雨と兄 〜僕を愛した兄ちゃんは、頭のおかしな人だった〜

西浦夕緋

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 兄ちゃんの作ったそれを食べる。今日二回目の卵焼き、野菜グラタンとなった。その後一緒に風呂に入った。いつも通りだ、兄ちゃんはいつも通りだった。

 たぁくんの大好きなお歌だよ。そう言って兄ちゃんは電子ピアノで童謡を弾き、歌った。僕を膝に乗せて。あめふりくまのこ。

 雨の音がする。窓を雨が流れてゆく。

 不意に音楽が途切れた。また約束を破ったんだね。僕の耳元で兄ちゃんが囁くように言った。兄ちゃんは何でも知ってるんだよ、と、続けて言った。

 初めて兄ちゃんに恐怖した。いつもの兄ちゃんではなかったし、いつもとは違っていた。大きく開かされた脚と脚の間に差し込まれた兄ちゃんのそれが強烈な痛みをよこした。いくら泣いても兄ちゃんはやめてくれなかった。だから僕は声を張り上げようとした。そして思いとどまった。窓の向こうには彼女がいる。

 絶対に気づかれてはならない。僕は唇を嚙みしめた。やがてそこから血の味がし始めた。

 見られてはならない。彼女にだけは、絶対に。

 窓を雨がつたってゆく。雨だけは見ている。





 玄関を開けたらだめなんです、雨が僕に刺さるから。ぼそぼそとした僕の言葉を彼女は聞き取れなかったようである。え? との声がモニター越しに来た。

 以降、彼女は玄関を開けるようには言わなかった。テレビをつけて、とだけ求めた。

 え? と今度は僕が聞き返す。部屋にテレビがあるでしょう、と彼女は言った。今すぐつけてください、と。

 感電します、と僕は言った。僕がテレビをつけたら感電して死んじゃいます。僕の言葉に被せるように、死にませんよ、早く、と彼女は言った。せかされるままにテレビのもとに向かい、コンセントを入れ、電源を入れた。いつも兄ちゃんがするように。

 感電しなかった。彼女に言われた通りにチャンネルを合わせた。画面の中におじさんやおばさんが座っていた。スーツ姿の若い人もいた。何か喋っている。よく分からない。画面の隅っこに並ぶ文字も難しくて読めない。

 十年前、このスーパーのトイレで目を離したんです。画面の中でおばさんが言っている。スーパーとやらの映像が流れる。お手洗い、の字。スーパーの入り口から少し離れた場所だ、すぐ近くに車がたくさん停まっていた。

 後悔しています、とおばさんは言った。一人でトイレに行くってあの子、聞かなかったんです。私自身も早く子供を自立させたいという気持ちがありましたし、じゃあ行っておいで、って、四つのあの子を一人でトイレに行かせたんです。男子トイレに入るわけにいきませんから私はスーパーの入り口近くにあったワゴンセールの商品を眺めながら待っていました。遅いな、と思いました。だから男子トイレに向かって声をかけました。何度呼んでも返事がありません。年配の男性が出てきましたから尋ねましたが、中には誰もいないですよ、と言われました。

 映像が切り替わった。たぁくん、何を歌ってくれますか? 女の人の声がした。たぁくんと呼ばれた小さな男の子がカメラのほうを見て、あめふりくまのこ、と言った。

 音楽が流れ始めた。男の子が大きく口を開けて歌い始めた。よく兄ちゃんが僕を膝に乗せて電子ピアノを弾きながら歌うあの歌だった。

 たぁくんの大好きなお歌だよ。いつも兄ちゃんはそう言った。
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