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第一部 旅立ち篇

四の扉 作られる悪役令嬢

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 「だまされるな、国民よ! すべてはカーディナル家の陰謀である!」
 「カーディナル家は薬師として王家に取り入ることで信用を得、その実、数々の非道な薬物を用いて王族を操ろうとしてきた!」
 「カーディナル家の目的は王家を操ることで裏からフィールナル王国を支配し、すべての民を地獄にたたき落とすことにある!」
 「ことに現当主ラベルナは最悪の魔女である! ラベルナは非道にも、自らの両親を謀殺して当主の座を手に入れると、王太子に取り入り、婚約者の地位に収まった! すべては自らが権力の座に登り、国民を苦しめるためである!」
 「国王アルフレッド陛下が遊興にふけり、北の巨人族相手に無謀な戦を仕掛けたのも、すべてはラベルナが薬物によって畏れ多くも国王陛下を操ったためである!」
 「王家と国民の絆を断ち切り、国民をあおることで国内に未曾有みぞうの混乱をもたらし、国民を苦しめる! それこそ、魔女ラベルナの思惑! 国民よ、騙されるな! もし、いま、そなたたちがラベルナに騙され、王家に楯突いたならばすべてはあの魔女の思い通り! フィールナル王国は分断され、北の巨人族に蹂躙じゅうりんされ、そなたたちは塗炭とたんの苦しみを味わうこととなるぞ!」
 「国民よ、騙されるな! すべては魔女ラベルナの謀略! いまこそ王家と心をひとつにし、魔女ラベルナによってもたらされたこの国難こくなんを乗りきるのだ!」
 ラベルナの捕縛ほばくと時を同じくして、『ラベルナの謀略』と称される布告が次々と公表された。それらはいずれも国民の怒りを招いた出来事はあげてカーディナル家とその当主ラベルナの陰謀によるものであり、国王と王家には何の責もないこと、国王と王家を責めることは魔女ラベルナの陰謀に乗せられることであり、誰よりも国民自身を苦しめる結果になること、いまこそ国民は王家と心をひとつにし、魔女ラベルナによってもたらされた国難に立ち向かわなければならないこと、を告げていた。
 それらの布告を聞いたとき、国民はどうしただろうか。納得し、ラベルナとカーディナル家を責め、国王と王家への敬愛と忠誠の念を取り戻しただろうか。
 とんでもない。
 その反対だった。
 国による布告は国民の怒りにさらに油を注ぐ結果となった。
 「ラベルナさまが魔女だって⁉ なんてふざけたことを言うんだい」
 「カーディナル家が薬物を使って代々の王を操ってきた? ふざけるな! カーディナル家は他の貴族どもがおれたちをないがしろにするなかでただひとつ、おれたち平民のことを気に懸けてくれた本物の貴族さまだぞ!」
 「そうとも。おれのばあさんも、そのまたばあさんもカーディナル家の世話になってきた。カーディナル家は偉大な薬師の家系だ。まして、ラベルナさまはそのなかでももっとも熱心におれたちの世話をしてくれた。あの方が我々を苦しめようなんてするものか!」
 「ラベルナさまは『病人を治すのは薬師の義務』と仰って、金のない貧民にまで薬を処方してくださった。おかげで、おれの妹は生命が助かったんだ! そのラベルナさまを魔女扱いするなんて王家のやつらはとんでもない連中だ!」
 そんな怒りの声が国中に充ち満ちた。
 何しろ、国民たちの多くが代々、カーディナル家の世話になってきたのだ。病気になっても治療代を払うだけの余裕がなく、誰からも見捨てられるなか、カーディナル家だけが治療代なしでも診察し、薬を処方してくれた。
 『病人を救うのは薬師の義務。金銭を支払うのは財あるものの務め』
 そう語り、金のない貧民のために自分たちの財産から原料代を支払い、薬を調合し、治療してきた。現当主ラベルナもその伝統に従い、多くの貧しい人々を怪我と病気から救ってきた。そうして、実際に救われた経験をもつ人間が大勢いるのだ。王国の布告など信じるはずがなかった。逆にカーディナル家とラベルナを侮辱ぶじょくする王家の態度に憤慨ふんがいし、ますます激しい暴動が国中で繰り返された。しかし――。
