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春編①『桜花爛漫、世は薄紅色』
第三話「花見客の失くしもの」⑷
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数分後。中林はトランペットが残されている木の前で、由良に肩車されていた。
「まさか、この年で肩車される日が来るとは思いませんでした」
「私も貴方のような年の子を肩車する日が来るとは思わなかったよ」
トランペットがあるのは原っぱから少し奥にある桜で、他の花見客からは目につかない木だった。
一見、トランペットがあるようには見えないが、よく目を凝らすと、確かに太い枝と枝の間に鈍く光る何かが挟まっていた。肩車してやっと手が届く高さにあり、由良は「どうやってあそこまで登ったんだろう?」と男の意外な身体能力に驚いた。
「取れる?」
「はい! あともう少しで……」
中林は枝の根元をつかみ、腰を浮かして背伸びをする。ベルと呼ばれる、朝顔のような円錐形をしたトランペットの音が出てくる部分が、中林の目の前に現れた。
長年雨風にさらされていたせいか、全体的に黒く錆びついている。さらに、ベルの中にいた何かと目があった。
「うひゃあっ!」
「ちょっ……!」
中林は悲鳴を上げ、仰反る。
それに伴い、由良もバランスを崩し、中林ごと芝生へ転倒した。
「あいたた……中林、急にどうしたの?」
「目ですよ、目! あのトランペットの中に、何かが住み着いてるんですよ!」
「んなアホな」
由良が否定した次の瞬間、ベルの中から小鳥が飛び立った。白い羽毛に覆われた丸みを帯びた腹と、黒く長い尾が特徴的な"エナガ"と呼ばれている鳥だ。
エナガはその小さな体からは想像もつかないほど、小さな翼を力強く羽ばたかせ、他の桜へと飛び移っていった。
「綿毛が飛んだ?!」
「いや、鳥でしょ」
どうやらトランペットは男が存在を忘れている間に、小鳥達の休憩所にされていたらしい。エナガが去った後もスズメやメジロなどの小鳥が入れ替わりに立ち寄り、ベルの上や中にとまって羽根を休めていた。
「どうします? かなり錆びてましたし、直しても使い物にはならないと思いますよ?」
「だそうです」
「……そうですか」
男は中林の言葉を聞き、名残惜しそうにトランペットを見上げた。今まで目を背けてきた想いを目に焼きつけるように、錆びついたトランペットをジッと見つめる。
やがて気が済んだのか、由良に視線を移し、晴れやかに笑った。
「あのトランペットは諦めます。誤って誰かの頭の上にでも落ちたら危ないですし、業者に頼んで撤去してもらいますよ」
「いいんですか? 貴方の目的は、トランペットを持ち帰ることだったはずでは?」
「えぇ。ですから、また新しいトランペットを買って、一からトランペットを始めようと思います。僕が探していたのはトランペットそのものじゃない……トランペットを続けたかったという想いだったんだ」
男は由良と中林に深々とお辞儀をし、礼を言った。
「協力して頂き、ありがとうございました。おかげで失くしていた大事なものを見つけることが出来ました」
男は頭を上げきる手前でパッと姿を消し、いなくなった。彼が立っていた場所には夕日が差し込み、眩く照らしていた。
翌日、平日の閑散とした洋燈公園に小鳥の鳴き声と混じって、トランペットの音色が響いていた。ベルは日光を反射し、遠目からでも新品と分かるほど金色にピカピカと輝いていた。
トランペットを吹いているのは昨日の男によく似た男性で、男よりも一回りほど老けていた。操作する手つきはたどたどしいながらも、時折ハッとさせられるような音を発した。
男性はひとしきり練習し終わると、由良が一人で店番するキッチンカーLAMPへ歩み寄ってきた。
「桜フレーバーコーヒー、下さい」
「かしこまりました」
由良はコーヒーを準備しつつ、それとなく尋ねた。
「トランペット、お上手ですね。最近始められたんですか?」
「えぇ、今日から。十数年前にキッパリやめたのですが、なんだか無性に吹きたくなりまして……思い切って通販で購入しました。久々に吹いたとは思えないほど、よく手に馴染んでいますよ。今日は平日で人も少ないし、思い切り練習しようと思います」
その言葉通り、男性はコーヒーを飲み終わると、すぐに練習を再開した。
