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第九話「母さんとの再会」

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 僕は、王都から離れた小さな貧乏な村に生まれた。 
 村全体が貧しく、お金がある人といえば村長くらいだった。村の人は働き者で家族を守るために朝から夜遅くまで必死に働いていた。そんな人達の中でも、僕の家は特に貧しかったと幼いながらに思っていた。
 「おい! 金よこせ!」
 「わ、渡せるお金なんてもうありません」
 「あ? 俺が金が必要だって言ってるのに、お前は出さねぇのか?」
 そして、家庭環境は最悪だった。
 母さんは、家族の為に働きお金を稼いでいた。だけど、男の人に比べて当たり前だけど稼ぎは少なかった。そんな母さんから、自分の私欲の為にお金を巻き上げる父さんは、働くこともせず朝から遊び呆けていた。そんな父さんは、母さんから「金がない」と言われると怒り出し、母さんに暴言を吐き暴力を振るった。か細い母さんの体には痛々しいアザが残っていたのを今でも鮮明に覚えている。
 そんな日常を過ごし、僕が十才になった日の事だった。
 僕はこの日、初めて父さんとまともに口を聞いた。僕や母さんに無関心だと思っていた父さんが「もう、お前も十か……」と染々に言うから、てっきり「おめでとう」とか言われるのかとドキッとした。だけど、そんな言葉を父さんは言うこともなく僕に一言「働け」と言った。
 「でも、僕はまだ……」
 「あ? お前は親に恩はないのか? 誰がここまで育てたと思ってるんだぁ!!」
 父さんは、机を殴り僕を睨み付けた。
 父さんの性格をよく知っていた僕は、それに反抗することも出来ず「分かりました」と答えるしか出来なかった。だけど、働ける年にも満たない僕を雇ってくれる人はそう簡単に見付からない。それは、国のルールでどんな事情であれ十四に満たない者を雇用することを禁じられていて、村の人達は「それに逆らう事になるから」と首を縦には振らなかった。
 「それは、お前の言い訳だろ! とっとと探して働け! いつまでも、のんびりしてんだ!」
 仕事が見つからない理由を話しても、当然ながら父さんは聞く耳を持たない。
 僕は、必死に自分を雇ってくれる人を探してやっとの思いで僕を雇ってくれる人が現れた。その人は、あくまでも「手伝い」という名目で雇ってくれると言ってきたけど、働けるならどんな形でも良かった僕はそれを受け入れて翌日から働く事になった。
 一ヶ月働いて、初めての給料日がやって来た。
 お金を稼げた僕は、これで父さんは「文句を言わないだろう」と思っていたけど、それは甘い考えだった。
 「これだけか? お前は、無能だな」
 僕が働いた金額を見るなり、父さんは鼻で笑いながら、僕が働いたお金を全て自分の懐にしまった。 
 「と、父さん。生活費は……」
 「あ? お前は俺の為に働いてんだろ!? だったらこの金は俺のもんだ! 生活費も欲しいなら、これ以上に働けば良いだろ! 人のせいにするな!」
 「……はい」
 自分の事しか考えない父さんに何を言っても無駄だと思った僕は、今以上に稼がないとこの家は終わると思った。
 その日から、僕は他に自分を雇ってくれる人を探し、最高で五つの仕事を掛け持ちして働いた。これも「家族」が生きていく為だって、自分に言い聞かせて。だけど、そんな思いも十四になる頃には失った。この頃の両親は、自分達の私欲の為に、僕が稼いだお金を好きに使うようになったからだ。父さんは、賭け事に手を出すようになり、毎回違う女の人と出掛けては家に帰って来ない日が続き、母さんも夜に良く出掛けるようになって、父さんと同じように金をせがむ様にもなった。家の事を考えない親達に僕は嫌気がさした。
 「あんな家族、捨ててやる」
 僕は強くそう思うようになり、その日から家を出る準備を少しずつ始めた。
 少量の着替えや日用品を、家の奥底にあった自分のカバンに入れ、それを職場に隠した。必要なお金は、給料から二人が気付かない程度に抜き取りそれをコツコツ貯めていった。
 「リット、どこに行くの?」
 「仕事だよ……母さんも出掛けるんだよね? 気を付けてね」
 そんなある日、チャンスが来た。
 僕は、父さんが家にいない隙を狙い家を出る事に決めていた。貯めていたお金も家出をするには十分に貯まったから、こんな日を来るのをずっと待っていた。そしてこの日、朝から家を出ていた父さんは夜になっても帰って来なかった。だから僕はまだ家にいる母さんに嘘を言って家を出た。
 「さようなら……」
 少し行った所で足を止め、振り返る。
 まだ明かりが灯る家にそう呟き、僕は荷物を取りに職場に向かう。そして、隠していたカバンを手に村の外に足を踏み出した。
 村を出て数日。
 僕は、隣村に着き貯めたお金で二日分の宿を取り必要な食料を買ってその村を出た。次の村や町に向かう途中、お金がなくなりかけると短期で立ち寄った場所で働いたりしながら村や町を転々としていた。
 「……ここが、王都」
 村から出て一ヶ月程が経ち、今いる王都「ライズ」に辿り着いた。
 行く宛もなく、ただある道を通って来た僕はそれまで見てきた景色とは違う王都に驚いていた。これまで、人が多い町や村を見てきたけどそれ以上の人の数と高い技術で建てられた建物。そして、見たことがない食べ物や店の数に目が回りそうだったのを覚えている。
 この頃には「働く」という意味が分からなくなっていた僕は「人の為に働きたくない」って、働く事に良い考えを持っていなかった。だけど、自分が生きていくにはお金は必要なもので、それには働かないといけないのも事実。そこからの生活は、皆が知っている通り、仕事に就いてはすぐに辞めの繰り返しだった。
 そんな僕が、自分の店を持ってそこで働いているなんてあの頃の自分は思いもしなかったと思う。
  
 そして今、店を開店して二週間が経った。
 嬉しいことに、開店初日から多くのお客で店は繁盛し、用意した商品も連日完売が続いていて、城と同様に「店と契約をしたい」という食材を扱う店から問い合わせもあった。僕は、少しずつ育てている野菜やチーズの量を増やす努力をしてギリギリだけど、城を含め何とか契約が交わせる状態にまでにした。その分、店の品数や量が少なくなるけど、そこも少しずつ補えるようにしていこうと思っている。だけど、それが直ぐに実現できないのも現状。
 「リットや。オレンジは売っていないのかい?」
 「すみません、果物類はまだ畑で育てていなくて……」
 「そうなのかい。それなら仕方ないね。いつかお店に並ぶのを楽しみにしているよ」
 にこやかに常連のお婆さんは言って、持っていた野菜達を買って店を出て行った。
 お客が求めといる物を用意するのも、店を持つ者としての使命で義務だって僕は思っている。だから、さっきみたいに言ってくるお客がいると申し訳ない気持ちになってしまう。だから、出来るだけ早く店に来るお客が満足する買い物が出来る様な店にするのが僕の今の目標。
 そんな中、僕の前にある人が現れた。
 「リット……」
 「……え」
 店を閉めようとしていた時、ある人が僕の名前を呼んだ。
 振り返り視界に入った女の人に、僕は驚いた。
 「リット、よね……私が分かる?」
 「か、母さん……」
 目の前にいる女の人は、忘れもしない僕の母。
 幼い頃との印象が大分違うけど、間違いなく僕の母さんだ。どうして、僕の居場所が分かったのか。どうして、ここにいるのか。聞きたいことは山ほどあるのに、ざわざわとした気持ちが邪魔をして上手く言葉に出来ない。
 「リット? どうかした……の」
 店の中で片付けをしていたアオイが、顔を出した。
 アオイは、僕の側にいる母さんを見て不思議そうな顔をする。
 「もしかして、取り込み中だった? ごめん」
 「いや、話しは終わったから」
 「でも……」
 母さんを見て、アオイは何か言いたげな顔をする。
 「私は、リットの母のユミリアと言います。あなたは、この店で働いている方?」
 「お、お母さん!? えっと、ボ、ボクは、アオイと言います! リットとは、一緒に働いていて、友達です」
 「まぁ、リットの友達! てっきり、お付き合いをしている方だと」
 「お、お付き合い!?」
 母さんの言葉に、アオイは顔を赤くさせ焦っている。
 「……母さん、アオイをからかうのは止めてください」
 「まぁ、からかうなんて……」
 「すみませんが、僕はまだやることがあるので。行くよ、アオイ」
 僕は、まだ戸惑っているアオイの背中を押し店の中に入ろうとした。
 「リ、リット、待って!」
 「そんな高そうな服を来ていても、まだお金が必要なんですか?」
 「え……」
 過去の事がある以上、母さんがただ話をしに来たなんて思えず、何か裏があると僕は疑った。
 「わ、私はただ、リットの顔が見たくて……」
 「見たい?……本当にそれだけですか? あの頃みたいに、お金欲しさに僕を探していたんじゃないんですか?」
 「ち、違うわ! あれは!」
 僕は、母さんの言葉を遮った。
 「帰って下さい。僕には、貴女と話すことなんてありませんから」
 「リット!」
 僕は、母さんに背を向けて店の中に入った。
 母さんは僕の名前を何度か呼ぶんだ後、泣いている様な声で「ごめんなさい、リット……」と小さく呟いて何処かに行ってしまった。
 母さんに対して取った行動や発言は、僕自身も冷たい態度だったとは思う。だけど、突然現れた母さんにどう接して良いか分からなくて、あんな態度になってしまった。最後に聞いた母さんのあの言葉は、何に対しての「ごめんなさい」だったのか僕は聞く事も出来なかった。
 店の戸締まりを済ませ、家に帰った僕は上の空だった。
 「……ト」
 「はぁ~」
 「ねぇ、リット! 聞いてる!?」
 「え! あっ、ごめん、何?」
 僕とアオイは、僕の家で明日の準備をするのが最近の日課になっている。
 だけど、母さんの事が頭から離れなくて僕はアオイの話を全く聞いていなかった。
 「もう! さっきからボーッとして、何考えてるの? 折角、良いアイディアが浮かんだのに!」
 「ご、ごめん! その、母さんの事を……さ。本当に、ごめん。ちゃんと話聞くから」
 「お母さんって、店に来た人だよね? あれで、良かったの?」
 アオイの言葉に、僕は目を逸らして答えた。
 「分からない。けど……モヤモヤしてるんだ。両親と一緒にいるのが嫌で、家を飛び出したのに何で今更……」
 「モヤモヤか……それって、話をしなかった事を少し後悔してるんじゃない? リットが自分で思っているよりお母さんの事、そんなに嫌いに思っていないのかもよ?」
 僕は言葉に詰まる。
 「そんなことは……」
 「じゃあ、どうしてお店の名前をアーリスにしたの? お母さんが嫌いだったなら、お母さんが好きだった花の名前をわざわざ店名になんてしないよね?」
 「それは……」
 アオイの言葉は、僕の胸に突き刺さる。
 確かにアオイの言う通り、嫌いな人が好きだった物の名前を大切なモノにわざわざ名付る物好きはいない。だけど僕は、その物好きをしている。母さんが嫌いとか言っている割に、笑顔が好きだったとか言っている。良く考えれば、矛盾していると思う。
 「ねぇ、リット。お母さんとちゃんと話してみたら?」
 「……」
 「怖い? お母さんと話をするのが……」
 アオイは、まるで僕の気持ちを見透かしているように言ってくる。
 「……怖くは……」
 「私は怖かったよ? 父さんに本音を話すの。だから、リットがそう思っているなら可笑しいことじゃないよ。だって、人に自分の事を話すのって、凄く勇気がいることだもん」
 「アオイ……」
 「それに、リットのお母さんも、相当な覚悟を持ってリットに会いに来たんだと思う。でないと、嫌われているのが分かっている人に話しかけないでしょ? 気にしない人なら別だけどさ……」 
 アオイの言葉は、何時も気付かされる。
 自分の気持ちにも、相手が何を思っているかも。それが、可能性の話だったとしても、可能性があると思わせる。確かに、母さんが緊張していないなんて誰も分かるはずがない。母さんの子の僕ですら分からないことなのに、昔と何も変わっていないなんてあるわけないのに。一番、変わった張本人が何を言っているんだろう。     
 「アオイの言う通りだよ。僕は、怖かったから自分の都合で母さんの気持ちを決めつけた。聞かないと分からないことなのに……」
 母さんの気持ちを知るのが怖かった。
 母さんが会いに来た理由を聞くのが怖かった。
 会いたいと思っていた時期もあったのに、いざ目の前に現れた瞬間、頭に過ったのは「逃げ出したい」だった。それを隠すように必死になって、母さんに酷い態度をとった。
 「……母さんがどうしてここにいるのか。僕に何の話をしに来てのか、本当は知りたい。だけど、期待していた答えと違ったらって思うとやっぱり会えないし、聞けない」
 「それで良いんだよ。怖いものは怖いんだから。大事なのは、自分の思いを相手にどう伝えるかだよ」
 「アオイ……」
 「そうボクに教えてくれたのは、リットでしょ? 話して上手くいかなくてもボクは笑わないし、リットが思っていることをバカになんかしない。だから、リットは今のリットのままで、お母さんと話してみなよ」
 そう言ってアオイは、僕の手を握った。
 「ボクが知るリットは、勇気があって、努力家で、何より人の事を思いやれる優しい人だよ。お母さんを傷付けたままにするような人じゃない。それに、ボクたちがいるんだから、何も怖いことなんてない」
 「……そうだね。ありがとう、アオイ」
 不安が全く消えた訳じゃない。怖いと思う気持ちがなくなった訳じゃない。だけど、暗く重かった気持ちがほんの少し軽くなった。それだけで、僕は救われたし前向きに考えられるようになった。

 あれから数日。
 あの日以来、母さんが僕の前に現れる事はなかった。
 「次は牛達のご飯だな!」
 今日は、久しぶりに店を休みにしたけどやることは変わらない。
 朝早くに起きて、素早く朝食を済ませた後、畑仕事をする。それが終わると、牛や鶏達、クロハの餌やりと身の回りの世話。それも終わると、今度は搾り立ての牛乳をチーズにする作業をして、その傍ら収穫した野菜の仕分けをする。それが終わると、家の掃除や洗濯が待っているから、店を休みにしても僕自身は休めない。だけど、これが嫌だと思っていない。むしろ楽しいとさえ思っているくらいだ。
 「ん~、疲れたぁ~」
 「クゥ~ン」
 外の作業が終わり、家の掃除や洗濯も終えた僕が縁側に寝転ぶと、トリエも真似をする様に僕の横で伸びた。
 「いい天気だね、トリエ。こうやって、足を伸ばしてのんびりするのも、たまには良いね」
 「クゥ~ン」
 気付けば、もう昼時。
 お腹が自然と空いているけど、僕とトリエは、暫くのんびり寛いでいた。
 「すみません! 誰かいませんか?」
 すると、玄関の方で聞き覚えがない男の人の声が聞こえてきた。
 「誰だろう……」
 そう呟きながら外に出ると、綺麗な洋服を身につけ、黒髪に顔立ちの整った男の人がいた。
 「すみませんが、こちらにリットさんという方が住んでいるとお聞きしたのですが……」
 「リットは僕ですけど……あなたは?」
 そう聞き返すと、男の人は丁寧に答えた。
 「私は、フィリク・ハービスと申します」
 「ハービス……って、あのブランドハービスの!?」
 ブランドハービスは、各国に店を構える有名な商売店。あらゆる物を売買していて、利用する人は貴族は勿論、商人や店主、そして一般人と平民にも嬉しい価格で売り買いしている。
 このフィリクさんは、そのブランドハービスの責任者でハービス家の当主。そして、公爵の称号を持つ貴族だ。
 「え、え~と……僕に何のご用で……」
 「そんなに警戒しないで下さい。私は、あなたに話しておきたい事があり伺っただけです」
 「話したいこと、ですか?」
 警戒するなと言われても、相手は有名な貴族様だから、普通に身構えてしまう。
 「はい。私の家族の事を聞いて欲しいのです」
 僕は、フィリクさんの家族や親戚を知らないはず。それなのに、どうして家族の話しを僕にしようとしているのか不思議に思っていた。だけど、フィリクさんの話を聞いて僕はその理由を知る。
 「私の妻はユミリアと言います。彼女には、リットという息子がいました」
 「それって……」
 「はい、あなたの母親のことです」
 「つ、妻って、どういう事ですか!? いつ、母さんと父さんは別れたんですか!?」
 フィリクさんは、頷いて答えた。
 「その事も含め、君には彼女の事、君の父親の事を知って欲しいのです……」
 母さんは名家の生まれで所謂、貴族の令嬢だった。母さんには許嫁がいて、その人とは昔から仲が良く結婚することにも前向きに考えていた。そんなある日、母さんが暮らす屋敷に結婚を申し込む別の貴族の息子が訪れた。それが、僕の父さんである「バークリン」だった。
 バークリンの家柄は、当時の母さんの家よりも身分は低く、あまり良い噂がない事でも有名だった。結婚する相手も決まっていたのもあり、母さんを含め家の人達はこの申し込みを断った。だけど母さんは、結婚を決めていた許嫁の方を断ってそのバークリンと結婚をした。
 「……君のお母さん、ユミリアは彼に脅され家や私を守る為に、彼と結婚したんだ」 
 「脅されて……母さんの許嫁って」
 「私の事です。彼女は、私に婚約を断った理由も言わず、彼に嫁いでしまった」
 フィリクさんが、母さんが結婚した理由を知ったのは、母さんが父さんに嫁いだ後だった。
 「その頃から、父さんは何も変わっていなかったんですね……」
 「彼や彼の家族は色々と悪巧みを考える人達だった。彼の家と関わりがあった貴族達の中にはその座を剥奪された人達もいたから……」
 「それで、母さんは……」
 父さんのことに興味なんてないけど、母さんが父さんと結婚した理由が分かって、父さんの事を最低な人だと改めて思った。
 「……それで、五年前に彼女と再会したんだ。偶然、彼女が働いている酒場でね」
 「家を出る一年前……でも、僕の記憶だと母さんは働いてなんか」
