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第八話『店を出す!』

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 「おお! 出来てるぅ」
 「美味しそう!!」
 夏の暑さは薄れ、季節は秋。
 辺りの木々も赤や黄に色づき始め、直ぐにやって来る冬に向け準備をしなければならない時期。そんな中、僕とアオイは感動に浸っていた。
 今から三ヶ月前、僕はコルタさんから更にウシを二頭譲り受け、とれた生乳をチーズにする余裕が出来た。そこで、家の隣にある小屋に専用の棚を大工屋の親方とコルタさんに相談して作って貰い、初めてのチーズ作りをアオイとやってみた。「カード」という塊を熟成させるのに「三ヶ月が良い」とコルタさんの助言で、作って貰った棚にカードを保管していた。そして、この日は待ちに待った完成日。計算された棚のお陰か、暑さでカードがダメになること無くチーズは、チーズらしく出来上がった。
 「チーズが、チーズになってる!」
 「チーズを作ったんだから、チーズ以外にはならないと思うけど……」
 「そ、そういう意味じゃなくて、ちゃんと食べられるチーズになってるってことだよ。ほら、コルタさんもダメになる事もあるって言ってたし……」
 勿論、見た目が良くても、味に問題があるなら売り物には出来ないし、自分で食べ切れるかも分からない。
 「そ、それじゃあ……食べてみよう」
 「うん……」
 意を決して、僕とアオイは出来たチーズを小さく切りそれを口の中にいれた。
 「お……美味しい!!」
 僕とアオイは同時に叫んだ。
 「ん~。濃厚でとろけるぅ」
 「舌触りも滑らかだし、知ってるチーズのイメージと違う出来だよ!! 凄く美味しい!!」
 口に入れた瞬間、見た目が固いチーズは直ぐに溶けていき、濃厚な味わいな上にあっさりしていて諄くない。それに、チーズ独特のあの匂いもあまりしないから、苦手な子供でもおやつ感覚で食べられそうだし、売りに出してもよさそうな気がする。だけどそれは、自分が作ったからで他人が同じ様に思うのかは別の話しだ。他の人にも食べてもらった方が判断しやすい。
 「リット! 絶対売れるよ、これ!」
 「ん~、でも直ぐに売りに出すのは……」
 「もう、リットって心配性だよね。私が売れるって言っても信じないし……」
 口を尖らせて言うアオイに、僕は売る前にチーズの評価が知りたい事を話した。
 「う~ん、必要ない気もするけど……それでリットが納得するなら、ボクは反対はしないよ?」
 「ありがとう、アオイ」
 「それじゃあ、試食でお客さんに食べて貰う?」
 「それも良い案だとは思うけど……最初は、僕を知っている人か詳しい人に聞きたいかな」
 素人が作ったチーズを、お客さんに食べて貰うのは少し気が引ける。それなら、牧場初心者だって知っている人か、商売関係の仕事をする人、もしくは、牧場関係の仕事をしている人に評価して貰った方が売る時の参考にもなるし、その方が素直な評価が聞けると思った。
 「それじゃあ……試食会を開いて、皆を呼ぶのはどうかな?」
 「試食会か……個別に聞きに行くより直ぐに感想は聞けるけど、迷惑じゃないかな?」
 「急な話じゃなければ大丈夫じゃないかな? 事前に話しておけば、予定を空けてくれると思うし」
 アオイの言葉に、僕はチーズの試食会を開く事にした。
 招待する人は、牧場を始めてから付き合いがある人達にして、僕とアオイは早速、準備に取り掛かった。ただチーズを食べるだけって言うのも面白くないし、チーズはそのまま食べる事もあるけど料理にも使ったりするから、折角だしちょっとした料理も作ることにした。そこで僕とアオイは、簡単に作れる「チーズ料理」を調べて作ってみた。
 「ん~。美味しそうな匂い!!」
 「良い具合に焼けたね! 食べてみよう!」
 初めに作ってみたチーズ料理は「ピッザ」。
 石窯でこんがり焼けた生地と、とろけたチーズ、そのチーズに絡むベーコンや野菜達。見ているだけでお腹が空いてくる、そんな良い焼き上がりをしたピッザを僕とアオイは食べた。
