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『薫の日常(4)』
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『薫の日常(4)』
カウンターで出迎えてくれた女性は、オレたちを見て固まっていた。
薫ちゃんの母親……だと思う。少なくとも親類縁者だろう。
和装の上からつけたエプロンの下からの盛り上がりは、垂れ目がちなその顔立ち以上に、薫ちゃんとの肉親関係を圧倒的なまでに証明している。
年はどうだろうか。三十代後半あたりか?
夏木さんのお母さん、涼香さんと同じぐらいに見えるが、雰囲気はずいぶんと違う。
「か、かーちゃん、ただいま」
背中から、おそるおそる、という声で薫ちゃんが帰宅を告げる。
やはり薫ちゃんの母親だったようだ。
「……か、薫ちゃん……?」
薫ちゃんの母親は、固まっていた表情を次第にいぶかしげなものにしつつ、オレと背中の薫ちゃんを交互に見比べている。
そして、ヨロヨロとあとじさり、背にあった大きな業務用冷蔵庫の扉にもたれかかり。
「うっ……ううっ」
たもとで目を隠して、さめざめと泣き始めてしまった。
「かーちゃん!?」
薫ちゃんが背中で声をあげる。
「薫ちゃんが……男の子に無理やりそんな事をさせる悪い子になってしまって! 顔も知らないお父さんに顔向けできない……!」
「か、かーちゃん、違うって! これはそうゆうんじゃなくって!」
かーちゃん、と呼ぶより、おかあさん、とひらがなで呼んだ方がしっくりきそうな、おっとりした女性だ。
オレは緊迫した母娘ドラマが展開され始めた店の入り口で「お邪魔しまーす」と声をかけながら入っていく。
周囲の客たちは、なんだなんだ、とオレを見るが、その視線を意識する事なく進んでいく。
そしてカウンター客でにぎわう中、空いていた唯一の椅子に薫ちゃんを降ろした。
「ふふ。ついたよ、薫ちゃん」
「あ、あざッス!」
そんなやりとりをしていると、さめざめ泣いていた薫ちゃんのおかあさんが、冷蔵庫から背を離して飛んでくる。
「か、薫ちゃん! 男の人にそんなものの言い方はダメよ! おかあちゃん、口をすっぱくして、ちゃんと教えたでしょ!」
ああ、納得、そういうわけか。
薫ちゃんのお母さんは、ご自身の事をおかあちゃんと呼び、また呼ばせているようだ。
「ああ、そちらの貴方。ごめんなさいねぇ。ウチの娘がとんでもないことをしてしまって……」
お母さんがカウンターから乗り出すように、オレに頭を下げる。
周囲の客は、いまや無言の野次馬と化して、こちらを見ている。
「いえいえ。加瀬さん……いえ、薫ちゃんはボクと仲良くしてくれている友人であり後輩です。さきほども学校帰りにお茶をしていたのですが、薫ちゃんが足をくじていしまいまして。彼女は遠慮していましたが、ボクが無理やりお送りしてきただけですよ」
手早く誤解をとき、薫ちゃんとの関係を説明し、現状に至った理由を話す。
嘘だらけだが、自信をもって話す事で信ぴょう性は高まる。
また男のやる事には文句を言わない方が無難、というこの世界であれば、これで十分なはずだ。
「え、ええと、これはご丁寧に。ええと、薫の先輩ですのね。いつも娘がお世話になっております」
謝罪の為にさげていた頭を驚きの表情で一度あげた後、再び、初めてご挨拶とばかりにまた頭を下げるお母さん。
「いえいえ。こちらこそ。転入したばかりのボクを色々と気遣ってくれて、助かっています」
おお。
おおお。
周囲の酔っ払いから感嘆や賞賛が漏れる。
今ならこのどよめきもわかる。
この世界において、オレのような男が珍しいのだろう。
女性相手に礼儀正しい珍しい男、という見解か。