 「そうか……君も知らなかったんだね」
 母さんが、仕事をしていたなんて知らなかった。あの頃の僕は、母さんが外へ行くのは父さん以外の男の人に会うためだとばかり思っていたから、母さんの事も遊び人だと呆れていた。
 「彼女は、誰にも知られないように働いていたんだ。あの人に知られないためにね」
 「あの人って、父さん?」
 「はい。彼女は、少しずつお金を貯めてあの家を君と一緒に出ていく計画を立てていたんだ。これは、彼女から聞いた話だから嘘じゃないと思うよ」
 僕は、知らない母さんの事を知った。
 フィリクさんの話しは嘘を付いているように思えないし、母さんから言わされているようにも感じない。きっと、母さんが隠していた真実なんだと思う。だけど、どうして本当の事を僕に言ってくれなかったんだろう。知りたい事がまた増えた。
 「母さんがフィリクさんと再婚したのは何時なんですか? 母さんと父さんに何が……」
 「君が家を出た後、バークリンは毎晩のように暴れ、ユミリアを朝から晩まで休まずに働かせたんだ……」
 五年前に会ってから、フィリクさんと母さんは良く酒場で会って話をするようになった。
 話の内容は、主に父さんの事、そして、働いている僕の事だったらしい。
 そんなある日、事件が起こった。
 それは、僕の家出だ。母さんは、朝になっても、夜になっても帰って来ない僕を心配して、当時働いていた仕事場に聞いて回った。だけど家出をする前に、僕が既に仕事を辞めていたから母さんは僕の行き先まで知ることが出来なかった。その夜、フィリクさんに僕の事を母さんが泣きながら話をしたらしい。話を聞いたフィリクさんは人の繋がりを利用して僕の行方を探し始め、母さんも村の人に話しかけ僕を探していた。
 父さんに僕が居なくなった事は当然知られてしまい、父さんは今まで以上に物や人に当たるようになった。
 「話を聞いた数日後に、調べた事を報告する為、いつもの酒場で彼女を待っていたんだ。だけど、目の前に現れた彼女は腕や頬に痛々しいアザが出来ていたんだ……彼の暴力で」
 フィリクさんの話では、母さんの左目は紫色に腫れ上がり、腕や足には擦り傷と青アザ、頬には叩かれたように赤くなっていたという。そのあまりにも酷い姿に、黙っていられなかったフィリクさんはアザの事を聞くと、最初は「転んだだけ」と苦笑いを浮かべていたけど、フィリクさんが問い詰めると母さんは嘘をつくのを諦め何があったのか話し始めた。僕が居なくなった事よりも、遊ぶお金がない事を心配する父さんは、母さんが僕を隠したんじゃないかと疑った。だけど、母さんを問い詰めても僕の居場所が分からないことに腹を立て、父さんは家の物にその苛立ちをぶつけ始め、家の中は割れた皿や倒された家具で滅茶苦茶になってしまった。その上、父さんは母さんに働くように命じ、稼いだお金は全て取り上げるも「足りない!」と怒鳴り散らし母さんに手を上げる。それに抵抗する母さんに対し、父さんは「お前の家やあの男がどうなっても良いのか?」と脅す。その事を聞いたフィリクさんは、このまま母さんを父さんの元に帰すのは危険だと判断し、父さんと話をする事にした。
 「と、父さんと話したんですか!?」
 「私はただ、彼と話がしたかっただけだったんだ。彼女を私のものにしようとも、今回の事を説教するためでもなく、ただ純粋に彼と話がしたかったんだ。私は彼の事を良く知らなかったからね」
 「そ、それで……父さんとは……」
 そう聞くと、フィリクさんは首を横に振り答えた。
 「彼は、私の話どころか彼女の話も聞こうとせず、逆上して襲ってきたんだ」
 「えっ! その、怪我は……」
 「この通り、怪我はしていないよ。勿論、君のお母さんもね。ただ、騒ぎが大きくなってしまい、彼は村の衛兵に連れて行かれてね」
 フィリクさんは必要ないと言ったが、母さんに万が一の事を考えて「用心棒」がいた方が良いと言われ、フィリクさんは自分専属の護衛も勤める秘書二人を同行させた。この二人は、元暗殺者でその腕はそこら辺のごろつき程度では相手にならないらしい。そんな二人がなんでフィリクさんの秘書になったのかは、また今度話を聞くとして、その二人によって力自慢の父さんは容赦なく捕らえられてしまったらしい。父さんの叫び声で村の人達が集まり、その騒ぎで村の衛兵が駆けつけ、父さんが殴りかかった相手が有名な貴族だと分かり衛兵は慌ててフィリクさんの秘書二人から父さんの身柄を引き取り連れて行ってしまったという。
 「それで、母さんは父さんと……」
 「結果的にはそうなるけど、一番の原因は彼の罪の数だよ」
