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しおりを挟むそれは勘であったのか、それともあの匂いを嗅ぎとったのか。僕の鼻腔から消えゆくことなど到底ない、麦の匂い。
その証拠に一つの箱がちゃぶ台に乗っていた。確かにそれは手土産であった。
誰か来た? 僕は聞いた。畳にあぐらをかいて僕の洗濯物を畳む章吾にそう聞いた。章吾は僕を見上げて少し笑って、うん、大沢来たよ、と言った。
語調はあまりにもさらりとしているがここは東京である。飛行機を使ったのか。それよりなぜここが分かった。そしてなぜここへ来た。唐突に。何の前触れもなく。
人づてに聞いたってさ。僕の下着を丁寧に畳みながら章吾は言う。章吾が一緒なら大丈夫だって安心して帰ってったよ、と。
なんですぐ連絡しなかった。僕は問う。突っ立ったまま、章吾を見下ろしたまま。今日僕は出勤日で、章吾は休みだったのだが、大沢がアパートに来たとの連絡は一切なかった。連絡したらバイトさぼって帰ってきたわけか、と章吾は可笑しそうに笑っている。
あ、そうだった。章吾は言った、なおも笑いながら。連絡先を渡されたんだけどさ、ぐちゃぐちゃにして捨ててやった。そう笑う章吾の目が脂下がった。
大沢は引っ越したと言う。あの一軒家を売り払ったと。野球部の監督を退任したのちにその高校での勤務も辞めたから、もはや連絡先の書かれた紙きれのみが僕らを繋ぐ架け橋である、だがそれは捨てられた。
忘れろよ。なおも章吾は笑っていた。首などを傾げながら、僕を見上げながら。嫁もガキもいる奴なんかよ、しょうもない。そう言いながら笑った。
そうだ、しょうもないことだ。しかし身体は正直であった。インターホンが鳴るのだ、それに対して僕の身は歓喜した。真っすぐに玄関に向かった。
俺がいるだろう。章吾の声が飛んでくる。同時に腕を掴まれる。とてつもない握力である、身の動きを封じ込まれた。相変わらずである、章吾のほうがわずかに背が高い。筋肉量にしてもきっと章吾のほうが上なのだ、だから僕はその手から逃れることもできず畳の上に張り倒された。
篤志くんは鈍感だよ、鈍感過ぎるよと、中学の頃付き合っていた女はそう言った。その言葉は正しかったのだ、自分はあまりにも鈍感過ぎた。
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