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第二部 絆ぐ伝説
第四話一一章 レディ・アホウタっス!
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「ぎゃん!」
魔を滅するかのような気迫のこもった野伏の叫び。
大気を裂く太刀の刃音。
それにつづいたのはなんとも場違いな印象の声だった。
悲鳴ではある。悲鳴ではあるのだが、妙に緊張感のない間の抜けた声。言ってみれば、小さい子どもの誕生会に出席して、そこで余興の小芝居を演じているやられ役の声。そんな印象。
「……いった~い」
間の抜けた声に思わず呆気にとられたロウワンたちの目の前。そこにひとりの少女が落ちていた。歳の頃は一二、三と言ったところ。小柄で薄い体つき。短いが艶のある髪はてんでバラバラの方を向いていて『身だしなみ』という言葉からはまるで縁がない様子。洗いざらしの麻の服に半ズボンという軽装で、頭のてっぺんを両手で抱えてへたり込み、目に涙を浮かべている。まるで、頑固親父のげんこつを食らったイタズラッ子という印象で、どこからどう見ても『普通の』女の子。腰の後ろにゴツい山刀を差しているのが不思議な感じさえある。
「……え、え~と」
ロウワンが困ったように声をあげた。頬のあたりを指先でポリポリかいた。実際にどうしていいのか困っていた。ビーブのあの反応、野伏の太刀。そのあとから現われるにしてはあまりにも緊張感のなさ過ぎる相手だった。敵として尋問すればいいのか、迷子として扱えばいいのか、判断に困るところだった。
とりあえず、ロウワンは近づいてみることにした。相手を刺激しないよう、両手にもっていたカトラスは鞘にしまったが、気まで抜いたわけではない。相手が見た目通りとは限らない。少女の姿をした怪物、と言う可能性もある。空狩りの行者だって、あの見た目でとんだ怪物ではないか。
その前例があるだけにロウワンは注意を欠かさなかった。相手が不穏な動きを見せればすぐに飛び退いて距離をとれる。そういう近づき方をした。もちろん、その後ろではビーブと野伏がいつでも援護に入れるよう臨戦態勢をとっている。
「えっと……だいじょうぶ?」
とりあえず、そう尋ねた。
「なんで、君みたいな子どもがこんなところにいるんだい?」
なるべく穏やかにそう話しかけた。その言葉に――。
キッ、と、女の子は涙の浮かんだままの瞳でロウワンを睨みつけた。その視線の強さがロウワンをドキリとさせた。
その力強い視線と短く荒れ放題の髪、それに、全体に薄い体つきのせいだろう。ちょっと見には『やんちゃな少年』に見える。もちろん、よく見れば女の子であるとはわかるのだが、第一印象としてはむしろ『弟のような男の子』である。しかし、その口から出た言葉は――。
「子ども扱いするなっス! 自分はれっきとした二六歳の女性っス!」
「二六歳? その見た目で?」
トウナが思わずそう言っていた。
失礼にはちがいないが、ついつい言ってしまう気持ちはわかる。なにしろ、身長も、体のメリハリも、一六歳のトウナより低いし、少ない。顔立ちもずっと幼い。これで二六歳と言われても、信じろと言う方が無理だ。ロウワンもビーブも呆気にとられて『自称・二六歳』の女の子を見つめている。
自称・二六歳の女の子はピョンッ! と、立ちあがった。バネ仕掛けの人形のような勢いのある動作だった。太刀で頭をぶっ叩かれた痛みも忘れたかのように、澄まし顔で胸元に手を当てた。そうするとますますヤンチャな男の子じみて見える。
「聞いて驚くっス。見た目は美少女、中身は淑女。この愛らしい外見で、誰にも怪しまれることなく各地に潜入し、ありとあらゆる情報を盗み出す! パンゲアの誇る史上最強の諜報員、レディ・アホウタとは、自分のことっス!」
『ふん!』とばかりに鼻息も荒く、女の子――レディ・アホウタは自信満々の口調で言ってのけた。
――そんな簡単に素性を明かして、諜報員が務まるのか?
――戦場に子どもがいたら、却って怪しまれると思うけど。
――愛らしいって……ただのガキだろ。
ロウワン、トウナ、ビーブがそれぞれに心に思った。
思うことはちがっても、アホウタの態度に呆気にとられていることは同じである。ただひとり、野伏だけがちがった。野伏だけは一切、気を緩めることなく、太刀の柄を握り、いつでも斬りかかれるよう体勢を整えている。
野伏にはわかっていた。この娘が見た目通りに扱っていい相手ではないことが。自分に気付かせることなくこの距離に潜んでいた忍びの技。太刀の一撃を受けて無傷ですませた身のこなし。どちらも尋常なものではない。
もちろん、正体不明の相手をいきなり斬り殺すつもりであったわけではない。手加減した上での峰打ちだった。とは言え、重い野太刀で叩かれたのだ。普通であれば受けた部分の骨が砕けていてもおかしくはない。それを『いった~い』の一言ですませてのけたのだ。その体術の冴えは甘く見ていいものではなかった。本気で戦えばおそらく、ビーブでさえ捉えるのに苦労するほどの動きを見せるだろう。
「え、ええと、それで、アホウタ……」
「レディ・アホウタっス!」
アホウタはふんぞり返ってそう言った。その勢いにロウワンは思わず気圧されてしまう。
「ご、ごめん。それじゃ、レディ・アホウタ。あなたはなんでここにいるんだ?」
ふふん、と、アホウタは得意そうに鼻を鳴らして見せた。『レディ』と呼ばれて気は良くしたようだが、すんなり口を割る気はないらしい。
「身の程を知らないっスね。あんたみたいな子どもがレディと口をきこうなんて一〇年、早いっスよ」
「いや、そんな威張られても……」
困るんだけど。
ロウワンがそう言いかけたとき、野伏がすっと前に出た。アホウタを睨みつけた。重々しい口調で言った。
「浅はかな娘だな」
「浅はか? どういう意味っスか?」
アホウタはムッとした様子で言い返した。野伏に睨まれているというのにまったく怯む様子がない。それどころか真っ向から睨みかえしている。その度胸の良さにはロウワンたちも感心したほどだった。
野伏は重々しい口調のままつづけた。
「自らは中身に似合わぬ外見を利用して諜報員として活動していながら、他人は外見通りに判断する。それを浅はかと言わずになんと言う?」
「ど、どういう意味っスか、それは……?」
「このもの、見た目は一三、四の少年だが、その実体は齢千年を超える不老長生の主。古の英知を伝える大賢者なるぞ」
「え、ええっ~⁉ そうだったんスかあっ!」
失礼しましたあ、と、その身を床に投げ出すアホウタだった。
「なんか……信じちゃったみたいね」
「キキキッ」
――素直すぎだろ、こいつ。
「……野伏。どうしてくれるんだ?」
ロウワンに睨まれ――。
野伏は自身、苦い表情になった。
「……いや。まさか、信じるとは思わんだろ。あんなこと」
それには、ロウワンたちも全面的に賛成だった。
しかし、とにかく、アホウタは信じてしまった。そして、すっかり畏れ入り、従順な子イヌと化してしまった。本来は最高度の機密事項に類することまでペラペラ喋りはじめた。
「自分は、ルキフェル筆頭将軍の命でイスカンダル城塞群に侵入していたっス」
「ルキフェル筆頭将軍の?」
「そうっス」
と、アホウタは自慢げに胸をそらして見せた。幼い顔立ちが得意気に輝いた。
アホウタが大威張りなのも無理はない。現場の全権を握る筆頭将軍から直々に命令されるなど大変なこと。天帰教のシスターが教皇直々に聖女として任命されるのにも並ぶ名誉。能力・人格共に絶対の信頼がなければ行われることではない。
「目的はローラシア軍の今後の計画をさぐることでしたっス。ところが、侵入中にあいつらが攻めてきたっス。あの怪物ども……〝神兵〟が」
「〝神兵〟……」
「あんな、恐ろしいことはなかったっスよ。ローラシア軍がいくら大砲を撃とうが、銃で迎撃しようが、平気で迫って来るんスから。おまけに、あの残虐さ。防壁と言わず、壁と言わず、拳でぶん殴って穴を空けては侵入し、そこらにいる兵士を手当たり次第にひきちぎるんスから」
