね飛ばされていた剣を引き抜きそれを高く掲げた。夜明けの太陽が差し込み、彼の剣を白く照らす。
「ヴァイス・ディオス最後に言い残すことはないか」
「最後に? ふ、ハハッ、これがそう……断罪される人間の気持ちかあ、面白いね。でも、ちっとも怖くないや……」
ヴァイスはそういうと、ビー玉の瞳をこちらに向けた。その瞳に私が映るが、何というか気持ち悪さは全くなかった。年相応というか、それよりも少し幼いような顔がこちらに向けられる。そして彼は、血を吐きながら微笑み最後の言葉だと震える唇を動かした。
「ロルベーア、愛してる」
「…………」
刹那振り下ろされた殿下の剣。私は目を閉じ、それから顔をそらした。何かが切り落とされ、血が飛び散る音が聞こえる。
脳裏に焼き付いた彼の笑みは、恋する男の顔ではなく、ただ恋心を抱いている風を装った……やはり人間らしくない表情だった。愛しているなどきっと嘘で、最後の最後まで気持ち悪い男だったと。私は彼を忘れないだろう。
「……ロルベーア、もういいぞ」
「終わったんですか? すべて」
「ああ……」
殿下はヴァイスの死体から私を遠ざけるように肩を抱き、シュタールはヴァイスの死亡を確認した後、彼の頭にそっと布をかぶせた。
「あの、アイン」
「何だ?」
すべてが終わった。長いようで短いような悪夢が幕を下ろす。思えばもうここにきて、殿下と出会って三年になると、私は玉座の間に差し込む朝日を見ながら思った。まぶしい光が目に入り込み、私は思わず目を細める。
殿下はそれを見て笑っていた。
先ほどは、謝罪が飛び出してしまったけれど、冷静になった頭が次に殿下に話さなければならない言葉をピックアップする。記憶が戻ってよかったということも言いたいし、すべて終わらせたんですね、ともあふれてくる言葉を一つに絞り切ることはできなかったが、上ってくる朝日の光を見つめ、私はこの言葉をかけようと決めた。
「アイン……」
「ロルベーア?」
もしかしたら、その言葉はあっていないかもしれない。でも、本来の彼が戻ってきたという意味では、遠いところに言っていたという意味ではあっていると思って私は言葉を紡ぐ。
「――おかえりなさい、アイン」
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