背中に胸を押し付けてもセクハラと騒がない男が珍しい、という見解か。
もしくは、そのどちらも、か。
ともかくオレは怒っていないし、セクハラと騒ぐ気もないし、仲の良い先輩と後輩の関係という説明もできた。
これで一件落着だ。
「それじゃ、あ薫ちゃん。お大事に。ボクはこれで失礼するね」
「あ、あざッス!」
しかし。
「あの、ごめんなさい。待って、ええと、お名前は? いずれちゃんとお礼を……」
薫ちゃんのお母さんに呼び止められ、オレは笑顔で返す。
「いえ、お礼なんて結構ですから。あと、申し遅れました。この春こちらに越してきました、日華学園二年、宮城京(ミヤギキョウ)と申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「あら、あらあら! 重ねてご丁寧にありがとうございます。薫の母で、加瀬花(カセ ハナ)と申します。こちらこそよろしくお願いします……」
花さん、か。
年上の方には失礼な物言いになるかもしれないが、お似合いの可愛らしいお名前だ。
もっとも年上といっても、前世年齢を合わせればオレの方が年上だから、そのあたりはご容赦願いたい。
「あ、あの。ところで本当にウチの娘は宮城さんに失礼な事は……?」
挨拶もそこそこに不安でたまらないという顔で、オレに確認を求める花お母さん。
「ええ。本当に何もありませんから。何も無い事をあまり大げさにされると、薫ちゃんも縮こまってしまいますので」
「は、はい」
花さんは薫ちゃんを見る。本当に? という顔だ。
薫ちゃんは薫ちゃんで、ホントだ! とがんばって嘘の表情を作っている。
親としてのカンが訴えているのか、それとも女としてのカンなのか。
二人の女性の間で、しばらく無言のにらめっこが続いていたが、やがて。
「……宮城さんがそうおっしゃるなら。薫。足をくじたいのなら、お店の方はいいから、早く上の部屋で休みなさい」
オレの口添えもあるだろうが、確実に疑われている薫ちゃんのウソが通った。
カウンターで出迎えてくれた女性は、オレたちを見て固まっていた。
薫ちゃんの母親……だと思う。少なくとも親類縁者だろう。
和装の上からつけたエプロンの下からの盛り上がりは、垂れ目がちなその顔立ち以上に、薫ちゃんとの肉親関係を圧倒的なまでに証明している。
年はどうだろうか。三十代後半あたりか?
夏木さんのお母さん、涼香さんと同じぐらいに見えるが、雰囲気はずいぶんと違う。
「か、かーちゃん、ただいま」
背中から、おそるおそる、という声で薫ちゃんが帰宅を告げる。
やはり薫ちゃんの母親だったようだ。
「……か、薫ちゃん……?」
薫ちゃんの母親は、固まっていた表情を次第にいぶかしげなものにしつつ、オレと背中の薫ちゃんを交互に見比べている。
そして、ヨロヨロとあとじさり、背にあった大きな業務用冷蔵庫の扉にもたれかかり。
「うっ……ううっ」
たもとで目を隠して、さめざめと泣き始めてしまった。
「かーちゃん!?」
薫ちゃんが背中で声をあげる。
「薫ちゃんが……男の子に無理やりそんな事をさせる悪い子になってしまって! 顔も知らないお父さんに顔向けできない……!」
「か、かーちゃん、違うって! これはそうゆうんじゃなくって!」
かーちゃん、と呼ぶより、おかあさん、とひらがなで呼んだ方がしっくりきそうな、おっとりした女性だ。
オレは緊迫した母娘ドラマが展開され始めた店の入り口で「お邪魔しまーす」と声をかけながら入っていく。
周囲の客たちは、なんだなんだ、とオレを見るが、その視線を意識する事なく進んでいく。
そしてカウンター客でにぎわう中、空いていた唯一の椅子に薫ちゃんを降ろした。
「ふふ。ついたよ、薫ちゃん」
「あ、あざッス!」
そんなやりとりをしていると、さめざめ泣いていた薫ちゃんのおかあさんが、冷蔵庫から背を離して飛んでくる。