「……引きちぎる?」
トウナが眉をひそめた。その光景を想像し、気分が悪くなったのだ。
「あいつら、絶対に人間じゃないっスよ。あんな恐ろしい人間がいるわけないっス」
アホウタはそう言いきった。その様子は、先ほどまでのヤンチャな男の子ぶりが嘘のように真剣だった。
――人間じゃない……。やはり、天命の理によって生み出された怪物なのか。
ロウワンがそう思ったのは人間のもつ想像力の限界というものだったろう。いくらなんでもいま、この場で『パンゲアが亡道の司を捕え、その力を利用して〝神兵〟を生みだしている』などと想像できるわけがなかった。もし、出来るとしたらそれは『想像』ではなく『妄想』でしかない。
アホウタはつづけた。
「なにより、恐ろしかったのはロゼウィック男爵の悲鳴っスね」
「ロゼウィック男爵?」
「イスカンダル城塞群の支城のひとつを任された指揮官っス。まだ三〇代の若さっスけど、ローラシアでも一、二を争う名将でしたっス。そのロゼウィック男爵があの怪物の素顔を見たとき、とんでもない悲鳴をあげたんス」
「素顔? どんな顔だったんだ⁉」
ロウワンは叫ぶように尋ねた。思わず、身を乗り出していた。
アホウタはおぞましそうに身を震わせた。
「自分の位置からは見えなかったっス。見えなくてよかったスよ。見てたら一生、後悔していたに決まってるんスから。とにかく、ロゼウィック男爵は銃も、大砲すらも効かない化け物にサーベル一本で立ち向かったっス。そして、見事、怪物の兜を割って……その素顔を見た途端、この世のものとも思えない恐ろしい悲鳴をあげたっス」
「……そんな悲鳴を」と、トウナ。
「それで、あなたはどうして、いまだにここにいるんだ?」
ロウワンが尋ねると、アホウタはキッと視線を向けた。
「……自分の国があんな怪物どもを使ったんスよ。そんな恥ずかしい国にはとてもじゃないけど帰れないっス。と言って、敵国であるローラシアに向かうわけにもいかず……仕方ないから、糧食の残りをあさりながらここで過ごしていたっス」
その一言で――。
アホウタが本来ならば話してはいけない機密事項まで話した理由がわかった。
パンゲア人のひとりとして、祖国の使った恐ろしい手段を恥ずかしく思い、その罪深さを誰かに伝えておきたかったのだ。
「レディ・アホウタ。よくわかった。あなたは確かに立派なレディだ」
「当たり前っス」
ロウワンの言葉に――。
アホウタはふんぞり返って見せた。
「でも、自分にはどうしても、ルキフェル筆頭将軍があんな怪物どもを使うとは思えないんスよ。筆頭将軍は文句なしに素晴らしいお方っス。たとえ、敵とは言え、常に敬意と礼儀を払い、対等の相手として接する。その筆頭将軍があんな、敵兵をモノみたいに壊す恐ろしい真似をするわけがないっス。パンゲア人としてこんなことは言いたくないっスけど……教皇猊下が勝手にやったことだと思うっス」
「教皇が……」
「人の心をひとつにするためには異端は排除しなくてはなりません。それが罪だと言うのなら、その罪はわたしが引き受けます。わたしが地獄の炎に焼かれることで、世界に平和をもたらしましょう」
崇高なまでの誇りと決意をまとい、そう語るアルヴィルダの姿をロウワンは思いだしていた。
あそこまでの決意を固めたアルヴィルダであれば確かに、その目的のためにはどんな手段でも使うだろう。しかし――。
――アルヴィルダ。あなたがどれほど決意を固めようと、あなたの思いを実現させるわけにはいかない。目的のために手段を問わない姿勢を認めるわけにもいかない。
「レディ・アホウタ。行き場所がないなら、おれたちのところにこないか?」
「大賢者さまのところ?」
「おれはロウワン。自由の国の主催だ」
「自由の国のロウワン⁉ 最近、噂の、海の新勢力のお頭だったっスか⁉」
「おれたちは人と人の争いを終わらせるために活動している。目的においては教皇アルヴィルダと同じだ。しかし、選んだ道はまったくちがう。もし、君がアルヴィルダの道に賛成できないなら、おれたちのもとに来てほしい。そして、アルヴィルダがなにをしようとしているのか、〝神兵〟の正体はなんなのか、その点を探ってほしい」
