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第一章
17 黒がやってきた
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歯に衣着せぬ問いに、ミカは唇を一文字に噛み締める。
ライハルトは、淡々と聞いた。
「転んだとかじゃねぇだろ。どう見ても殴られた痕だった」
「……」
「その知り合いとやらに、昔から殴られてるのか?」
「……俺が会いに行ったのは、お世話になったお婆さんです。殴られていません」
「その女性じゃないなら誰にやられた?」
怒っているとも違う。ライハルトは冷静だった。
視線を逸らしたいがそれすらも許されない雰囲気で、ミカはぺたんと座り込んだまま動けない。こうした時、自由に猫になれたらと思う。そうすればきっとライハルトも見逃してくれるはずだが、今のミカは人間だ。
そもそも自分が誰に殴られていようと関係ないはずなのに、なぜ詰問を受けているのだろう。確かにこの頬は殴られたけれど、以前はライハルトも傷をつけたはず。
心のうちに湧く疑問には、ライハルトがすぐに答えてくれた。
「忘れてるみたいだがお前は俺の猫だ。お前を勝手に殴る権利など他人にはない」
ライハルトの口調は不気味なほどに静かだった。
じっとこちらを見つめる彼の揺るぎない青い目の一方、ミカの赤い目は怯えて震える。震えは全身に伝わり、ミカの細い肩が小刻みに震え出す。
すると威圧的なほど静寂していたライハルトの雰囲気が和らいだ。
「ミカ、なに子猫みたいにブルブル震えてんだ」
彼の腕がぐっと伸びてきて、頬をまたつねられる。
柔らかい力だった。
「怯えんじゃねぇ黒猫」
「ご、ごめんなさい」
「すぐ謝るよなお前」
「ご、すみ……はい」
「……」
「……傷は治っているので、ライハルト様のご心配には及びません」
「あのな。お前は今、俺の屋敷にいるんだ。屋敷の者が暴漢に遭って俺が黙っているわけないだろ」
頬をいじめた手がミカの前髪をぽんっと撫でてくる。
な、撫でられた? ミカの頭の中に「???」とクエスチョンマークが満ち満ちる。
ライハルトの腕はすぐに離れた。びっくりしたので震えも止まっている。そこでミカは改めて、言われた言葉を反芻する。
確かにライハルトの考えは合理的だ。ミカは今彼のものなのだから、ミカがどうなるかは彼が把握することだし彼にしか決められない。自分の所有物が傷付けられて怒らない所有者などいない。
『心配』ではない。『迷惑』をかけてしまったのだ。
ミカはきゅっと唇を引き締めてから、じっとライハルトを見上げた。
「ご迷惑かけて申し訳ありません。このようなことは二度と起こりません」
外出するたびに怪我をしている使用人などライハルトにとって不都合だ。ミカは、心の中でため息をついた。
情けない。なにが心配だ。ライハルトの屋敷にいる限り心得よという意味だったのに、愚かにも勘違いしてしまった。
羞恥で顔の中心が赤くなる。ミカはそっと俯いた。
するとなぜかライハルトが黙り込み、数秒の沈黙が空く。
やがて唇を開いた。
「相手の情報を言え」
「……通りすがりに絡まれただけです」
嘘をつくな、と言われたが本当のことを話すわけにはいかない。
どうせ捨てられるのは分かっているが、できる限り衣食住の確保できるこの邸宅で働いていたいのだ。事実を話せば追い出されるに決まっている。ならばミカは、嘘をつくしかない。
だが。
「……なので」
嘘だって、本当にしてしまえばいい。
「もう二度と会うことはない人です」
二度と会わない、はずだったのに。
「——ミカ、お前強運だな」
ミカの目の前には、影がいる。
「な、んで……」
「次の男はライハルト・デューリンガーか? 玉の輿だな」
黒い髪に黒い瞳。おまけに黒いコートを羽織った、影そのものみたいな風貌をしたフォルカーが、いる。
「どうして、ここにいるんですか」
ミカは屋敷の使いで、ライハルト邸近くの街へやってきていた。
買い物を終え、いざ戻ろうとしたその時、いきなり肩を強引へ掴まれ路地へ引き摺り込まれたのだった。
なんで、フォルカーが。
ここはディニィ地区から遠く離れている。どうして。
愕然とするミカに黒い男は微笑んだ。
「お前が気前よく金を出すからどんな奴に寄生してんのか気になってさ」
ライハルトは、淡々と聞いた。
「転んだとかじゃねぇだろ。どう見ても殴られた痕だった」
「……」
「その知り合いとやらに、昔から殴られてるのか?」
「……俺が会いに行ったのは、お世話になったお婆さんです。殴られていません」
「その女性じゃないなら誰にやられた?」
怒っているとも違う。ライハルトは冷静だった。
視線を逸らしたいがそれすらも許されない雰囲気で、ミカはぺたんと座り込んだまま動けない。こうした時、自由に猫になれたらと思う。そうすればきっとライハルトも見逃してくれるはずだが、今のミカは人間だ。
そもそも自分が誰に殴られていようと関係ないはずなのに、なぜ詰問を受けているのだろう。確かにこの頬は殴られたけれど、以前はライハルトも傷をつけたはず。
心のうちに湧く疑問には、ライハルトがすぐに答えてくれた。
「忘れてるみたいだがお前は俺の猫だ。お前を勝手に殴る権利など他人にはない」
ライハルトの口調は不気味なほどに静かだった。
じっとこちらを見つめる彼の揺るぎない青い目の一方、ミカの赤い目は怯えて震える。震えは全身に伝わり、ミカの細い肩が小刻みに震え出す。
すると威圧的なほど静寂していたライハルトの雰囲気が和らいだ。
「ミカ、なに子猫みたいにブルブル震えてんだ」
彼の腕がぐっと伸びてきて、頬をまたつねられる。
柔らかい力だった。
「怯えんじゃねぇ黒猫」
「ご、ごめんなさい」
「すぐ謝るよなお前」
「ご、すみ……はい」
「……」
「……傷は治っているので、ライハルト様のご心配には及びません」
「あのな。お前は今、俺の屋敷にいるんだ。屋敷の者が暴漢に遭って俺が黙っているわけないだろ」
頬をいじめた手がミカの前髪をぽんっと撫でてくる。
な、撫でられた? ミカの頭の中に「???」とクエスチョンマークが満ち満ちる。
ライハルトの腕はすぐに離れた。びっくりしたので震えも止まっている。そこでミカは改めて、言われた言葉を反芻する。
確かにライハルトの考えは合理的だ。ミカは今彼のものなのだから、ミカがどうなるかは彼が把握することだし彼にしか決められない。自分の所有物が傷付けられて怒らない所有者などいない。
『心配』ではない。『迷惑』をかけてしまったのだ。
ミカはきゅっと唇を引き締めてから、じっとライハルトを見上げた。
「ご迷惑かけて申し訳ありません。このようなことは二度と起こりません」
外出するたびに怪我をしている使用人などライハルトにとって不都合だ。ミカは、心の中でため息をついた。
情けない。なにが心配だ。ライハルトの屋敷にいる限り心得よという意味だったのに、愚かにも勘違いしてしまった。
羞恥で顔の中心が赤くなる。ミカはそっと俯いた。
するとなぜかライハルトが黙り込み、数秒の沈黙が空く。
やがて唇を開いた。
「相手の情報を言え」
「……通りすがりに絡まれただけです」
嘘をつくな、と言われたが本当のことを話すわけにはいかない。
どうせ捨てられるのは分かっているが、できる限り衣食住の確保できるこの邸宅で働いていたいのだ。事実を話せば追い出されるに決まっている。ならばミカは、嘘をつくしかない。
だが。
「……なので」
嘘だって、本当にしてしまえばいい。
「もう二度と会うことはない人です」
二度と会わない、はずだったのに。
「——ミカ、お前強運だな」
ミカの目の前には、影がいる。
「な、んで……」
「次の男はライハルト・デューリンガーか? 玉の輿だな」
黒い髪に黒い瞳。おまけに黒いコートを羽織った、影そのものみたいな風貌をしたフォルカーが、いる。
「どうして、ここにいるんですか」
ミカは屋敷の使いで、ライハルト邸近くの街へやってきていた。
買い物を終え、いざ戻ろうとしたその時、いきなり肩を強引へ掴まれ路地へ引き摺り込まれたのだった。
なんで、フォルカーが。
ここはディニィ地区から遠く離れている。どうして。
愕然とするミカに黒い男は微笑んだ。
「お前が気前よく金を出すからどんな奴に寄生してんのか気になってさ」
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