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第二部 絆ぐ伝説
第四話一二章 復讐の牙がまちうける
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ロウワンたちはイスカンダル城塞群――と言うより、その跡地である廃墟――において、『自称・パンゲア史上最強の諜報員』レディ・アホウタと別れた。
「自分はすぐに大聖堂ヴァルハラに向かって、教皇猊下の本心を探り出すっス」
アホウタは一二、三の子どもにしか見えない外見には似つかわしくない覚悟を定めた表情でそう語った。いや、幼い見た目だからこそ、その覚悟を決めた表情は『健気』の一言であり、その姿には胸を打たれるものがあった。
「あんなおぞましい兵を使うなんて、いまのパンゲアは絶対にまちがってるっス。パンゲア人としてそのまちがいは正さなくてはならないっス。そのために、大賢者さまたちの力をお借りしたいっス。だから、自分はそのために大賢者さまたちに協力するっス。でも……」
これだけはゆずれないっス、と言う覚悟を込めて、アホウタは付け加えた。
「自分はパンゲアを裏切ることはしないっス。パンゲアの不利益になることは絶対にしないっスよ。もし、自由の国がパンゲアと争うならそのときは、自分もパンゲア兵のひとりとして自由の国と戦うっス。その点は承知しておいてほしいっス」
アホウタはそう何度も念を押して、大聖堂ヴァルハラを目指して走っていった。その身軽さ、歩調の速さはさすが、野伏の一撃を無傷で受けとめただけのことはあるものだった。
アホウタを見送ったあと、ロウワンたちもローラシアの首都ユリウスを目指して歩きだした。イスカンダル城塞群から、補給用の後方拠点とも言うべき町まではそう遠くはない。その町まで行けばあとは馬車を使って街道を進んでいける。首都ユリウスまではそう何日もかかりはしない。だが――。
ロウワンの様子はなんとも浮かないものだった。表情は暗く、唇を真一文字に結び、うつむき加減に地面を見ながら歩いている。その様子は控えめに言って、端で見ていて気が滅入るものだった。
「キキキッ」
――どうしたんだよ、いったい?
「かの人のことが気になる?」
ビーブが問いかけ、トウナが尋ねた。野伏はそんな一行を若干、距離を置いた目で見守っている。
「……ああ」
と、ロウワンはうつむいたまま答えた。
「なんだか……アホウタの、国への思いを利用したみたいで」
「……まっすぐな人だったものね」
「……ああ」
トウナの言葉にロウワンはうなずいた。
アホウタは二六歳。少なくとも、自分ではそう言っていた。しかし、あの純粋さ、曲がったことを許さないまっすぐさはむしろ、見た目通りの一二、三歳の子どもにこそふさわしいものだった。
――おれはそのまっすぐさを利用して、アホウタを自分たちのための諜報員に仕立てあげた。
ロウワンはそう感じずにいられなかった。その思いが罪悪感となって胸の奥をチクチクと刺しつづけている。
「キキイッ、キイ、キイ」
――けどよ。あいつは自分で、自分の国のために行動しようってんだろ? べつにお前が利用したわけじゃないだろうよ。
「そうよ。あのままならかの人はずっと、あの城塞跡で隠れている羽目になった。あなたと出会えたのは、かの人にとって幸運なことだったはずよ」
「それはわかってる。でも……」
ロウワンは唇を噛みしめた。唇からにじんだ血が白い歯を朱に染めた。
理由はどうあれ、ロウワンと出会ったことでアホウタは自国を探ることになった。情報を盗み出し、他勢力に渡すために。いくら、本人にとって『祖国のため』に『祖国のまちがいを正す』行いであっても、パンゲアから見れば完全な裏切り行為。れっきとした内通者。そのことが知られれば処刑は免れないだろう。なにしろ、パンゲアは神の教えに忠実な騎士の国。裏切りに対しては容赦というものがない。