その言葉に――。
アホウタはうなずいた。
「……わかったっス。自分はパンゲア人っス。パンゲアを裏切るわけにはいかないっス。でも、パンゲア人だからこそ、国がまちがったことをしているなら正さなくてはいけないと思うっス。そのために、教皇猊下の本心を探るっス」
でも、と、アホウタは鋭く言った。
「いま言ったように、パンゲアを裏切る気はないっス。自分はあくまでもパンゲア人として、パンゲアのために行動するっス。パンゲアの恐ろしい行為をとめるために。そのためにならいくらでも協力するっスが、パンゲアの不利益になるようなことまで伝えはしないっス、その点は承知しておいてほしいっス」
「わかった。簡単に国を捨てるよりも、その方が信頼できる。それで充分だ」
「さすが、大賢者さまっスね。話がわかるっス」
「いや、だから、おれは大賢者なんかじゃなくて……」
「さすが、大賢者さまっス。お偉い方は謙遜するものっスね」
そう語るアホウタの目はキラキラと輝いている。
「……もう、完全に信じ込まれちゃってるわね」
トウナが肩をすくめながら言った。
その横では野伏がわざとらしく視線をそらしている。
「こうなったら、実際に『大賢者』と呼ばれる存在になるしかないんじゃない?」
「よしてくれ」
ロウワンは何万という苦虫をまとめて噛み潰しながら答えた。
「大賢者なんて……おれがそんな存在になれるはずがないだろう。第一、そんな柄じゃない」
もちろん、このとき、誰にもわかっていなかった。いまは『ロウワン』と名乗っているこの若者が将来、本当に千年の後まで『大賢者』として伝えられ、崇められる存在になるなどとは。
魔を滅するかのような気迫のこもった野伏の叫び。
大気を裂く太刀の刃音。
それにつづいたのはなんとも場違いな印象の声だった。
悲鳴ではある。悲鳴ではあるのだが、妙に緊張感のない間の抜けた声。言ってみれば、小さい子どもの誕生会に出席して、そこで余興の小芝居を演じているやられ役の声。そんな印象。
「……いった~い」
間の抜けた声に思わず呆気にとられたロウワンたちの目の前。そこにひとりの少女が落ちていた。歳の頃は一二、三と言ったところ。小柄で薄い体つき。短いが艶のある髪はてんでバラバラの方を向いていて『身だしなみ』という言葉からはまるで縁がない様子。洗いざらしの麻の服に半ズボンという軽装で、頭のてっぺんを両手で抱えてへたり込み、目に涙を浮かべている。まるで、頑固親父のげんこつを食らったイタズラッ子という印象で、どこからどう見ても『普通の』女の子。腰の後ろにゴツい山刀を差しているのが不思議な感じさえある。
「……え、え~と」
ロウワンが困ったように声をあげた。頬のあたりを指先でポリポリかいた。実際にどうしていいのか困っていた。ビーブのあの反応、野伏の太刀。そのあとから現われるにしてはあまりにも緊張感のなさ過ぎる相手だった。敵として尋問すればいいのか、迷子として扱えばいいのか、判断に困るところだった。
とりあえず、ロウワンは近づいてみることにした。相手を刺激しないよう、両手にもっていたカトラスは鞘にしまったが、気まで抜いたわけではない。相手が見た目通りとは限らない。少女の姿をした怪物、と言う可能性もある。空狩りの行者だって、あの見た目でとんだ怪物ではないか。
その前例があるだけにロウワンは注意を欠かさなかった。相手が不穏な動きを見せればすぐに飛び退いて距離をとれる。そういう近づき方をした。もちろん、その後ろではビーブと野伏がいつでも援護に入れるよう臨戦態勢をとっている。
「えっと……だいじょうぶ?」
とりあえず、そう尋ねた。
「なんで、君みたいな子どもがこんなところにいるんだい?」
なるべく穏やかにそう話しかけた。その言葉に――。
キッ、と、女の子は涙の浮かんだままの瞳でロウワンを睨みつけた。その視線の強さがロウワンをドキリとさせた。
その力強い視線と短く荒れ放題の髪、それに、全体に薄い体つきのせいだろう。ちょっと見には『やんちゃな少年』に見える。もちろん、よく見れば女の子であるとはわかるのだが、第一印象としてはむしろ『弟のような男の子』である。しかし、その口から出た言葉は――。
