2 / 9
第2話 佐藤裕二(2)
しおりを挟む
けたたましい目覚まし時計の電子音で目を覚ました。
俺は隣人の迷惑になる、と慌てて目覚まし時計を叩いて止める。それからベッドの中でしばらくうーん、うんと声を上げる。ひとしきり唸った後で、ようやくいそいそとベッドから滑るように落ちて、必死の思いでカーテンを開けた。
カーテンを開けると窓は結露で濡れていて、窓越しにも伝わる冬の冷気が足元を通り抜けていった。俺はベッドの脇に置いてあるガラスの鳥の置物に目を向ける。それからティッシュを一枚とって、鳥の頭の埃を丁寧に拭ってやる。
窓から入る朝日にガラスが反射して、鳥は満足そうにキラキラと輝いていた。ここまでが俺の朝のルーティンだ。
紙で散らかった床と、うっすらと積もる埃に埋もれる部屋の中で、少しでも美しい部分を保っていたかった。
それからテレビのリモコンを手に取り電源ボタンを押すと、いつものニュース番組が映り込んだ。スタジオには申し訳程度のクリスマスツリーとリースのグッズが画面端に並んでいて、今日が紛れもなくクリスマスイヴなのだ、と告げていた。
「……最悪だ」
そうなのだ。今日の夜、なぜだか仕事を終えた後に孝也と会うことになってしまっている。
あのレジでの10年振りの再会の瞬間。口からうまく言葉が出ずにパクパクとしていた俺に対して、「久しぶり!」とか「いやーすごいな」と孝也はひとしきり興奮した様子を見せた。
それから翌日———つまり、今日の予定を聞いてきたのだ。そこで、ようやく我に返ってきていた俺は「……仕事早番だから、18時上がりだけど」と、口に、声に、出してしまったのだ。
あんなにも会いたくない———と願っていたのに、俺は飛んだ大馬鹿野郎だ。いつまで経っても。
「……普通に断れただろ、あれは」
それでも後悔しても仕方がない。俺は両の手で思いきり頬を叩くと、「よし」と気合を入れて、洗面台へと向かった。
*
「サトさん、それで今日はメガネじゃないんすか」
「え?」
時刻は17時半。レジが落ち着いたところで、バイトの水間くんに声をかけられた。水間くんは確か大学3年生、来年就活だと言っていたはずだ。180を超える長身、茶髪にピアスと威圧感強めの風貌は、およそドラッグストアの店員らしくもなければ、これから就活生という雰囲気でもない。ただやんわりと仕事場で煙たがられている俺に対しても、変わらない適当な敬語と、はっきり意見をぶつけてくる水間くんの姿勢を、存外好んでいた。
「あの基本低めな重野ちゃんが珍しくはしゃいでましたよ。昨日のサトさんの知り合い、めちゃくちゃイケメン~私タイプ本当にど真ん中なんですけどぉ~。……って、んな感じで」
「……タイプ、ね」
およそ重野さんのモノマネをする気があるのかないのか、どうにも覇気を感じない水間くんの口調に俺は少しだけ笑う。
それよりタイプと言いたいのは、こっちの方だ。そう、10年経っても孝也はやっぱり格好良かった。この話に乗れば、直ぐにでも何かのボロを出してしまいそうな気がして、俺は話題を替えることにした。
「それより基本低め? なのは、水間くんの方だと思うけどな」
そう俺が返答すると、水間くんはキョトンとする。その表情は何となく驚いている様に見えた。水間くんにしてはちょっと珍しい顔。
「へー、俺の話をするんですね」
水間くんはそういうと、ぐいっとこちらのレジの方まで身を乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。
顔が近い。水間くんの長いまつ毛がよく見えて、俺は少しだけ後ろにのけぞった。
「ちなみに俺は、サトさんは、いつもの方が可愛いと思いますけどね」
「は?」
その言葉が先ほどのメガネの話題の話だと気づいてから、みるみると自分でも顔に熱が集まっていくのがわかった。
容姿を褒められることなんていつ振りだろうか。それにしても30手前の男に向かって、可愛いと言うのもどうなんだろう。悪い気はしないが、こういうノンケは嫌いだ。まあ、もうそんなセリフに期待を抱いて勘違いしてしまうほど、子どもでもないのだが。
俺は顔に集まった熱を放つように、大きくため息を吐いた。その場に屈むと、やりかけだったレジ袋の補充作業に手を戻す。
「あんまり大人をからかうんじゃないよ、全く。若者よ」
「別にそういうつもりじゃないんですけど。ちなみにそういう自虐、癖になりますよ、俺は嫌いす。……あ、噂をすればじゃないですか、ほら」