――祖国への忠誠心を利用して、その祖国の手で殺されるかも知れないことをやらせるなんて。
ロウワンはどうしてもそのことを悔やんでしまう。
「もうひとつ、問題がある」
野伏が指摘した。
「アホウタは諜報員だ。こちらに協力する振りをして、自由の国の情報をパンゲアに渡すという可能性もある。そのときには殺すだけの覚悟が必要だ。ロウワン。お前にそれができるのか?」
ギリ、と、ロウワンは歯ぎしりした。
そんなロウワンをビーブとトウナがそれぞれ気遣わしげに見つめている。
野伏はロウワンの逃げを許さなかった。
「答えろ、ロウワン。お前は自由の国の主催だ。お前の迷いは自由の国の民全員にとっての命取りとなる」
「……確かに。おれは自由の国の主催だ。その責任において、アホウタが裏切ったなら――いや、『裏切る』というのはおかしいな。アホウタはもともとパンゲアの人間なんだから――パンゲアのためにおれたちを利用しようとしたならこの手で殺す」
「……キキキッ」
「……ロウワン」
「その覚悟があるならいい」
野伏は無慈悲なほど冷徹に言いきった。その冷徹さはもちろん『必要になれば、おれが斬る』という決意を込めてのものだったが。
「ところで」
気分をかえたくなったのだろう。トウナが努めて明るい声を出した。
「これから、ローラシアに入るんでしょう? ローラシアについてはよく知らないんだけど、どんな国なの?」
「うん。ローラシアの一番の特徴は王がいないとことだ」
「王がいない?」
「ああ。そもそも、ローラシアはひとつの国じゃない。六つの公国が合わさって、ひとつの国の姿をとっている。だから、大公国。六つの公国にはそれぞれ国を治める公爵がいて『六公爵』と呼ばれている。この六公爵が合議制で全体の政を行っている。一応、六公爵のなかから代表として『大公』が選ばれるそうだけど、六公爵が順番につくそうで、国王とはちがう」
「貴族がいるのに王さまがいないなんて、なんだか変な感じね」
「ローラシア貴族はとにかく特権意識が強い。だからこそ、自分たちの上に立つ『国王』が存在することを許さない。父さんが昔、そう言っていたな」
ロウワンの父はゴンドワナでも有力な商人のひとりであり当然、他国の事情については精通している。
「なるほどね。そんなこともあるかもね」
と、トウナは納得して見せた。
「でも、奴隷はいる」
「ああ。それも、扱いのひどさは大陸一だ。なにしろ、『奴隷は人間ではなく、主人の所有物である』と憲法に明記している国だからな」
「……そして、プリンスはそのローラシアの奴隷だった」
「……ああ」
「プリンスは、ローラシアに復讐したいのかしら?」
「それは、聞いたことはないな。でも、自由の国、と言うより、海賊にはローラシアから逃げてきた元奴隷が多い。『仕返ししたい』との思いは当然、あるだろうな」
「すると、自由の国の主催としてはどうする気だ?」と、野伏
「この旅の目的は亡道の司との戦いに備え、各国と協力関係を築くことだ。しかし、ローラシアと協力すると言うことは、奴隷制を容認すると言うことでもある。自由の国にいる元奴隷たちにとっては面白くあるまい」
「……正直、迷っている」
ロウワンはいたって正直にそう認めた。
「ローラシアの在り方は確かに、都市網国家の理念に反する。都市網国家は『対等』を求める。『主人と奴隷』などという関係は認めない。しかし、『誰もが自分の望む暮らしを作れる』というのが都市網国家の目指す世界。その意味では『奴隷制を望む国』があってもいいことになる」
「キキキッ」
――面倒な話だな。
「確かにな。だけど、『誰もが自分の望む暮らしを求め、望む場所に移動出来る』というのも、都市網国家の基本だ。ローラシアが、移住を求める奴隷にその自由を認めるなら話は簡単なんだが……」