「子ども扱いするなっス! 自分はれっきとした二六歳の女性っス!」
「二六歳? その見た目で?」
トウナが思わずそう言っていた。
失礼にはちがいないが、ついつい言ってしまう気持ちはわかる。なにしろ、身長も、体のメリハリも、一六歳のトウナより低いし、少ない。顔立ちもずっと幼い。これで二六歳と言われても、信じろと言う方が無理だ。ロウワンもビーブも呆気にとられて『自称・二六歳』の女の子を見つめている。
自称・二六歳の女の子はピョンッ! と、立ちあがった。バネ仕掛けの人形のような勢いのある動作だった。太刀で頭をぶっ叩かれた痛みも忘れたかのように、澄まし顔で胸元に手を当てた。そうするとますますヤンチャな男の子じみて見える。
「聞いて驚くっス。見た目は美少女、中身は淑女。この愛らしい外見で、誰にも怪しまれることなく各地に潜入し、ありとあらゆる情報を盗み出す! パンゲアの誇る史上最強の諜報員、レディ・アホウタとは、自分のことっス!」
『ふん!』とばかりに鼻息も荒く、女の子――レディ・アホウタは自信満々の口調で言ってのけた。
――そんな簡単に素性を明かして、諜報員が務まるのか?
――戦場に子どもがいたら、却って怪しまれると思うけど。
――愛らしいって……ただのガキだろ。
ロウワン、トウナ、ビーブがそれぞれに心に思った。
思うことはちがっても、アホウタの態度に呆気にとられていることは同じである。ただひとり、野伏だけがちがった。野伏だけは一切、気を緩めることなく、太刀の柄を握り、いつでも斬りかかれるよう体勢を整えている。
野伏にはわかっていた。この娘が見た目通りに扱っていい相手ではないことが。自分に気付かせることなくこの距離に潜んでいた忍びの技。太刀の一撃を受けて無傷ですませた身のこなし。どちらも尋常なものではない。
もちろん、正体不明の相手をいきなり斬り殺すつもりであったわけではない。手加減した上での峰打ちだった。とは言え、重い野太刀で叩かれたのだ。普通であれば受けた部分の骨が砕けていてもおかしくはない。それを『いった~い』の一言ですませてのけたのだ。その体術の冴えは甘く見ていいものではなかった。本気で戦えばおそらく、ビーブでさえ捉えるのに苦労するほどの動きを見せるだろう。
「え、ええと、それで、アホウタ……」
「レディ・アホウタっス!」
アホウタはふんぞり返ってそう言った。その勢いにロウワンは思わず気圧されてしまう。
「ご、ごめん。それじゃ、レディ・アホウタ。あなたはなんでここにいるんだ?」
ふふん、と、アホウタは得意そうに鼻を鳴らして見せた。『レディ』と呼ばれて気は良くしたようだが、すんなり口を割る気はないらしい。
「身の程を知らないっスね。あんたみたいな子どもがレディと口をきこうなんて一〇年、早いっスよ」
「いや、そんな威張られても……」
困るんだけど。
ロウワンがそう言いかけたとき、野伏がすっと前に出た。アホウタを睨みつけた。重々しい口調で言った。
「浅はかな娘だな」
「浅はか? どういう意味っスか?」
アホウタはムッとした様子で言い返した。野伏に睨まれているというのにまったく怯む様子がない。それどころか真っ向から睨みかえしている。その度胸の良さにはロウワンたちも感心したほどだった。
野伏は重々しい口調のままつづけた。
「自らは中身に似合わぬ外見を利用して諜報員として活動していながら、他人は外見通りに判断する。それを浅はかと言わずになんと言う?」
「ど、どういう意味っスか、それは……?」
「このもの、見た目は一三、四の少年だが、その実体は齢千年を超える不老長生の主。古の英知を伝える大賢者なるぞ」
「え、ええっ~⁉ そうだったんスかあっ!」
失礼しましたあ、と、その身を床に投げ出すアホウタだった。
「なんか……信じちゃったみたいね」
「キキキッ」
――素直すぎだろ、こいつ。
「……野伏。どうしてくれるんだ?」
ロウワンに睨まれ――。
野伏は自身、苦い表情になった。