由良はスピーカーから流していた音楽を切り、男性のトランペットの音に耳を傾けていた。
『桜花爛漫、世は薄紅色』第三話「花見客の失くしもの」終わり
「まさか、この年で肩車される日が来るとは思いませんでした」
「私も貴方のような年の子を肩車する日が来るとは思わなかったよ」
トランペットがあるのは原っぱから少し奥にある桜で、他の花見客からは目につかない木だった。
一見、トランペットがあるようには見えないが、よく目を凝らすと、確かに太い枝と枝の間に鈍く光る何かが挟まっていた。肩車してやっと手が届く高さにあり、由良は「どうやってあそこまで登ったんだろう?」と男の意外な身体能力に驚いた。
「取れる?」
「はい! あともう少しで……」
中林は枝の根元をつかみ、腰を浮かして背伸びをする。ベルと呼ばれる、朝顔のような円錐形をしたトランペットの音が出てくる部分が、中林の目の前に現れた。
長年雨風にさらされていたせいか、全体的に黒く錆びついている。さらに、ベルの中にいた何かと目があった。
「うひゃあっ!」
「ちょっ……!」
中林は悲鳴を上げ、仰反る。
それに伴い、由良もバランスを崩し、中林ごと芝生へ転倒した。
「あいたた……中林、急にどうしたの?」
「目ですよ、目! あのトランペットの中に、何かが住み着いてるんですよ!」
「んなアホな」
由良が否定した次の瞬間、ベルの中から小鳥が飛び立った。白い羽毛に覆われた丸みを帯びた腹と、黒く長い尾が特徴的な"エナガ"と呼ばれている鳥だ。
エナガはその小さな体からは想像もつかないほど、小さな翼を力強く羽ばたかせ、他の桜へと飛び移っていった。
「綿毛が飛んだ?!」
「いや、鳥でしょ」
どうやらトランペットは男が存在を忘れている間に、小鳥達の休憩所にされていたらしい。エナガが去った後もスズメやメジロなどの小鳥が入れ替わりに立ち寄り、ベルの上や中にとまって羽根を休めていた。
「どうします? かなり錆びてましたし、直しても使い物にはならないと思いますよ?」
「だそうです」
「……そうですか」
男は中林の言葉を聞き、名残惜しそうにトランペットを見上げた。今まで目を背けてきた想いを目に焼きつけるように、錆びついたトランペットをジッと見つめる。
やがて気が済んだのか、由良に視線を移し、晴れやかに笑った。
「あのトランペットは諦めます。誤って誰かの頭の上にでも落ちたら危ないですし、業者に頼んで撤去してもらいますよ」
「いいんですか? 貴方の目的は、トランペットを持ち帰ることだったはずでは?」
「えぇ。ですから、また新しいトランペットを買って、一からトランペットを始めようと思います。僕が探していたのはトランペットそのものじゃない……トランペットを続けたかったという想いだったんだ」
男は由良と中林に深々とお辞儀をし、礼を言った。
「協力して頂き、ありがとうございました。おかげで失くしていた大事なものを見つけることが出来ました」
男は頭を上げきる手前でパッと姿を消し、いなくなった。彼が立っていた場所には夕日が差し込み、眩く照らしていた。
翌日、平日の閑散とした洋燈公園に小鳥の鳴き声と混じって、トランペットの音色が響いていた。ベルは日光を反射し、遠目からでも新品と分かるほど金色にピカピカと輝いていた。
トランペットを吹いているのは昨日の男によく似た男性で、男よりも一回りほど老けていた。操作する手つきはたどたどしいながらも、時折ハッとさせられるような音を発した。
男性はひとしきり練習し終わると、由良が一人で店番するキッチンカーLAMPへ歩み寄ってきた。
「桜フレーバーコーヒー、下さい」
「かしこまりました」
由良はコーヒーを準備しつつ、それとなく尋ねた。
「トランペット、お上手ですね。最近始められたんですか?」
「えぇ、今日から。十数年前にキッパリやめたのですが、なんだか無性に吹きたくなりまして……思い切って通販で購入しました。久々に吹いたとは思えないほど、よく手に馴染んでいますよ。今日は平日で人も少ないし、思い切り練習しようと思います」
その言葉通り、男性はコーヒーを飲み終わると、すぐに練習を再開した。
由良はスピーカーから流していた音楽を切り、男性のトランペットの音に耳を傾けていた。
『桜花爛漫、世は薄紅色』第三話「花見客の失くしもの」終わり
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