「ありえんな」
ロウワンの言葉を文字通り一刀両断にしたのは、野伏である。
「奴隷制をもつ国が、奴隷の移住など認めれば国が成り立たなくなる。もし、認めた上で奴隷の移住を防ごうとすれば、移住したがらないよう待遇を改善し、手厚く扱わなくてはならない。それは、実質的な奴隷解放だ。どちらにしても、ローラシアが受け入れるわけがない」
「だろうな」
ロウワンはうなずいた。その程度のことはロウワンにも最初からわかっている。
「でも、いずれにしても想像に過ぎない。ローラシアの貴族たちがどう判断するかは実際に知り合ってみなくてはわからない。おれたちはそのために、ローラシア貴族を知るために行くんだ」
すべてはそれからだ。
ロウワンはそう言いきった。そして――。
今度こそまっすぐに顔をあげ、胸を張ってローラシア目指して歩きはじめた。
その頃――。
ローラシアの首都ユリウスにおいてひとつの小さな、しかし、重大な動きがあった。
ローラシアは六つの公国の集合体であり、公国ごとに首都が存在する。しかし、それとは別に『総首都』とでも呼ぶべき存在がある。
それが、ユリウスである。
ローラシアの代表を務める大公をはじめ、ローラシアを牛耳る六人の公爵たちは普段、このユリウスにあって政を司る。もちろん、政だけではなく、経済、軍事、そして、謀略……それらのすべてがこのユリウスにおいて決定される。その性格上、ユリウスには『市民』と呼べる存在はなく、住んでいるのは全員が官僚か軍人、その家族である。
そのユリウスにある公邸のひとつにおいて、ふたりの男性が対峙していた。
ひとりは四〇代半ばの中年の男。もうひとりはすでに七〇近いと思われる高齢の人物だった。しかし、その視線の力強さ、全身からにじみ出る風格は中年の男をはるかに凌ぐ。その姿を見たものは誰であれ、高齢の男が主人であり、中年の男は使用人だと思うだろう。ふたりの態度はそう思われるにふさわしいものであったし実際、その通りだと言っていい関係だった。
「伯父上」
中年の男は高齢の男に対し、そう語りかけた。その表情にも、口調にも、隠そうともしない憎悪があふれている。
「あなたの一族を殺した小僧、自由の国の主催とかを名乗るロウワンという小僧がやってくるそうですぞ」
中年の男の名はヨーゼフ。かつて、ロウワンがその手にかけた海凶ハルベルトの父親。そして――。
高齢の男は六公国のひとつ、ペニン公国の当主メルクリウス。
ハルベルトの父は国内でも名の通った侯爵とは言え、あくまでも数多いる貴族のうちのひとりに過ぎない。しかし、その伯父はローラシアを牛耳る六公爵のひとりであったのだ。
そしていま、ヨーゼフは息子を殺された恨みに燃えて、伯父であるペニン公爵メルクリウスに復讐をそそのかしているのであった。
ヨーゼフにしてみれば放蕩者の四男などに対し、とくに愛情を抱いていたわけではない。しかし、殺されたとなればやはり、親子である。たちまち、怒りに駆られた。ハルベルトが海凶として活動し、パンゲアの居留地を襲って名を挙げはじめたところでもあった。
「あの不出来な息子がようやく、役に立つようになったわい」
そう思い、喜んでいたところを殺されたのだ。殺した当人であるロウワンに対し、寛容でいられるはずもなかった。
一方、メルクリウスにとっては甥っ子の四男など、顔も覚えていない『その他大勢』のひとりに過ぎない。しかし、ローラシアを牛耳る六侯爵のひとりである自分の一族が殺されたとあっては、家門の名誉に関わる。手をこまねいていれば他の公爵たちから嗤いものにされ、権勢を失う結果にもなりかねない。それを防ぐためにはなんとしても、殺害者に対する『血の復讐』を成し遂げなくてはならないところだった。
「わかっておる」
メルクリウスは憎悪に滾る甥に言った。
