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最終章

20 誕生日おめでとう

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 昼ご飯より先に丈に会いたい。それを伝えると愛海は渋い顔をしたが、
「わかった。お母さんたちに言っとくね」
 と何とも言い難い表情で了解してくれた。
 携帯に入っていた通知は殆ど丈からだった。
 メッセージに《起きました。》と返信するとすぐに既読がつき、続けて電話がかかってきた。
 丈は自宅にいるらしい。ここからそう遠くない一軒家だ。
 連絡をするとたった五分でやってくる。
 十日ぶりの丈だ。
「夕生、もう大丈夫?」
「うん」
「熱もない?」
「ないよ」
 丈は椅子に座り、夕生はベッドに座っていた。
 足の具合はこうして長い間寝ていたせいかかなり楽になっていた。もう少し体を休めたらほとんど治るだろう。
「よかった」
「ただ、ずっと寝てたせいかちょっと疲れた」
「そっか」
 丈はにこやかに相槌を打つ。
 たった十日ぶりなのに丈がとても新鮮に見えるのは何故だろう。少し茶色っぽい髪も煌めいて見える。
 十日が経ったせいか、校内のあの教室で気を失う直前に見た丈の頬の傷も消えていた。
 どこか見惚れる心地で丈を眺めていると、彼が告げる。
「夕生、お誕生日おめでとう」
 夕生は我にかえる。そうだ、誕生日だ。
 丈が祝ってくれる誕生日。
「ありがとう」 
 満面の笑みを見せると、丈は少し目を見開いたあと、夕生の好きなふんわりとした笑顔を浮かべた。
 いつもこの時期は家族と出掛けているので、丈に当日祝われるのは初めてだった。三ツ矢に来る前は誕生日にどうしていたかなど覚えていない。ただ部屋の隅に居ただけだと思う。
 今年はここに丈がいる。
 夕生は嬉しくなって「俺、十七歳」と言った。
「うん、十七歳だね」
「俺が丈に出会ったのが七歳の頃だから、もう十年になるんだ」
「そう思うと凄いな」
「ね」
「だからさ、忘れるわけがないんだよ」
「え?」
「夕生の誕生日を」
 夕生は唇を閉じる。丈は微笑みを深めた。
「夕生の誕生日は七日だってことを」
「……」
「もう十日前になるからあれだけど……俺が聞いたのは夕生の誕生日だったんだよ」
 十日前の朝。あれはヒートが起きた日に登校した時のことだ。
 ——『もうすぐ誕生日だよね?』
 丈に聞かれた時、愛海の誕生日を聞かれているのかと思って四日だと答えてしまった。
 今から思うと丈はあの時混乱していた。だが夕生は、丈の向こうの人影が気になって、うまく受け答えできなかったのだ。
「俺が悪かったな。遠回しに聞いたから。七日だよねって聞けばよかったのに」
「違う、俺が早とちりしたせいだよ」
 慌てて否定するも、丈は困ったように笑うだけだ。本当に自分が悪いと思っているみたいだ。
 丈は「夕生」ともう一度問いかけてくる。
「もう体は平気?」
「うん」
 何度も確認してくれるのが丈らしい。胸が暖かくなるが、丈は少し声を強めた。
「なら言いたいことが数点ある」
「す、数点」
「まず、俺は愛海をどうとも思っていない」
「……」
 率直に言われて、夕生は口を噤んだ。
 丈はすぐに続けた。
「そりゃ夕生の家族だから大切には思ってるし、いじめられたら助けるけど、それは夕生の妹だから。それだけだよ」
 これは愛海にも言われたことだ。
 数日前に起きた時、ご飯を食べる夕生に愛海は言った。
 『丈くんとは何もないからね』と。
「そっか」
「夕生、ちゃんと分かってる?」
「う、うん。……なんか俺、勘違いしてたかも」
「してるなって思った」
 愛海に言われたときもそうだったけれど夕生はまた恥ずかしくなってしまう。
 感情がごちゃごちゃだ。今までとんでもない勘違いをしていた。
 驚きも恥ずかしさもある。だがそれよりも。
「そうだったんだ……」
 安心感もあった。
 それは涙が滲むほどに圧倒的な感情だった。
 夕生は丈に恋をしている。諦めようと思ってもちっとも好きな気持ちは変わらなかった。十年も好きだったのだから、それ以上をかけるしかないと覚悟していたのだ。
 でも違った。
 ……少なくとも今ではなかった。丈もいずれ恋をするけれど今じゃない。それに対する安堵は想像以上のものだった。
「俺も愛海も俺たちがどうこうなってるとか考えもしてなかったから訂正が遅れた。ごめん」
「丈が謝ることじゃないよ。俺が勝手に勘違いしてただけだから」
「俺が謝りたいんだ」
 そこでいきなり、丈の声のトーンが落ちる。
「夕生には誤解されたくないから」
 真剣な目をするので夕生も緊張感を抱く。わずかに狼狽えたのを感じ取ったのか、丈はまた優しい目になった。
「朝は一緒に登校しよう」
「うん……」
「昼休みも夕生と二人で過ごしたい」
 二人で、を丈は強調する。夕生はこくんと頷いた。
 丈は間断なく続けた。
「できれば学校帰る時だって隣にいたいし、放課後も一緒にいたい」
「……そんなにいっぱいだと、丈も困るんじゃない?」
 丈には沢山友達がいるのに。
 だが丈は容赦なく「困らない」と一刀両断した。
「……」
「愛海が早くバイト始めればいいのにって思っちゃってんだ」
「あの」
「そうすれば夕生と居られるから」
 その強い眼差しに夕生の心が強く動いた。
 丈から目を逸らすことができない。そんな不思議な引力がグレーの瞳に宿っている。
 丈は囁き声で言った。
「俺は夕生を困らせたくなくて、夕生が受験勉強に集中して卒業してから伝えようって思ってた」
 小さく息を吐く。その微かな呼吸の音さえも今は夕生の心を支配している。
 丈は「でももう無理だ」と吐息と共に言う。
 一度瞼を閉じた。ゆっくりとまた目を開き、丈は告げた。
「夕生、好きだよ」
 信じられないくらい優しい声音だった。
 驚いて声も出せずにいる夕生を、丈は切実な表情を浮かべて見つめた。
「夕生がもう少し大人になったら、俺の番になってください」
 つ……がい……。
 夕生は微かに唇を開き、本当に小さな声で「番?」と呟いた。
 丈はそれをすぐに拾う。
「そう。俺は昔から夕生を好きなんだ」
「じょ、丈が、俺を?」
「びっくりさせてごめん」
 丈は一瞬だけ唇を引き締めて、更に語る。
「本当はもっと時間かける予定だったのに。こうやって夕生をびびらせて、困らせるから。……でも無理だった」
 丈は痛ましい記憶を思い起こすように顔を顰める。
「夕生があのまま傷つけられたらって思うとゾッとしたんだ」
 それは夕生にとっての事故で、本来丈は関係がないはずだ。でも彼は自分のことのように捉えている。
 彼が嘘をついていないことなんか理解できている。だがそれは夕生が考えもしていなかった告白だ。
 丈を信じている。でも信じられないようなことを言われた。そのギャップで生まれた膨大な感情が胸を襲って夕生は何も言えなくなる。
「俺は夕生の隣にいたい」
「俺も、だよ……」
「うん。でもそういう幼馴染の友達的な意味じゃなくて」
 少し悲しそうな顔をする丈を見て、夕生は叫び出したい気持ちになった。
 そうか。胸を襲う膨大な感情の正体が分かった。
「俺も丈を好きだよ」
 喜びだ。丈に告白されて夕生はびっくりして、嬉しかったから何も言えなくなっていたのだ。
 丈は徐々に目を丸くする。対して夕生は、目を細めた。
「うわ……びっくりした。丈の言う通り、びっくりだ」
「……え」
「俺たち両思いだったんだね」
 受け止めてしまうとあの感情が胸に馴染んでいく。それは体全体に伝播する熱となった。
 夕生は心も体も暖かいままで、もう一度言った。
「俺も丈を好きだよ。ずっと好きだった」
「……え、両思い……え、あれ」
 丈が啞然としている。その顔が可愛くて、夕生は微笑んだ。
 丈が唇を閉ざす。少しだけ開き、蚊の鳴く声で呟いた。
「俺は、番になりたいって意味で……」
「俺も番になりたいよ」
 夕生ははっきりと告げた。
 丈の瞳を真っ直ぐに見つめながら。
「うなじを噛まれるなら丈がいい。丈だけがいい」
 伝わってほしくて彼を見つめた。言葉でも視線でも全部で伝わってほしいと思ったから。
 丈はしばらくぼうっと目を見開いていたが、伝わったようだ。眉を微かに下げた。
「ま……夕生、それほんと?」
「うん」
「そっか……そうなんだ。夕生、俺のことそういう、恋みたいな意味で好きなんだ」
 丈は独り言みたいに繰り返す。動揺しているようで何度か瞬きし、次第に目を細めた。
「そっか。そうですか。うわ、やべ」
 丈はサッと俯いて片手で口元を覆った。顔の中心が赤くなっている。夕生は思わず言った。
「丈、顔真っ赤だ」
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