「……いや。まさか、信じるとは思わんだろ。あんなこと」
それには、ロウワンたちも全面的に賛成だった。
しかし、とにかく、アホウタは信じてしまった。そして、すっかり畏れ入り、従順な子イヌと化してしまった。本来は最高度の機密事項に類することまでペラペラ喋りはじめた。
「自分は、ルキフェル筆頭将軍の命でイスカンダル城塞群に侵入していたっス」
「ルキフェル筆頭将軍の?」
「そうっス」
と、アホウタは自慢げに胸をそらして見せた。幼い顔立ちが得意気に輝いた。
アホウタが大威張りなのも無理はない。現場の全権を握る筆頭将軍から直々に命令されるなど大変なこと。天帰教のシスターが教皇直々に聖女として任命されるのにも並ぶ名誉。能力・人格共に絶対の信頼がなければ行われることではない。
「目的はローラシア軍の今後の計画をさぐることでしたっス。ところが、侵入中にあいつらが攻めてきたっス。あの怪物ども……〝神兵〟が」
「〝神兵〟……」
「あんな、恐ろしいことはなかったっスよ。ローラシア軍がいくら大砲を撃とうが、銃で迎撃しようが、平気で迫って来るんスから。おまけに、あの残虐さ。防壁と言わず、壁と言わず、拳でぶん殴って穴を空けては侵入し、そこらにいる兵士を手当たり次第にひきちぎるんスから」
「……引きちぎる?」
トウナが眉をひそめた。その光景を想像し、気分が悪くなったのだ。
「あいつら、絶対に人間じゃないっスよ。あんな恐ろしい人間がいるわけないっス」
アホウタはそう言いきった。その様子は、先ほどまでのヤンチャな男の子ぶりが嘘のように真剣だった。
――人間じゃない……。やはり、天命の理によって生み出された怪物なのか。
ロウワンがそう思ったのは人間のもつ想像力の限界というものだったろう。いくらなんでもいま、この場で『パンゲアが亡道の司を捕え、その力を利用して〝神兵〟を生みだしている』などと想像できるわけがなかった。もし、出来るとしたらそれは『想像』ではなく『妄想』でしかない。
アホウタはつづけた。
「なにより、恐ろしかったのはロゼウィック男爵の悲鳴っスね」
「ロゼウィック男爵?」
「イスカンダル城塞群の支城のひとつを任された指揮官っス。まだ三〇代の若さっスけど、ローラシアでも一、二を争う名将でしたっス。そのロゼウィック男爵があの怪物の素顔を見たとき、とんでもない悲鳴をあげたんス」
「素顔? どんな顔だったんだ⁉」
ロウワンは叫ぶように尋ねた。思わず、身を乗り出していた。
アホウタはおぞましそうに身を震わせた。
「自分の位置からは見えなかったっス。見えなくてよかったスよ。見てたら一生、後悔していたに決まってるんスから。とにかく、ロゼウィック男爵は銃も、大砲すらも効かない化け物にサーベル一本で立ち向かったっス。そして、見事、怪物の兜を割って……その素顔を見た途端、この世のものとも思えない恐ろしい悲鳴をあげたっス」
「……そんな悲鳴を」と、トウナ。
「それで、あなたはどうして、いまだにここにいるんだ?」
ロウワンが尋ねると、アホウタはキッと視線を向けた。
「……自分の国があんな怪物どもを使ったんスよ。そんな恥ずかしい国にはとてもじゃないけど帰れないっス。と言って、敵国であるローラシアに向かうわけにもいかず……仕方ないから、糧食の残りをあさりながらここで過ごしていたっス」
その一言で――。
アホウタが本来ならば話してはいけない機密事項まで話した理由がわかった。
パンゲア人のひとりとして、祖国の使った恐ろしい手段を恥ずかしく思い、その罪深さを誰かに伝えておきたかったのだ。
「レディ・アホウタ。よくわかった。あなたは確かに立派なレディだ」
「当たり前っス」
ロウワンの言葉に――。
アホウタはふんぞり返って見せた。
「でも、自分にはどうしても、ルキフェル筆頭将軍があんな怪物どもを使うとは思えないんスよ。筆頭将軍は文句なしに素晴らしいお方っス。たとえ、敵とは言え、常に敬意と礼儀を払い、対等の相手として接する。その筆頭将軍があんな、敵兵をモノみたいに壊す恐ろしい真似をするわけがないっス。パンゲア人としてこんなことは言いたくないっスけど……教皇猊下が勝手にやったことだと思うっス」