 母さんが父さんと別れることになったのは、父さんが僕や母さんも知らない罪を一つだけではなく幾つも犯していた。強盗や暴行、男女間のトラブル、軽い罪も含めれば十以上になると取り調べを担当する人から聞いた話だってフィリクさんは言った。そして、それらの罪はここ数年の話ではなく母さんと結婚する前のものもあったらしい。
 「彼は、ユミリアに婚約の申し込みをしたのは「金になるから」と言ったらしい」
 「……本当、最低ですね」
 「だけど、私は感謝もしているんだ。彼がいなかったら、君は生まれて来なかったかも知れないからね」
 「そうかもしれませんが、僕はあの人と血が繋がっている事が凄く嫌です。あの人の子供だった事を何度も恨みました」
 父さんに言われたこと、されたことを思い出しただけで手に力が入る。
 あんな人の血を引いていると思うと、僕もあの人みたいにどうしようもない最低な人間なんじゃないかって思うこともあった。だから、人と関わるのを避けていた時もあったし、深く関わらないように接していた。
 「君にとってはそうだと思うよ。だけどね、少なくとも君のお母さん、ユミリアは君の事を凄く愛しているよ。君が無事だったこと、ちゃんと生活が出来ていることを凄く喜んでいたんだ」
 「……」
 僕は、返す言葉を探した。
 正直、母さんがそんな風に思いながら今まで生活していたなんて思わなかったし、僕が知っていた生活とは違う生活をしているなんて思いもしなかったのに、急にこんな話を聞かされて戸惑うに決まってる。それに、色々な事を知りすぎて何て答えたら良いのか分からない。
 「話が長くなってしまったね。ここに、彼女は良く行くんだ。無理にとは言わないが、彼女と話をして欲しい」
 「ここって……」
 「では、私は帰るよ。忙しい中、話を聞いてくれてありがとう」
 フィリクさんは、僕に地図が描かれたメモを渡すと帰って行った。
 「トリエ、僕はどうしたら良いと思う?」
 「クゥ~ン?」
 その後、縁側で横になりながら渡されたメモを眺め悩んでいた。
 「フィリクさんはああ言ってたけど、母さんは本当に僕に会いたいのかな?」
 「何してんの?」
 独り言を口にした時、アオイが声をかけてきた。
 「アオイ? どうしたんだ、こんな時間に」
 「暇になったから様子を見に来たんだよ。後、これを渡しに」
 アオイは、紙袋を僕に差し出してきた。
 それを受け取りながら聞くと、アオイは「ただの残り物」と呆れたように答えた。
 「お母さんが昼御飯に作った料理がかなりの量でさ。夜に食べるにしても食べ切れないから、リットに持って行ってって言われたから持ってきたの」
 「そうなんだ。それじゃ、遠慮なく頂くよ」
 「そうして。それでリットは、何を見てたの?」
 アオイは、縁側に腰を下ろしながら聞いてきた。
 僕は、渡されたメモを見せながらさっきの事を話した。
 「そんな事が……それで、お母さんと会うの?」
 「少し、迷ってるけど、前にアオイと話して会ってみようって思ってる……」
 僕はそこまで言って視線を逸らす。
 「リットのお母さんって強いよね。力とかそういう強さじゃなくて、心がさ」
 「どうして?」
 「だってさ、辛い思いをしていてもリットの事を探していたんでしょ?  普通、怖い思いをしていたら、リットを探すどころじゃないと思うから」
 言われてみれば、そうかもしれない。
 僕も母さんは気の弱い人だって思ってた。父さんの言いなりだし、反抗した所を見たこともなかった。
 「やっぱり親って、子供が出来ると自分の事よりも、子供を一番に考えちゃうのかな。だから、強くなるのかな」
 「……分からないよ。まだ親になってないから。でも、母さんはそうなのかな」
 僕は、メモに目を向ける。
 会いたいとか、話してみたいとか思いながら迷っている僕は母さんより気の弱い人間だ。なんだかそれが、無性に情けなく思えて僕は決心する。
 「……よし!  僕、行って来る!」
 「分かった! 頑張って行って来て」
 「アオイ。ちゃんと母さんと話してくるから……」
 「うん、何?」
 「だから、帰って来たら話を聞いてくれる?」
 どんな会話になるから分からない不安から、僕はアオイに情けないけど聞いた。するとアオイは、少しクスッと笑い「勿論だよ」と笑顔で答えた。
 「リットが帰って来るまで、トリエと待ってる。だから、出来るだけ早く帰って来なよ?」
 「ありがとう……それじゃあ、行って来る!」
 僕がそう言って、背を向けるとアオイは「行ってらっしゃい」と返し、トリエは「ワン!」と声を上げた。
   
