陽気な吸血鬼との日々

波根 潤

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ホッとする人

七十二、

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「なんで?」
「人の悩みなんて、本当の辛さはその人にしか分からないのに贅沢なんて可笑しい」

珍しく、怒気を含んだような口調で清水はきっぱりと言った。そんな姿を見るのはケリーと暮らし始めた理由を話した時以来で、少し戸惑う。でも、と言いかけた時に、清水は続けて言った。

「しかも今の感じだと杉野が人に何か相談したのってその友達が初めてだったんじゃないの?」
「……うん。相談っていうかまあ、聞いてもらった感じだけど」
「初めて相談した相手にそんなこと言われたら、誰だって躊躇うようになるよ。杉野があまり話してくれない理由も漸く理解できた」

「本当にむかつく」とそんなことを言う清水を見るのは初めてで驚くと同時に、じわじわと別の感情が沸いてきた。
 嬉しかった。「贅沢な悩み」だと、そう言われても仕方ないと思っていたけど、自分なりに勇気を出して話した言葉をそう片付けられて少なからず傷ついていた。清水が怒ってくれたのが嬉しくて、それだけであの時の俺は救われたのだと、そう思った。

(話して良かった。)

もう十分。そう思っていたのに、

「それに、贅沢な悩みなんてことは絶対にない」

と、強い口調で言われて思わず目を丸くした。俺が辛いと思っているかと、その悩みの度合いが大きいかどうかは別の話だ。

「なんでそう言い切るの?」
「大切な人の面影から生じる悩みなんて辛いに決まってる。それを一人で抱え込むなんて……。我慢せず泣いて良かったんだよ。叔母さんだったらきっと理解してくれた」
「でも、そんなの悪いし……」
「それ。そこが一番杉野の悪いとこ」

美恵子さんにそんなことを言っても傷つけるだけだと否定しようとして、そう指摘された。

「何が?」
「話してる間、何度も「俺のせいで」「俺が我慢できないから」って言ってる。ずっと自分のこと責めてるよ。前に俺、杉野について自己犠牲だって言ったよね。相手に嫌な気持ちにさせない為に、自分の感情を殺してまで我慢してる。それじゃ杉野がずっと辛いままだ」
「でも、美恵子さんたちが良くしてくれてるのは事実で……」
「だけど、それに悲しみを持ってるのも事実でしょ」

清水の言っていることはわかる。だけど、それを肯定するのは薄情じゃないか。

「杉野、叔母さん達に感謝の気持ちを持つことと、お母さんの面影で悲しい気持ちになること、どっちかの感情しか持っちゃいけないってことはない。どっちの感情もそれぞれ大切に思ってる人がいるからこそなんだから。色んな感情を抱くのは何も悪いことじゃない」
(悪いことじゃ、ないのか……。)

その言葉を聞いて、急に視界が晴れたように感じた。
 ずっと、何か不安を抱く度に感じていた申し訳なさだったり自己嫌悪だったりが、自分を醜くしているように感じていた。優しさを素直に受け取れない自分が嫌で嫌で仕方なくて、だけどこんな感情を抱くこと自体が間違っていると思って自分を否定しようとしていた。
 しかし、違う。そうだ。美恵子さんを大切に思う気持ちと、母を大切に思う気持ちは別のものだ。なぜ二つとも大切にしようとしなかったのだろう。感謝も悲しみも、どっちも否定しなくていい。それを清水に言われるまで気付かなかった。
 
 それに、

『大切な人の面影から生じる悩みなんて辛いに決まってる』

あの日、友達に伝えたかった言葉を清水は理解してくれた。当時の生活についてでは無く、自分の気持ちについての悩みを。当時と今と、伝え方は違ったかもしれないけど、それでも嬉しかった。

「杉野、大丈夫?」
「え、なにが?」
「泣きそう」

そう言われて、漸く気づいた。自分の抱えていることをこんなにも誰かに話したことなんてなくて、吐き出した言葉と一緒に感情が溢れ出しそうになっていた。

「杉野は頑張りすぎ」
「……っ」
「おじいちゃんのことも。俺のとこはまだどっちも健在だし、想像するしかできないけど杉野の怖いって気持ちはお母さんが原因になってるでしょ。必要以上に申し訳無さなんて感じなくて良い。……一人でよく我慢してたね。よく頑張ったよ」

 清水の声が殊更優しく、労わるようで、背中を摩ってくれてついに涙が溢れた。

「叔母さんに話すの、なかなか勇気出ないだろうし俺ならいつでも話聞く。笑わないし茶化さない、そんな悩みとかも言わない。だから話す事を怖がらなくていい」
「……ケ、イがいなくなって」

優しい言葉に促されるように、しゃくりあげながらも自然と言葉が出た。

「ずっと、寂しくて……。一人で暮らすの、慣れたはずだったの、に……」
「うん」
「一人でも、大丈夫だったはず、なのに……ケイが、誰かがいる時の、安心感は、本当に幸せで……いなくなってから、喪失感が消えなくて……」
「うん」
「友達も、多いだろうし、家族も向こうに、いるし、元々期限も決まってたけど……それでも、離れたくなかった、何もしなくてもいいから、傍にいてほしかった……!」

「帰らないで」「傍にいて」。ケリーに伝えなかった想いは全て自分の我儘で、誰にも言うつもりなんて無かった。しかし、清水に促されて言葉にすると、胸につかえていた気持ちはいくらか溶かされていくように感じた。清水は、「そうだね」と一言だけ言ってずっと背中を摩り続けてくれた。静かに寄り添ってくれる存在が心地よくて、涙が止まる頃には心は穏やかに凪いでいた。
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