 「騙されるな! すべてはカーディナル家と魔女ラベルナの陰謀なのだ!」
 国の布告は執拗しつようだった。
 国民がいくら怒ろうとも毎日まいにち大量の布告が発表された。そのすべてがいかにカーディナル家が陰謀を巡らしてきたか、ラベルナが恐ろしい魔女であるかを示すものだった。そして、最後には必ず、こう付け加えられるのだ。
 「魔女ラベルナの目的は王家と国民を分断し、フィールナル王国に未曾有の苦しみをもたらすことにある! 騙されるな、国民よ! 王家を敵とし、暴動を繰り返せばくりかえすほど魔女ラベルナの思惑通りとなる! いまこそ王家と心をひとつにし、魔女ラベルナのもたらした国難を乗り越えるのだ!」
 最初は相手にしていなくても毎日まいにち執拗に繰り返されれば徐々にその気になってくる。『もしかしたら……』という心の隙間が生まれる。その心の隙間に誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうが入り込み、カーディナル家とラベルナに対する信頼を損ね、疑惑を広げていく。
 ――繰り返せばくりかえすほど、嘘が本当に見えてくる。
 その法則のもと、国民の思いも徐々にかわりはじめた。
 王家に対する敵意が薄れ、カーディナル家とラベルナに対する疑いの色が濃くなっていった。
 公式な布告だけではなく、その裏では姑息こそくな噂戦術も用いられていた。おしゃべりな国民を小金を払って雇い、町のあちこちで噂話をさせたのだ。
 「おい、どう思う? カーディナル家に対する布告」
 「あんなの、相手にするやつがあるかよ。カーディナル家は代々、薬師としておれたちを助けてきてくれたじゃないか。金のないやつのためには自腹を切ってまで治療してくれたじゃないか。忘れたのかよ?」
 「もちろん、忘れちゃいないさ。けどよ。いまにして思えばそれこそ怪しかないか? だってよ。貴族さまともあろうお方が見ず知らずの貧民のために自腹を切っていたんだぜ。普通、そこまでやるか? 何か裏があって人気取りをしていたんじゃないか」
 「うっ……。そう言われると」
 そんな会話を町のあちこちで一日に何度もなんども行わせたのだ。
 町中で過ごしていれば街角の会話はいやでも耳に入る。ほとんどは気にもとめはしないがわずかでも耳に引っかかり、心の隙間に忍び込む。そして、『もしかしたら……』という思いが生まれる。
 王国という『敵』からの情報ではない。
 『同じ民衆』という味方からの嫌疑けんぎ
 だからこそ、国からの発表にはない信憑性しんぴょうせいをもって人々の心に忍び込む。
 「……言われてみればそうだよな。いくら何でも、見ず知らずの貧乏人のために自腹を切るなんておかしいよな。裏がある方が普通だ」
 「大体、そんな大金、どうやって手に入れたんだよ?」
 「いくら貴族さまだってなあ」
 「まともに暮らしてちゃあ、そんな大金、一生、手に入らないだろうよ」
 「薬で代々の王さまを操ってたって?」
 「そうやって国の金をくすねてたのか?」
 「ラベルナさま……ラベルナは自分の両親を殺したって?」
 「あれは事故だろ。先代のご当主夫妻の乗った馬車が土砂崩れに呑まれたんだ」
 「けど、土砂崩れの原因は不明なんだろ?」
 「大雨が降ったわけでもないし、土砂崩れなんてついぞ起こしたことのない場所だったからなあ」
 時を経るごとに民衆の間でのささやき声はそんな内容にかわっていった。
 国王アルフレッドは国王としての見識にも能力にも欠ける、博打ばくち好きの遊興の徒であったが、あるいは逆にそのためだったろうか。このような姑息な手段を活用することには長けていたようである。
 さらに、事態の流れを決定的にしたのが、ラベルの婚約者である王太子アルフォンスだった。アルフォンスは民衆の前に出て涙ながらに語ったのだ。
 「私はあの魔女に操られていたのだ! あの魔女は私に甘言を囁き、父上を追い落とし、玉座に就くようそそのかした! そうなれば自分が王妃となり、この国を自由にできると思ったからだ。あの女は恐ろしい。本当に恐ろしい魔女だ。あんな恐ろしい魔女は他にはいない!」