 「いただきまーす! ほふ、ほふ………ん~!!」
 「はふ、はふ、はふ……!」
 出来たてのピッザはアツアツで食べるのに一苦労だったけど、言葉に表せないくらい美味しかった。一切れ食べ終わる頃には、僕とアオイは満面な笑みを浮かべていた。
 「美味しい~!! チーズがトマッテソースと良く絡んで……とにかく、美味しい!!」
 「幸せだぁ~」
 「ねぇ! 他の料理も作ってみようよ!」
 「そうだな!」
 あまりの美味しさに、僕とアオイは他の料理にも期待して色々作ってみた。
 ポテートのチーズ焼き、野菜グラタン、チーズトースト、チーズケーキ……作っては試食した。
 「ん~、どれも美味しい! このチーズ、万能だね!」
 「どの料理にも合うし……何より、美味しい」
 「試食して貰わなくても良い気がするけど……」
 「た、確かに……」
 アオイの言葉に、気持ちが少し揺れながらも試食会はやる事にした。
 僕とアオイは、試食会に出す料理と招待する人を決め、その人達に試食会の話をして回った。
 「ほう、試食か。面白そうだな」
 「絶対、行く!」
 親方やナオル、ミリーナやポルン。今までお世話になった人達に声をかけると、皆は嬉しそうに「行く」と答えてくれた。
 試食会は子供達もいる孤児院でやることにし、料理も孤児院内にある調理場で作ることにした。

 それから三日後の朝。
 僕は材料を揃え、孤児院に向かう。
 「それじゃあ、皆が来たらよろしくお願いします」
 「はい、任せてください」
 サーリア院長には、招待した人達の案内役を頼み、孤児院の子供達とナミナ先生には、会場の準備をお願いした。
 「それじゃあ……僕達も準備を始めよう」
 「うん!」
 僕とアオイは、家から持ってきた野菜や仕入れた肉、そして主役のチーズを使って試食の準備に取り掛かった。  
 時間がかかるピッザやチーズケーキから作り始め、その合間に別の料理に取りかかる。招待した人達が集まる予定はお昼時の十二時前後。それまでに、試食の準備が終わるのか時間との勝負。作る料理は全部で四つにしたけど、試食会はお昼時だし食べ盛りの子供達もいるからそれなりの量は作らないといけない。
 「チーズケーキの方は大丈夫だよ! 次、何を作れば良い?」
 「じゃあ、ポテートのチーズ焼きを作って貰える?」
 「了解!」
 アオイと準備を進めるけど、あっという間に時間は過ぎて、会場には招待した人達が集まり始めた。
 「リットさん。招待をなさった方達が全員お見えになりました」
 「今、行きます!」
 何とか準備を終え後は出来上がるのを待つだけになり、調理場はアオイに任せて僕は会場の広場に急いだ。
 「おっ! リット!」
 「お待たせしました!」
 僕は、用意したテーブルを囲み話をしていた皆の前に立ち挨拶をした。
 「えー、皆さん、今日は試食会に来てくださりありがとうございます。お腹も空いていると思うので、遠慮せずに食べて行って下さい。今回の試食のメインはお話した通りチーズです……」
 僕は、料理の感想ではなく、チーズの感想を皆に再度お願いした。 
 「出来たよ~!」
 「おお! 待ってました!」
 「美味しそうな匂い!」
 話を終えた頃、アオイが出来上がった料理を運んで来た。料理の匂いに皆はヨダレを垂らす勢いで、テーブルに置いた料理を囲む。
 「うひょ~。出来たてのピッザなんて始めてだ! 美味そうだな!」
 「早く、食いたいな!」
 そんな事を話す皆に、僕は「どうぞ食べて下さい!」と言うと、皆は勢い良くピッザに手を伸ばし口に入れる。
 「……」
 「あ、あの~、どうですか?」
 一口食べた皆は、ピッザを咥えたまま固まってしまった。「もしかして口に合わなかった!」と内心慌てたけど、皆は一斉に答える。
 「美味い~!!」
 「何だこの濃厚なチーズ!!」
 「ん~。凄く伸びる!! 美味しいな!」
 「これは、いくらでも食べられます!」
 皆は、そんな事を口にしながら無我夢中でピッザを頬張り、あっという間に作ったピッザを完食してしまった。
 「グラタンか! これも美味そうだな!」
 「こっちのポテートのチーズ焼きも美味しそう!」