「あれ、噂ってまさか俺の?」
「……あ」
そこには昨日と同じくバッチリと髪をセットして、スーツを着こなした孝也の姿があった。孝也は相変わらずキリッとした眼に、高い鼻。目じりの皺だけが少し増えた気がするけど、それも良い歳の取り方をしていた。端からどう見ても、誰もが羨むほどの整った容姿で、10年経った今は、あの時からより磨きがかかったようだった。
「サトさん、もう袋の補充はいいっすよ。あとやっとくんで、お疲れっす」
「ああ、すみません。気を遣わせてしまい」
「いえ別に、これからサトさんと飲み行くんですよね」
「そうなんですよ、実は10年振りで」
そういって浮かべる孝也の笑顔は社交性100点。孝也と水間くんが喋っている横で、なぜか俺は置いてけぼりを食らっていた。
「サトさん、朝からテンション高かったっすよ」
バカ、ふざけるな。水間。
あやうく声を出しかけた俺は自らの手で口を塞いで静止した。
それを見て完全に面白がっている水間くんと、「そうなの?」となぜだか嬉しそうな様子を見せる孝也に、俺は再び顔に熱が集まっていく。
「ごめん、裕二。少し早かったな。水間……さんも、お仕事中失礼しました。じゃ裕二、俺外で待ってるから」
そう言って孝也は変わらない社交的な笑みで、水間くんに会釈をし、自動ドアの向こうへと消えていった。その完璧な笑顔に俺は思わず見惚れてしまう。
相変わらず爽やか、だな。
「爽やかですね」
「え」
心の声、漏れている。
「変なサトさん見られるの、ちょっと意外で嬉しいです」
「また水間くんは、バカなことを言うね」
水間くんはレジに並び始めた客を見て、「じゃさっさと行ってください」と、なんだか急に冷たく言い放つ。俺は水間くんの態度に驚きながらも「ありがと」とお礼を言って、持ち場を後に事務所へと歩き出した。
俺は隣人の迷惑になる、と慌てて目覚まし時計を叩いて止める。それからベッドの中でしばらくうーん、うんと声を上げる。ひとしきり唸った後で、ようやくいそいそとベッドから滑るように落ちて、必死の思いでカーテンを開けた。
カーテンを開けると窓は結露で濡れていて、窓越しにも伝わる冬の冷気が足元を通り抜けていった。俺はベッドの脇に置いてあるガラスの鳥の置物に目を向ける。それからティッシュを一枚とって、鳥の頭の埃を丁寧に拭ってやる。
窓から入る朝日にガラスが反射して、鳥は満足そうにキラキラと輝いていた。ここまでが俺の朝のルーティンだ。
紙で散らかった床と、うっすらと積もる埃に埋もれる部屋の中で、少しでも美しい部分を保っていたかった。
それからテレビのリモコンを手に取り電源ボタンを押すと、いつものニュース番組が映り込んだ。スタジオには申し訳程度のクリスマスツリーとリースのグッズが画面端に並んでいて、今日が紛れもなくクリスマスイヴなのだ、と告げていた。
「……最悪だ」
そうなのだ。今日の夜、なぜだか仕事を終えた後に孝也と会うことになってしまっている。
あのレジでの10年振りの再会の瞬間。口からうまく言葉が出ずにパクパクとしていた俺に対して、「久しぶり!」とか「いやーすごいな」と孝也はひとしきり興奮した様子を見せた。
それから翌日———つまり、今日の予定を聞いてきたのだ。そこで、ようやく我に返ってきていた俺は「……仕事早番だから、18時上がりだけど」と、口に、声に、出してしまったのだ。
あんなにも会いたくない———と願っていたのに、俺は飛んだ大馬鹿野郎だ。いつまで経っても。
「……普通に断れただろ、あれは」
それでも後悔しても仕方がない。俺は両の手で思いきり頬を叩くと、「よし」と気合を入れて、洗面台へと向かった。
*
「サトさん、それで今日はメガネじゃないんすか」
「え?」
時刻は17時半。レジが落ち着いたところで、バイトの水間くんに声をかけられた。水間くんは確か大学3年生、来年就活だと言っていたはずだ。180を超える長身、茶髪にピアスと威圧感強めの風貌は、およそドラッグストアの店員らしくもなければ、これから就活生という雰囲気でもない。ただやんわりと仕事場で煙たがられている俺に対しても、変わらない適当な敬語と、はっきり意見をぶつけてくる水間くんの姿勢を、存外好んでいた。
「あの基本低めな重野ちゃんが珍しくはしゃいでましたよ。昨日のサトさんの知り合い、めちゃくちゃイケメン~私タイプ本当にど真ん中なんですけどぉ~。……って、んな感じで」
「……タイプ、ね」