「その小僧は剥製にして、子々孫々に至るまで我が屋敷に飾ってやろうぞ」
「はっ!」
ローラシア六公爵のひとり、メルクリウス。
人類世界屈指の権勢を誇るその人物がいま、ロウワンに対する復讐の牙をむいたのだ。
「自分はすぐに大聖堂ヴァルハラに向かって、教皇猊下の本心を探り出すっス」
アホウタは一二、三の子どもにしか見えない外見には似つかわしくない覚悟を定めた表情でそう語った。いや、幼い見た目だからこそ、その覚悟を決めた表情は『健気』の一言であり、その姿には胸を打たれるものがあった。
「あんなおぞましい兵を使うなんて、いまのパンゲアは絶対にまちがってるっス。パンゲア人としてそのまちがいは正さなくてはならないっス。そのために、大賢者さまたちの力をお借りしたいっス。だから、自分はそのために大賢者さまたちに協力するっス。でも……」
これだけはゆずれないっス、と言う覚悟を込めて、アホウタは付け加えた。
「自分はパンゲアを裏切ることはしないっス。パンゲアの不利益になることは絶対にしないっスよ。もし、自由の国がパンゲアと争うならそのときは、自分もパンゲア兵のひとりとして自由の国と戦うっス。その点は承知しておいてほしいっス」
アホウタはそう何度も念を押して、大聖堂ヴァルハラを目指して走っていった。その身軽さ、歩調の速さはさすが、野伏の一撃を無傷で受けとめただけのことはあるものだった。
アホウタを見送ったあと、ロウワンたちもローラシアの首都ユリウスを目指して歩きだした。イスカンダル城塞群から、補給用の後方拠点とも言うべき町まではそう遠くはない。その町まで行けばあとは馬車を使って街道を進んでいける。首都ユリウスまではそう何日もかかりはしない。だが――。
ロウワンの様子はなんとも浮かないものだった。表情は暗く、唇を真一文字に結び、うつむき加減に地面を見ながら歩いている。その様子は控えめに言って、端で見ていて気が滅入るものだった。
「キキキッ」
――どうしたんだよ、いったい?
「かの人のことが気になる?」
ビーブが問いかけ、トウナが尋ねた。野伏はそんな一行を若干、距離を置いた目で見守っている。
「……ああ」
と、ロウワンはうつむいたまま答えた。
「なんだか……アホウタの、国への思いを利用したみたいで」
「……まっすぐな人だったものね」
「……ああ」
トウナの言葉にロウワンはうなずいた。
アホウタは二六歳。少なくとも、自分ではそう言っていた。しかし、あの純粋さ、曲がったことを許さないまっすぐさはむしろ、見た目通りの一二、三歳の子どもにこそふさわしいものだった。
――おれはそのまっすぐさを利用して、アホウタを自分たちのための諜報員に仕立てあげた。
ロウワンはそう感じずにいられなかった。その思いが罪悪感となって胸の奥をチクチクと刺しつづけている。
「キキイッ、キイ、キイ」
――けどよ。あいつは自分で、自分の国のために行動しようってんだろ? べつにお前が利用したわけじゃないだろうよ。
「そうよ。あのままならかの人はずっと、あの城塞跡で隠れている羽目になった。あなたと出会えたのは、かの人にとって幸運なことだったはずよ」
「それはわかってる。でも……」
ロウワンは唇を噛みしめた。唇からにじんだ血が白い歯を朱に染めた。
理由はどうあれ、ロウワンと出会ったことでアホウタは自国を探ることになった。情報を盗み出し、他勢力に渡すために。いくら、本人にとって『祖国のため』に『祖国のまちがいを正す』行いであっても、パンゲアから見れば完全な裏切り行為。れっきとした内通者。そのことが知られれば処刑は免れないだろう。なにしろ、パンゲアは神の教えに忠実な騎士の国。裏切りに対しては容赦というものがない。
――祖国への忠誠心を利用して、その祖国の手で殺されるかも知れないことをやらせるなんて。
