313 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
エピローグ⑷
しおりを挟む
老夫婦がベラドンナをもふるついでに、由良に訊ねた。
「群井さんね、若い頃に歌手をされていたんですって。一曲歌ってもらってもいいかしら?」
「ぜひお願いします」
本人を差し置き、話が進む。群井は顔を真っ赤にし、拒んだ。
「むりむり! ウン十年も人前で歌ってないのよ!」
「それは良かった。今日はウン十年ぶりに人前で歌った記念日ね」
他の客も気づき、群井を拍手で急かす。「後悔しても知らないから!」と群井は大きく息を吸い、歌い出した。
大雑把な人柄からは想像もつかない、繊細な歌声だった。その場にいた誰もが聴き入り、言葉を失った。
歌が終わると、屋上は割れんばかりの拍手に包まれた。往来の人々が「何ごとか」とこちらを見上げていた。
「素敵な歌声!」
「感動しちゃった!」
「本当に何年も歌っていなかったの?」
「えぇ。歌おうとすると、声がつっかえちゃって。今日は上手くいってホッとしたわ」
「もったいない! 私の知り合いの店で歌ってもらえませんか? バーを経営しているんです」
「プロはちょっと……」
宇治金時を食べていた男性が屋上に戻ってくる。
「僕からもお願いします」と群井に頼み込んだ。その身からは悲壮感が消え、目に生気が宿っていた。
「貴方が歌っていた間、彼女の声が消えたんです。こんなこと、今までなかった。どうか、これからも歌を聴かせてください!」
「私の歌にそんな効果が……!」
群井はすぐには返事できず、スカウトされたライム柄のアロハシャツの男性に名刺をもらっていた。
群井が夜空をバックに、他の客からリクエストされた曲を即興で歌っている。ナナコと永遠野も由良を通し、リクエストする。
「ここ、不思議なお店ですね」
カジュアルなスーツ姿の若い女性客が、由良の横でボソっと呟く。確か、棚橋という名前でだったはずだ。
棚橋はイベントが始まってからずっと、自分以外の客を観察していた。
「天体観測のイベントなのに星を見ているのは一部の人だけ。歌ったり、流し茶そばやったり、自由」
「すみません、自由で」
「褒めているんですよ。皆さん、笑顔だから。さすがの手腕ですね、添野由良さん」
「私をご存知で?」
「雑誌で拝見しました。私と同年代で脱サラし、喫茶店を成功させた。尊敬しています」
言葉とは裏腹に、口ぶりは素っ気ない。女性は遠くを見るように、目を細めた。
「貴方に感化されたせいでしょうか、自分でもお店をやりたいと思っていたような気がするんです。責任が重いし、手続きとか管理とかめんどいし、そもそも会社を辞めてまで売りたいものなんてないのに。趣味に没頭している方が楽しいのに」
「その趣味で作ったものや経験を売るのはどうです? いきなりお店をやるのはハードルが高いでしょうし、フリーマーケットやネットを利用してみるとか」
「……」
女性は一人でブツブツとつぶやく。スマホを取り出し、「ドライフラワーの相場はいくらか?」「プリザーブドフラワーの場合は?」と熱心に検索を繰り返す。
由良は仕事に戻った。未練街で花屋をしているタナハシと、何かを犠牲にしてまで店をやりたいとは思えない棚橋。いずれ答えが出たとき、彼女は捨てた未練を思い出せるのだろうか。
「添野さん、見て! 天の川ですよ!」
ナナコが商店街の上空を指差す。商店街から黄緑色の光の川が立ち昇っている。川は無数の光の集合体で、その一つ一つが輝いている。まるで、砕いた宝石をちらばめたよう。
川に照らされ、周囲はうっすら黄緑色に染まっている。大変美しい光景だが、由良とナナコ達以外の人間は無反応だった。
「オーロラじゃないの?」
永遠野はメロンクリームソーダを飲みながら、光を見上げる。コレさんがアイスグリーンティーを手に近づき、答えた。
「ホタルですよ。〈未練溜まり〉に消化されきらなかった〈探し人〉の想いが、ああして形を変えて戻ってくるのです。場所を見るに、未練街から涌いているようですね。ワタクシも、あそこまでの規模は初めて見ましたよ」
「美麗! どうしてここに?!」
「ち、違います。人違いです」
コレさんはすかさず否定するが、永遠野はなかなか信じない。
由良は仕事の手を止め、しばし想いの残滓に見入っていた。
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこで失くしたかも分からない物
ずっと居場所を探している人
過去の後悔
忘れていた夢
あなたは忘れているつもりでも
あなたの「心」が、あなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