 アルフォンスがいかにも怯えたような、オロオロした様子でそう言うと、見るものは皆『本当に恐ろしい目に遭ったのだな』と思ってしまうのだ。
 意志が弱い。
 頼りない。
 情けない。
 そう言われつづけたアルフォンスの気の弱さも、こと他人を陥れることにかけては役に立った。
 こうして、民衆の怒りと憎悪は徐々に王家からカーディナル家へと移っていった。
 あわてたのはカーディナル家の使用人たちである。
 もちろん、かの人たちはカーディナル家の使用人として、当主であるラベルナがそのような真似をする人物でないことを知り尽くしている。その敬愛する主人に対する誹謗中傷を繰り返す王家に怒りをたぎらせ、他の国民と共に抗議活動に参加していた。しかし――。
 民衆自身がカーディナル家とラベルナに対して疑惑の目を向け始めるとはまったく想像していなかった。
 「どうなってるの⁉ ラベルナさまが王家を操った魔女だなんて……どうして、そんなことを信じられるの?」
 「くそっ、あいつら、ラベルナさまに助けてもらった恩を忘れたのか⁉」
 「ど、どうするのさ? このままじゃ、おいらたちまで悪魔扱いだよ」
 侍女のメリッサが、フットマンのサーブが、そして、まだ少年であるボーイのルークスが、口々に言う。メリッサは弟のような存在であるルークスに対し、叱りつけるように言った。
 「何を言っているの⁉ こんなときこそ、あたしたちが主家を支えなくてはいけないんでしょう」
 「メリッサの言うとおりだ、ルークス。ラベルナさまはいま、敵の手に囚われたったひとり、戦ってらっしゃる。我々もカーディナル家の名誉を守るために戦うんだ」
 「……う、うん、そうだよね。おいらもやるよ。あんなお優しいラベルさまを見捨てるなんて出来ないもんな」
 メリッサたちは自ら街角に出て王家の言うことや噂話はすべてまちがいであることを訴えた。カーディナル家とラベルナの本当の姿、真摯しんしに人々の生命を救おうとする薬師としての姿を伝えようとした。
 すると、即座に各地に目を光らせている軍隊がやってきた。殴りつけ、蹴りつけ、徹底的にぶちのめして追い返した。その様を見ても民衆の誰も軍隊を責め、カーディナル家の使用人たちを助けようとはしなかった。
 もうそれほどに、民衆のカーディナル家に対する疑惑の念は深いものとなっていたのだ。
 さらに決定的な事態が起きた。
 カーディナル家内部から誣告ぶこくするものたちが現れはじめたのだ。
 カーディナル家ほどの大貴族ともなれば使用人は平民ばかりとは限らない。自分の息子や娘に貴族としてのマナーを身に付けさせようとしたり、大貴族とのつながりをもつ目的で下級貴族が自らの子供を使用人として送り込むことも多い。そんなか旧貴族たちは風向きがかわった途端、自分の子供をカーディナル家から引きあげさせた。手のひらを返し、王家に取り入るためにカーディナル家の悪評を流しはじめた。
 曰く、
 ――夜な夜な怪しげな音や煙が屋敷のなかに漂っていた。
 ――見るからに怪しい人物が出入りしていた。
 ――動物たちの泣き叫ぶ声を何度も聞いた。
 ――変色し、見る影もなくなった動物の死体を何度も始末させられた。
 ラベルナをはじめ、カーディナル家の当主たちが屋敷内で様々な実験にいそしんできたために、屋敷内では怪しい音や煙が漂うのは普通のことだった。通常では手に入らない薬品の原料を買い付けるために普通の貴族なら相手にもしない怪しげな山師や魔術師と取り引きすることもよくあった。薬物の効果を確かめるための実験として動物たちを使い、多くの動物たちを死なせてきたのも事実である。
 そのために、誣告しようと思えばいくらでも『事実を含んだ』誣告をすることができたのだ。
 当主であるラベルナが地下牢に幽閉され、何もできない状態にされているさなか――。
 カーディナル家は着実に追い込まれつつあった。
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