 外に出た僕は、クロハを急いで走らせた。
 母さんがいるという場所に向けて。
 (母さん……)
 母さんに会ったらどんな事を話そう。
 話の前に、この間の事を謝ろう。正直に「母さんを見て動揺したせいで、あんな逃げるように冷たい態度をしてごめん」って、言い訳になるかも知れないけど頑張って謝ろう。それから、フィリクさんに会って母さんの事を色々聞いたのと、母さんが密かに働いてお金を貯めていた事とか……沢山、話したいことがある。
 クロハを走らせながら、母さんと何を話そうか考えた。
 「この上に、母さんが……クロハ、ここで待ってて」
 僕は、走ってくれたクロハの鼻筋を撫でながらそう伝え、目の前の階段に足をかけた。
 一段ずつ登って行くほど、鼓動が早くなっていく。頂上に近づくほど手足が震えてくる。そして、階段を登りきると目の前には夕暮れの景色が広がっていた。
 ここは、街が見渡せる高台。
 季節や時間によって見える景色が変わるとても静かな場所で、良く一人になりたい時に来ていた。
 「変わらないなぁ……」
 最近は、一人になりたいと思う暇もなかったから、ここに来るのは凄く久しぶりだ。
 良く来ていた時と何も変わらないな景色と雰囲気に気持ちが落ち着いていく。
 「……いない」
 高台には、若い男女が話して歩いていたり、親子が楽しそうに笑っていたり、老人夫婦が仲睦まじく微笑んでいたりしているけど、肝心の母さんが見当たらない。ここには来ていないか、もう帰った後なのかもしれない。そう思って諦めて帰ろうとした時、ここから少し歩いた先にある広場の方から微かに歌声が聞こえてきた。
 「この歌……」
 微かに聞こえてきた歌は、懐かしくて良く知っている歌だった。その歌声に引き寄せられる様に歩いていくと、金色の長い髪の女の人が目の前に広がる街景色を眺めていた。
 「母さん……」
 その女の人は後ろ姿だったけど、僕は直ぐに母さんだって分かった。
 「……リット?」
 母さんは、僕の声が聞こえたのか振り向いた。
 時間が止まる。何を話そうか考えていたはずなのに、緊張のせいか言葉が上手く出ない。
 「リットも、ここには良く来るの?」
 「ま、前は良く来てた、けど。今は、ほとんど来てないよ」
 「そうなのね。それじゃあ、どうしてここに?」
 大好きだったあの頃の母さんみたいに、優しく静かな声で聞いてきた。
 僕は、フィリクさんに会って母さんの話を聞いたこと、母さんが良くここに居る事を話した。
 「そう……フィリクが。ごめんね、迷惑だったでしょ?」
 申し訳なさそうに、母さんは言った。
 「迷惑、じゃないよ。フィリクさんに話を聞かなかったら、僕はずっと母さんの事を勘違いしたままだった。あの、さ。ちゃんと教えて欲しい。他の人の言葉じゃなくて、母さんの口からちゃんと聞きたい」
 「リット……そうよね。母さんの事だもの、母さんが話さないといけないわよね。少し長くなるけど、良い?」
 「大丈夫。ここには、母さんと話をするために来たから、どんなに長くても最後まで聞く」
 そう答えると、母さんは嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。
 それから僕は、母さんの話を聞いた。母さんの話はフィリクさんの話と同じだった。
 「それから、これ……」
 母さんは、色褪せた小さな白い巾着を僕に差し出した。
 この巾着には見覚えがある。僕が家出をする二年前くらいから、母さんが僕が働いたお金を受け取っていれていた巾着に良く似ている。
 「この中には、母さんがリットから貰っていたお金が全部入っているわ」
 「全部? 使っていたんじゃ……」
 「そう思われていても、仕方ないわよね。私はずっと、リットと二人で暮らせるようになったら渡そうと思っていたの。リットが自分のお金で好きなものを買えるように」
 母さんは、僕に小遣いというものがないのをずっと気にしていた。
 働いたお金のほとんどが、生活費と父さんの娯楽に使われていて、ほんの少しのお金すら僕の手元には残らなかった。そこで母さんは、お金に目がない父さんに知られずに僕が使えるお金を確保しようか考えた。
 「最初は、生活費分とあの人に渡す分に分けて、余ったお金をリットに渡そうと思っていたの。だけど……」
 「父さんに見付かった?」
 「ええ。余っているお金も俺に渡せって……だから、必死に考えたの。あの人からリットのお金を守る方法を」
 母さんは、それからも色々な策を思い付いては試すを繰り返し、自分が使う様に見せかける方法に行き着いた。
 「私が遊びで使う分にすると言ったら、あの人は何も言って来なかったの。何をしても全て取られていたのに、この方法だとお金を取られない。だから……」
 「わざと僕からお金を受け取っていた。父さんに気付かれないように」
 「……あの人に気付かれない様にするとはいえ、辛くて悔しい思いをさせたわ。本当にごめんなさい」
 僕に頭を下げて、母さんは謝った。
 母さんは、父さんに気付かれない様にわざとあんな態度をとっていただけ。僕にお金を残そうとしていただけだった。それなのに僕は、そんな母さんに、勝手に腹を立てて失望した。酷いのは、母さんじゃなくて僕の方だった。
 「謝るのは、僕の方だよ。母さんは、何も悪いこと一つもしていないよ。母さんの思いにも気付かないで家を出て、母さんを一方的に恨んで……僕は最低な息子だよ」
 「リットは何も悪くないわ。母さんが弱かったのがいけないの。子供を守るのが親である私の役目だったのに……辛い思いばかりさせて、本当にごめんなさい」
 母さんはそう言うと、僕の体をそっと抱き締めた。
 幼い頃に抱き締められた時は、僕の方が小さくひ弱だったのに、今は母さんの方がか細く小さく感じた。四年しか経っていないのに、こんなにも懐かしく違って感じるんだと少し切なくなった。
 「母さん……本当にごめんなさい。それと、ありがとう。僕の事をずっと守ろうとしてくれて……」
 「守るのは当たり前よ。リットは私が一番大切な可愛い息子だもの」
 震える母さんの声が、肩に響く。
 そんな母さんの背中を、僕はそっと触れて抱き返した。
 それから僕は、畑や牧場のこと手伝ってくれるアオイや皆のこと、家出をした後のこと。母さんは、フィリクさんとの生活のことをお互いに話して聞いた。
 「すっかり、暗くなってしまったわね。明日も早いんでしょ? 母さん、リットと話しをするのが嬉しくて……」
 「僕も、母さんとちゃんと話が出来て嬉しかった。それに遅くまで話をしたって良いじゃん、親子なんだからさ」
 笑ってそう言うと、母さんは嬉しそうに「そうね」と言った。
 途中まで母さんを送った後、僕は家に帰った。

 家に着くと、アオイとトリエが笑顔で出迎えてくた。
 「そっかぁ~。ちゃんと話せたんだね。偉いぞ、リットくん!」
 僕は、アオイに母さんとのことを報告した。
 アオイは嬉しそうに話を聞いてくれた。
 「アオイのお陰だよ。アオイが背中を押してくれたから、僕は母さんと話をする決心がついた。ありがとう」
 「そんな。ボクは何もしてないよ。今思えば、お節介だった。ごめん」
 「お節介なんて思ってないよ。アオイがいなかったら、ボクは母さんに会う勇気すら持てないまま、ずっと後悔していたと思うから。アオイが居てくれて良かったって、本当に思ってる」
 以前の僕は、きっとこんな風に自分の気持ちを素直に言うことなんてなかったと思う。自分の気持ちを言った所で何も変わらないし、誰も聞いてはくれないって思っていた。だから、周りの反応や顔色を見て言葉を選んで合わせていただけだった。
 「……なんかさ。そう言われると照れる」
 「僕も、自分で言って少し恥ずかしい。だけど、口にしないと伝わらない事もあるって分かったから……これは言わないとって思ったんだ」    
 人と深く関わることを避けていたあの頃に比べて、自分でも驚くくらいに人と接していると思う。仕事をしたくなかったのもあるけど、煩わしい人との関わりを避ける為にもこの牧場生活を始めたのに、普通に雇われていた時よりも人と関わっているなんて本当に不思議だ。だけど、今の生活が嫌なんて思わないし、思えない。今は、素直に皆と関われた事を嬉しく思うし、この関係は壊したくない。
 「確かに、口に出さないと伝わらないし分からないよね……それじゃあ、ボクも」
 アオイはそう言うと、僕を真っ直ぐに見る。
 「リットのお陰で毎日が楽しい。父ちゃんと話が出来たのも、自分のやりたいことを見付けられたのも、リットと会ったからだってボクは思ってる。だから、ボクと出会ってくれてありがとう」
 笑顔で言うアオイの言葉に、少しくすぐったい気持ちになった。
 「面と向かって言われると、嬉しいけど、やっぱり照れるね」
 「でしょ? でも、言われて嫌な気持ちにならないから不思議だよね」
 笑ってそんな事を僕とアオイは、夜が明けるまで話していた。
 
  
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