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帰宅
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黒松歌留多が中学校に進学したばかり時の話だ。隣家には彼女が『夏樹お兄ちゃん』と慕う男子高校生がいた。親が共働きなこともあり、昔から彼によく面倒をみてもらっていた。
「大丈夫ですよ歌留多さん、いつか見返してやればいいのです」
当時の歌留多は難癖をつけられても全く言い返せないほど内向的な性格で、嫌なことや悲しいことがあった時、しょっちゅう慰めてもらっていた。そっと背中や頭を撫でてくれた手は少し冷たいが大きくて、優しくて頼もしい手だった。
毎日のように蝉が鳴き喚く夏休み。歌留多は部活の遠征に行った彼を待っていた。空は夕暮れが迫る少し前の、朱色に染まっていた。家から少し離れた場所にある坂道の下で、最寄りのバス亭から降りた彼は坂の上から帰って来る。その日の歌留多は、一分一秒でも早く彼に会いたかった。何かとても悲しいことがあった気がする。今ではその悲しいことが何だったのかも覚えていないが、とにかく話を聞いてほしかった。いつものように慰めてほしかったのだ。
「ほぼ毎日あってたし、数日会えないの初めてだったから、何でもいいから早く会いたかっただけかもしれないわ」
坂の上から歩いてくる夏樹お兄ちゃんを見て、歌留多は大喜びした。逆光で顔の辺りはよく見えなかったが、ロゴの入った部活指定のジャージ、夏休みに入る前、訳あって絵の具をこぼしてしまったという靴を見て、彼だと確信した。
「ああ迎えに来てくれたんですね、ありがとうございます」
坂の上で足を止めて手を振ってくれた声も、間違いなく夏樹お兄ちゃんだった。
「ちゃんと帰れなくて、ごめんなさいーー」
「歌留多ちゃん!」
五月蠅く鳴いていた蝉が、突然全て鳴きやんだ。
「訳がわからなくて咄嗟に振り向いたら、お兄ちゃんのお母さんが見たことのない必死な顔で私を呼んでいたんです」
腕を吊った彼に告げられたのは、無言の帰宅。彼らが乗っていたバスが、信号無視した乗用車と正面衝突したらしい。坂の上を見たら、そこにいたはずの夏樹お兄ちゃんはいなくなっていた。
「ーー本当は身内だけが対面するらしいんだけど」
親交があったからという理由で、歌留多も許されたのだ。霊安室で寝かされていた彼の顔には、白い布が掛かっていた。せめて最期の顔を見たかったのだが、見てはいけないと親に制された。事故の際、火災も起きたらしく、焼けてしまって失われたという。黄昏時の逆光の中、見えないだけだと思っていた。そういえば着ていたジャージの色は見えたのに、彼の顔だけは真っ黒いまま見えなった。
「……見えなかったんじゃはなくて、もう、なかったのよ」
今でも鳴きやんだ蝉の声の隙間、いつもと同じ調子で言われた言葉が忘れられない。
「僕と一緒にいきましょう」
あの時呼び止められなかったら、自分は彼の許へ駆け寄って、一緒に行っていたかもしれないと、歌留多は話を締め括った。
語り部が自分の分の明かりを消す際、傍らで何かが焦げる匂いがした。
「大丈夫ですよ歌留多さん、いつか見返してやればいいのです」
当時の歌留多は難癖をつけられても全く言い返せないほど内向的な性格で、嫌なことや悲しいことがあった時、しょっちゅう慰めてもらっていた。そっと背中や頭を撫でてくれた手は少し冷たいが大きくて、優しくて頼もしい手だった。
毎日のように蝉が鳴き喚く夏休み。歌留多は部活の遠征に行った彼を待っていた。空は夕暮れが迫る少し前の、朱色に染まっていた。家から少し離れた場所にある坂道の下で、最寄りのバス亭から降りた彼は坂の上から帰って来る。その日の歌留多は、一分一秒でも早く彼に会いたかった。何かとても悲しいことがあった気がする。今ではその悲しいことが何だったのかも覚えていないが、とにかく話を聞いてほしかった。いつものように慰めてほしかったのだ。
「ほぼ毎日あってたし、数日会えないの初めてだったから、何でもいいから早く会いたかっただけかもしれないわ」
坂の上から歩いてくる夏樹お兄ちゃんを見て、歌留多は大喜びした。逆光で顔の辺りはよく見えなかったが、ロゴの入った部活指定のジャージ、夏休みに入る前、訳あって絵の具をこぼしてしまったという靴を見て、彼だと確信した。
「ああ迎えに来てくれたんですね、ありがとうございます」
坂の上で足を止めて手を振ってくれた声も、間違いなく夏樹お兄ちゃんだった。
「ちゃんと帰れなくて、ごめんなさいーー」
「歌留多ちゃん!」
五月蠅く鳴いていた蝉が、突然全て鳴きやんだ。
「訳がわからなくて咄嗟に振り向いたら、お兄ちゃんのお母さんが見たことのない必死な顔で私を呼んでいたんです」
腕を吊った彼に告げられたのは、無言の帰宅。彼らが乗っていたバスが、信号無視した乗用車と正面衝突したらしい。坂の上を見たら、そこにいたはずの夏樹お兄ちゃんはいなくなっていた。
「ーー本当は身内だけが対面するらしいんだけど」
親交があったからという理由で、歌留多も許されたのだ。霊安室で寝かされていた彼の顔には、白い布が掛かっていた。せめて最期の顔を見たかったのだが、見てはいけないと親に制された。事故の際、火災も起きたらしく、焼けてしまって失われたという。黄昏時の逆光の中、見えないだけだと思っていた。そういえば着ていたジャージの色は見えたのに、彼の顔だけは真っ黒いまま見えなった。
「……見えなかったんじゃはなくて、もう、なかったのよ」
今でも鳴きやんだ蝉の声の隙間、いつもと同じ調子で言われた言葉が忘れられない。
「僕と一緒にいきましょう」
あの時呼び止められなかったら、自分は彼の許へ駆け寄って、一緒に行っていたかもしれないと、歌留多は話を締め括った。
語り部が自分の分の明かりを消す際、傍らで何かが焦げる匂いがした。
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