 出来上がった料理をテーブルに運ぶ僕とアオイ。それを美味しそうに頬張り、皿の中身を綺麗に空にしてしまう皆。
 「う~。流石に辛いな~」
 「年寄りの胃袋は裂けちまうねぇ~。 ははは」
 「お腹いっぱい~」
 お腹を膨らませる芋やチーズを使っているだけあって、皆は満足している。
 「あの、デザートも用意していたんですが……」
 そう言うと、皆は「デザート!?」と目を輝かせた。
 「デザートは、別腹だ! 食べるに決まってるだろ!」
 「私も、食べる!」
 「僕も食べます!」
 皆の反応に、僕とアオイは最後の試食料理を運ぶ。
 「ん~」
 「美味しい~」
 「何か、ホッとするねぇ~」
 美味しそうに食べる皆を見て、僕とアオイも自然と笑みが溢れた。
 「それで……どうでしたか?」
 「このチーズなら、俺は買いたいよ!」
 「僕もです!」
 庶民派のナオルやポルン達、孤児院の子供達は「売り出しているなら買いたい」、「美味しい! もっと食べたい!」って言ってくれた。
 「そうさねぇ~。味も匂いもそこらのチーズに負けてない。売っても問題ないとわしも思うね」
 「同じ牧場主からしても、羨ましい位の良いチーズだ。売った方が絶対に良いだろう」
 ギルド長のピノアさんや牧場主のコルタさん、ルーファンさんも「売れる」と言ってくれた。
 「リット。まだ売り出すのに不安があるなら、客に試食して貰えば良い」
 「そうだね。まぁ、その必要はないと思うけどねぇ」
 「口に合えば、買っていくだろうしな」
 ピノアさん達からそんなアドバイスを貰い、試食会は無事に終わった。
 調理場の片付けをしながら、アオイと試食会の話をする。
 「あんなに喜んでくれたし、チーズを売り出してみない?」
 「そうだね。でも、買って失敗したとか言われても嫌だから、チーズの試食を出して様子見ようかなって思うよ」
 「そんな事は思わないと思うけど。まぁ、どんな味がするのか知りたい人もいるかもだし、やるならボクは反対しないよ」
 「ありがとう、アオイ。じゃあ、次の売り出しから試してみよう」
 「分かった!」
 僕は皆の言葉もあって、チーズを試食品として出してみることにした。
 
 試食会から二週間後。
 僕は、売り出しに来ている。商品用のチーズと一口サイズに切った試食用のチーズも荷台に積んで。
 「何か、ドキドキするね……って、大丈夫?」
 「胃が痛い……」
 「もう、大丈夫だって! 絶対、気に入ってくれるから!」
 初めてチーズを売り出すから、僕は緊張していた。
 初めて売り出しをした時よりも緊張している様な気がするけど、嫌な緊張じゃない。
 「よし! 始めよう!」
 「うん!」
 商品を並べ終え、僕とアオイは呼び込みを始める。
 「新鮮な野菜や取り立て牛乳、そして自家製のチーズもありますよ~!」
 「いらっしゃいませ! トマッテが五個で百二十ルーロになります! ありがとうごさいました!」
 声掛けをすると、お客さんは直ぐに来てくれるようになって、嬉しいことに僕の事を覚えて売り出しているのを見つけると必ず立ち寄ってくれる常連さんが何人か出来た。その内の一人が僕に声をかけてくれた。
 「リットくん。 このチーズは食べても良いのかい?」 
 「はい! どうぞ試食してみてください。気に入ってくれると嬉しいんですが」
 「それじゃあ、頂こうかね」
 そう言って、ほのぼのしたお婆さんは、試食用のチーズを食べた。
 「ん~、美味しい! リットくん、このチーズはリットくんのとこで作ってるのかい?」
 「はい。初めて作ったので、皆さんに食べて貰おうと……」
 「そうなのかい!? リットくん。このチーズ、一つ買うよ」
 「あ、ありがとうございます!」
 幸せそうに食べたお婆さんの効果なのか、お客さん達は試食のチーズを食べてくれて、そのままチーズも買ってくれる人もいた。
 「このチーズ、本当に美味しいわ! また、買うわ!」
 「ありがとうごさいます!」
 そんな事を言って帰って行くお客さんの中には「お店を出してくれたら、毎日、買いに来るのに……」と、嬉しいことを言ってくれるお客さんもいた。そして、心配していたチーズも含め、売り出した全ての商品を完売することが出来た。
 「んー、疲れたぁ!」
 「そう言うわりには、疲れた顔はしてないね」
 「だって! 嬉しい疲れだもん! リットも、そうでしょ?」
 「まぁね」
 家に戻った僕とアオイは、チーズの評判が良かった事と、お客が笑顔で帰って行くのに満足して、表情が緩む。
 「ねぇ、リット。お客さんの中に、店を出してくれたら良いのにって、言ってた人が何人かいたでしょ?」
 「うん」
 「売り出す商品も増えてきたし、店を出すのも良いんじゃないかってボクも思ったんだけど 」
 「ん~。お客がその方が買いやすいって言うなら、考えても良いかもしれないけど……」
 僕がそう言うと、アオイは身を乗り出して聞き返してくる。
 「それって! いつかお店を出してみたいってこと!?」
 「その方が良いなら、ね……」
 「リット?」
 僕はお客が喜ぶなら、お店を出すのも悪くないと思った所で思い止まる。
 少し前の僕は、人に雇われて生活していたけど、その生活が嫌になり今の生活を始めた。そんな自分が店を出している姿とか、誰かを雇っている姿とか想像が付かない。
 「……僕なんかが、店を出しても良いのかな?」
 「え、どうして?」
 「アオイに少し話しただろ? 家族のこととか、働いても長続きしなかったこととかさ。働くのが嫌だって言ってた人が、店を出すなんて……変だろ?」
 苦笑いを浮かべて言う俺に、アオイは少し怒った様な顔で言った。
 「別にぃ~。変なんてこれぽっちも思ってないけどぉ」
 「でも、俺を知っている人からしたら……」
 「あのさ、リット。働くのが嫌で今の生活をしている事を誰かに話したことあった?」
 今度は、呆れたように話すアオイ。
 「ちゃんと話したのは、アオイだけだけど……」
 「なら、リットの事情を知っている人はいないってことなんだら、気にすることなんてないんじゃない? 」
 アオイに言われ、僕は「確かに」と思った。
 僕の事を知っている人がいても、僕が働きたくない理由まで知っている人はアオイ以外にいない。それなら僕が店を出した所で何とも思わないかもしれない。
 「それはそうかも知れないけど、直ぐ仕事を辞める奴が店を出すなんてって言われたら……さ」
 それでも、やっぱり気にしてしまう。
 「もう! リットは本当に周りの反応を気にしすぎ! リットが思ってるほど周りの人は気にしてないよ」
 「そ、そうかな?」
 「そうなの。それに、周りがどう思ってたって、リットの人生はリットのものなんだから、リットがしたいようにすれば良いんだよ。少なくとも、ボクはそう思う」
 ニッコリ笑うアオイに、僕は少し気持ちが軽くなった。
 自分の人生は自分のもの。そうありたいと思っていたのに、何処かそう思えなかった自分もいた。でも、自分がしたいことをして良いと言われて「そうして良いんだ」って思えた。
 「だから、店を出すか少し考えてみなよ。もし、止めておこうって思うなら、今まで通りで良いし、挑戦してみたいならそうすれば良いだけなんだから」
 「……そうだね。少し考えてみるよ」
 僕は、売り出し日のお客の様子や他の店を見て、自分はどうしたいのか考える様になった。
 そんな頃、城からディオンさんが家に来た。
 「契約、ですか?」
 「ああ。巷でお前が作るチーズが絶品だと聞いてな。それで、うちの料理長がこっそり買ったみたいなんだ」
 「そ、そうなんですか。気付かなかった……」
 俺は正直、驚いている。
 城が取り寄せている食材はどれも一級品で、素人が作ったモノに目を向けるなんて思わなかった。
 「それを使って料理をした所、前よりもコクが出て食べやすくなったと絶賛したらしい」
 「それで……契約」
 「ああ。王族も気にしてしまったみたいだからな、俺としても契約を受けてくれると助かるんだが……」
 困った顔を浮かべて話すディオンさん。
 きっと「契約をなんとかして交わして来い」みたいな事を言われたのかもしれない。ディオンさんがこんな顔をするのは、そんな事情を抱えている時だ。僕としても、この契約を受けたら生活は安定するし悪い話じゃないと思う。でも、今作れるチーズの量は少ないから、城で幾つ必要で、街で売る分に余裕はあるのか検討が付かないから即答もできない。
 「話は分かったけど、城で使う量ってどのくらいなんですか?」
 「そうだな、今城に納めているチーズは一月ひとづき十くらいだったはずだ」
 「十か。今作ってる量はそのくらいだし、街の人達にも売りたいから今は難しいかな……」
 そう答えると、ディオンさんは「そうか」と呟いた。
 「最近、聞いた話だからそうじゃないかとは思ったんだが……無理を言ってすまなかった」
 「い、いえ! 僕こそ、すみません。期待に答えられなくて……」
 「いや、リットは悪くないさ。話を聞いてくれて、ありがとうな」
 話が一段落して、僕は気になっていることを聞いた。
 「あの、城が取り寄せている食材はどれも一級品ですよね? それなのに、どうして僕のチーズを?」
 「確かに、城で扱う食材は一級品だ。だが、牛乳やチーズ、卵といった畜産物は作り手が減少しつつある。それが原因で、城に納められるモノにも影響が出ているんだ」
 「つまり、一級品でも作られる数にも限界がきてるってこと?」
 「そうだ……民達の生活も考えれば、リットの所で取れたモノを城で買い取るのは止めておこうという声も上がってはいたんだが……」
 僕が作ったチーズを使った料理を食べた王様達が「これは美味い」と絶賛した。それを聞いた爵位を持つ貴族達が「それなら、取り寄せるべきだ」と提案したらしい。だけど、王様達は民が大切だと言って俺との契約はしないと言ったけど、頑固な年寄りばかりの貴族達は納得していないようだった。だから、僕の家に押しかける前に「話を通しておこう」とアディル王子の計らいで、こうして来たとディオンさんは教えてくれた。
 「そんなことが……相変わらず、城で働く貴族様達は話を聞かない人なんですね」
 「本当に困るよ。余計な仕事がこうして増えるんだからな。まぁ、あのままだと諦める事を知らないあの人達がここに押しかけて来るかも知れないし、仕方がないことだ。だが、困ったな」
 ディオンさんは、考え込んだ。
 それは、僕との契約を取り付けないことがその貴族達に知られたら、それこそ家に押しかける可能性がある
 「自分なら契約を簡単に交わせる」とか変な自信を持って。そうなれば、アディル王子とディオンさんの好意が無駄になってしまう。
 「あの、契約の事なんですが、こういうのはどうですか?」
 僕は貴族対策で、ある提案をした。
 それは「仮契約」という取り引き。仮契約は、本契約が交わせるという判断が出来るまでの契約のこと。これには「今は契約は出来ませんが、将来的には契約をしたい」という意味も込められているから、話を断った訳ではないという証明にもなる。
 「なるほどな。それがあれば、当分の間は安心だろうけど……長くは持たないぞ?」
 「それは、僕も分かってます。少しの間だけ、時間が欲しいんです。契約するにも準備が必要だから」
 「まぁ、それもそうだな。アディルにそう話しておく。また後日、書類を持って来ると思うから、その時ま頼む」
 「分かりました」
 話が終わると、ディオンさんは「別の仕事がある」と言って城へ戻って行った。
 それから僕は、畑や動物達の世話をしながら、店の事と城との契約の事を考えていた。店の事はまだどうしたいのか自分でも分からないし、城とは仮契約はするとして、本契約をするにはやっぱり今の状況は良くない。だからといって、解決策がある訳じゃない。言葉だと簡単に答えは出るけど、それが実行出来るかと言えばそうじゃない。
 「一体、どうしたら……」
 「リットさん、どうかしましたか?」 
 「あ、ごめん! 少し考え事してて……」
 ディオンさんからの話を受けて二日が経ったこの日。
 店を経営する人の事が知りたくて、ミリーナの家にお邪魔している。
 なのに、少し気を抜くと契約の事とかを考えて無意識に溜め息が出てしまう。
 「考え事ですか?」
 「大した事じゃないんだ。本当ごめん。折角、店の事教えてくれてるのに」
 「そんなの気にしないで下さい。あの、もし良かったらお話を聞きますよ?」
 ミリーナは笑顔で言う。
