壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第三話二三章 鳥獣との同盟

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 〝すさまじきもの〟の姿が消えた途端、辺り一帯を覆っていた濃密な気配が嘘のように消えていた。まるで、目に見えない霧が晴れ、世界に光が戻ったかのような印象。それほどに、気配の消える前と消えたあとでは気分がちがった。
 「……すごい。気分がいい。体が軽い。まるで、ネバネバの液体から解放されたみたい」
 トウナが手足を動かしながら言った。
 そう言いたくなる気持ちはロウワンにもよくわかった。この山地に来て以来、それが当たり前になっていたから気がつかなかったが、あの濃密な気配に包まれている間はそれこそ、タールを満たした落とし穴の底でもがいていたようなものだったのだ。
 その気配から解放されたいま、すべてがかわった。
 体が軽い。
 頭がすっきりしている。
 息をするのさえ、ずっと楽になった。
 大袈裟でなく『生まれ変わった!』と心からの喜びを込めて叫びたい気分だった。
 それは、ビーブも同じだった。歩くのもやっと、と言うほどに弱っていたというのに、それが嘘のように活力に満ちている。嬉しそうな声をあげ、二度、三度と宙返りしている。その様子が生気に満ちて、なんとも嬉しそう。
 「よかった。やっと、体調が戻ったみたいだな、ビーブ」
 「キキキッ」
 ――当たり前だろ。おれさまはいつだってゴキゲンだぜ!
 胸をそびやかしながら、手話でそう語ってのける。
 ――調子の方も戻ったみたいだな。
 と、ロウワンは苦笑した。やはり、ビーブはこうでないとらしくない。
 そのビーブはメリッサに尻尾に握った容器を渡した。その容器のなかにはしっかり、〝すさまじきもの〟の吹き散らした血液が溜まっている。
 「ありがとう、ビーブ。しっかり、資料を回収してくれたのね」
 「キキキッ」
 にっこりと――。
 おとなの美女から優しい微笑みを向けて感謝され、胸を張って気取ってみせるビーブだった。そのビーブの耳を嫁が引っ張り、無理やりメリッサから引きはがす。
 「……けっこう、尻に敷かれてる?」
 「……そうかも」
 と、トウナとロウワンは少々、うそ寒そうな表情で語り合った。
 メリッサはと言えばそれどころではない。この貴重な資料を前に、すでに仲間たちと討論している。
 「どうして、この血液は消えないの? 〝すさまじきもの〟の本体は消え去ったのに」
 「吹き散らされたから?」
 「そもそも、本体がどうなったのかもわからないし。もしかしたら、くうとやらに吸い込まれたのではなく、自分から逃げ帰ったのかも知れない」
 「それなら、この血液が残っている説明にはなるけど……」
 「でも、それだと、あの怪物は生き残っていると言うことになるんじゃない? 真っ二つにされたのに、そんなことありうる?」
 「相手は怪物よ。なんでもありでしょ」
 「とにかく」
 と、メリッサは『もうひとつの輝き』の代表らしく、一言で討論を締めた。
 「ここからは、わたしたちの仕事よ。この資料を解明し、〝すさまじきもの〟の正体を突きとめる。再び、現れたときのために」
 その言葉に――。
 『もうひとつの輝き』の人員たちは一斉にうなずいた。
 討論を聞いていたロウワンは行者ぎょうじゃに尋ねた。
 「行者ぎょうじゃ。あなたの意見は? 〝すさまじきもの〟を倒したと思うか?」
 さて、と、行者ぎょうじゃは肩をすくめた。
 〝すさまじきもの〟の現れたくうはかのが探してきたくうではなかった。そのことに対する落胆はないようだった。
 ――いままでさんざん、期待を裏切られてきた。これからも、そうだろう。どのみち、簡単に見つかるとは思っていない。いちいち落ち込んでいたり、落胆したりしていては身がもたない。
 そういうことなのだろう。
 不屈、と言うよりも、挫折ざせつを繰り返したあげくの鈍感さ。そんな感覚が身に染みついているにちがいない。それはとりもなおさず、行者ぎょうじゃがこれまでつづけてきた旅、これからもつづく旅の過酷さを物語るものだった。
 行者ぎょうじゃはその過酷さをわずかも感じさせない口調で答えた。
 「なにしろ、あの怪物がなんなのか、僕たちの言う『死』という状態がある存在かどうかすらわからないんだ。『倒した』かどうかなんてわかるはずもない」
 「それもそうか」
 と、ロウワンは嘆息した。
 「おれの身に宿る妖怪たちにも尋ねてみた」と、野伏のぶせ
 「妖怪たちの超常の感覚をもってしても、やつがどうなったかはわからないそうだ」
 「そうか。しかし、そうなると、やつが再び現れると言うことも……」
 「充分にあり得るね。そもそも、あいつが一体だけとは限らないわけだしね。もしかしたら、あいつはただの斥候せっこうで、その後ろには何万という本隊が控えているのかも知れない」
 「ちょっと! なによ、それ。あんな怪物が何万と押しよせてくるって言うの?」
 トウナが叫ぶと、行者ぎょうじゃは細やかな肩をすくめて見せた。
 「その可能性もあると言うことさ。相手の正体がわからない以上、あらゆる可能性は考慮こうりょしておかないとね」
 トウナはおぞましそうに顔をしかめたが、行者ぎょうじゃの言葉の正しさは認めざるを得ない。それだけに、おぞましさはいや増すのだが。
 「しかし、そうなると事だな」
 と、野伏のぶせ。冷静沈着なかのだが、その声にははっきりと警戒の念があった。
 「おれたちだから相手に出来た。そのおれたちにしても一体がやっと。あんなやつに群れをなして現れられては対処のしようがない。世界中が蹂躙じゅうりんされるしかなくなるぞ」
 「そうだね。海の上に現れてくれるならまだ、船からの砲撃で対処出来るかも知れない。でも、陸の上を自由に動ける大砲なんてないしね。手の打ちようがないかもね」
 「……陸の上を自由に動ける大砲」
 行者ぎょうじゃの言葉に、メリッサは手を口元に当てて考え込んだ。
 野伏のぶせがさらに付け加えた。
 「それに、あの異形いぎょうの獣たちのことも忘れるわけにはいかん。一体や二体ならともかく、群れをなして人間を襲うようになっては生半なまなかな脅威ではすまない」
 「そうか。その危険もあったな」
 ロウワンは考え込んだ。
 いったい、この世界になにが起こっているのか。
 なにが起ころうとしているのか。
 ――おれたちだけで対処出来る問題じゃない。パンゲア、ローラシア、ゴンドワナ……世界中の国に事態を知らせ、協力体制をとる必要がある。
 いよいよ、各国と交渉しなくちゃいけないな。
 そう感じるロウワンだった。
 「ロウワン」
 メリッサがロウワンに声をかけた。
 「いつまでもここにいても仕方がないわ。一刻も早く、ハルキス師の島に案内して。この世界になにが起きているのかを解明するためにも、早く研究体制を整えないと」
 メリッサの言葉に『もうひとつの輝き』の他の人員たちもそろってうなずいた。
 「そうですね。でも、その前に……」
 ロウワンは改めて行者ぎょうじゃに目をやった。
 「行者ぎょうじゃ。あなたはこれからどうするんだ? 〝すさまじきもの〟の出てきたくうはあなたの探していたくうではなかったんだろう?」
 「いままでと同じさ。僕の故郷を呑み込んだくうを探し、旅をつづける」
 「だったら、おれたちと来てくれないか?」
 「うん?」
 「この世界にはいま、なにかが起きている。とても、重要ななにかだ。それを知らなくてはならないし、そのためにはあなたのもつ力と知識が必要だ。どうか、おれたちと一緒に来てほしい。この世界のために」
 ロウワンはそう言って頭をさげた。
 「あなたにとっても利点はあるはずだ。おれたちはこれから幾つもの国を巡らなくてはならない。その過程で情報も手に入るはずだ。それに、おれたちに多くの仲間がいる。その人たちからの情報も手に入る。あなたひとりで探しつづけるよりずっと効率がいいはずだ」
 「そうね」
 と、メリッサも口をそろえた。
 「わたしたち、『もうひとつの輝き』にも大陸中に散っている男たちからの情報が入ってくる。あんな怪物が他にもいるなら、その情報が入ってこないはずがない。それに、わたしたちのもつ知識と技術はあなたの役に立つはずよ」
 「そうだね」
 と、行者ぎょうじゃは答えた。
 誘いを歓迎しているのかいないのかよくわからない、行者ぎょうじゃらしい答え方だった。
 「たしかに、君たちと行動した方が情報は集まりやすいだろうしね。亡道もうどう世界せかい亡道もうどうつかさとやらにも興味があるし……」
 「それじゃあ……」
 「ああ」
 と、行者ぎょうじゃはにっこりと微笑んだ。
 「君たちと行動させてもらうよ」
 「ありがとう! 感謝する」
 ロウワンは手を伸ばした。
 行者ぎょうじゃはその手を受けとった。
 しっかりと、ふたりの間に握手が交わされた。
 ――人間たちよ。
 山の神、ホラアナグマのバルバルウが山に住む鳥獣たちを代表して思いを告げた。その思いをビーブが手話という形で言語化し、ロウワンたちに伝える。
 ――今回は世話になった。我らの住み処たるこの山地を、あのような怪物から解放してくれたことに感謝する。異形いぎょうの獣どもに関しては我らに任せるがよい。この山は我らの世界、我らの縄張りだ。あのような汚れた存在の好きにはさせん。
 「ありがとう。こちらこそ助けてもらった。これからも、頼りにさせてもらう」
 人間だけではない。
 鳥や獣たち、世界中の動物たちも共に戦ってくれる。
 それはなんとも、心強いことだった。
 バルバルウたちは山の奥へと去って行った。かのたちの世界、かのたちの縄張りへと。
 ただ一頭、ビーブの嫁であるサルだけが残った。
 「そのサルは一緒に来るんだな?」
 ――当たり前だろ、おれの嫁なんだから。おれたちはいつだって一緒だぜ。
 はいはい、と、胸焼けを起こしながら答えるしかないビーブの惚気のろけだった。
 「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな。なんて言うんだ?」
 ――コハだ。
 「コハ? かわった名前だな」
 反射的に出かかったその言葉を、ロウワンは寸前で飲み込んだ。
 もしかしたら、コハの種族にとっては由緒ある立派な名前なのかも知れない。自分たちの常識で他種族の名誉を傷つけるわけにはいかなかった。
 「では、改めて。おれはロウワン。ビーブはおれの大切なきょうだいだ。よろしく頼むよ、コハ」
 「キキキッ」
 コハは跳びはねながら叫んだ。それが『任せといて!』という意味であることは手話に頼らずともわかった。
 「……それにしても、この状況で嫁を見つけてくるなんてね」
 トウナがあきれたように溜め息をついた。
 ――おいおい、そうガッカリするなよ。お前だって悪かないぜ。
 ビーブは手話でそう答えながら、長い尻尾を器用にくねらせてトウナの尻を叩いて見せた。その途端――。
 「キキイッ!」
 コハの怒りの叫びが響いた。ビーブは頭を思いきりぶん殴られ、尻尾を握られて引きずられていったのだった。
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