およそ重野さんのモノマネをする気があるのかないのか、どうにも覇気を感じない水間くんの口調に俺は少しだけ笑う。
それよりタイプと言いたいのは、こっちの方だ。そう、10年経っても孝也はやっぱり格好良かった。この話に乗れば、直ぐにでも何かのボロを出してしまいそうな気がして、俺は話題を替えることにした。
「それより基本低め? なのは、水間くんの方だと思うけどな」
そう俺が返答すると、水間くんはキョトンとする。その表情は何となく驚いている様に見えた。水間くんにしてはちょっと珍しい顔。
「へー、俺の話をするんですね」
水間くんはそういうと、ぐいっとこちらのレジの方まで身を乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。
顔が近い。水間くんの長いまつ毛がよく見えて、俺は少しだけ後ろにのけぞった。
「ちなみに俺は、サトさんは、いつもの方が可愛いと思いますけどね」
「は?」
その言葉が先ほどのメガネの話題の話だと気づいてから、みるみると自分でも顔に熱が集まっていくのがわかった。
容姿を褒められることなんていつ振りだろうか。それにしても30手前の男に向かって、可愛いと言うのもどうなんだろう。悪い気はしないが、こういうノンケは嫌いだ。まあ、もうそんなセリフに期待を抱いて勘違いしてしまうほど、子どもでもないのだが。
俺は顔に集まった熱を放つように、大きくため息を吐いた。その場に屈むと、やりかけだったレジ袋の補充作業に手を戻す。
「あんまり大人をからかうんじゃないよ、全く。若者よ」
「別にそういうつもりじゃないんですけど。ちなみにそういう自虐、癖になりますよ、俺は嫌いす。……あ、噂をすればじゃないですか、ほら」
「あれ、噂ってまさか俺の?」
「……あ」
そこには昨日と同じくバッチリと髪をセットして、スーツを着こなした孝也の姿があった。孝也は相変わらずキリッとした眼に、高い鼻。目じりの皺だけが少し増えた気がするけど、それも良い歳の取り方をしていた。端からどう見ても、誰もが羨むほどの整った容姿で、10年経った今は、あの時からより磨きがかかったようだった。
「サトさん、もう袋の補充はいいっすよ。あとやっとくんで、お疲れっす」
「ああ、すみません。気を遣わせてしまい」
「いえ別に、これからサトさんと飲み行くんですよね」
「そうなんですよ、実は10年振りで」
そういって浮かべる孝也の笑顔は社交性100点。孝也と水間くんが喋っている横で、なぜか俺は置いてけぼりを食らっていた。
「サトさん、朝からテンション高かったっすよ」
バカ、ふざけるな。水間。
あやうく声を出しかけた俺は自らの手で口を塞いで静止した。
それを見て完全に面白がっている水間くんと、「そうなの?」となぜだか嬉しそうな様子を見せる孝也に、俺は再び顔に熱が集まっていく。
「ごめん、裕二。少し早かったな。水間……さんも、お仕事中失礼しました。じゃ裕二、俺外で待ってるから」
そう言って孝也は変わらない社交的な笑みで、水間くんに会釈をし、自動ドアの向こうへと消えていった。その完璧な笑顔に俺は思わず見惚れてしまう。
相変わらず爽やか、だな。
「爽やかですね」
「え」
心の声、漏れている。
「変なサトさん見られるの、ちょっと意外で嬉しいです」
「また水間くんは、バカなことを言うね」
水間くんはレジに並び始めた客を見て、「じゃさっさと行ってください」と、なんだか急に冷たく言い放つ。俺は水間くんの態度に驚きながらも「ありがと」とお礼を言って、持ち場を後に事務所へと歩き出した。
0
あなたにおすすめの小説
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
手紙
ドラマチカ
BL
忘れらない思い出。高校で知り合って親友になった益子と郡山。一年、二年と共に過ごし、いつの間にか郡山に恋心を抱いていた益子。カッコよく、優しい郡山と一緒にいればいるほど好きになっていく。きっと郡山も同じ気持ちなのだろうと感じながらも、告白をする勇気もなく日々が過ぎていく。
そうこうしているうちに三年になり、高校生活も終わりが見えてきた。ずっと一緒にいたいと思いながら気持ちを伝えることができない益子。そして、誰よりも益子を大切に想っている郡山。二人の想いは思い出とともに記憶の中に残り続けている……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる