7 / 7
7
しおりを挟む
たぁくん。テレビ画面のほうからおばさんの声がする。たぁくん、お願い、帰ってきて。
記憶、というものか。僕の脳内に蘇るそれは。優しい目をした青年だった。隣に並んで小便をした。いくつ? と青年は僕を見下ろして聞いた。四つです、と僕は答えた。そうか、と彼は言った。それからふっと笑って、可愛いな、と言った。
たぁくん。二つ重なる、優しい声音。あめふりくまのこ。大好きな歌。
面白いことをしようか。青年は言った。お兄ちゃんのリュックの中に入ってみない? と。青年の背負う大きなリュックの中に入る、それは初めて体験する遊びだ。きっと楽しいよ、と青年は笑った。うん、と僕はわくわくして答えた。
僕はテレビを消した。コンセントを抜くのを忘れたまま玄関のほうに向かった。彼女の声を欲した。
あなたは、たぁくんでしょう。モニター越しに彼女の声は震えている。
もういいかい、まぁだだよ、を繰り返し、ひょっこりと顔を出した時は車の中だった。夜が来て、ママのところに行きたいと泣く僕を抱きしめて青年は、これからは兄ちゃんと二人で暮らすんだよ、と言った。ママからのお願いなんだ、と。その腕はひどく温かかった。
落ち着いたら交番へ。モニターの向こうで彼女は言う。一緒に行きますから、と。
雨が刺さる。僕は言う。雨に当たったら死ぬ、と。声を張り上げ、もう一度。僕はお外には出られない、だって雨に当たったら死ぬもん、と。
落ち着いて。ごめんなさい。彼女の声が飛んでくる。
生き物達のいる部屋へ僕は逃げ込んだ。ハムスターが僕を振り向き、インコが僕を呼び、金魚達がすり寄ってきた。それはまぎれもなく日常というものであった。
足が迫る。ひたひたと。暗闇の中、僕に向かって。それはガラス越しに見える。やがてゆっくりとガラス戸が開く。スリッパも履かずにその足が出てくる。
やって来る。ひたひたと。僕のもとへ。ベランダの隅にうずくまった僕のもとへ。
兄ちゃんは何も言わない。僕の前にしゃがんでただ、僕の目を真っすぐに見据えている。
そのままどのくらい時間が経過したのか。ここはお外だよ。兄ちゃんは言った。
雨に当たったら死ぬ。だから僕は外には出られない。なのに僕は今ベランダにいて、そして雨が降るのを待っている。
待ちわびる。雨が降るのを待ちわびる。雨が僕に突き刺さり、そして兄ちゃんに突き刺さる、それを僕はじっと待っている。
たぁくん。兄ちゃんが言った。最後に聞きたい、と。
兄ちゃんを愛したか。
愛しているか、ではなかった。愛したか、と兄ちゃんは聞いた。
降ったのは雨ではなかったし、空から降ったのでもなかった。それは僕の目から滝のように降り注いだ。
きっと明日、警察が来る。
完
記憶、というものか。僕の脳内に蘇るそれは。優しい目をした青年だった。隣に並んで小便をした。いくつ? と青年は僕を見下ろして聞いた。四つです、と僕は答えた。そうか、と彼は言った。それからふっと笑って、可愛いな、と言った。
たぁくん。二つ重なる、優しい声音。あめふりくまのこ。大好きな歌。
面白いことをしようか。青年は言った。お兄ちゃんのリュックの中に入ってみない? と。青年の背負う大きなリュックの中に入る、それは初めて体験する遊びだ。きっと楽しいよ、と青年は笑った。うん、と僕はわくわくして答えた。
僕はテレビを消した。コンセントを抜くのを忘れたまま玄関のほうに向かった。彼女の声を欲した。
あなたは、たぁくんでしょう。モニター越しに彼女の声は震えている。
もういいかい、まぁだだよ、を繰り返し、ひょっこりと顔を出した時は車の中だった。夜が来て、ママのところに行きたいと泣く僕を抱きしめて青年は、これからは兄ちゃんと二人で暮らすんだよ、と言った。ママからのお願いなんだ、と。その腕はひどく温かかった。
落ち着いたら交番へ。モニターの向こうで彼女は言う。一緒に行きますから、と。
雨が刺さる。僕は言う。雨に当たったら死ぬ、と。声を張り上げ、もう一度。僕はお外には出られない、だって雨に当たったら死ぬもん、と。
落ち着いて。ごめんなさい。彼女の声が飛んでくる。
生き物達のいる部屋へ僕は逃げ込んだ。ハムスターが僕を振り向き、インコが僕を呼び、金魚達がすり寄ってきた。それはまぎれもなく日常というものであった。
足が迫る。ひたひたと。暗闇の中、僕に向かって。それはガラス越しに見える。やがてゆっくりとガラス戸が開く。スリッパも履かずにその足が出てくる。
やって来る。ひたひたと。僕のもとへ。ベランダの隅にうずくまった僕のもとへ。
兄ちゃんは何も言わない。僕の前にしゃがんでただ、僕の目を真っすぐに見据えている。
そのままどのくらい時間が経過したのか。ここはお外だよ。兄ちゃんは言った。
雨に当たったら死ぬ。だから僕は外には出られない。なのに僕は今ベランダにいて、そして雨が降るのを待っている。
待ちわびる。雨が降るのを待ちわびる。雨が僕に突き刺さり、そして兄ちゃんに突き刺さる、それを僕はじっと待っている。
たぁくん。兄ちゃんが言った。最後に聞きたい、と。
兄ちゃんを愛したか。
愛しているか、ではなかった。愛したか、と兄ちゃんは聞いた。
降ったのは雨ではなかったし、空から降ったのでもなかった。それは僕の目から滝のように降り注いだ。
きっと明日、警察が来る。
完
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
シチュボ(女性向け)
身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。
アドリブ、改変、なんでもOKです。
他人を害することだけはお止め下さい。
使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。
Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
芙蓉の宴
蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。
正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。
表紙絵はどらりぬ様からいただきました。
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる