【後日談追加】男の僕が聖女として呼び出されるなんて、召喚失敗じゃないですか?

佑々木(うさぎ)

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第五章 黎明

非情と温情の狭間で

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 袋小路に迷い込み、このままでは誰一人助かることはできないと、心が折れそうになる。
 僕にもっと力があれば。──リディアンを前にしても非情になれれば。

 縋るような目を向けるリディアンを、蔑ろにはできない。
 でも、マティアスの業を引き受けてエイノックを離れなければ、数日を置かずに王都にピクスが蔓延する。

 一体どうしたらいい?
 僕は、どこへ向かえばいいんだ。

 嵐の中で航路を見失った船のようなものだ。
 この難破船に、誰かを乗せたところで、共倒れは必至だ。
 誰一人、助かりはしない。

 弱い自分に忸怩たる思いを抱いていると、不意に空が明るくなった。
 コスタスが昇るのはまだ先で、何の光なのかと目を細めて光源を見る。

 途端に、マティアスがよろめき、地面へと落ちて来た。

「いけないっ!」

 このままでは地上に叩きつけられると能力を使おうとすると、その前にマティアスの身体がふわりと浮き、地面にそっと下ろされた。

「マティアス様……っ」

 スティーナもまた、火球を使って地上に降り、へたりこんで座るマティアスの傍に膝を突く。

「何の騒ぎだ」

 光源から聞こえてきたのは、深く重いバリトンだ。
 威厳を感じるその声に、僕はハッとした。

 まさか、遠く離れたペアータ岬のことを、察知されるとは思いも寄らなかった。

「……ドルイダス王」

 バルツァールが名前を呼ぶと、光はゆっくりと収束し、その姿を目で捉えられるようになる。
 なぜここに現れたのか。
 たとえペアータ岬のことがわかったとしても、王なら放置すると思っていた。
 勝手に諍いを起こせばいい。結果が出てから行動する。
 そんなスタンスなのだろうと。
 王ほどに非情に振舞える人はいない、と認識していた。

 僕は王を見つめたまま、頭を下げることも忘れて立ち竦んでいた。
 隣に立つリディアンも、僕を抱き締めて動こうとしない。

 王は、地面にくずおれるマティアスに近付き、数歩離れたところで足を止めた。

「マティアス。残念だ」

 マティアスの肩がピクリと動いたが、顔を上げることはない。
 完全に脱力して、もはや先程までの勢いもなかった。
 魔力を完全に使い果たしたということもあるだろうけど。
 ここまで来たら、もう言い逃れはできない。
 すべてを諦めてしまったように見える。

 王は、マティアスを見下ろし、王錫を地面にドンと打ち付けた。

「申し開きはあるか?」
「……ございません」
「では、わかるであろう」

 それは、王からの断罪であり、極刑の言い渡しだ。

 王は許さない。誰にも庇うことはできない。
 ここでマティアスが追放となるのであれば、まだ罪は軽いと言えるほどだ。
 国を危険に晒し、更に言えば王暗殺を企てたことにさえなる。

 マティアスは項垂れたままで、誰もがその成り行きを見守るしかない。
 その時だ。地面に膝を突き、マティアスの隣に蹲っていたスティーナが声を上げた。

「もう、王にとって要らないというのなら、わたくしにください」

 切羽詰まっていながらも、凛とした美しい声で言う。
 王に向けられた顔には決意が現れていて、認められないのなら殺されても構わないと瞳が語っている。

「祖国も、父母も、わたくしはサガンになると同時に、すべてこの国に捧げました。ですから、今度は、わたくしにマティアス王子をください」
「……スティーナ」

 思いも寄らない言葉だ。
 スティーナの愛がそれほどに真直ぐに、マティアスに向かっていたなんて。
 僕は、見誤っていた。こんなに深い情愛を、マティアスに対してスティーナが持ち合わせていると思っていなかった。

 王は、スティーナを見つめ、片眉を動かした。
 まさか、スティーナまで処罰するつもりなのか。
 僕が、今まさに止めに入ろうとしていると、王は周囲を手で制した。
 僕だけじゃない。リディアンやバルツァールさえも、王の前に立ちはだかろうとしたようだ。
 王は、僕たちすべてをたった一挙動で抑え、おもむろに口を開く。

「マティアス、お前が選べ。わしからの最後の温情だ」

 そして、マティアスの肩を王錫で一つ打つ。

「この国に留まって処刑されるか、能力をすべて明け渡してこの地を去るか。──選べ」

 思ってもみない言葉だ。
 誰もが動けないまま、マティアスを窺った。

 いち早く動いたのは、スティーナだ。
 マティアスの顔を覗き込み、地面についた手に手を重ねる。
 指先の震えを、僕でさえも見ることができた。
 触れられているマティアスが、感じ取れないわけがない。