「教皇が……」
「人の心をひとつにするためには異端は排除しなくてはなりません。それが罪だと言うのなら、その罪はわたしが引き受けます。わたしが地獄の炎に焼かれることで、世界に平和をもたらしましょう」
崇高なまでの誇りと決意をまとい、そう語るアルヴィルダの姿をロウワンは思いだしていた。
あそこまでの決意を固めたアルヴィルダであれば確かに、その目的のためにはどんな手段でも使うだろう。しかし――。
――アルヴィルダ。あなたがどれほど決意を固めようと、あなたの思いを実現させるわけにはいかない。目的のために手段を問わない姿勢を認めるわけにもいかない。
「レディ・アホウタ。行き場所がないなら、おれたちのところにこないか?」
「大賢者さまのところ?」
「おれはロウワン。自由の国の主催だ」
「自由の国のロウワン⁉ 最近、噂の、海の新勢力のお頭だったっスか⁉」
「おれたちは人と人の争いを終わらせるために活動している。目的においては教皇アルヴィルダと同じだ。しかし、選んだ道はまったくちがう。もし、君がアルヴィルダの道に賛成できないなら、おれたちのもとに来てほしい。そして、アルヴィルダがなにをしようとしているのか、〝神兵〟の正体はなんなのか、その点を探ってほしい」
その言葉に――。
アホウタはうなずいた。
「……わかったっス。自分はパンゲア人っス。パンゲアを裏切るわけにはいかないっス。でも、パンゲア人だからこそ、国がまちがったことをしているなら正さなくてはいけないと思うっス。そのために、教皇猊下の本心を探るっス」
でも、と、アホウタは鋭く言った。
「いま言ったように、パンゲアを裏切る気はないっス。自分はあくまでもパンゲア人として、パンゲアのために行動するっス。パンゲアの恐ろしい行為をとめるために。そのためにならいくらでも協力するっスが、パンゲアの不利益になるようなことまで伝えはしないっス、その点は承知しておいてほしいっス」
「わかった。簡単に国を捨てるよりも、その方が信頼できる。それで充分だ」
「さすが、大賢者さまっスね。話がわかるっス」
「いや、だから、おれは大賢者なんかじゃなくて……」
「さすが、大賢者さまっス。お偉い方は謙遜するものっスね」
そう語るアホウタの目はキラキラと輝いている。
「……もう、完全に信じ込まれちゃってるわね」
トウナが肩をすくめながら言った。
その横では野伏がわざとらしく視線をそらしている。
「こうなったら、実際に『大賢者』と呼ばれる存在になるしかないんじゃない?」
「よしてくれ」
ロウワンは何万という苦虫をまとめて噛み潰しながら答えた。
「大賢者なんて……おれがそんな存在になれるはずがないだろう。第一、そんな柄じゃない」
もちろん、このとき、誰にもわかっていなかった。いまは『ロウワン』と名乗っているこの若者が将来、本当に千年の後まで『大賢者』として伝えられ、崇められる存在になるなどとは。
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まりぃべる
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うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。
それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。
そんなぼくの話、聞いてくれる?
☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。
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昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
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