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第7章 未来を切り拓く選択
75話・本心
しおりを挟む阿志雄がいなくなるかもしれない。そう思った途端、穂堂の胸が締め付けられるように痛んだ。
「それで、伊賀里先輩から東京支社に戻ってこないかと声を掛けてもらって」
本社から営業部が無くなるのならばそうなるだろうと分かっていた。しかも、憧れていた伊賀里から直接戻るように言われたのだ。阿志雄は既に東京支社に戻るつもりなのだと穂堂は思った。
「あと、九里峯からも引き抜きの誘いをされたんですが、これはその場で断りました」
「そうでしたか」
阿志雄は優秀な営業マンだ。将来有望で引く手数多。実際、彼の話術や機転には何度も助けられている。ケルスト以外の会社でも活躍出来るだろう。
それに引き換え自分は、と穂堂は自らを顧みた。
ケルストしか知らず、ケルストのためだけに生きてきた穂堂には他に選択肢は存在しない。閉じた狭い世界の中で、外の世界を知ろうともしなかった。
「……寂しいですが、仕方ありませんね。阿志雄くんならどこでもうまくやっていけるでしょう」
伊賀里の代わりとはいえ、阿志雄から慕われている間、穂堂はずっと楽しかった。一緒に美味しいものを食べ、笑い合い、時にはトラブルを解決して、こんなに騒がしくて充実した時間を過ごしたことは今までなかった。
「オレ、いつでも引っ越せるようにしてるんですよ。どこへでも行けるように」
「見れば分かりますよ」
部屋の隅に積まれたままの段ボール箱。
物が少ないアパートの部屋。
やはり東京に戻るのだ、と穂堂は唇を噛んだ。
阿志雄が気兼ねなく去っていけるよう笑顔で送り出さねば、と思えば思うほど表情が強張っていく。
しかし、阿志雄は意外なことを言い出した。
「だから、もし穂堂さんがどっかに行っても追い掛けられます!」
「え?」
突拍子もないことを言われ、穂堂はぽかんと口を開けた。
「どこかへ行くのは私ではなく君でしょう」
「オレは穂堂さんが居るところにしか行きません」
「それは、どういう……」
言葉の意味が理解できずに聞き返すと、隣に座る阿志雄は照れ臭そうに笑いながら答えた。
「本社が無くなったらの話です。佐々原と結婚……はして欲しくないけど、大阪支社に行くかもしれないし、ケルストを辞めて別の会社に行くかもしれない。そうなっても、オレは穂堂さんを追い掛けていくって決めました」
「どうして、そこまで」
自分の選択次第で阿志雄の人生が左右される。まさかそんなことを言われるとは思わず、穂堂は狼狽えた。
「……穂堂さんが好きだからです」
真っ直ぐな瞳に見据えられ、穂堂は一瞬呼吸を忘れた。阿志雄の表情はいつになく真剣で、これが悪ふざけや冗談ではないのだと嫌でも伝わってくる。
「君は、伊賀里さんと東京に戻るとばかり」
「オレが一緒に居たいのは穂堂さんだけです」
茫然と呟く穂堂に、畳み掛けるように阿志雄が答える。
「オレは穂堂さんが悲しむ顔は見たくない。ずっと笑っててほしい。そのためなら何でもします。だから、どうしたいのか教えてください」
「私が……どうしたいか……?」
「いつも周りのために頑張ってきたんですよね。期待に応えるために、ずっと。今度は穂堂さんの番です」
所在なく膝に置いていた穂堂の手に阿志雄の手が重なった。冷えた指先があたたかな体温に溶かされ、強張っていた体から少しずつ緊張が抜けていく。
「わ、私は……」
眼鏡の奥の瞳が揺れる。なんと答えていいのか分からず、喉奥から絞り出した声も震えている。
こんな風に本心を聞かれることはなかった。
嫌われぬように。
捨てられぬように。
必要とされるように。
実の父親に見放され、引き取られた先で居場所を守るために尽くしてきた。それしか生きる術を知らなかったからだ。
今、大事な居場所が無くなろうとしている。
何度も口を開くが、その度に言い掛けた言葉を飲み込んでしまう。阿志雄は重ねた手をぐっと握り、急かすことなく穂堂が自分から話すことを待ち続けた。
どれほど沈黙が続いただろう。
俯いていた穂堂が顔を上げ、阿志雄と視線を合わせた。そして、ようやく自分の気持ちを吐き出した。
「──私は、君と本社で働いていたい」
その言葉に、阿志雄は満足そうに笑った。
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