 マティアスへの温情。
 言葉通り、最後のチャンスだろう。
 どうか、スティーナの言葉が届きますように。
 決して、愚かな選択をしませんように。

 心の底から願い、祈っていると、マティアスはゆっくりと顔を上げた。
 そして、涙と土に汚れた顔で王を見た。

「王よ。感謝いたします。私は、エイノック国を去ります」

 スティーナの身体が小刻みに打ち震え、赤い瞳から大粒の涙が溢れる。
 僕は、マティアスの言葉を噛み締めると共に、自分の使命を悟った。
 マティアスが決意したということは、次は僕の番だ。

「よかろう。──ナカモト」

 王は、マティアスの言葉に頷いた後、予想通り僕の名前を呼んだ。

 ついにこの瞬間が来た。
 僕は前に進み出て、膝を突いて頭を下げてから、一動作で立ち上がった。
 マティアスに近付き、その能力を奪おうと魔力を高める。
 王の決定となれば、リディアンだって簡単には逆らえない。
 それなら、今この瞬間に、すべてを終わらせてしまおう。
 だがそこで、王は僕の予測に反した命を下した。

「転移門を開け。行き先は、ユデトカタン。スティーナも同罪とする」

 転移門を開く?
 スティーナを同罪とするということは、二人をユデトカタンに転移させるということなんだろうけれど。
 それでは、元凶であるマティアスの能力はどうなるのか。
 この黒い靄を纏ったままでは、ユデトカタンが危うくなるのではないのか。
 それとも、エイノックさえ守れれば、王は良しとするのか。

 王の真意がわからずに戸惑いを覚えていると、王はマントを翻す。

「マティアスの能力は、わしが奪う」

 僕は呆気に取られて、身動きできなくなった。
 王が奪う? 王にも転移の能力があると?
 そんなこと、今まで聞いたことがない。
 それに、王を見た時に、転移の文字は出ていなかったはずだ。

「恐らく、この時を見越して、わしに能力を転移させたのだろう。アデラは、そういう女だった」

 王の虹色に見えた光。
 あれは、王自身の力だけではなく、アデラフィールド王妃から受け継いだ能力でもあったのか。

 僕ではなく、王が引き受けるというのなら、王自身が危うくなる。
 僕が躊躇っている間に、王はマティアスの頭に手を置いた。

「わしは、恐らくこの日のために生き永らえてきたのだ。そう思わんか? マティアスよ」

 最後に名前を呼んだ声は、未だかつてないほどに優しげだった。
 王は、非情な人間ではなかったのか。
 僕が見てきた王は、勝手に思い描いてきた人物像とは、何だったのか。

 王の身体が輝きを増し、土埃が巻き上がる。
 竜巻のように空に向かって渦が吹き荒れる中、王はマティアスの能力を自分の身体へと転移させた。

 マティアスを覆っていた黒い靄が晴れていき、ノイズが除去される。
 それと同時に、身体に溢れていた魔力がすべて剝ぎ取られて行く。
 風がすべて収まり、王の身体から光が失われる。

「行け、マティアス。さらばだ」

 僕は、そこで転移門を開くべく、両腕を広げた。
 大きく息を吸い、空中に門を作り出していく。
 これまでも、バルツァールとの訓練で何度も試していたけれど、こうして他者を送るために開くとなると、また違う感慨を覚えた。

 紫紺の光に縁取られた門が現れ、同色の扉が大きく開かれる。
 さっと冷たい風が吹き込んで、潮の香りがした。
 ユデトカタンの王都。ケナジー諸島との境目にある港口。
 僕が何度も地図で確認して試してきたその位置に、転移門が開いた。

 スティーナがマティアスを抱き締めると、赤い球体が二人を包む。
 スティーナの能力で作り出した火球の中で、二人は頭を下げた。

「ありがとうございます」

 涙声の思念が僕の脳内にも届く。
 そして、火球に覆われた二人が転移門の向こうへと消えていった。
 姿が見えなくなったところで、音もなく扉が閉まり、門が掻き消える。

 僕はホッとして息を吐き、そこで膝から崩れ落ちた。

「タカトっ」

 身体を地面に打ち付ける寸前に、僕は支えられて、抱き締められた。
 急速に身体から熱が消えていき、浅い呼吸しかできなくなる。

 もしかしたら、これでリディアンとはお別れなんだろうか。
 そう思ってしまうくらいに、寒く苦しい。
 まるで、深い海の底に沈んでいっているようだ。

「心配ない。魔力切れだ」

 額に手を置かれ、バルツァールの声が耳に届いた。

「治療の仕方は、わかるな。リディアン」
「──もちろんだ」

 僕が聞き取れたのはそこまでだ。
 抱き上げられて、どこかへ運ばれている途中で、僕は意識を保てなくなった。
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