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77話・意識の水底で貴方を想う

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『まってよダール!』
『ちんたら走ってんじゃねーぞライル!』

 木々の隙間を縫うように駆け回る。整備されていない獣道に響くのは僕たちの声と足音、風が葉を揺らす音だけ。何故か鳥の鳴き声や動物の気配は感じない。

『ここまで来てみろよ!』

 先を行くダールは後ろで一つにくくった黒髪を揺らし、大きな木に軽々と登っていった。僕も必死になって追い掛ける。他の木なら難なく登れるけれど、この木は森の中で一番大きいから彼のようにすんなりとはいかない。いつも途中で諦めてしまう。

『ほら』

 ダールが差し出してきた手を掴むと、一気に上まで引き上げられた。ここからは森から村までが一望できる。
 初めてダールと同じ景色が見られて喜んだのも束の間、彼は僕を置いて木から飛び降りてしまった。

『待って、なんで降りちゃうの?』

 慌てて追い掛けようとしたらダールに止められた。

『ダメだ。ライルはここにいろ』
『なんで?僕も一緒に行きたい』

 木の下から僕を見上げるダール。
 彼は笑顔で手を振っている。

 突然地面が揺れ、獣の咆哮が耳をつんざく。鳴り響く地鳴りのような音に、何かがこちらに迫ってきているのが分かった。気付いていたからこそ、ダールは僕をこの木の上に登らせたのだ。

『オレは村に知らせにいく。おまえはここで待ってろよ』

 僕はこの会話を知っている。
 何度も悔やんだあの日の記憶だ。

『いやだ、一緒にいようよ!ほら、もう一度登ってきて!』

 必死に訴えてもダールには届かない。
 記憶のままのセリフをなぞるだけ。

『後で会おーな!』

 彼が村のほうへ駆け出す姿を、木の幹にしがみついたまま見送る。どんどん小さくなる後ろ姿が視界から消えた次の瞬間、森の奥から無数のモンスターが現れた。真っ黒な濁流のようなそれは草花を踏み散らかし、時には樹木にぶつかったりしながら真っ直ぐ村のあるほうへと突き進んでゆく。

 村に何が起きるのか、僕は知っている。
 今ならまだ誰も死んでいない。
 ダールもまだにいる。
 でも、絶対に間に合わないのだ。

 これは僕の記憶。
 過ぎ去った日の出来事なのだから。






 場面が突然切り替わった。

 村の広場には布を掛けられた遺体が並べられている。その中には僕の両親と幼い妹もいた。損傷が酷くておおよその年齢や性別しか判別できず、恐らくそうだろうというくらいの確認しかできなかったけれど。

『あれ、これは……?』

 離れた位置に置かれた遺体が四つ。頭まで布を掛けられているから顔は見えないが、体格からして成人男性。傍らには武器が転がっている。ダンジョンの大暴走スタンピードに巻き込まれた冒険者だろうか。

 こんな場面あったかなと意識を向けた途端、遺体が動いた。驚いて後ずさると、四つの遺体が次々に起き上がっていく。掛けられていた布がはらりと落ち、モンスターに食われたであろう痛々しい傷痕があらわになった。ぼたぼたと赤黒い血の塊が地面に落ち、僕の足先を汚していく。

『ひっ……!』

 あまりにも恐ろしい光景に息を飲むと、冒険者たちの遺体がギャハハと笑い始めた。この下卑た笑いかたには聞き覚えがある。

『思い出したかよ、ライル』
『よくも逃げやがったな』
『おまえのせいでこのザマだ』

 四つの遺体のうち、三つは王都時代のタバクさんの仲間だ。彼らは僕が逃げだしたせいで殺された。

『え、うそ。なんで』

 茫然と立ち尽くしていたら、後ろから肩を掴まれた。自分の肩に乗せられた土気色の手を見て小さく悲鳴をあげる。

『弱っちいガキのくせに』

 ハイエナだ。ものすごい力で突き飛ばされ、血まみれの地面に転がる。僕の脇腹を踏みつける彼の足には刺し傷があった。タバクさんがつけた傷だ。

『テメェが素直に言うこと聞いてりゃ俺はこんな目に遭わずに済んだんだ!』

 ハイエナに怒鳴られ、目を見開く。
 彼らは殺された。手を下したのはタバクさんだけど、原因となったのは僕だ。

 彼らは僕を恨んでいる。
 僕に復讐しに来たのだ。

『おまえもこっちへ来いよ』
『怯えた顔も可愛いなぁ、ライル』

 立ちあがろうとしても身体を踏みつけられて動けない。迫り来る四人の姿は本当に恐ろしくて震えが止まらなかった。

 怖い、怖い、怖い。
 誰か助けて。



──ライルくん。



 絶望に塗り潰されそうになった心の奥底にひと筋の光がさす。俯いていた顔を上げ、彼の姿を探した。

 名前を呼ぼうと口を開きかけて、ためらう。
 僕には彼に助けてもらう資格があるんだろうか。勝手な真似をして怒ってないだろうか。役に立ちたいのに失敗ばかりして、愛想を尽かしていないだろうか。

 ……まだ僕を好きでいてくれるだろうか。

 迷っている間に四方を囲まれてしまった。逃げ道を塞がれ、途方に暮れる。

 すると、再び心の中に光が芽生えた。
 あたたかくて、やわらかな光。




──次に悪い夢を見たら私を思い出せ。

──必ず君を助ける。




『ゼルドさんっ!!』

 大きな声で名前を呼んだ瞬間、彼の姿が目の前に現れた。大剣を振るい、あっという間に斬り伏せる。鮮やかな剣筋に見惚れていると、ゼルドさんは笑顔でこちらに振り返った。僕だけに見せる甘い表情。



 大人で頼り甲斐があって強くてカッコいい
 僕がいちばん大好きな人



 そのまま彼の胸の中に思いきり飛び込むと、僕の意識は急激に浮上していった。
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