ロウワンはどうしてもそのことを悔やんでしまう。
「もうひとつ、問題がある」
野伏が指摘した。
「アホウタは諜報員だ。こちらに協力する振りをして、自由の国の情報をパンゲアに渡すという可能性もある。そのときには殺すだけの覚悟が必要だ。ロウワン。お前にそれができるのか?」
ギリ、と、ロウワンは歯ぎしりした。
そんなロウワンをビーブとトウナがそれぞれ気遣わしげに見つめている。
野伏はロウワンの逃げを許さなかった。
「答えろ、ロウワン。お前は自由の国の主催だ。お前の迷いは自由の国の民全員にとっての命取りとなる」
「……確かに。おれは自由の国の主催だ。その責任において、アホウタが裏切ったなら――いや、『裏切る』というのはおかしいな。アホウタはもともとパンゲアの人間なんだから――パンゲアのためにおれたちを利用しようとしたならこの手で殺す」
「……キキキッ」
「……ロウワン」
「その覚悟があるならいい」
野伏は無慈悲なほど冷徹に言いきった。その冷徹さはもちろん『必要になれば、おれが斬る』という決意を込めてのものだったが。
「ところで」
気分をかえたくなったのだろう。トウナが努めて明るい声を出した。
「これから、ローラシアに入るんでしょう? ローラシアについてはよく知らないんだけど、どんな国なの?」
「うん。ローラシアの一番の特徴は王がいないとことだ」
「王がいない?」
「ああ。そもそも、ローラシアはひとつの国じゃない。六つの公国が合わさって、ひとつの国の姿をとっている。だから、大公国。六つの公国にはそれぞれ国を治める公爵がいて『六公爵』と呼ばれている。この六公爵が合議制で全体の政を行っている。一応、六公爵のなかから代表として『大公』が選ばれるそうだけど、六公爵が順番につくそうで、国王とはちがう」
「貴族がいるのに王さまがいないなんて、なんだか変な感じね」
「ローラシア貴族はとにかく特権意識が強い。だからこそ、自分たちの上に立つ『国王』が存在することを許さない。父さんが昔、そう言っていたな」
ロウワンの父はゴンドワナでも有力な商人のひとりであり当然、他国の事情については精通している。
「なるほどね。そんなこともあるかもね」
と、トウナは納得して見せた。
「でも、奴隷はいる」
「ああ。それも、扱いのひどさは大陸一だ。なにしろ、『奴隷は人間ではなく、主人の所有物である』と憲法に明記している国だからな」
「……そして、プリンスはそのローラシアの奴隷だった」
「……ああ」
「プリンスは、ローラシアに復讐したいのかしら?」
「それは、聞いたことはないな。でも、自由の国、と言うより、海賊にはローラシアから逃げてきた元奴隷が多い。『仕返ししたい』との思いは当然、あるだろうな」
「すると、自由の国の主催としてはどうする気だ?」と、野伏
「この旅の目的は亡道の司との戦いに備え、各国と協力関係を築くことだ。しかし、ローラシアと協力すると言うことは、奴隷制を容認すると言うことでもある。自由の国にいる元奴隷たちにとっては面白くあるまい」
「……正直、迷っている」
ロウワンはいたって正直にそう認めた。
「ローラシアの在り方は確かに、都市網国家の理念に反する。都市網国家は『対等』を求める。『主人と奴隷』などという関係は認めない。しかし、『誰もが自分の望む暮らしを作れる』というのが都市網国家の目指す世界。その意味では『奴隷制を望む国』があってもいいことになる」
「キキキッ」
――面倒な話だな。
「確かにな。だけど、『誰もが自分の望む暮らしを求め、望む場所に移動出来る』というのも、都市網国家の基本だ。ローラシアが、移住を求める奴隷にその自由を認めるなら話は簡単なんだが……」
「ありえんな」
ロウワンの言葉を文字通り一刀両断にしたのは、野伏である。
