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春編③『桜梅桃李、ツツジ色不思議王国』
第五話「遊覧飛行」⑴
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緑に染まった桜を見上げ、老夫婦はため息をついた。
「残念。ひと足遅かったな」
「今年は開花が早かったですものね」
念のため公園を一周したが、花が残っている木はなかった。
「どこかでお茶でも飲んで帰ろうか」
「そうですね」
その時、突如風が吹き荒れた。奇妙なことに、風は上から吹いていた。
見上げると、飛行機でも気球でもない何かが青空をバックに悠然と飛んでいた。徐々に高度を下げ、こちらに向かってくる。
やがて老夫婦の前に着陸すると、中から桜色の髪の女学生がひょこっと顔を出した。
「桜、見に行きませんか?」
洋燈町の桜が散りきった頃、常連客の扇華恋はLAMPに来るなり、こともなげにつぶやいた。
「私、しばらく日本を離れることになったから」
「はぁ」
とんでもない大ニュースだったが、その日はウワサ話好きの中林も、ウワサ話をネタに仕事をしている日向子もいなかった。いたのは、扇を客のひとりとしか思っていない由良と、大女優の扇が来ても動じない常連客だけだった。
「お仕事ですか?」
「そっ。いつ戻ってこられるか分からないし、上手くいけば向こうに住むことになるかもしれないの。だから、今のうちに心残りを解消しておこうと思って」
「心残り?」
扇はカウンターから身を乗り出し、怪しく微笑んだ。
「私ね……見たのよ。本物の桜花妖を」
由良はギクッと固まった。表情に出ないよう、こらえる。
「見たって、どちらで?」
「もちろん、この街で。ほら、一昨年『桜花妖』の撮影で、しばらく洋燈町に滞在していたでしょう? その時に見かけたのよ。私が演じた桜花妖そっくりの女性が屋形船に乗って、道路を川のように下っていく様をね」
「見間違いじゃないですか?」
「私も最初はそう思っていたわ。飲んだ帰りだったし、酔っ払って何かと見間違えたのかもって。けれど、貴方を知るうちに気づいたの。あれは本物の桜花妖だったんじゃないかってね」
扇はニッコリと微笑んだ。
「彼女とお話ししたいわ。紹介して?」
「ど、どうして私が?」
(ま……マズい)
由良の顔が引きつる。
扇は前々から、由良が人ならざる何かに気づきやすいのではないかと探りを入れていた。しばらく帰ってこないなら、何も知られないまま日本を発ってもらいたい。
「扇さんが桜花妖の役をされていたから、気になって姿を現されたのかもしれませんよ?」
「なるほど、あくまでも無関係を装うわけね」
扇はちょいちょいと指を動かし、耳を貸すよう指示した。
由良は恐る恐る耳を近づける。扇は吐息混じりに告げた。
「貴方が屋形船で桜花妖に膝枕してもらってたこと、紅葉谷先生や記者のお友達にバラすわよーう」
「ひょえぇッ!」
由良は今年一番、珍妙な悲鳴を上げた。
桜花妖は桜を見たくても見られなかった者達の想いから生まれた〈心の落とし物〉である。彼らのような人間を屋形船に乗せ、幻の桜と宴でもてなすのが使命らしい。
由良も多忙からゆっくり花見をする機会がなく、過去に彼女と何度か遭遇した。今年もイースターイベントやら何やらで忙しかった上に、桜の開花時期が早まり、気づいたら花は散っていた。
「……交渉はしてみますけど、屋形船に乗せてもらえるかどうかは分かりませんよ? 屋形船が見えなかったり、乗船を拒否されたりしても、おとなしく諦めてくださいね」
「分かってるわよ。楽しみだわー」
勝ち誇ったように笑う扇に、由良は頭を抱えた。
「残念。ひと足遅かったな」
「今年は開花が早かったですものね」
念のため公園を一周したが、花が残っている木はなかった。
「どこかでお茶でも飲んで帰ろうか」
「そうですね」
その時、突如風が吹き荒れた。奇妙なことに、風は上から吹いていた。
見上げると、飛行機でも気球でもない何かが青空をバックに悠然と飛んでいた。徐々に高度を下げ、こちらに向かってくる。
やがて老夫婦の前に着陸すると、中から桜色の髪の女学生がひょこっと顔を出した。
「桜、見に行きませんか?」
洋燈町の桜が散りきった頃、常連客の扇華恋はLAMPに来るなり、こともなげにつぶやいた。
「私、しばらく日本を離れることになったから」
「はぁ」
とんでもない大ニュースだったが、その日はウワサ話好きの中林も、ウワサ話をネタに仕事をしている日向子もいなかった。いたのは、扇を客のひとりとしか思っていない由良と、大女優の扇が来ても動じない常連客だけだった。
「お仕事ですか?」
「そっ。いつ戻ってこられるか分からないし、上手くいけば向こうに住むことになるかもしれないの。だから、今のうちに心残りを解消しておこうと思って」
「心残り?」
扇はカウンターから身を乗り出し、怪しく微笑んだ。
「私ね……見たのよ。本物の桜花妖を」
由良はギクッと固まった。表情に出ないよう、こらえる。
「見たって、どちらで?」
「もちろん、この街で。ほら、一昨年『桜花妖』の撮影で、しばらく洋燈町に滞在していたでしょう? その時に見かけたのよ。私が演じた桜花妖そっくりの女性が屋形船に乗って、道路を川のように下っていく様をね」
「見間違いじゃないですか?」
「私も最初はそう思っていたわ。飲んだ帰りだったし、酔っ払って何かと見間違えたのかもって。けれど、貴方を知るうちに気づいたの。あれは本物の桜花妖だったんじゃないかってね」
扇はニッコリと微笑んだ。
「彼女とお話ししたいわ。紹介して?」
「ど、どうして私が?」
(ま……マズい)
由良の顔が引きつる。
扇は前々から、由良が人ならざる何かに気づきやすいのではないかと探りを入れていた。しばらく帰ってこないなら、何も知られないまま日本を発ってもらいたい。
「扇さんが桜花妖の役をされていたから、気になって姿を現されたのかもしれませんよ?」
「なるほど、あくまでも無関係を装うわけね」
扇はちょいちょいと指を動かし、耳を貸すよう指示した。
由良は恐る恐る耳を近づける。扇は吐息混じりに告げた。
「貴方が屋形船で桜花妖に膝枕してもらってたこと、紅葉谷先生や記者のお友達にバラすわよーう」
「ひょえぇッ!」
由良は今年一番、珍妙な悲鳴を上げた。
桜花妖は桜を見たくても見られなかった者達の想いから生まれた〈心の落とし物〉である。彼らのような人間を屋形船に乗せ、幻の桜と宴でもてなすのが使命らしい。
由良も多忙からゆっくり花見をする機会がなく、過去に彼女と何度か遭遇した。今年もイースターイベントやら何やらで忙しかった上に、桜の開花時期が早まり、気づいたら花は散っていた。
「……交渉はしてみますけど、屋形船に乗せてもらえるかどうかは分かりませんよ? 屋形船が見えなかったり、乗船を拒否されたりしても、おとなしく諦めてくださいね」
「分かってるわよ。楽しみだわー」
勝ち誇ったように笑う扇に、由良は頭を抱えた。
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