 そう言えば、店の事は少しアオイと話ただけで、あの日以来は店の話題はないし、契約の事だって何も話していない。相談っていう話しはまだ誰にもしていないし、解決策とか自分の気持ちがハッキリするかもしれない。
 「……じゃあ、少しだけ聞いてくれる?」
 「もちろんです! 何でも話してください」
 嬉しそうに答えるミリーナに、僕は肩の力を抜いて話した。
 「……って事があって。どうすれば良いのか考えているんだ。アオイとは店の事を少しだけ話したんだけど、僕がしたいようにすれば良いって言ってて」
 「そうなんですね……そういえば、お母さんもやりたいからお店を出したって言ってた気がします」
 「そうなの? 他に理由とか……」
 「私が聞いたのはそれだけです。きっと理由なんて、お店を出したかったからとか、多くの人に買って欲しいからとかで良いと思います。」
 「……そういうものなのかな。ミリーナは、僕が店を出すことをどう思う?」
ここで働いていた僕は、長続きせず辞めた。そんな僕が店を出す事をどう思うのか聞いてしまった。僕の事を知る人の一人だから「店を出すのは可笑しい」って言われるのを覚悟していた。
 「凄いなって思います。お店を出すなんて簡単な事じゃないと思いますし……でも、どうしてそんな事を?」
 「僕は、直ぐ仕事を辞めていたでしょ? そんな人が店を出すなんて可笑しいって思われるんじゃないかって……」
 そう言うと、ミリーナはアオイと同じことを言った。
 「リットさんは、周りの人の事を気にし過ぎだと思います。確かに、お仕事は直ぐ辞めちゃったかも知れないけど、辞める日までお仕事はちゃんとしてくれました。私は、そんな風に思いません」
 僕は、思っている以上に人の目を気にしているのかもしれない。だけど、店を出す勇気は持てない。そもそも、店を持つことで今までと何が変わるのか、僕はまだ知らない。今までの売り方と違いがないのなら店は出さないし、今よりも良くなるなら出すという軽い気持ちで考えることにした。
 「……色々ありがとう。勉強になったよ」
 「知っていたこと教えただけですが、リットさんの力になれたのなら、私は嬉しいです」
 ミリーナは、笑顔で言った。 
 そして僕は、ミリーナの店を出て、ある場所に向かった。
 「おや、リット。今日はどうしたんだい?」
 「教えて欲しいことがあって来ました」
 商売に詳しそうな人がいる場所と言えば商業ギルド。その中でも一番詳しい人はギルド長というわけで、ピノアさんに話を聞きに来た。
 「……なるほど。店と出店の違いねぇ~」 
 今、僕が売り出している「出店」は、許可が出されている場所なら何処でも商売が出来るけど、一度に運べる量に限りがあって出せる商品の数が少なくなる。それに比べて店の方は、売り出せる量に制限が無く、店舗の広さで店主がその量が決められる。だけど、店は運ぶ事が出来ないから、各地で売り出すことは出来ない。そして、店を持つことで、他の店と契約しやすくなるとも教えてくれた。
 「今のままで、契約をするのは駄目なんですか?」
 「ダメではないけど、出店をしている人で契約をしたという話は聞かないね。連絡が取りづらいのと、何処で引き渡しをするかが影響しているとワシは思うけどね」
 「……色々と都合が良いのは店の方なんですね」
 「まぁ、出店よりもやれることが増えるって面ではそうだね。だが、店の維持費や他者との信頼の負担がその分増えるのも事実……」
 ピノアさんの話を聞いて、店にも出店にも良い面と良くない面があるのを知った。
 「そうなんだ……」
 「それにしても、お前さん、店を出そうと思っているのかい?」
 「その……客に店を出してくれたらとか言われたり、契約したいっていう人がいて……」
 「そんな話があるのかい! なるほどね……リット、これはあくまでワシからの助言だけど、何でも初めは誰だって不安なもんさ。でも、それを支えてくれる人脈や力がお前さんにはある。やってみたいと少しでも思うならやるべきだよ」
 ピノアさんは、笑って言った。
 これからの事を考えると、店は出した方が良いって思うし、ピノアさんが言うようにやってみるのも良いのかもしれない。
 「あの、ピノアさん……」
 「なんだい?」
 「僕に、店の経営が出来ると思いますか?」
 「そうさね~」
 少し考え込み、ピノアさんは答えた。
 「ワシは、リットなら出来ると思う。今までのお前を見ている限り、店を出してもやっていけるってね」
 「そうですか……決めました。僕、店を出します 」
 ピノアさんの話やアオイとミリーナの言葉に、僕は漸く決心が付いた。
 漸く悩みから解放されたように気持ちも軽くなり、契約の事も前向きに考えられそうな気がする。
 その日から、僕は店を何処に出すかピノアさんと話をして開店準備を進めた。
 「まさか、リットが店を出す日が来るとはな」
 「自分でも思っていなかったよ」
 店を出す場所を決めた後、親方に頼んで店を建てて貰うことにした。
店が出来るまで、早くて三週間ほどかかる。それまで店で使う棚や袋等を買い揃え準備をして店が出来るのを待った。
 そして、親方の宣言通り約三週間で店が完成した。
 「出来はどうだ? 直して欲しい所があれば言ってくれ」
 完成した店は、平屋で、地下と休憩室とトイレ、作業場がある。
 地下は、出来るだけ広くして貰い、棚を付けてもらった。主に、商品や店で使う物を保管しておく倉庫として使う予定だ。休憩室の隣に作業場があって、ここで野菜の袋詰めや今後やるかもしれない作業をする場所になる。
 店内を見たけど、僕が希望した通りの間取りと広さ、気楽に入れる雰囲気の見た目に文句なんてつけようがない出来だった。
 「直す所なんてないですよ。本当にありがとうございます!」
 「リットさん、お店の名前はどうするんですか? まだ、決めていないんですよね?」
 「いや、決めてるよ……ほら」
 ポルンに言われ、僕は見上げる。
 そこには、店の顔とも言える「看板」を出来上がった店にナオル達が取り付けようとしていた。
 「ここで、大丈夫か?」
 「うん! 良いよ!」
 「了解!」
 ナオル達は、僕達に看板が曲がっていないか、位置はここで良いのか確認してから看板を取り付けていく。
 「アーリス……花の名前ですか?」
 「うん。アーリスは別名、虹の花。この店は、僕の力だけで出来た物じゃない。皆が、僕の力になってくれたから、傍に居てくれたから出来た物だって思う。だから、その感謝の意味も込めて、アーリスにしたんだ」
 「アーリスの花言葉は、信頼と愛。そして希望。私はとっても素敵だと思います」
 ミリーナは、嬉しそうに笑った。
 実は店名を決める時、凄く悩んだ。 自分の名前をとるか、親しみやすそうな名前にするか。そんな時、ふとマリーさんから貰った「花の本」が目に止まった。ページを捲りながら、ミリーナが初めて家に来た日のことや、家出をしていたアオイのこと。ナオルや親方達と家を建て直した事、今までの出来事を思い出した。その時、気付いたんだ。僕は、皆に支えられていたからこんなに上手く生活が出来ていたんだなって。そんなこと今まで気にしていなかった事を不思議に思うくらい、僕は皆に感謝の気持ちでいっぱいになった。
 「良いんじゃないか。俺も、良い名前だと思う」
 「俺もだ」
 「僕もです!」
 皆は、笑顔で店の名前を気に入ってくれた。

 その日の夜。
 「ねぇ、リット。店名なんだけどさ、他に理由があるんじゃない?」
 「どうして?」
 「ボク、見たんだよ。花の本を見ているリットが優しい顔をしてたの」
 アオイの言う通り、店名をアーリスにした理由は他にもある。
 花の本を開いたページに、たまたま描かれていた花を見て、僕はある人を思い出した。
 「ある人って……」
 「僕の母さんだよ……気が弱くて、父さんには逆らえない。僕にとっては最悪は母親だって思っているけど、たまに見せる笑顔は好きだった」
 「……嫌いだけど好き、か。その気持ち、少しは分かるよ。ボクにとっては父さんがそうだったから」
 アオイは優しい目をして言った。
 空を見上げる僕は、その言葉に少しだけ家族の事を思い出していた。
 僕が逃げ出した、あの家族の事を……。
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