「奴隷制をもつ国が、奴隷の移住など認めれば国が成り立たなくなる。もし、認めた上で奴隷の移住を防ごうとすれば、移住したがらないよう待遇を改善し、手厚く扱わなくてはならない。それは、実質的な奴隷解放だ。どちらにしても、ローラシアが受け入れるわけがない」
「だろうな」
ロウワンはうなずいた。その程度のことはロウワンにも最初からわかっている。
「でも、いずれにしても想像に過ぎない。ローラシアの貴族たちがどう判断するかは実際に知り合ってみなくてはわからない。おれたちはそのために、ローラシア貴族を知るために行くんだ」
すべてはそれからだ。
ロウワンはそう言いきった。そして――。
今度こそまっすぐに顔をあげ、胸を張ってローラシア目指して歩きはじめた。
その頃――。
ローラシアの首都ユリウスにおいてひとつの小さな、しかし、重大な動きがあった。
ローラシアは六つの公国の集合体であり、公国ごとに首都が存在する。しかし、それとは別に『総首都』とでも呼ぶべき存在がある。
それが、ユリウスである。
ローラシアの代表を務める大公をはじめ、ローラシアを牛耳る六人の公爵たちは普段、このユリウスにあって政を司る。もちろん、政だけではなく、経済、軍事、そして、謀略……それらのすべてがこのユリウスにおいて決定される。その性格上、ユリウスには『市民』と呼べる存在はなく、住んでいるのは全員が官僚か軍人、その家族である。
そのユリウスにある公邸のひとつにおいて、ふたりの男性が対峙していた。
ひとりは四〇代半ばの中年の男。もうひとりはすでに七〇近いと思われる高齢の人物だった。しかし、その視線の力強さ、全身からにじみ出る風格は中年の男をはるかに凌ぐ。その姿を見たものは誰であれ、高齢の男が主人であり、中年の男は使用人だと思うだろう。ふたりの態度はそう思われるにふさわしいものであったし実際、その通りだと言っていい関係だった。
「伯父上」
中年の男は高齢の男に対し、そう語りかけた。その表情にも、口調にも、隠そうともしない憎悪があふれている。
「あなたの一族を殺した小僧、自由の国の主催とかを名乗るロウワンという小僧がやってくるそうですぞ」
中年の男の名はヨーゼフ。かつて、ロウワンがその手にかけた海凶ハルベルトの父親。そして――。
高齢の男は六公国のひとつ、ペニン公国の当主メルクリウス。
ハルベルトの父は国内でも名の通った侯爵とは言え、あくまでも数多いる貴族のうちのひとりに過ぎない。しかし、その伯父はローラシアを牛耳る六公爵のひとりであったのだ。
そしていま、ヨーゼフは息子を殺された恨みに燃えて、伯父であるペニン公爵メルクリウスに復讐をそそのかしているのであった。
ヨーゼフにしてみれば放蕩者の四男などに対し、とくに愛情を抱いていたわけではない。しかし、殺されたとなればやはり、親子である。たちまち、怒りに駆られた。ハルベルトが海凶として活動し、パンゲアの居留地を襲って名を挙げはじめたところでもあった。
「あの不出来な息子がようやく、役に立つようになったわい」
そう思い、喜んでいたところを殺されたのだ。殺した当人であるロウワンに対し、寛容でいられるはずもなかった。
一方、メルクリウスにとっては甥っ子の四男など、顔も覚えていない『その他大勢』のひとりに過ぎない。しかし、ローラシアを牛耳る六侯爵のひとりである自分の一族が殺されたとあっては、家門の名誉に関わる。手をこまねいていれば他の公爵たちから嗤いものにされ、権勢を失う結果にもなりかねない。それを防ぐためにはなんとしても、殺害者に対する『血の復讐』を成し遂げなくてはならないところだった。
「わかっておる」
メルクリウスは憎悪に滾る甥に言った。
「その小僧は剥製にして、子々孫々に至るまで我が屋敷に飾ってやろうぞ」
「はっ!」
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