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78話・謝罪の嵐

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 重いまぶたをゆっくり持ち上げると、真っ暗だった視界が徐々に明るくなっていった。ここはどこだろう。見覚えがある天井が見える。

 視線だけで辺りの様子を窺えば、すぐそばに大きな人影があった。窓から射し込む明かりが逆光になって表情は見えないけれど、こちらをじっと見つめていることだけは分かる。

「ライルくん」

 ゼルドさんだ。
 伸ばされた手が僕の頬をそっと撫でる。指先も震えていて、まるで壊れものに触れるみたいだなと思った。

「……、……」

 返事をしなくては、と口を開き、咳き込む。喉がカラカラに渇いていて声が出せない。口元を押さえるために手を持ち上げようとしたら全く動かせなかった。身体中が重くてだるい。

 室内の明るさに目が慣れてくると、ようやくゼルドさんの顔が見えた。
 彼の目の下にはくまができていて、顎には無精髭があり、髪もやや乱れていた。いつもはきっちりしているのに、こんなに憔悴しきった姿を見るのは初めてで、それだけで僕はびっくりしてしまった。

 目覚めた僕を見て「よかった」と小さく呟いた後、ゼルドさんはベッド脇のテーブルに置かれていた呼び鈴を鳴らした。
 すぐにダダダと廊下を走る音が近付いてきて、客室の扉が勢いよく開かれた。

「ライル、目ェ覚めたのか!」

 ダールだ。ズカズカと枕元まで来て僕の顔を見てから盛大な溜め息をついてその場にしゃがみ込む。そして、落ち着く間もなく立ち上がり「医者呼んでくる!」と走っていってしまった。

 ダールが連れてきたのは、なんとフォルクス様専属のお医者さんだった。貴族付きの医師に診てもらうなんて恐れ多い。
 脈や脇腹の傷の状態を確認し、包帯を交換してもらった。身体が辛くなければ上体を起こしてもよいと許可が下りたので、クッションをたくさん置いて背もたれ代わりにする。傷がまだ痛むけど、それより全身の倦怠感のほうがすごかった。

 お医者さんが退室した後、ゼルドさんが水の入ったグラスを差し出してきた。受け取ろうと手を伸ばすが、まだうまく身体に力が入らない。その様子を見て、ゼルドさんは僕の肩を抱くようにして支え、もう片方の手でグラスを口元まで運んでくれた。

「……んっ……」

 飲み込んだ水が体内に広がるのを感じる。喉が潤ったことで声も少しずつ出るようになった。

「ありがとうございます」

 かすれた声でお礼を言うと、ゼルドさんが眉間にシワを寄せ、眉を下げた。悲しげな瞳にはうっすら涙が滲んでいる。どうしたのだろうと思った瞬間、力強く抱きしめられた。頬にゼルドさんの無精髭がちくちくと刺さり、抱きしめられた上半身には硬い感触がある。

「ゼルドさん、鎧、なんで?」

 なんと、ゼルドさんはまだ脱げない鎧を身に付けたままだった。
 もしかして、僕が意識を失った後タバクさんが『対となる剣』を持って逃げてしまったのだろうか。焦る僕を見て、少し離れたところに立っているダールが口を挟んだ。

「あのなあ、ライル。ゼルドのオッサンはこの数日おまえから片時も離れてねーんだ。ソレどころじゃなかったんだよ」

 客室内をよく見れば、部屋の隅にあるソファーの上には『対となる剣』が、ベッド脇の小さな机には冷めきった食事が置かれていた。食事も取らず、鎧を外すどころか身だしなみを整えることも忘れ、眠り続ける僕のそばについていてくれたのだ。

「……ごめんなさい、僕」

 急に申し訳なさでいっぱいになる。
 勝手に危ない真似をして、勝手に怪我をして、それがどれほどゼルドさんを不安にさせてしまったのかを痛感した。

「謝るのは私のほうだ。肝心な時に君を守れなくてすまない」

 ゼルドさんが口にした謝罪の言葉を聞いた瞬間、僕は顔を上げてすぐさま否定した。

「そんなことありません!」

 力強く言い切ると、ぽかんとした表情のゼルドさんが僕を真っ直ぐ見ていた。

「僕、さっきまで怖い夢を見ていたんです。追い回されて、踏みつけられて、もうダメだって思ったけど、ゼルドさんが助けに来てくれました」

 二年前の悪夢にうなされた僕を元気付けるためにくれた言葉。あれがなければ、きっと僕は罪悪感と後悔の念に溺れて目を覚まさなかっただろう。弱い心を支え、守ってくれたのはゼルドさんだ。

「だから、ありがとうございます」

 笑顔で感謝を伝えると、ゼルドさんの目からとめどなく涙があふれた。頬を伝う雫を拭うことなく、唇を噛んで言葉を詰まらせている。

 肩に回されていた腕に力がこめられ、ぎゅうと抱き締められた。耳に聞こえる小さな嗚咽に胸がぎゅっと苦しくなる。

「し、心配かけてごめんなさい」

 つられて涙がこぼれた。抱き合ったまま泣く僕たちを見て、少し離れたところに立っていたダールがあきれたように肩をすくめる。

「盛り上がってるとこ悪ぃけど、さっきからギルドの人たちが部屋の入り口で待ってんだよな」
「えっ!?」

 驚いて扉のほうを見てみれば、メーゲンさんたちがこちらの様子を窺っていた。僕が目覚めたと知り、仕事を投げ出してきたようだ。

 ダールに促され、三人は客室内に入ってきた。そして、ベッドのそばまで来ると揃って頭を下げた。突然のことに理解が追いつかず、僕は慌ててゼルドさんの腕の中から出ようとした。しかし、身体に力が入らないので全然体勢を変えられず、そのままゼルドさんの肩越しに三人を見上げる。

「すまねぇ、ライル。俺がタバクに対して取り調べを強行していればこんなことには……!」
「あたしがうっかりしてたせいで幾つか情報を見落としちまってたんだ。ごめん」
「私が止めるべきだったのに、あなただけに負担がかかる方法を選んでしまったわ。なんて謝ったらいいのか……」

 三人はそれぞれ責任を感じているようだった。

 メーゲンさんはタバクさんに容疑が掛かっていると知った時、ギルド長として冒険者の権利を守る側に回った。いきなり取り調べるのではなく証拠を集めてからにしようとした。その判断は間違っていないと、僕は今でも思っている。

 アルマさんはハイエナ殺しの武器隠蔽を見落としたことを悔いていた。タバクさんが剣を持ち替えたことを知っていながら気付けなかったのは、その時点ではまだ彼に容疑が掛かっていると知らなかったからだ。

 マージさんは、ヘルツさんの提案に賛同してしまったことを悔いていた。でも、あの場でヘルツさんに異議を唱えるなんて誰にもできなかった。他に良案がなく、僕も自分を過信していた。役に立ちたい一心で話を受けた僕の責任だ。

「謝らないでください。僕はほら、この通り生きてますから」

 そう言いながら笑いかけると、三人は声を上げて泣き出してしまった。大の大人が人目もはばからずに泣く光景に、ダールと二人で苦笑いを浮かべるほかなかった。
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