「か、薫ちゃん! 男の人にそんなものの言い方はダメよ! おかあちゃん、口をすっぱくして、ちゃんと教えたでしょ!」
ああ、納得、そういうわけか。
薫ちゃんのお母さんは、ご自身の事をおかあちゃんと呼び、また呼ばせているようだ。
「ああ、そちらの貴方。ごめんなさいねぇ。ウチの娘がとんでもないことをしてしまって……」
お母さんがカウンターから乗り出すように、オレに頭を下げる。
周囲の客は、いまや無言の野次馬と化して、こちらを見ている。
「いえいえ。加瀬さん……いえ、薫ちゃんはボクと仲良くしてくれている友人であり後輩です。さきほども学校帰りにお茶をしていたのですが、薫ちゃんが足をくじていしまいまして。彼女は遠慮していましたが、ボクが無理やりお送りしてきただけですよ」
手早く誤解をとき、薫ちゃんとの関係を説明し、現状に至った理由を話す。
嘘だらけだが、自信をもって話す事で信ぴょう性は高まる。
また男のやる事には文句を言わない方が無難、というこの世界であれば、これで十分なはずだ。
「え、ええと、これはご丁寧に。ええと、薫の先輩ですのね。いつも娘がお世話になっております」
謝罪の為にさげていた頭を驚きの表情で一度あげた後、再び、初めてご挨拶とばかりにまた頭を下げるお母さん。
「いえいえ。こちらこそ。転入したばかりのボクを色々と気遣ってくれて、助かっています」
おお。
おおお。
周囲の酔っ払いから感嘆や賞賛が漏れる。
今ならこのどよめきもわかる。
この世界において、オレのような男が珍しいのだろう。
女性相手に礼儀正しい珍しい男、という見解か。
背中に胸を押し付けてもセクハラと騒がない男が珍しい、という見解か。
もしくは、そのどちらも、か。
ともかくオレは怒っていないし、セクハラと騒ぐ気もないし、仲の良い先輩と後輩の関係という説明もできた。
これで一件落着だ。
「それじゃ、あ薫ちゃん。お大事に。ボクはこれで失礼するね」
「あ、あざッス!」
しかし。
「あの、ごめんなさい。待って、ええと、お名前は? いずれちゃんとお礼を……」
薫ちゃんのお母さんに呼び止められ、オレは笑顔で返す。
「いえ、お礼なんて結構ですから。あと、申し遅れました。この春こちらに越してきました、日華学園二年、宮城京(ミヤギキョウ)と申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「あら、あらあら! 重ねてご丁寧にありがとうございます。薫の母で、加瀬花(カセ ハナ)と申します。こちらこそよろしくお願いします……」
花さん、か。
年上の方には失礼な物言いになるかもしれないが、お似合いの可愛らしいお名前だ。
もっとも年上といっても、前世年齢を合わせればオレの方が年上だから、そのあたりはご容赦願いたい。
「あ、あの。ところで本当にウチの娘は宮城さんに失礼な事は……?」
挨拶もそこそこに不安でたまらないという顔で、オレに確認を求める花お母さん。
「ええ。本当に何もありませんから。何も無い事をあまり大げさにされると、薫ちゃんも縮こまってしまいますので」
「は、はい」
花さんは薫ちゃんを見る。本当に? という顔だ。
薫ちゃんは薫ちゃんで、ホントだ! とがんばって嘘の表情を作っている。
親としてのカンが訴えているのか、それとも女としてのカンなのか。
二人の女性の間で、しばらく無言のにらめっこが続いていたが、やがて。
「……宮城さんがそうおっしゃるなら。薫。足をくじたいのなら、お店の方はいいから、早く上の部屋で休みなさい」
オレの口添えもあるだろうが、確実に疑われている薫ちゃんのウソが通った。
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