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第三章
臆病
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王城から戻る馬車の中、ラファエルはぼんやりと外の景色を眺めていた。
「アルフレッドを私に頂戴」
あまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉が頭から離れず、何度も繰り返される。頂戴と言われて渡せるものでもないし、けれどかといってどんな風に返すのが正解かわからず黙っているラファエルにはっとしたアンジェリカが照れたように笑って言った「あ、急にこんなこと言われても困るよね」その言葉と表情があんまりにも無垢でラファエルは少しだけ恐怖を感じた。
この人は何故こんなふうに笑っていられるのだろうか。どうしてそんなにも迷いがないのだろうか。なぜ、どうして。
「アルフレッドに会えるのが楽しみでしょうがないの」
両手を頬に添えて夢みる少女のようにうっとりと囁いたアンジェリカの目には最早ラファエルは映っていなかった。アルフレッドを頂戴という言葉にも伺うような雰囲気はなくて、最早決定事項だとでもいうような強さが含まれていたかのように思う。
ラファエルは深い溜息を吐いた。
胸の奥にある重たいものを全て吐き出すように息を吐くけれど何も変わりはしなくて、むしろ一層重たくなったような気がした。
──何も言えなかった。
ガタガタと揺れる馬車の窓枠に体を寄せてラファエルは目を伏せる。
アンジェリカの繰り出す全ての言葉に、ラファエルは何も言い返すことができなかった。
アルフレッドのことにさえ、言葉を発することができなかった。
「アルフレッドを頂戴」
あんまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉はラファエルの心臓を貫いた。
今もそこに刃が刺さったままで血が流れ続けているかのように痛む。けれどこの痛みがなんなのか分からなかった。
否、分からないままでいようとしていた。
「……どうしたら、いいんだろう」
ようやく絞り出した声はあまりにも小さくて、情けなくて、ラファエルは笑うしかなかった。
△▼△
その日は王都で一泊し、次の日の昼ごろラファエルは屋敷へと戻った。
過保護な父はラファエルがきちんと屋敷に帰って来たことで大袈裟なほど喜んだがすぐにセバスによって仕事に戻され、それに楽しげに笑うマリアがラファエルを部屋へと案内する。ほっとする日常がそこにあるのにラファエルの心は晴れないままだ。
自室のソファに腰掛けて、ラファエルはまた溜息を吐いた。
両手を組んで額に当て、どう言葉にしたらいいかも分からない感情を持て余すようにまた息を吐く。
どう、伝えるべきだろうか。
アンジェリカは本気だ。きっと近いうちに王宮から知らせが来るだろう。
来たとして、どうすれば良いのだろう。
アルフレッドを大人しくアンジェリカに渡せるのかと問われたら間違いなく否と答える。けれどラファエルはあの時その意志をアンジェリカに示さなかった。
それに知らせが来てしまえば身分の関係でラファエルやミゲルが逆らえるはずもない。
遅かれ早かれこの話はアルフレッドの耳に入ってしまう。それならば自分の口から伝えるべきなのに、ラファエルの身体はソファに縫い付けられたように動かない。
伝えなければ後悔するとわかっているのに臆病な心がそこに待ったを掛ける。
「どう、言えばいいんだ」
呟いた言葉は部屋の中に消えていくと思ったのに、そうはならなかった。
「どうした、エル」
弾かれたように顔を上げる。
「…ひどい顔だな。寝てないのか」
扉にはアルフレッドがいた。新聞に載っている顔はとてつもなく無愛想なのに、今ラファエルを見る顔は誰がどう見ても心配ですと顔に書いているような表情だ。
その顔も、ラファエルは自分にしか見せないものだと知っている。
「…アルフ」
無意識にこぼれた声は昨日同様情けない程掠れていた。
「…何かあったか?」
ソファの前に膝を付いたアルフレッドとラファエルの視線が絡まり、数秒の間があった後、先に逸らしたのはラファエルだった。
「何があった。言ってみろ」
以前ならアルフレッドはここで引き下がっていた。けれどもう違う。自分達の関係もまた変化しているのだ。
「…エル」
アルフレッドの手がラファエルの頬に触れる。
酷く優しい手つきで、壊れ物を扱うように繊細に触れてくるからラファエルの心が揺れる。全てを話してしまいたくなる衝動に駆られるが、臆病なラファエルはそれが出来ない。アルフレッドはそんなことで離れていかないと頭では理解しているのに、心の弱い部分がどうしても首を横に振る。
だから今も顔を歪めるだけで何も言えず、互いを見つめるだけの時間が過ぎる。
「強情だな、俺の相棒は」
アルフレッドが口端を軽く上げて笑い、頬に触れていた手を後頭部へと回してそのまま引き寄せる。
「待つ。言えるようになったら言え」
それじゃ駄目なのだとはっきりわかるのにラファエルの口は動かない。ただ起きたことを伝えるだけでいい。
アンジェリカがアルフレッドを欲しがっていると。そしてラファエルはそれを拒否できなかったと。
たったそれだけを伝えれば良いのに、ラファエルはそれが出来ない。
──ああ、情けない。
保身に走って何も言えないのだ。
アンジェリカにアルフレッドを渡すのも嫌だ。アルフレッドに自分が本当はラファエルではないのだと伝えるのも嫌だ。
自分を抱き締めるこの男に自分が異質だと思われることが何よりも嫌だ。
「…ごめん」
広い背中に腕を回し、服をぎゅっと握りながらラファエルは呟いた。
「ごめん」
きっといつか全て話す。そう言ったはずなのに、自分は一歩も前に進めていない。すぐそこで手を差し伸べてくれているというのにその手を取る勇気すらない。
脳裏にアンジェリカの顔が浮かんだ。
(「私はアンジェリカとして生き、アンジェリカとして死んでいく」)
瞳を煌かせていたあの姿にラファエルは怯んだ。
どうしてそんなに強く在れるのだろう。
自分には、到底無理だ。
「アルフレッドを私に頂戴」
あまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉が頭から離れず、何度も繰り返される。頂戴と言われて渡せるものでもないし、けれどかといってどんな風に返すのが正解かわからず黙っているラファエルにはっとしたアンジェリカが照れたように笑って言った「あ、急にこんなこと言われても困るよね」その言葉と表情があんまりにも無垢でラファエルは少しだけ恐怖を感じた。
この人は何故こんなふうに笑っていられるのだろうか。どうしてそんなにも迷いがないのだろうか。なぜ、どうして。
「アルフレッドに会えるのが楽しみでしょうがないの」
両手を頬に添えて夢みる少女のようにうっとりと囁いたアンジェリカの目には最早ラファエルは映っていなかった。アルフレッドを頂戴という言葉にも伺うような雰囲気はなくて、最早決定事項だとでもいうような強さが含まれていたかのように思う。
ラファエルは深い溜息を吐いた。
胸の奥にある重たいものを全て吐き出すように息を吐くけれど何も変わりはしなくて、むしろ一層重たくなったような気がした。
──何も言えなかった。
ガタガタと揺れる馬車の窓枠に体を寄せてラファエルは目を伏せる。
アンジェリカの繰り出す全ての言葉に、ラファエルは何も言い返すことができなかった。
アルフレッドのことにさえ、言葉を発することができなかった。
「アルフレッドを頂戴」
あんまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉はラファエルの心臓を貫いた。
今もそこに刃が刺さったままで血が流れ続けているかのように痛む。けれどこの痛みがなんなのか分からなかった。
否、分からないままでいようとしていた。
「……どうしたら、いいんだろう」
ようやく絞り出した声はあまりにも小さくて、情けなくて、ラファエルは笑うしかなかった。
△▼△
その日は王都で一泊し、次の日の昼ごろラファエルは屋敷へと戻った。
過保護な父はラファエルがきちんと屋敷に帰って来たことで大袈裟なほど喜んだがすぐにセバスによって仕事に戻され、それに楽しげに笑うマリアがラファエルを部屋へと案内する。ほっとする日常がそこにあるのにラファエルの心は晴れないままだ。
自室のソファに腰掛けて、ラファエルはまた溜息を吐いた。
両手を組んで額に当て、どう言葉にしたらいいかも分からない感情を持て余すようにまた息を吐く。
どう、伝えるべきだろうか。
アンジェリカは本気だ。きっと近いうちに王宮から知らせが来るだろう。
来たとして、どうすれば良いのだろう。
アルフレッドを大人しくアンジェリカに渡せるのかと問われたら間違いなく否と答える。けれどラファエルはあの時その意志をアンジェリカに示さなかった。
それに知らせが来てしまえば身分の関係でラファエルやミゲルが逆らえるはずもない。
遅かれ早かれこの話はアルフレッドの耳に入ってしまう。それならば自分の口から伝えるべきなのに、ラファエルの身体はソファに縫い付けられたように動かない。
伝えなければ後悔するとわかっているのに臆病な心がそこに待ったを掛ける。
「どう、言えばいいんだ」
呟いた言葉は部屋の中に消えていくと思ったのに、そうはならなかった。
「どうした、エル」
弾かれたように顔を上げる。
「…ひどい顔だな。寝てないのか」
扉にはアルフレッドがいた。新聞に載っている顔はとてつもなく無愛想なのに、今ラファエルを見る顔は誰がどう見ても心配ですと顔に書いているような表情だ。
その顔も、ラファエルは自分にしか見せないものだと知っている。
「…アルフ」
無意識にこぼれた声は昨日同様情けない程掠れていた。
「…何かあったか?」
ソファの前に膝を付いたアルフレッドとラファエルの視線が絡まり、数秒の間があった後、先に逸らしたのはラファエルだった。
「何があった。言ってみろ」
以前ならアルフレッドはここで引き下がっていた。けれどもう違う。自分達の関係もまた変化しているのだ。
「…エル」
アルフレッドの手がラファエルの頬に触れる。
酷く優しい手つきで、壊れ物を扱うように繊細に触れてくるからラファエルの心が揺れる。全てを話してしまいたくなる衝動に駆られるが、臆病なラファエルはそれが出来ない。アルフレッドはそんなことで離れていかないと頭では理解しているのに、心の弱い部分がどうしても首を横に振る。
だから今も顔を歪めるだけで何も言えず、互いを見つめるだけの時間が過ぎる。
「強情だな、俺の相棒は」
アルフレッドが口端を軽く上げて笑い、頬に触れていた手を後頭部へと回してそのまま引き寄せる。
「待つ。言えるようになったら言え」
それじゃ駄目なのだとはっきりわかるのにラファエルの口は動かない。ただ起きたことを伝えるだけでいい。
アンジェリカがアルフレッドを欲しがっていると。そしてラファエルはそれを拒否できなかったと。
たったそれだけを伝えれば良いのに、ラファエルはそれが出来ない。
──ああ、情けない。
保身に走って何も言えないのだ。
アンジェリカにアルフレッドを渡すのも嫌だ。アルフレッドに自分が本当はラファエルではないのだと伝えるのも嫌だ。
自分を抱き締めるこの男に自分が異質だと思われることが何よりも嫌だ。
「…ごめん」
広い背中に腕を回し、服をぎゅっと握りながらラファエルは呟いた。
「ごめん」
きっといつか全て話す。そう言ったはずなのに、自分は一歩も前に進めていない。すぐそこで手を差し伸べてくれているというのにその手を取る勇気すらない。
脳裏にアンジェリカの顔が浮かんだ。
(「私はアンジェリカとして生き、アンジェリカとして死んでいく」)
瞳を煌かせていたあの姿にラファエルは怯んだ。
どうしてそんなに強く在れるのだろう。
自分には、到底無理だ。
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