〈終わり〉
「群井さんね、若い頃に歌手をされていたんですって。一曲歌ってもらってもいいかしら?」
「ぜひお願いします」
本人を差し置き、話が進む。群井は顔を真っ赤にし、拒んだ。
「むりむり! ウン十年も人前で歌ってないのよ!」
「それは良かった。今日はウン十年ぶりに人前で歌った記念日ね」
他の客も気づき、群井を拍手で急かす。「後悔しても知らないから!」と群井は大きく息を吸い、歌い出した。
大雑把な人柄からは想像もつかない、繊細な歌声だった。その場にいた誰もが聴き入り、言葉を失った。
歌が終わると、屋上は割れんばかりの拍手に包まれた。往来の人々が「何ごとか」とこちらを見上げていた。
「素敵な歌声!」
「感動しちゃった!」
「本当に何年も歌っていなかったの?」
「えぇ。歌おうとすると、声がつっかえちゃって。今日は上手くいってホッとしたわ」
「もったいない! 私の知り合いの店で歌ってもらえませんか? バーを経営しているんです」
「プロはちょっと……」
宇治金時を食べていた男性が屋上に戻ってくる。
「僕からもお願いします」と群井に頼み込んだ。その身からは悲壮感が消え、目に生気が宿っていた。
「貴方が歌っていた間、彼女の声が消えたんです。こんなこと、今までなかった。どうか、これからも歌を聴かせてください!」
「私の歌にそんな効果が……!」
群井はすぐには返事できず、スカウトされたライム柄のアロハシャツの男性に名刺をもらっていた。
群井が夜空をバックに、他の客からリクエストされた曲を即興で歌っている。ナナコと永遠野も由良を通し、リクエストする。
「ここ、不思議なお店ですね」
カジュアルなスーツ姿の若い女性客が、由良の横でボソっと呟く。確か、棚橋という名前でだったはずだ。
棚橋はイベントが始まってからずっと、自分以外の客を観察していた。
「天体観測のイベントなのに星を見ているのは一部の人だけ。歌ったり、流し茶そばやったり、自由」
「すみません、自由で」
「褒めているんですよ。皆さん、笑顔だから。さすがの手腕ですね、添野由良さん」
「私をご存知で?」
「雑誌で拝見しました。私と同年代で脱サラし、喫茶店を成功させた。尊敬しています」
言葉とは裏腹に、口ぶりは素っ気ない。女性は遠くを見るように、目を細めた。
「貴方に感化されたせいでしょうか、自分でもお店をやりたいと思っていたような気がするんです。責任が重いし、手続きとか管理とかめんどいし、そもそも会社を辞めてまで売りたいものなんてないのに。趣味に没頭している方が楽しいのに」
「その趣味で作ったものや経験を売るのはどうです? いきなりお店をやるのはハードルが高いでしょうし、フリーマーケットやネットを利用してみるとか」
「……」
女性は一人でブツブツとつぶやく。スマホを取り出し、「ドライフラワーの相場はいくらか?」「プリザーブドフラワーの場合は?」と熱心に検索を繰り返す。
由良は仕事に戻った。未練街で花屋をしているタナハシと、何かを犠牲にしてまで店をやりたいとは思えない棚橋。いずれ答えが出たとき、彼女は捨てた未練を思い出せるのだろうか。
「添野さん、見て! 天の川ですよ!」
ナナコが商店街の上空を指差す。商店街から黄緑色の光の川が立ち昇っている。川は無数の光の集合体で、その一つ一つが輝いている。まるで、砕いた宝石をちらばめたよう。
川に照らされ、周囲はうっすら黄緑色に染まっている。大変美しい光景だが、由良とナナコ達以外の人間は無反応だった。
「オーロラじゃないの?」
永遠野はメロンクリームソーダを飲みながら、光を見上げる。コレさんがアイスグリーンティーを手に近づき、答えた。
「ホタルですよ。〈未練溜まり〉に消化されきらなかった〈探し人〉の想いが、ああして形を変えて戻ってくるのです。場所を見るに、未練街から涌いているようですね。ワタクシも、あそこまでの規模は初めて見ましたよ」
「美麗! どうしてここに?!」
「ち、違います。人違いです」
コレさんはすかさず否定するが、永遠野はなかなか信じない。
由良は仕事の手を止め、しばし想いの残滓に見入っていた。
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこで失くしたかも分からない物
ずっと居場所を探している人
過去の後悔
忘れていた夢
あなたは忘れているつもりでも
あなたの「心」が、あなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
〈終わり〉
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる